第29話
******
その夜。
わたしとマリアは、テントから抜け出し、外を歩いていた。
空気が
周囲は雪にまみれた山やら森やらで埋め尽くされている。魔女がいるとされている洞窟は、視認できる位置にあるものの、距離は離れていた。
わたしたちは、遠出するつもりはない。魔女に対して警戒を
「エステルったら、おトイレ、こんなに離れる必要あるんですか?」
「み、みんなに聞かれたら嫌じゃん! 念の為、これくらい遠いほうがいいかなって!」
そうなのである。
夜、あまりにも冷え込んだために、わたしは
なので、火の番をしているハーピーなどにおトイレの音を聞かれないために、テントから遠ざかっているのだ。
文明が発達していない地域だと、困りもんだよね。まあ、集落のお手洗いを借りるっていう手もあるけれど。時刻はもう
だから、わたしは致し方なく、
マリアに付き添ってもらったのは、見てもらいたかったとかじゃなくって、テントに一人で置いていくわけにはいかなかったからだ。ついでに、マリアも用を足してくれれば覗けるし、一石二鳥って
さすがに勇者のわたしでも、おトイレは我慢できるわけがないし。マリアに背を向けてズボンを下ろし、しゃがみこんだ。
……………………。
「ふ~~」
スッキリとしたわたしが立ち上がると、満面の笑みを浮かべているマリアと目が合った。わたしの
わたしが、マリアもおトイレしたら? って
マリアには何も感じ取れないのか、突然、目つきを
わたしが
「……気配は、洞窟のほうからか」
わたしが感じ取ったのは、強烈な視線……だと思う。
だとしたら、魔女がこちらを
魔女の気配は、わたしが警戒するほど力に満ちたものであり、なかなか手強そうである。といっても、負ける気はしないけどね。
けれど、マリアが
わたしが
まるで、お
魔女の技だろうか。女神さまの力に守られしわたしには効果がないみたいだけど、マリアに異変がないか
このまま謎の匂いを放置していて、いいのだろうか。今は影響がなかったとして、
わたしは、洞窟に向かうことに決めた。
茂みから出ようとしたところで、雪を踏むサクサクッとした足音が
わたしとマリアはしゃがみ込み、茂みの中から足音の主を観察することにした。
単調な足取りで現れたのは、聖女さまだった。
彼女は、
明らかに、正常ではない。
マリアは彼女を案じたのか、飛び出そうとしたが、わたしがそれを押し留めた。
「エステルっ。ロゼリアさんを止めなくていいんですか?」
「ん。もちろん、放っておくわけじゃないよ。こっそりと、後をつけよう。魔女が罠を仕掛けているかもだし」
「わかりました……。エステル、信じてますからね。ロゼリアさん、平気かしら……」
聖女さまは、あの変な匂いを吸って、意識がないのだろうか。だとしたら、どうしてマリアは平気なのか。謎は深まるばかりだ。
わたしとマリアは、聖女さまから一定の距離を
周辺に、わたしの発達した神経をアンテナの
洞窟に侵入していったので、姿を見失わないように、慌てて駆け寄る。
内部を見渡して、わたしとマリアは
なぜなら、光の差し込まない洞窟は暗闇が支配しているはずなのに、中はむしろ光り輝いていたのだ。
綺麗な空間だった。
こんな状況でもなければ、ロマンチックなデート気分を味わえそうだ。
っと、光に目を奪われている場合じゃないな。
聖女さまの姿を探すと、彼女はどんどん洞窟の深部に足を運んでいた。
わたしとマリアは、地面に注意しつつ、尾行を続ける。幸いにも、内部が明るいので転倒することはなかった。まあ、暗かったら暗かったで、わたしが光を灯すだけなのだが。
岩陰に隠れながら、こっそりと進んでいく。マリアはわたしの後ろから服の
ふと、足を止める。
「きゃっ。エステル、急に止まらないでくださいっ」
と、マリアがわたしの背にぶつかって、小声で悲鳴をあげた。
「静かにっ、マリア。聖女さまと……誰か、いる」
マリアに
そこは、洞窟の中でも
中央にはせり出た巨大水晶があり、目に痛いほどの輝きを放っている。
青の
黒のローブに身を包んだ、浅黒い肌の女だ。それから頭髪も黒く、前髪が顔を覆うようにして垂れているので、表情は
「それで隠れているつもりか? 出てこい」
魔女は、わたしたちが隠れている岩陰に向けて喋りかけてきた。
低い声だ。
わたしは、
「その人に変なことをするな! わたしたちの仲間なんだ。返答次第では、痛い目をみせちゃうよ」
わたしと魔女は、聖女さまを
やはり聖女さまに意識はないのか、わたしが飛び出してきたのに、反応は一切なかった。
「ふん……。
「わたしの力を見破れないとは、魔女ってのも大した事無さそうだね」
わたしが挑発すると、ごうっと
