第9話

******



「と、いうわけで、お城の周りには、な、何もなかったよ……」


 夕刻の時間帯、領主邸はこうばしい匂いに包まれていた。どうやらディナーの準備をしているらしく、調理場がにぎわっているようだ。まあ、これだけ大きな館なんだから、働いている人たちのご飯を用意するとなると、数もすごそうだもんね。匂いに釣られて、わたしまでお腹が減ってきちゃうよ。


 高級料理が漂わせる空気を鼻で楽しみながら、わたしは領主の娘・フィオーネに本日の結果を報告していた。

 虚偽きょぎの報告をしているだけに、わたしの心臓はドキドキしっぱなし。マリアいわく、わたしってばわかりやすいらしいし、嘘がバレないかは心配だ。平常心平常心。

 

「そうでしたか……。勇者さまがご無事で何よりですわ」


 フィオーネは嫌疑けんぎの眼差しはなしに、胸を撫で下ろしていた。

 どうやら彼女は、わたしの力を見くびっているらしいね。わたしってば、どこからどうみても子どもらしいから、しかたないっちゃしかたないんだけど。どうせなら、実力を見せてわからせてあげたくもなる。


 といっても、リリウェルたちのことを隠し通せるのならば、今はそれでいい。ボロが出る前におさらばしたいね。マリアも帰りが遅くて心配してるだろうし。


「わたしなら、魔物だろーが強盗だろーが、瞬殺できるから心配いらないよ。ああ、フィオーネさんも、個人的な依頼があればどんどん言ってよね。わたし、なんだってできるし!」


 人見知りのわたしも勇者生活一ヶ月ほどたお陰か、営業トークがだいぶ上手になったものだ。個人的な依頼、なんて言っちゃうと、女の子にモテモテのわたしは、デートのお誘いとかされちゃうかもしれない。丁重ていちょうにお断りする練習もしておかないといけなさそうだ。


「頼もしいですわね……。では、お暇なときにはお庭の手入れでもお願いしようかしら」


 庭の手入れ!? 勇者のわたしに、何をさせようっていうんだ。子どものお手伝いじゃないんだからさ。庭いじりなら、むしろマリアの領分だ。マリアと一緒になら、やってあげてもいいかもだけど。マリアが隣にいるんじゃ、仕事が手につかなくなりそう。


 わたしは溜息をこらえる。もっともっと、魔物退治の成果をあげないことには、勇者としての実力を認めてもらえなさそうだよね。リリウェルたちだって、捕まえるわけにはいかないからなあ。

 となると、魔族の国とやらに行って、両国の架け橋になれば、わたしはさらに英雄として見てもらえるかもしれないね。頑張らないと。


「あはは……庭の手入れは、また今度で……。というわけで、今日は帰るね」


「では、本日の報酬ですが……」


 フィオーネは、まるで今日のお駄賃だちん、とでも言うようなニュアンスで革袋を取り出した。中身は貨幣かへいがこすれ合う、耳障りの良い音をかなでている。大金だ。お駄賃とかいう雰囲気ではない。


 ただお城に行って、しかも何の成果も得られなかったというのに、お小遣い程度ならまだしも、大金を受け取れるわけがない。

 わたしは慌てて両手を振って、後ずさった。


「いや、お金は結果が出てからでいいよ!」


「勇者さまは、たしか若くしてご結婚をなさっているとか。生活の足しにでもしてくださるといいですわ」


 なんていい人なんだ!

 結婚祝いというならば、受け取ってあげたくもなるけれど。やっぱり、引け目を感じちゃうよね。


「それこそ、庭の手入れの後にでもいただくよ……。しばらくは調査を続けるから、よろしくね」


「あっ、勇者さま!?」


 わたしは逃げるように、フィオーネの館を飛び出した。

 なんだかわたし、尻尾巻いてばっかりだな。勇者なのに、情けないよ。早く帰ってマリアになぐさめてもらお。





******



「ただいま、マリア。今日は仕事が大変で遅くなっちゃったよ……」


 わたしは、労働に疲れた中年のようなげっそりとした声で自宅の扉を開けた。

 肉体的な疲弊ひへいではなく、精神面でやつれそうなほどくたくただったのだ。わたし、もしかしてメンタルよわよわなのかも。いじめられたとかでもないのに、今すぐベッドに転がり込みたいんだもん。


