第17話 『打ち明け』

「いやー、持つべきは他チームの友ってね!」


 グラウンドで三角コーンを片づけながら足立がにやにやと笑いかけてくる。


「たっちゃんのおかげで青が優勝もらっちゃった。ありがとね~」

「前代未聞だぞ、借り物競争の借り物が、借主を引っ張って勝たせてしまうなんて」


 後ろから悠にぼそっと告げられ、辰也はほんのり顔を赤くした。


「うっさいわ」

「さては君、目の前に誰かが走っていたらとりあえず追い越したくなる習性があるんだろ。 マグロみたいに」

「ちゃうわ。 ちょっと勢い余っただけや」

「何をむきになっている」

「なってへんし。おまえこそ前代未聞やぞ、最初の競技から白目向いて倒れっぱなしの奴」

「あんな菌まみれのものをくぐったり掴んだりさせられて、気絶しないほうがどうかしている。来年からはアルコール除菌の持ち込みを許可してもらうよう申請するつもりだ」

「それもまた前代未聞やな……」


 借り物競争での辰也の活躍は、三チームの点数の均衡を崩し、青チームをリードさせた。その後に続いた競技でも点差は動かず、青が優勝を果たしたのだ。赤と白は同点同士の結果に終わり、まあまあ悔しい気持ちもあったが、それ以上にどこかすがすがしさを覚えていた。


「拓斗ー」


 パイプ椅子を抱えた三年生たちが足立のもとにぽつぽつと集まってきた。


「例のあれ、マジでやっちゃう?」

「ああ~……やっちゃおっか! ぼくたち最後の年だしね」

「例のあれってなんすか」


 辰也の問いには誰も答えてくれなかった。ただにやにやと「もうちょっとでわかるから」と言われただけだった。


 その晩、男子寮では三年生がみんなをミーティングルームに集め、体育祭の打ち上げについて告知した。


「打ち上げなんかやるんすね」

「そ。毎年男子寮も女子寮もやってるよ」


 足立がにこにことカラフルなチラシをテーブルに広げる。それはイーコンショッピングモールの週末セールチラシだった。


「男子寮は毎年バーベキューするんだよね。女子寮はなんかよくわかんないオシャレなことしてるけど、うちは男らしく肉肉祭でいく!」


 周囲からぱちぱちと拍手が湧きおこる。それから打ち上げの買い出し係や準備の分担について速やかに決められた。辰也は当日の準備係に入れられた。


「そうだ、たっちゃんにはもうひとつ、事前にやってもらいたいことがあるんだよね」

「事前に?」

「このあと話すよ。はい、じゃあみんなお疲れ~ミーティングは解散でーす」


 足立を含む三年生たちに手を振られ、寮生たちは各部屋に戻っていく。残された辰也は上級生三人に囲まれる形になり、思わず身構えてしまった。


「さて……たっちゃん。今から君に極秘の任務を与えるから」

「はあ」

「この資料は門外不出だから、君だけ見てね」


 足立が机の下に手を入れ、A4サイズの紙を一枚差し出す。辰也は戸惑い顔で受け取り、ひっくり返して、目をしばたたかせた。

 そこには、手書きで歌詞とギターのコードが雑に書かれていたのだ。


「歌……? なんの曲すか」

「それは当日わかるよ。君にはこれを打ち上げ当日までにマスターしてもらいたい」

「はあ……」


 マスターといっても、歌は十秒ほどの短いもので、コードもひどく単純だった。辰也なら一瞬で覚えられるだろう確信がある。


「打ち上げは屋上でやるから、ギター持って来てね~」

「忘れるなよ」

「任せたぞ」


 そう口々に言われ、辰也の頭の中にはてなが募る。

 部屋に戻り、「極秘資料」に書かれた歌詞を改めて確認した。誰の字だろう、ヨレた手書きの文字を追いながら、辰也はぽつりとつぶやいた。


「『例のあれ』って、これのことか……?」


 だとしたら、自分にギターを任されたのも納得がいく。三年生にとって最後の体育祭打ち上げだ。めいっぱい楽しみたいのだろう。

「極秘資料」を机の引き出しにしまい込み、辰也は歯を磨きに外へ出た。



 今日は体育祭。リレーの純くん、かっこよかったな。パン食い競争の純くん、かわいかったな。大きな口を開けてぴょんぴょん跳んで、大型犬みたいでほんとうにかわいかった。尊い。尊みがすぎる。

 純くんはカレーパンよりあんパン派だから、あんパンに釣られてゴールより遠いところに行っちゃって、見ててすごく癒されちゃった。いい写真がたくさん撮れてよかった。

 心残りは、借り物競争……

 汐里ちゃんと一位でゴールさせてあげたかったな。そしたらもっと幸せな顔を見せてくれたのに。


 ノートに写真を貼る余白を空け、ペンを置く。それから目の前のボードに貼ったカレンダーをぼんやりと眺めた。


 ――黒鉄くん、どうしてあんなに本気で走ったんだろう。『あいつら抜かすぞ』なんて言って……自分のチームでもないのに。


 不思議だった。あんなに怖くて、正直に言えば目障りだった存在に手を取られたというのに、不本意に目立ってしまって恥ずかしい思いもしたのに……以前のように嫌な気持ちが湧いてこない。それどころか、思い出すとどこか温かな心地になる。それはまぎれもない感謝だった。人前で大きな声が出せない、自己主張できない自分の気持ちをすくいあげてくれたから。


