第29話

******



 その夜。

 わたしとマリアは、テントから抜け出し、外を歩いていた。

 空気がてつくかのような寒さだ。雪は降っていないので、お月様が丸見え。んだお空はとてつもなく綺麗だ。

 周囲は雪にまみれた山やら森やらで埋め尽くされている。魔女がいるとされている洞窟は、視認できる位置にあるものの、距離は離れていた。


 わたしたちは、遠出するつもりはない。魔女に対して警戒をおこたるわけにはいかないので、のんきに散歩、っていうわけでもなかった。

 

「エステルったら、おトイレ、こんなに離れる必要あるんですか?」


「み、みんなに聞かれたら嫌じゃん! 念の為、これくらい遠いほうがいいかなって!」


 そうなのである。

 夜、あまりにも冷え込んだために、わたしはもよおしてしまっていた。

 なので、火の番をしているハーピーなどにおトイレの音を聞かれないために、テントから遠ざかっているのだ。


 文明が発達していない地域だと、困りもんだよね。まあ、集落のお手洗いを借りるっていう手もあるけれど。時刻はもう夜更よふけ。魔女におびえている集落は、明かりが一切ついていなかった。そんな中、ドアを叩いたところで入れてもらえるとは思えない。


 だから、わたしは致し方なく、しげみの中でことを済ませることにしたのだ。

 マリアに付き添ってもらったのは、見てもらいたかったとかじゃなくって、テントに一人で置いていくわけにはいかなかったからだ。ついでに、マリアも用を足してくれれば覗けるし、一石二鳥って寸法すんぽう


 さすがに勇者のわたしでも、おトイレは我慢できるわけがないし。マリアに背を向けてズボンを下ろし、しゃがみこんだ。


 ……………………。


「ふ~~」


 スッキリとしたわたしが立ち上がると、満面の笑みを浮かべているマリアと目が合った。わたしの排泄はいせつを眺めて嬉しげだなんて、やっぱりマリアも変態だよ。

 わたしが、マリアもおトイレしたら? ってうながそうとして――背筋に悪寒が走る。脂汗あぶらあせが全身を覆い、それは瞬時に冷え込んで、わたしの体温を奪い去ろうとしてきた。


 マリアには何も感じ取れないのか、突然、目つきをするどくしたわたしのことを怪訝けげんそうに見つめている。


 わたしが咄嗟とっさにマリアを背後にかばうようにすると、どうやらマリアも危険がせまっていると感づいたようだ。


「……気配は、洞窟のほうからか」


 わたしが感じ取ったのは、強烈な視線……だと思う。

 だとしたら、魔女がこちらをうかがっている、ってことだろうか。


 捕捉ほそくされたのだとしたら、打って出たほうがいいのか……。


 魔女の気配は、わたしが警戒するほど力に満ちたものであり、なかなか手強そうである。といっても、負ける気はしないけどね。

 けれど、マリアがそばにいる、っていう不安要素がある。かといって、ここに置き去りにするわけにもいかないし。


 わたしが逡巡しゅんじゅんしていると、突然、鼻に甘い香りが忍び込んできた。


 まるで、おこうが炊かれているかのような、ぽわ~んとした匂い。周囲を見渡すと、っすらとした桃色のモヤが漂っているようにも見える。


 魔女の技だろうか。女神さまの力に守られしわたしには効果がないみたいだけど、マリアに異変がないか注視ちゅうししてみる。が。マリアも、首をかしげてわたしを覗いているばかりだ。今の所、何も変化はない。