いや。洞窟の中に風が吹き込むことはないのだが、魔女の放った威圧感がそう感じさせたのだ。肌がちりちりとする。今まで
しかし、わたしには心の余裕があった。
敵のプレッシャーがこれだけあろうとも、簡単にいなせる自信があるからだ。
いつでも攻撃を受け流せるように、腰を落として身構える。神経も
が、魔女もさすがの
わたしたちの
時を動かしたのは、
わたしの背後から流れてきたのは、洞窟を駆ける靴音。魔女もわたしも、視線を
「ああ、勇者ちゃん、先にきてたのね。みんな寝ちゃってたから、あたしだけかと思った!」
現れたのは、リリウェルだ。
どうやら彼女も、謎の甘い匂いには操作されていないらしい。
「気をつけて、リリ! こいつ、聖女さまを操ってるんだ。倒せば、もとに戻るのかな……」
「リリ……? まさか、貴様リリウェルか!?」
その声につられて、リリもいそいそとわたしの隣に並んでくる。そして、魔女のことをじっくりと眺めた。
「うわっ。セルフィンじゃん。ええっ、まさか、魔女ってあんただったの?」
どうやら、リリの顔なじみらしい。
しかも、リリは引きつった表情をしていて、
「おいリリっ、わたしにわかるように説明してよ。聖女さまは無事なの?」
「ん、あー、たぶん大丈夫。ってゆーか、聖女ちゃん、こいつの術にかかったのか……」
リリは、魔女――セルフィンっていってたっけ――の技も見覚えがあるらしく、
「だから、ちゃんと説明してってば!」
「もー、勇者ちゃんはほんと子どもなんだから。こいつはね、魔女なんかじゃなくって、ただの魔族の女よ。しかも
リリは鼻息を吹き付けながら、セルフィンを見下すように
すると、セルフィンは肩を震わせていた。
「黙れ、貴様のせいで我は……! ちょうどいい、この女がどうなってもいいのか!?」
セルフィンはプライドを刺激されたのか、
意識のない聖女さまに刃物を押し当て、人質にする。
が、リリはそれでも平然と、ティータイムのように
「あたしに
どうやら、上下関係はよほどのものだったらしい。なんか、話し合いだけで終わっちゃいそうな雰囲気すらあるな。まあ、話し合いっていうか、リリが高圧的な態度で圧迫させているだけだけど。
「我は以前までの我ではない。この女が傷物にされたら困るだろう?」
「う~ん。聖女ちゃんがこいつの能力にかかっちゃうとはねぇ……。どうしたもんかしら」
リリは、
「こいつの能力はなんなの?」
「ん~……。まあ見てわかるとおり、幻術みたいなやつなんだけど。マリアちゃんとか、アイシャとか……かかってないでしょ? 欲求不満な子にだけ、効果のある技なのよねぇ」
「え。欲求不満。ほんとに?」
わたしは、今一度、聖女さまを
まあ。言われてみれば、聖女さまって、ちょっとむっつりしてそうではあったよね。特に、わたしを見る目とか。
しかし、本人がいやらしい目で見ていたと宣言していたわけではないので、真実は闇の中だったのに。セルフィンの幻術のせいで、むっつりだという事実が明るみに出てしまった聖女さま。
「あいつ陰湿だからねぇ。ちょっとでも欲のある女の子には、ああやって術を使ってかどわかしているのよ。でも……まさか、人間にまで手を出し始めるなんて」
「リリウェルが帰ってくるとは想定外だったが……まあ、いい。今こそ恨みを晴らしてやろう」
セルフィンは、髪を
「よしっ。いけっ、勇者ちゃん! いじめてあげなさい」
「え、なんでわたし」
「いや~。あいつ、地味に強いからさ。あたし、
「そんなんでよく
まあ、別にリリに命令されなくとも、聖女さまを解放するために戦うつもりだったけど……。
なーんか、やる気
茶番だと思って、さくっと大人しくさせるか。
わたしは後頭部をポリポリとかきながら、前に進み出た。
「じゃ、悪いけど、痛い目見てもらうから」
「ふんっ……。こんな子どもを戦わせるとは、リリも落ちたものだな……」
セルフィンはオーラを
相手の間合いに侵入して……セルフィンの瞳が
わたしは、
――
どうやら、セルフィンは瞳からオーラを圧縮させて放ったらしい。軽く触れただけなのに、わたしの髪の毛がパラパラっと舞い落ちる。それなりに威力はあるみたいだ。
直撃したら、まあまあ痛そう。ま、それも普通の人間だったら、の話だけどね。
わたしは、次に、腰を落として一気にトップスピードで駆け抜けた。
わたしは、セルフィンの背後に立っていた。
一瞬遅れて、突風が巻き起こる。
わたしの移動によって生じた
はっとなって、セルフィンが振り返ろうとして。
わたしは、彼女の頭部にゲンコツを振り下ろした。
「ちょっと痛くしちゃうね」
洞窟には、頭に硬いものがぶち当たる鈍い音が響き渡った……。
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