 無意識にペンを取りかけて、慌てて手を膝に置く。このノートは日記じゃない。純以外のことを書いたらダメだ。

 でも、どうしてかこの出来事をどこかに書き留めておきたい気持ちがあった。だから、写真の余白の下に一言、付け足した。


〈わたしも、純くんの眼鏡をかけてみたい〉


 そのとき、扉がしとやかにノックされ、ユキは急いでノートを引き出しにしまい込んだ。


「はい」

「ゆっきー、一緒にミーティングルームに行きましょ」


 扉が小さく開いて、汐里が笑顔を覗かせる。


「体育祭の打ち上げの話し合い、五分前よ」

「あ、そうだった……ありがとう」


 話し合い自体は三十分程度で終わった。今年最後ということで、三年生女子の提案がそのまま採用されたのだ。談話室のテーブルを囲ってたこ焼きパーティをするというものだった。


「どーせならカセットボンベ持ってって、屋上でやりませんか?」


 万璃子の提案に「それいい!」とあちこちから声が上がったが、「やめたほうがいい」と時恵からすぐさまダメ出しが入った。


「えー、なんでですか?」

「なんでと言われてもな……」


 時恵は曖昧に笑って首を振り、「今年はやめておこう」と言うばかりだった。生徒会長でもある彼女の意見を折ろうとする者はだれもおらず、この提案はそのままお流れになった。



 そして迎えた日曜の夜。打ち上げがあるのでこの日の夕飯はない。ユキは食器類を借りるために厨房へ向かっていた。


「ご飯、どれくらいあればいいかなあ」


 廊下から純の声がする! ユキは慌ててパントリーに飛び込み、顔を少しだけ出して厨房を覗き見た。まもなくして、上機嫌の純と辰也がやってくる。ふたりは冷凍庫を開け、しゃがみこんで手を突っ込み、次々にタッパーを取り出していった。今朝から保管されている冷凍ご飯だ。


「そんなんで足りるか? もっと持ってってええやろ。女子はタコパやから使わんやろうし」

「そうかな? じゃあいっそ全部持って行っちゃお」


 ふたりは両手にタッパーの山を抱え、足取り軽く厨房を去っていく。ユキはどきどきと高鳴る胸を両手で押さえ、ふうう、と深く息をついた。


 ――たくさん食べる純くん、見たかったな。


 

 打ち上げは午後七時からスタートして、午後九時には終えなければならない。女子寮では寮生八人が談話室に集結し、おのおの準備しておいた好きな具材を生地に入れて仲良く焼いた。そのうち、三年生が焼いたたこ焼きを一年生の口に入れ、具材を当てさせるという闇焼きゲームも始まり、打ち上げは大盛り上がりを見せた。


「あー、今年最後のイベントがまた一つ終わっちゃう」


 万璃子のルームメイト、三年生の水瀬真由がしんみりとつぶやいた。


「次の文化祭が終わったら、ほんとに何もないもん。いやだな~」

「そんなことないぞ。十二月はクリスマス会、一月は餅つき大会があるじゃないか」時恵がサイダーを片手に言ったが、真由は悲しげに首を振った。

「でもうちら、それどころじゃないじゃん。受験とか就活とかあるし……」

「それまでに生徒会は交代しているし、行事は二年生が主体になってくれる。受験や就活の息抜きと思えば気楽でいいものだ」

「まあ、確かに、そういう考え方もあるけどね……」

「君はもう少し楽観的になるべきだ。ルームメイトの万璃子を見習え。ユキもだぞ」


 突然振られて、ユキは飲んでいた紅茶を喉に詰まらせそうになった。


「え、えと」

「ちゃんと食べているか? もう少し自己主張したほうがいい。ほら、ユキの好きな餅入りだぞ。醤油はここだ」


 紙皿にぽいぽいとたこ焼きを載せられ、ユキは「もういいです、お腹いっぱいです」と目を白黒させてしまった。


 そのうち真由が「ちょっとトイレ」と立ち上がり、部屋を出ていった。その数分後、部屋の外の廊下からどたどたと慌てたような足音が近づき、引き戸が勢いよく開けられた。息を切らし、口をぱくぱくさせている彼女にみんなの視線が集まる。


「どうした真由、トイレにムカデでも出たか?」

「ううん、そうじゃなくて……ちょっとみんな、洗面所に来て」


 真由は興奮気味に廊下の向こうを指した。


「男子寮が歌ってる。たぶんあれ……『打ち明け』だよ! うちらが一年生のとき、やってたじゃん! 当時の寮監が禁止して――」


 時恵がさっと顔色を変えた。事情のわからない下級生たちは顔を見合わせ、首をかしげる。


「真由さん、『打ち明け』って?」


 万璃子がたずねるが、真由は「知りたいなら一緒に来て」と言ったきり、洗面所へ走っていってしまった。


「行かないほうがいいぞ」


 時恵がぼそっとつぶやいたが、寮生たちはわらわらと談話室を出て洗面所へ向かってしまった。残ったのはユキと汐里だけだった。時恵は二人の顔を順繰りに見やり、深いため息をついた。


