第10話 同盟交渉
たかだかショッピングモールに行くのに徒歩一時間半もかけるなんて、正気の沙汰ではない。「男子の足だと一時間くらいかな」と純は行っていたが、それでもバカバカしかった。
田畑に囲まれた小道を歩いて三十分、小さな駅前の道路脇をまっすぐ歩いて二十分、トンネルをくぐり高架下を歩き続けて三十分、ようやく見えてきた開けた街並みを歩いて十分……結局一時間半ほどかかってしまっている。
「ごめん。田舎道なめとったわ」
歩きなれない道は、足まで遅くさせるらしい。
「あはは、しょうがないよ。僕も都会の道は歩くの遅いんじゃないかな。人ごみとか苦手だから」
「あー、避けるの苦労しそうやな、純は」
少し開けた小さな町のなかに、イーコン・ショッピングセンターは建っていた。思っていたより巨大な四角い建物で、駐車場には車がびっしりと詰めかけていた。転校してしばらくのどかな空気しか吸っていないのでギャップに感覚が追いつかない。
自動ドアをくぐり抜けると広いホールになっていて、物産展が開かれていた。その奥には大きなスーパー、頭上の吹き抜けを見上げれば階層がいくつも連なっているのが見える。
「結構でかいやん」
「でしょ! 逆に言えばここしかこういうのないから、休日になるととにかく混むんだよね」
二人はひとまず、雑貨店など目ぼしい店を巡ることにした。
「俺もなんか買おかな。足立さんに」
「ほんと? 何買うの?」
「何買お……文房具やとありきたりやし、趣味わからんし……カップ麺とかパスタの詰め合わせとか? 夜いっつも食わせてもらってるから」
「いいね! 足立くん、そういうのすごく好きだしね」
広いモール内を巡るだけでかなり歩く羽目になった。時間もそれなりにかかっただろう。純はちらりと時計を見、「次は上の雑貨見ようかな」とエスカレーターのほうへ歩き出した。
「じゃ、俺はスーパー行ってくるわ」
「うん。スマホで連絡ちょうだいね」
外出した生徒にはスマホを持たされる。辰也と純は学校を出てすぐSNSやチャットアプリのIDを交換していた。
一階に降りてスーパーに入る。カゴを手に、お菓子や乾燥麺の棚を物色することにした。
「やっぱりチョコフォンデュにマシュマロは定番よね」
ふいに聞き覚えのある声がして、思わず足を止めた。
「ゆっきーはいいの見つけられた?」
「……ちょっとまだ、悩んでる……」
汐里とユキの声だ。陳列棚の裏側から聞こえる。急に緊張が胸に走って、呼吸が浅くなるのを感じた。
「じゃあ私、せっかくだからチーズも見てくるわ。ゆっきーも何かいい感じの見つけたら持ってきてね」
汐里の声が遠ざかる。辰也は陳列棚の前で固まっていた。今、棚を挟んだ真正面に、ユキがいる……
息を吸って、静かに吐いた。それから今いる棚を出て、隣のスペースを覗き込んだ。
スナック菓子の棚の前で、ユキが困ったように立ち尽くしている。
このまま何も見なかったことにして、静かに立ち去るのが正解だと思った。だが、意思に反して足が自然と歩き出してしまう。自分がまったく我慢強くない性格であることが、本当の本当に悔やまれた。
「よお」
ユキは「びゃっ」と声を上げて肩を飛び上がらせた。おそるおそるこちらを見上げる。
「で、出た……っ!」
「人を化けもんみたいに言うなや」
「な、何しに来たの」
「買い物やけど。純に誘われて」
純、という名前を耳にした途端、ユキの瞳がきらりと輝いた。それが無性に腹立たしくなった。
「二人で来たの?」
「まあ。足立さんの誕生日プレゼント買いたいから付き合ってくれって」
「ああ、足立さんの……」
ユキの瞳がきょろきょろと動く。
「今あいつがどこにおるか、知りたい?」
ユキはぎくりとしたように目を見開いた。彼女の考えが手に取るようにわかってしまったことが、嬉しいようで悲しかった。
「教えたってもええけど……」
「いい。自分で捜すから」
これ以上弱みを握られたくないのだろう。急いで踵を返した彼女の背に、辰也はそっと教えてやった。
「あいつは三階で雑貨見てる」
ユキがぴたりと立ち止まる。
「だから、汐里にも教えてやれよ」
「……え?」
「汐里と二人にさせたいんやろ。汐里に教えてやれば?」
「……」
ユキは訝しげな目を辰也に向けた。
「なんで、黒鉄くんがそんなこと……」
「俺も、あいつらにはくっついとってほしいと思ってるから」
これは本心だ。
「そうなの……?」
「俺も純に恩があるからな。あいつが汐里を好きなら無事に結ばれたまま卒業してほしいとは思ってる」
これも、嘘じゃない。
「利害、一致しとるやろ。俺ら」
辰也はポケットからスマホを取り出して、ずいと差し出した。