 このまま謎の匂いを放置していて、いいのだろうか。今は影響がなかったとして、遅効性ちこうせいの毒だとしたら、わたしはともかくマリアが危険だ。


 わたしは、洞窟に向かうことに決めた。


 茂みから出ようとしたところで、雪を踏むサクサクッとした足音が耳朶じだを打ってくる。

 わたしとマリアはしゃがみ込み、茂みの中から足音の主を観察することにした。


 単調な足取りで現れたのは、聖女さまだった。


 彼女は、うつろな瞳で、あやつられるようにフラフラと洞窟に歩を進めている。

 明らかに、正常ではない。


 マリアは彼女を案じたのか、飛び出そうとしたが、わたしがそれを押し留めた。


「エステルっ。ロゼリアさんを止めなくていいんですか?」


「ん。もちろん、放っておくわけじゃないよ。こっそりと、後をつけよう。魔女が罠を仕掛けているかもだし」


「わかりました……。エステル、信じてますからね。ロゼリアさん、平気かしら……」


 聖女さまは、あの変な匂いを吸って、意識がないのだろうか。だとしたら、どうしてマリアは平気なのか。謎は深まるばかりだ。


 わたしとマリアは、聖女さまから一定の距離をたもって、尾行した。


 周辺に、わたしの発達した神経をアンテナのごとく張り巡らせてみるが、特に引っかかるものはない。どうやら、ハーピーやレーネ、リリもアイシャも、操られてはいないらしい。彼女たちを呼びに行く時間はないから、このまま聖女さまの後を追う。


 洞窟に侵入していったので、姿を見失わないように、慌てて駆け寄る。


 内部を見渡して、わたしとマリアは感嘆かんたんの声をあげてしまった。


 なぜなら、光の差し込まない洞窟は暗闇が支配しているはずなのに、中はむしろ光り輝いていたのだ。

 き出しの岩壁に青色の鉱石がたくさん埋まっていて、それらがあわく洞窟を照らしている。水晶のようでいて、宝石のようでもある鉱石が発光し、青の照明のような役割を果たしている。

 綺麗な空間だった。

 こんな状況でもなければ、ロマンチックなデート気分を味わえそうだ。


 っと、光に目を奪われている場合じゃないな。

 聖女さまの姿を探すと、彼女はどんどん洞窟の深部に足を運んでいた。


 わたしとマリアは、地面に注意しつつ、尾行を続ける。幸いにも、内部が明るいので転倒することはなかった。まあ、暗かったら暗かったで、わたしが光を灯すだけなのだが。


 岩陰に隠れながら、こっそりと進んでいく。マリアはわたしの後ろから服のすそを掴んで、背に隠れるようにして慎重に歩いていた。

 ふと、足を止める。


「きゃっ。エステル、急に止まらないでくださいっ」


 と、マリアがわたしの背にぶつかって、小声で悲鳴をあげた。


「静かにっ、マリア。聖女さまと……誰か、いる」


 マリアにささやき、一緒に前方を観察する。


 そこは、洞窟の中でも一際ひときわ開けた場所だった。

 中央にはせり出た巨大水晶があり、目に痛いほどの輝きを放っている。


 青のきらめきを背景に、聖女さまと向かい合って一人の女性がいた。


 黒のローブに身を包んだ、浅黒い肌の女だ。それから頭髪も黒く、前髪が顔を覆うようにして垂れているので、表情はうかがえない。全体的に、鬱屈うっくつとした雰囲気が漂っている。魔女、と呼ばれるのも納得するほどだ。彼女が魔女と決まったわけではないが、おおむね合っているはず。


「それで隠れているつもりか? 出てこい」


 魔女は、わたしたちが隠れている岩陰に向けて喋りかけてきた。

 低い声だ。怨嗟えんさが渦巻いているかのような、耳に残る嫌な感じを含んでいる。


 わたしは、いさぎよく登場してみせる。マリアは念の為、岩陰に隠しておいた。いつでも助けにいけるしね。わざわざ姿を見せる必要もないだろう。

 