「まあ、君たちだけ残ったってしょうがない。どうしても知りたいなら行くといい」

「あの、時恵さんは……」

「私は生徒会長だからな。行くわけにはいかない。理由は――行けばわかるだろうが」


 ユキは思わず汐里を見た。汐里はちらりと時恵を見やって、ユキの手を取った。


「行こ、ゆっきー」

「でも……」


 汐里はまごついているユキを連れ出し、洗面所へ急いだ。

 洗面所は寮の奥、男子寮に一番近い位置にある。女子寮生たちは開け放した窓辺に集まり、静かに耳をそばだてていた。

 窓の外から、ギターのかき鳴らされる音が微かに聞こえてくる。その旋律を追うように、男子たちの陽気な歌声が風にのって運ばれてきた。


 白状します

 僕はあなたが好きです

 言えなくて苦しくて死にそうだから

 今ここで白状します

 僕はあなたが好きです

 

 ギターの音がぴたりとやむ。直後、「マユーー!」とだれかが叫んだ。真由ははっと息をのみ、両手で口を押さえて涙を浮かべた。


一輝かずき……」


 ユキは驚いて真由と窓の外とを交互に見た。三年生の水瀬真由と木村一輝は校内でも有名な隠れカップルで、裏山の常連だった。よく二人で一緒にいるところを目撃されている。あまりにもいちゃいちゃしすぎて、何度か担任教師から注意されているともっぱらの噂だった。


 ひゅーひゅー、いえーい、と怒号のような歓声が男子寮から湧き上がる。その声を盛り上げるようにギターがジャカジャカとかき鳴らされ、再び同じイントロが流れ始める。


「時恵――!」

「アヤーー!」


 まただれかが叫び、窓の下に張り付いていた一年生がきゃっと小さな悲鳴を上げる。よかったね、よかったねと肩を叩いて喜び合う一年生たちの姿に、真由も泣きながらうんうんうなずいていた。


「『打ち明け』ってそういうことか」


 横で万璃子が小さくつぶやいた。


「噂には聞いてたんだよね。なんか、昔男子寮で打ち上げのたびにやってた恒例行事があったって。校則で堂々と告白できないから、こうやって歌に乗せて〝偶然聞かせる〟んだって」


「これ、全員がやるの?」汐里がごくりと喉を鳴らす。

「さあ。わかんないけど」


 万璃子はどこかからメモ帳を取り出し、何やら熱心に描きこみ始めた。


「これはいいネタになるなあ」


 そのあいだにも女子の名前が次々に叫ばれていく。順番はランダムだ。他学年だろうか、あまり記憶にない声で汐里や万璃子を叫ぶ声もあった。しばらく聞くうちに、ユキはこのギター伴奏が辰也のものであることをなんとなく感じ取っていた。


 ――純くんは叫ぶの? それとももう、終わった……?


 もう何度目だろう、また男子たちが歌い出し、ギターの音がぴたりと止まる。だが、声は聞こえない。女子たちが不審そうに窓の外を覗き込んだとき、その声はようやくこちらに届いた。


「汐里――!」


 何度も何度も耳にした、穏やかで素朴な優しい声。一年と半年かけて追いかけ続けたその声は、ユキの胸の中を鈍い音を立てて転がり落ちていった。


 汐里がその場でへなへなと足を崩す。綺麗な白い頬が真っ赤に染まっていた。万璃子がにやにや笑いながら「やったね」と肘をぐいぐい押しつける。


「ま、マリちゃん、もしかして知ってたの?」

「そりゃあ、見てればわかるってえ。いっつもふたり一緒じゃん。君たちには何度いい構図になってもらっ――いやなんでもない」

「え、なに? どういうこと?」


 小声で言い合う二人の横で、ユキは微動だにせず立ち尽くしていた。


 ――よかった。


 頭はそうつぶやいているのに、心が凍りついたように動かない。胸の中は深くて暗い空洞になっていて、なんにもない。からっぽだ。

 願いが成就した証を得られたのに、どうして? どうしてこんなに……何もないんだろう。


「もう終わったのかな」


 だれかがぽつりとつぶやいた。さっきの声を最後にギターの音は聞こえてこない。


「終わったっぽいね」「なんかすごいの聞いちゃった……」「今日のこと、一生忘れられないかも」――そう口々に言いあいながら、窓辺にいた女子たちが立ち上がったときだった。

 ジャカジャカと荒っぽいギターの音が響いてくる。みんな一斉に振り返り、窓の外を凝視した。


 白状します

 僕はあなたが好きです

 言えなくて苦しくて死にそうだから

 今ここで白状します

 僕はあなたが好きです


 これは、辰也のギターじゃない。そう直感が告げた瞬間、その声は今までのものより大きく強く耳に飛び込んできた。


「ユキーーーー!」

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