 すると、リビングのほうから、ドタドタとけたたましい足音が鳴り響いてきた。マリア、わたしのことを相当待ちわびていたらしい。普段よりも幾分か、慌てて走っているようだ。それもそうか。いつもならば遅くとも昼下がりには帰っているのに、今日に限って言えばも落ちる頃合い。お仕事が始まって、初めてこんなに遅くなったからね。


「あなたっ、おかえりなさい! 帰りが遅くって心配したんですよ……。どこも怪我けがしていないかしら……?」


 マリアは、わたしを視界に収めるや否や、かかとに射出器でもついているかのように飛びついてくる。そして、わたしの全身をくまなく触診しょくしんしてきた。

 くすぐったいし、えっちな気分になっちゃうほどには、念入りにまさぐられた。だってマリア、わたしの胸はもちろんのこと、腰やら太ももの内側とかもベタベタ触れてくるんだもん。しかも本人は、至って真面目に怪我を探しているときたものだ。無自覚天然どすけべ女なのがマリアである。


「もー、マリア、心配性すぎ。わたしは勇者さまだからね、怪我なんてしないよ。マリアのほうこそ、ずっと一人で平気だった?」


 マリアの気が済むまで身体をいじらせてから、わたしはやんわりとたずねた。なんせマリア、わたしが留守していると、わたしの下着で一人えっちしちゃうくらいには寂しがり屋だ。一日中お留守番させていて、辛かっただろうな、って思う。暇潰しのお散歩くらいは、出歩かせてもいいのかなあ。でも、お外は危険がいっぱいだしなあ。


「ふふっ、エステルのほうこそ、心配性ですよね。私は……エステルと八時間も離れていて、寂しくて寂しくてしかたなかったですよ……」


 マリアってば、時間を数えながらわたしを待ち続けていたらしい。愛が感じられるよね。わたし、やっぱりマリアが好きだ。顔とか、おっぱいとか、それ抜きにしても、マリアの大きな愛が、やっぱり好きなんだなあ。


「うん、ごめんね。今日は色々あって。マリアの寂しさ、いっぱい埋めてあげるから、許して?」


 言って、わたしはマリアにキスをした。マリアはわたしよりも、背が高い。だから、わたしはいつも背伸びしてキスを贈る。マリアはその際、毎回かがんでくれて、わたしを受け入れてくれるのだ。もうね、以心伝心。どうすればお互いが、より深く絡み合えるか、言葉に出さないでもわかるのである。


 長い長い口づけ。

 キスの終わりを告げたのは、わたしのお腹が鳴らしたはしたない音だった。

 

 わたしは照れ笑いしながら、マリアの唇から離れる。わたしたちのリップには、まるで、いつでも行き来ができる橋がかけられているかのように、唾液が伝っていた。


「エステル、たくさんお仕事してきたんですよね? ふふ。安心してください、エステルの大好きなシチュー、できていますからね」


「ほんと!? 領主さんのお家でいい匂いいできちゃったから、お腹ぺこぺこだったんだよ。でもね、わたしはマリアのご飯が世界で一番好きだから!」


「まぁまぁ、エステルったら。いつも嬉しいこと言ってくれるんですから///」


 マリアはほおを赤らめて、わたしの腕を引っ張ってリビングにまで連れ込んでくれる。ほんと、強引な娘だ。マリアは多分、早くご飯を食べて、早くえっちしたいんだろう。だって、わたしがそうだからね。考えていることは同じなはず。


 本来ならば、ご飯にするかシャワーにするか、はたまたマリアにするか聞かれるのがふーふ生活の定番なはずだけど。わたしたちに関しては、マリアをいただくことは確定しているので、聞くまでもないのだ。お風呂だって、入らないでえっちすることも多い。マリアは汗も舐めてくれるからね。いいことずくめだ。


 わたしはリビングのテーブル周りに着席して、マリアが夕飯のお皿を並べてくれるのを傍観ぼうかんしていた。てきぱきと料理が並べられていく様は、もはやふーふ生活うん十年のようにもみえる。わたしたちは生涯しょうがい、こういう暮らしを送っていくのだろう。例えそれが、魔族の国であろうとも、変わりはないはず。


 食事の時間が始まって、わたしはマリアと隣り合ってシチューを口に運んでいた。向かい合って食べるときもあるけれど、基本、並んで食べることばかり。だって、肩が触れ合っているのも幸せだし、口元についた食べ残りをいてもらったり、舐めてもらったりもできるからね。距離が近いほうがお得なのである。