「その人に変なことをするな! わたしたちの仲間なんだ。返答次第では、痛い目をみせちゃうよ」


 わたしと魔女は、聖女さまをはさんで対峙たいじする。

 やはり聖女さまに意識はないのか、わたしが飛び出してきたのに、反応は一切なかった。茫洋ぼうようと、魔女を見つめているだけである。


「ふん……。威勢いせいのいい子どもだな。人間風情ふぜいが我をどうこうできると思うなよ……」


「わたしの力を見破れないとは、魔女ってのも大した事無さそうだね」


 わたしが挑発すると、ごうっとうなりをあげる風が吹き抜けた。

 いや。洞窟の中に風が吹き込むことはないのだが、魔女の放った威圧感がそう感じさせたのだ。肌がちりちりとする。今まで相対あいたいしたことのない強敵だ。


 しかし、わたしには心の余裕があった。

 敵のプレッシャーがこれだけあろうとも、簡単にいなせる自信があるからだ。

 いつでも攻撃を受け流せるように、腰を落として身構える。神経もぎ澄ませ、わたしは心におだやかな水流があるかのように、静かに相手を見つめていた。


 が、魔女もさすがの手練てだれ。うかつに手を出そうとはしてこない。


 静寂せいじゃくが続く。

 わたしたちの均衡きんこうは、ほんのわずかなほころびで崩れ去ることが必至ひっしだった。

 

 時を動かしたのは、騒々そうぞうしい音だ。


 わたしの背後から流れてきたのは、洞窟を駆ける靴音。魔女もわたしも、視線を交錯こうさくさせたまま、新たなる闖入ちんにゅう者を待ち受ける。


「ああ、勇者ちゃん、先にきてたのね。みんな寝ちゃってたから、あたしだけかと思った!」


 現れたのは、リリウェルだ。

 どうやら彼女も、謎の甘い匂いには操作されていないらしい。


「気をつけて、リリ! こいつ、聖女さまを操ってるんだ。倒せば、もとに戻るのかな……」


「リリ……? まさか、貴様リリウェルか!?」


 驚愕きょうがくの叫びをあげたのは、魔女だ。

 その声につられて、リリもいそいそとわたしの隣に並んでくる。そして、魔女のことをじっくりと眺めた。


「うわっ。セルフィンじゃん。ええっ、まさか、魔女ってあんただったの?」


 どうやら、リリの顔なじみらしい。

 しかも、リリは引きつった表情をしていて、ほおをひくつかせている。あまり良い関係ではなさそうだ。


「おいリリっ、わたしにわかるように説明してよ。聖女さまは無事なの?」


「ん、あー、たぶん大丈夫。ってゆーか、聖女ちゃん、こいつの術にかかったのか……」


 リリは、魔女――セルフィンっていってたっけ――の技も見覚えがあるらしく、にがりきった口調で言った。わたしは、わけがわからなくなって段々と腹が立ってくる。せっかちだしね、わたし。


「だから、ちゃんと説明してってば!」


「もー、勇者ちゃんはほんと子どもなんだから。こいつはね、魔女なんかじゃなくって、ただの魔族の女よ。しかも陰湿いんしつなやつ。あたしが魔族の国にいたときは、縮こまってなんにもできなかったんだけどねぇ~」


 リリは鼻息を吹き付けながら、セルフィンを見下すように侮蔑ぶべつの視線を投げる。

 すると、セルフィンは肩を震わせていた。


「黙れ、貴様のせいで我は……! ちょうどいい、この女がどうなってもいいのか!?」


 セルフィンはプライドを刺激されたのか、凶行きょうこうに出た。

 意識のない聖女さまに刃物を押し当て、人質にする。

 が、リリはそれでも平然と、ティータイムのように悠然ゆうぜんと構えていた。まあ、わたしもすぐに助け出せると思うから、緊張はしてないけど。


「あたしにさからえもしなかったセルフィンなんかにおどされたって、別に怖くないんだけど。何イキッってんのよ」


 どうやら、上下関係はよほどのものだったらしい。なんか、話し合いだけで終わっちゃいそうな雰囲気すらあるな。まあ、話し合いっていうか、リリが高圧的な態度で圧迫させているだけだけど。


