第3話 視線のわけとストーカー
突然耳に凄まじい爆音が降り注ぎ、辰也はものすごい勢いで飛び起きた。音の出どころは天井のスピーカーだ。吹き荒れる嵐のような、地鳴りのような、とにかく凄まじい音楽でスピーカーが割れそうだった。思わず布団をかぶりこむが、布団を突き破る勢いで爆音の雨が降り注いでくる。
♫ 朝日がのぼる! 君にキスする! オレは爆弾だ、君が火をつける……
この絶妙にダサい歌詞とうるさいサウンドには、聞き覚えがあった。というより、よく知っていた。
耳を塞いだ辰也の脳裏に、能天気な純の顔が浮かぶ。
『明日は僕が起床当番だよ。僕の好きな音楽をかけるから、楽しみにしててね』
これは昨夜、寝際に言われたセリフだ。どっと疲れていたのと眠気とで、あまりちゃんと聞いていなかった。歓迎会と称して消灯ぎりぎりまでどんちゃん騒ぎが続いていたせいだ。盛り上がっていたのは主に三年生で、辰也や純は最後まで無理やり付き合わされたのだ。そして悠はいつの間にか姿を消していた……
ばたばたと他の部屋の生徒たちが起き出して、洗面所に向かう気配がした。仕方がないのでのそのそと布団から抜け出す。
「あ! 辰也、おはよう」
廊下に出ると、純が顔をタオルで拭いながらやってきた。機嫌がよさそうだ。
「これ、おまえが好きな曲か?」
「うん。僕、ギャランナ好きなんだよね」
「もしかして、辰也も知ってるの?」
「あー……まあ、知り合いが好きやったから」
「ほんと? ああ、僕そろそろ音楽止めなくちゃだから、またあとで語ろうね!」
玄関口の放送機器まで小走りで行ってしまう。残念ながら語り合えることなどないのに。
起床のあとは寮内掃除が始まる。部屋ごとに決められた場所を十五分かけて掃除するのだが、辰也は一人部屋なので助っ人係だった。要請のあった談話室の扉を開けた途端、どんよりした空気がもわっと広がって、反射的に顔をしかめてしまう。
「汚い……汚すぎる……」
部屋の中央に立ち、アルコールスプレーを振りまいているのは悠だ。マスクの下は吐きそうに歪んで真っ青だった。部屋はめちゃくちゃに荒れていて、昨晩のどんちゃん騒ぎの跡がそこいらじゅうに残っている。ルームメイトの一年生は悠の言動に慣れているのか、無表情でゴミを片づけていた。
朝食のために食堂に向かうと、ごった返す人ごみの中、入り口脇の水道でユキの背中を見つけた。少しためらったが、思い切って彼女の後ろに立つ。
「よお」
声をかけると、彼女の肩がおもしろいようにびくんと跳ねた。ぎぎぎ、と音がしそうな動きで首を振り向ける。
「……」
ユキは青い顔でしばらく口をぱくぱくさせていたが、くるりと背を向けるとハンカチで手を拭きながら素早く人ごみに紛れてしまった。
「……なんなん」
まるで怯えられているようで、軽くショックである。
学校でも、ユキはホームルームぎりぎりに駆け込んできて、黒板を横切るようにわざわざ遠回りをしてから自分の席に着いた。ここまでされるとさすがにむっとしてしまう。今すぐ不可解な態度の意味を問い詰めたいが、みんなのいる教室では無理だ。どうにかして、彼女と二人になれる場所はないものだろうか。
機会は、昼休みに訪れた。
一人で食堂まで行き、弁当箱を取る。純は「飼育小屋の餌やりがあるから」と、この場にいない。どこで食べようかと、弁当を片手に廊下を歩いていたときだった。
玄関口から外へふらふらと出ていく人影があった。その後ろ姿はまぎれもなくユキだ。グレーのカーディガンと小柄な背丈ですぐにわかる。
彼女は今、ひとりだ。これはいろいろ問い詰めるチャンスではないか。
靴を履いて外に出る。彼女は外のロータリーから畑のあるほうへ歩いている。だがその足取りはどこか妙だった。ふらふら歩いているかと思えば急に立ち止まったり、さっと物陰にひそんだりしている。後ろから見ているとばればれだが、何かの後をつけているようにしか見えなかった。
一体なんの後をつけているのか……思い当たる節がないでもないが、まさかと思う。慎重について歩くうち、畑のゾーンを通り過ぎ、飼育小屋が見えてきた。嫌な予感が的中したかもしれない。
ユキは飼育小屋には行かず、道を挟んだ向かい側の小さな倉庫の陰に隠れるように座り込んだ。なんとその場で弁当箱を開け、顔だけ飼育小屋のほうに向けたまま、卵焼きを口に運ぶ。さながら張り込み捜査官だ。
彼女の視線の先には、案の定、純がいた。よく見れば一緒に汐里もそばにいる。餌やりが終わったのだろう、飼育小屋近くの木箱の上に座って一緒に弁当箱を開けだした。
ふたりの座る距離は、ここから見てもわかるくらいに近かった。何やらひそひそと楽しげに話していて、時折、朗らかな笑い声まで風に乗って響いてくる。他人の人間関係に頓着しない辰也でも、彼らの関係の親密さがなんとなくわかってしまった。
そしてそれをじっと覗き見ている、ユキの異常さにも。
ふたりを見つめるユキの横顔は、なんだかとてもうっとりしている。幸せをかみしめるようにご飯を口に運んでいるが、なぜだろう。その目がなんだか泣きそうに見えるのは。
辰也は決して我慢強い性格ではなかった。どちらかというと短気ほうだ。いやなところだけ、今はいない母親に似てしまった。気がつくと、彼は茂みからがさりと抜け出していた。