 それで、いつものようにイチャイチャした雰囲気が流れ……。

 話題は、今日の仕事についてに向かっていった。


「それでね……お城の地下に魔物がいたんだよ」


「まぁ……。エステル、本当にお怪我なかったんです?」


 マリアは、魔物と聞くやいなや即座にわたしの太ももを撫でさすってきた。口に含んだシチューが喉につっかえるかと思った。だってこんなの、触診じゃなくって、あからさまにセクハラまがいの手付きだし。でも、マリアは真剣に痛いところがないか探しているんだよなあ。


「マリアって、えっちだよね……」


「? いきなり、何を言い出すんですか。エステルったら、もうベッドに行きたいのかしら」


 まだ料理は残っているのに、ってぼやきつつも、否定的ではないのだから、マリアのほうが絶対にえっちである。

 わたしは彼女をなだめつつも、シチューの残りに取り掛かった。


「触り方がえっちだったの。ってゆーか、怪我どころか、戦いもなかったよ。だって、地下にいたの、女の子型の魔物だったし」


「女の子の?」


 途端とたん、マリアの穏やかな瞳は切れ味が増したような気がした。

 すっと細められた双眸そうぼうは、普段がたおやかなだけに、突然氷河期になったようにも思える。

 マリア、女の子、ってワードを聞いただけで、わたしが浮気していないか見定めているのかもしれない。鼻も動いているし。匂いでも嗅ぎ分けているのだろうか。


「なっ、何もなかったって。マリア、何を疑っているんだよ」


「はっ。いえ、すみません。魔物で女の子、ってなると、悪い誘惑でもされたのではないかと不安になってしまって……」


 マリアは無意識下での行動だったのか、正気に戻ったかのごとく、咳払せきばらいをしていた。


 しかし。マリアの独白どくはくは、当たらずとも遠からずというか。誘惑はされてきたんだよなあ……。

 あと一歩のところで、えっちになってしまった、とは言えるわけがないよね。

 顔に出さないようにしないと……。


 わたしはマリアのモノマネみたいに、咳払いをするはめになった。


「それでさ、その魔物がすごくってね。人間とほとんど変わらないんだよ!」


「あらあら、そうだったんですね。エステルは魔物さんとお友達にでもなってきたのです?」


 わたしが今日の出来事を身振り手振りで具体的に伝えると、マリアは相槌あいづちをくれながら、にこやかに話を聞いてくれる。マリアってば、本当に話の内容を理解できているのかな。おっとりとしすぎているせいで、たまにマリアの考えが読めない。以心伝心とは思っているけれど、相手のことがわからないことだってあるよ。


「まあ、たしかに仲良くはなったね。それでね、魔族の国、ってところがあるんだって。そこだとね、女の子同士の結婚が普通でね、しゃかいほしょー? もしっかりしているんだってさ!」


「あらあら、エステルったら。そんなに興奮しちゃって、可愛いんですから」


 笑みを崩さないマリアは、今にも頭を撫でてきそうだ。食事中なので、スプーンを置いてまでして撫でてくることはなかったけれど。

 しかし、だ。マリア、わたしの話、まるで絵本の内容でも聞かされているみたいな反応である。

 ま、しかたないか。だって、おとぎ話だと思われても不思議じゃないしなあ。


「それでね。魔族の国を見学してみないかって誘われたの。勇者のわたしならば、歓迎してくれるっていうから。でもでも、すごい遠い場所にあるらしくって、マリアも旅行がてら一緒に行ってみるのはどうかな、って思って」


 わたしは辛抱しんぼう強くマリアに説明を続けた。本気なんだぞ、って目でうったえ続けてみるが、マリアのおっとりとした表情に変化は訪れなかった。


「エステルと旅行♪ いいですね、私なら、いつでもご一緒しますよ♡」


 くっ、マリア、事の重大さ、わかってるのか? 彼女は、両手を合わせて嬉しげにはにかんでいる。旅行という単語しか聞き取れていないんじゃないのかな? わたし、不安でたまらないよ……。


「あのね、マリア。わたしが誘っているのは、魔族の国だよ? もしかしたら、危険もあるかもしれないからさ。マリア、怖くないの? それとも、嘘だと思ってる?」


 溜息混じりに聞いてみると、マリアは瞳の優しさをいささかも失わずに、小首をかしげる。うーん。マリアの顔をじろじろと見つめているけれど、どの角度でも美人だから困る。顔を見ているだけでムラムラしちゃうし、好きって気持ちが高まっちゃうよね。うんうん。


「エステルは、勇者さまですから。私たちの身に危ないことなんて、何もないですよね?」


 そうか。マリアに恐れというものがないのは、わたしの強さを心の底から信頼しているからなんだ。ああ、マリア、好きだ! 