「我は以前までの我ではない。この女が傷物にされたら困るだろう?」


「う~ん。聖女ちゃんがこいつの能力にかかっちゃうとはねぇ……。どうしたもんかしら」


 リリは、なげきつつも、別に困っている風ではなかった。どちらかといえば、同情的な視線を聖女さまに向けている。


「こいつの能力はなんなの?」


「ん~……。まあ見てわかるとおり、幻術みたいなやつなんだけど。マリアちゃんとか、アイシャとか……かかってないでしょ? 欲求不満な子にだけ、効果のある技なのよねぇ」


「え。欲求不満。ほんとに?」


 わたしは、今一度、聖女さまを凝視ぎょうしする。

 まあ。言われてみれば、聖女さまって、ちょっとむっつりしてそうではあったよね。特に、わたしを見る目とか。

 しかし、本人がいやらしい目で見ていたと宣言していたわけではないので、真実は闇の中だったのに。セルフィンの幻術のせいで、むっつりだという事実が明るみに出てしまった聖女さま。

 あらためて見てみると、あんなに清楚せいそな聖女さまが、脳内ではえっちなことばかり考えていただなんて。すけべな聖女さまだなあ。


「あいつ陰湿だからねぇ。ちょっとでも欲のある女の子には、ああやって術を使ってかどわかしているのよ。でも……まさか、人間にまで手を出し始めるなんて」


「リリウェルが帰ってくるとは想定外だったが……まあ、いい。今こそ恨みを晴らしてやろう」


 セルフィンは、髪を逆立さかだたせて怒りを表現する。真っ黒の長い髪が、ぞわぞわっとうごめく姿は、実に禍々まがまがしい。"魔女"と形容されるのもうなずける。よっぽど、リリに対する鬱憤うっぷんが溜まっていたらしい。


「よしっ。いけっ、勇者ちゃん! いじめてあげなさい」


「え、なんでわたし」


「いや~。あいつ、地味に強いからさ。あたし、怪我けがしたくないし」


「そんなんでよく威張いばり散らせてたね……」

 

 まあ、別にリリに命令されなくとも、聖女さまを解放するために戦うつもりだったけど……。

 なーんか、やる気がれるなあ。何分なにぶん、魔女の正体を知らされちゃったから、驚異きょういとは思えなくなったのだ。だって、リリに逆らえてなかった程度みたいだし……。


 茶番だと思って、さくっと大人しくさせるか。


 わたしは後頭部をポリポリとかきながら、前に進み出た。


「じゃ、悪いけど、痛い目見てもらうから」


「ふんっ……。こんな子どもを戦わせるとは、リリも落ちたものだな……」


 セルフィンはオーラをさらに増幅させて、大気を鳴動めいどうさせる。服がはためき、髪の毛も荒れ狂う。わたしは、それでも無視して前進していった。


 相手の間合いに侵入して……セルフィンの瞳があやしく煌めく。赤く輝くそれは、見つめたら暗示にでもかかってしまいそうな力が秘められていた。


 わたしは、咄嗟とっさに首をかたむける。

 ――ほおに、何か見えない力がかすめていった。

 どうやら、セルフィンは瞳からオーラを圧縮させて放ったらしい。軽く触れただけなのに、わたしの髪の毛がパラパラっと舞い落ちる。それなりに威力はあるみたいだ。


 直撃したら、まあまあ痛そう。ま、それも普通の人間だったら、の話だけどね。


 わたしは、次に、腰を落として一気にトップスピードで駆け抜けた。

 まばたきすらも低速に感じる刹那せつな

 わたしは、セルフィンの背後に立っていた。


 一瞬遅れて、突風が巻き起こる。

 わたしの移動によって生じた旋風つむじかぜだ。それは強風よりも激しくセルフィンの髪をはためかせ、顔に打ち付けていた。


 はっとなって、セルフィンが振り返ろうとして。

 わたしは、彼女の頭部にゲンコツを振り下ろした。


「ちょっと痛くしちゃうね」

 

 洞窟には、頭に硬いものがぶち当たる鈍い音が響き渡った……。

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