ユキの肩がびくりと震え、はじかれたようにこちらを振り返る。驚愕と恐怖に目を見開く彼女に、辰也は「しっ」と人差し指を立て、静かに眼前にしゃがみこんだ。
「何しとん」
「……」
ユキは真っ青な顔で口をぱくぱくさせている。今朝見たよりも血の気が引いて見えるが、当然といえば当然だろう。
「意外やわ。おまえこんな趣味があったんやな」
「趣、味……」
「だってほら、あいつらたぶんデキてんねやろ? んで、それをおまえは覗いてた」
「……何か、悪いの?」
一瞬面食らってしまった。
「いや、開き直んなや」
「そ、そっちだって、こんな、後をつけてきて……趣味悪いよ」
「いやまあ、それはそうなんやけど」
痛いところを衝かれて、ぽりぽりと頬を掻く。
「おまえに、いろいろ言いたいことがあったから」
「……言いたいこと?」
「おまえ俺のこと嫌うんかビビるんか、どっちかにしろや。昨日、俺のこと散々睨んでたやろ。今日も授業中何回かあったな。俺なんかしたか? なんかしたんなら謝るから、直接はっきり言えや」
言ってるうちにイライラが募ってきて、ここぞとばかりにぶちまけてしまう。
「かと思ったら逃げたり避けたりするし、全部あからさますぎて腹立つし――」
ユキの顔が、みるみる泣きそうに歪んでいく。ぎょっとして思わず口をつぐんでしまった。
「な、え、なんで……やばい、言い過ぎた? ごめんて、泣くなや」
「ごめんなさい……!」
「え、うん。そうやな。こっちこそごめん。でもほら、俺もよーわからんと睨まれたり避けられたりするの嫌やねん。マジで」
おろおろと慰めているうちに、彼女の顔が自分の目線より下にあることに、今さらながらに気づいてしまう。涙をためた大きな眼でうるうると見上げられると、それだけで心にくるものがあった。
「ひょっとして、俺の顔、怖いん?」
「……」
「あー、そうっぽいな。申し訳ないけど、俺にもこれはどうしようもないし……まあ、ビビッてる訳はわかったわ。でも睨まれる理由はわからんな……」
こめかみを押さえ、しばしのあいだ、考える。
「……おまえのその態度って、純に関係あったりする?」
「へっ?」
素っ頓狂な声が口から飛び出して、彼女はぱっと自分の口を押さえた。そろそろと飼育小屋のほうを確認する。ふたりはこちらの状況には気づかず、仲睦まじく話していた。
「なんか、図星っぽいな。純が好きなん?」
「……」
「黙ってんのは肯定でええか? すげーわかりやすいもんな。ずっとあいつのこと見てるし、あいつに話しかけられるだけで顔真っ赤っかやし」
「……っ」
とうとうユキは両手で顔を覆ってしまった。
「だって……それは……」
「でも、俺を睨む理由がわからへん。なんで? 俺、言っとくけど昨日の今日であいつとは結構仲いいんやで。あいつに嫌がらせとかしてへんし……」
「……そういうんじゃ、なくて」
ユキは手で顔を覆ったまま、消え入りそうな声で言った。
「純くんと、仲いいから……」
「は?」
「初対面から、いきなり仲良くなって……お昼休みも一緒で……でも、そんなことしてたら、純くんの幸せな時間が……」
「え、何? 意味わからん。どういうこと?」
辰也は自分と遠くの純とを交互に指す。
「俺と仲良くしてたら、純になんか悪いことでもあるんか?」
「ふたりの、時間が……」
ふたりの時間?
遠く、飼育小屋前で楽しげに話す純と汐里の姿を視界に捉え、辰也の脳裏に何かがひらめいた。
「あー、あー……なんかわかった気がする。俺が、あいつらの時間を奪っているって言いたいんか」
「……」
こく、と小さくうなずくユキ。
「なるほどなー……いや余計に意味わからんわ! そんなんおまえに決められる筋合いないやん」
「わかってるよ!」
ユキががばっと顔を上げる。切羽詰まった顔で必死に訴える。
「でも、でも、あのふたりには、ちゃんと結ばれてもらわないと……!」
「ん? もうあいつら付き合ってるんじゃないん?」
「校則知らないの? ここでは男女交際禁止だから」
辰也の脳裏に、転入前の説明会のことがぼんやり思い出される。スマホの許可制やゲーム漫画持ち込み禁止などの校則が衝撃的過ぎてあまり記憶に残っていなかったのだが。
「そういやそんなんあったな……けど、それやったら余計に意味不明やわ。おまえ純が好きなくせに、なんで汐里とくっつけようとすんねん」
「それは……」
「おまえもチャンスあるやん。やのに、なんで――」
「……っか、関係ないでしょ、ほっといて!」
ユキは弁当箱を抱えて勢いよく立ち上がり、止める間もなく走り出す。倉庫を囲う茂みを駆け抜け、あっという間に見えなくなってしまった。
「……なんやねん」
倉庫に背を預け、地面に足を投げ出して座る。彼女の言動をぼんやりと思い返すが、思い返すたびに訳が分からなくなってしまった。
『城戸さんて何考えてるかわかんないんだよな』
三年男子の言葉を思い出し、ひとり納得する。
「確かにわからんわ……」
膝の上の弁当箱の存在を思い出したのは、昼休みが残り十分を切ってからだった。
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