 ま、信頼っていっても、女の子との浮気に関しては、けっこう疑り深いけどね。それもこれも、酒場に通っていたせいだろうけれど。


「ま、まあ、そうだけどね。マリアのことは絶対に守るから、そこは安心していいよ。マリアに触っていいのは、わたしだけなんだから」


「うふふ、エステルったら、小さい頃からそればっかりですね。一生、守ってくださいね、あなた♡」


「うん、任せてよ!」


 結局は、イチャイチャな方向に誘導されていってしまうのだ。わたしたちは食事中にもかかわらず、ちゅーをしてしまっていた。口移ししている気分になる。


「それでさ。明日、その魔族の子に会いに行ってみる? 出発の日時とか決めたいし。あ、でも、気をつけてよね。身体触ってくるかもしれないし」


「あら、それは構いませんけれど……。どうして、身体を触ってくるって……。あ、エステル、もしかして色々触られたんですか?」


 マリアは唐突とうとつに頭の回転が素早くなったのか、わたしを不安げに見つめてきた。いつもはおっとりのくせに、わたしに何かがあったかもしれないと危惧きぐしたときのマリアは、急変化する。そこも、マリアのいいところだけどね。


「さ、触られてないよ! ちゃんと拒否したの! 偉いでしょ」


「エステル、また嘘ついてます?」


 マリアは、まるで裁判官にでもなったかのような、厳粛げんしゅくな目つきだった。

 わたしは背筋に脂汗あぶらあせが走り、無意味に座り直して姿勢を正してしまう。お説教をされているわけでもないのに、気分はしかられているつもりになってしまった。

 けど! けど! わたしだって、悪いことをしたわけではない。ただ、ちょっと、リリとえっちしそうになっちゃったなあ、って罪悪感があるだけだ。


「嘘ついてない! 触られようとしたけど、きちんと拒否したの! 偉いでしょ!? 相手の子は、いきなり脱ぎだしてきて大変だったんだから!」


 だから、わたしは真っ直ぐに気持ちをぶつけた。最初は断ろうとしていたのは事実だし、無理矢理せまられても、頑張ってマリアを想って、リリを退しりぞけようとしていたのも本当のこと。ただ、リリウェルがそれを無視して誘惑してきたわけで……でも、でも。わたしだって限界まで踏ん張っていたし。うん。やっぱり、どう考えてもわたしは悪くなかったや。


「まあ、そうだったんですね。エステル、可愛いですから……迫られちゃうのも無理はないですよね。でも、いけない魔族の子ですね、その子ったら」


 マリア、表情は穏やかに戻ったけれど、不安げな吐息をついている。

 明日、リリと会わせて平気だろうか? マリアは温厚だから、さすがに取っ組み合いとかはしないだろうけど。手を出すマリアなんて見たことはないからね。見たくもないし。マリアは優しいからこそ、マリアなんだ。


「うーん、まあ悪い子ではないと思うけどね……。結局は、えっちなことにはならなかったし」


「じゃあ、明日は魔族さんとお話できるんですね。エステルの可愛さについて、語れるかもしれませんね」


 よかった、やっぱりマリアは優しいや。彼女は、すでに明日のことを楽しみにしているのか、上機嫌に食事の残りに取り掛かっていた。

 マリアならば、リリとは仲良くなれそうだよね。仲良くなりすぎても困っちゃうけど。相手はえっちだし。やっぱり、わたしが常にマリアを保護してあげないといけなさそうだ。


「後ね、危険ではないんだけど、ハーピーっていう魔物も一緒にいたよ。全然攻撃的じゃないけれど、驚かないようにね」


「あらあら、明日は貴重な体験がいっぱいできそうですね」


 マリアは何を聞いても驚嘆きょうたんすることがないのだから、ある意味すごい神経の持ち主だ。彼女が驚倒きょうとうするのなんて、虫くらいだけじゃなかろうか。


 明日の予定を決め終えたわたしたちは、以後、何もうれうことはなく、イチャイチャとした空気で過ごした。えっちもいっぱいした。

 そして、えっちで疲れた二人は、快眠をむさぼれるのだ。いつものわたしたちのり方である。

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