「協力し合えることもあると思うけど」
ユキは差し出されたスマホを見つめて二、三度瞬きした。どこか疑わしげな目を向けつつも、斜め掛けしたポシェットをごそごそと探る。取り出したスマホには、ゆるい猫のイラストが描かれたカバーがつけられていた。
――ごめんな。俺、おまえみたいなキレイな心じゃないから。
彼女がアカウント画面を表示させるあいだ、小さな罪悪感が胸をちくりと刺した。
――恋敵は、恋敵やと思ってるから。
「これで、いい……?」
「ああ」
友達一覧のなかに新たに加わった彼女のアカウントを見て、辰也は口角が上がりかけるのを必死に押しとどめた。
「ええよ」
奇妙な同盟最初の作戦は、汐里と純にイーコンで買い物デートをさせることだった。
二階の文房具店を仲良く回る二人を物陰から見守りながら、辰也は呆れ半分でつぶやいた。
「こんなこそこそ見張らんくてよくない?」
「見張っとかないと。例えば二人の知り合いが急に表れて、せっかくの時間が台無しになったら困るから」
「おまえまさか、いっつもそういう理由でストーカーしてるんか?」
「……」
「単に純を見てたいだけやと思ってたわ」
「……」
ユキは目を皿にして黙りこくっている。辰也はそっとその場を離れ、下へ降りて行った。そうして再び元の場所に戻ったとき、ユキは別の棚の陰に潜んでいた。
「おい」
声をかけたが、返事がない。凄まじい集中力だ。辰也は手にしていたカップのストローをユキの口元に押し当てた。
「ほら」
ユキが無意識にストローを咥える。そうしてようやく目をぱちくりとさせた。
「わっ、な、なに……」
「カフェラテ。甘いの嫌いやろうから、砂糖は抜いたで」
ユキは差し出されたカップを恐る恐る手に取った。
「これ、下の、カフェの……」
「張り込み刑事もあんぱん食いながらやってるやろ。それと一緒や」
「それ、なんか古いような……」
「うっさいな。親父が刑事もんのドラマよー見てたから」
ユキは一口飲み、ほっと息をついた。
「ありがとう……これ、いくらしたの?」
「忘れた」
「六百円くらい? 七百円くらいかな……」
「そんな高ないわ。もうええやろ。ほら、ちゃんと見張ってろよ」
ユキは不承不承、再び陳列棚のあいだを覗き込んだ。
「あれ……?」
「どしたん」
「いない。二人ともどこに――」
「あら? 黒鉄くん?」
横から声がして、二人はぎくりと凍りついた。見れば汐里と純がこちらの棚に来ているではないか。
「き、奇遇やなー……汐里も来てたんか」
「辰也もこっち来たの? カップ麺詰め合わせは?」
「ああ、無事に買えたで。だから純を捜そうと思って……」
「なーんだ、だったらスマホで連絡くれればいいのに」
「悪い、完全に頭から抜けてたわ」
そう言いながら、ちらりと後ろに目をやる。ユキはいつの間にか姿をくらませていた。どこかにうまく逃げられたのだろう。
「女子も買い物来てたんやな」
「そうそう。今夜、期末試験お疲れさま会をしようってなって、チョコフォンデュをやるのよ」
「マジかよ、めっちゃええやん」
「すごい、男子寮もなんかしたかったなあ」
「俺らだけでもなんかするか? 今からでも買って帰ろうや」
辰也の提案に純は素直に乗っかかってくれた。汐里と別れ、二人でエスカレーターを下りる。
「どうしよう、なに買おうかな……チョコフォンデュに対抗してチーズフォンデュとか?」
「火器の使用許可って今からでも降りるん?」
「あ、無理かも……じゃあレンジとかトースターでできる何かにしよう。ピザとかどうかな。……」
そんな会話を交わしながら買った冷蔵ピザは帰ってすぐに足立に見つかり、悠も合わせて四人でひっそりと食べたのだった。
*
翌朝、辰也は朝から調理当番だったため、着替えに手間取って朝礼に遅れそうになっていた。「ヤバいヤバい」と連呼しながら生徒玄関に着き、靴を乱暴に脱ぎ捨てながら下駄箱を開ける。
「……え」
急がなければならないのに、上靴を取る手がぴたりと止まる。
上靴の手前に、丸くて小さな焼き菓子が詰め込まれた小袋が置かれていた。取り出して裏返すと、ゆるい猫のイラストがついた四角い付箋が貼ってある。
<昨日のお礼です ユキ>
袋の隅に、昨日ユキにカフェラテを買ってやったカフェのロゴが入っている。あのあと、わざわざ行って買ってくれたのか。
――純以外には冷たいんとちゃうんかい。
胸の奥がむずむずする。お菓子の入った袋を鞄のポケットに大切に入れて、講堂まで急いでいった。
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