エリス、さらわれる。

「何で? ちゃんと警ら兵に渡したわよ、牢にぶち込んでおけばいいだけじゃない」

「そこから移送している最中だったそうですよ」

「移送ってどこへ──あ」

「ユーコン伯のところで尋問を行うつもりだったそうです。連中が<レイヴン>という男の指示で動いたらしくて」

「私への意趣返しか……その話はユーコン伯が流しているの、ロッド?」

「部下の兵たちが噂しているようです」

「まずいわ。盗賊たち、口封じされるかもしれない。ったく、悪党のためになんで私が動かなきゃいけないの」

「もとはといえばレイヴンも悪党ですね、お嬢」

「ロッド、私のまいた種って言いたいの?」

「俺の口からはそうはっきりと言えない。職も命も惜しい」

「とにかく情報よ。資金は出すから、早めに集めて」

 ロッドは頷くと、足早に去る。

 エリスは会話の意味が分からず、ベアトリスに訊ねた。

「今のはどういうことですか?」

「レイヴンを盗賊の親玉にしたいのね」

「絶対に違いますよ! だったらわざわざ部下を捕まえさせたってことになるじゃないですか」

「そうね。私もレイヴンは関係ないと思う。要は私に対する嫌がらせよ、この前レイヴンを逃がしたから。あわよくばレイヴンも捕まえたいっていう願望も含んだ

「そんな……」

「私は明日、朝から駐屯所に詰めるわ。そのつもりで準備してちょうだい。あと寝酒を一杯」

「わかりました、ベアトリス様」

 エリスは一礼し下がると、葡萄酒を取りに地下室に向かった。お客様がいつ来られてもいいように、地下には専用の酒蔵庫がある。そこには樽が何個も蓄えられているのだ。ちゃんと確かめたわけではないが、壺に詰め直して密封された相当に古いビンテージ酒もあるらしい。ベアトリスは比較的フレッシュな味を好むので、日常的に飲むのは若い酒である。

 (ベアトリス様も大変よね……。そうだ、サイラスコックさんと相談して甘いお菓子を手作りしよう。喜んでくれるかな)

 ランプと木槌、銀のゴブレットを持ってそんなことを考えながらエリスは階段を下りた。

 地下には夏場用の食料貯蔵庫と物置があり、その横に酒蔵庫と、<閉ざされた部屋>がある。そこはベアトリス以外の出入りを禁じられている(執事のメイソンさんでさえ!)。

 中に何があるのか好奇心はくけれど、それなりの理由があるのだろうとは思う。これから知る機会はあるはずだからとエリスは心の中だけに留めている。中が散らかっていなければいいのだけれど。



 次の日の朝、ベアトリスを見送った後にエリスはダンフォード家のコック、サイラス・ウォンとアップルタルトの材料について検討していた。

「シナモン……煮込みに使ったからなあ、もうないよ。市場いちばで買ってくればいい。その代わり砂糖は融通するからさ」

「えー! いいんですかあ。こんな希少なもの」

「おう。ベアトリス様、甘いの好きだろ。おいしいの作ってやれよ」

「ありがとうございます!! 頑張ります!」

「昼が終われば薪釜使っていいからよ。東の田舎風タルト。ふうん、俺にも少し味見させてくれよな」

「もちろん! あー、でも本職に味見されるって怖いなあ」

「わはは、いまさら恥ずかしがる柄かよ」

「ですよねー」


 (市場かあ……女の一人歩きは危ないっていうけど、こんなに天気がよくて明るいし)

 ロッドはいない上、ポーリーンも別な仕事で忙しい。こんな個人的な用事につき合わせるのは気が引ける。

「さっと行って帰ってくれば大丈夫よね。市場なら人がいっぱいいるし」

 エリスは呟いて、外套を素早くまとった。

 その様子をたまたま下働きメイドのマーサが見る。

「おや、どこかへ行くのかい?」

「市場まで買い物です、マーサさん」

「気をつけてね、エリス。知らない路地裏に行っちゃだめだよ」

「わかってますよぉ。子供じゃないんだし」

「私の歳からすりゃ十分に子供だよ。一緒に行こうか?」

「大丈夫ですって。じゃ行ってきます」

 エリスは笑って駆けだした。自分だってもう都会まちに慣れている。


 物陰からじっと観察している男たちがいることに、エリスは気づかない。


 買い物を済ませてほっとしたエリスは、帰りを急いでいた。頭はアップルタルトを作る手順を考えている。

「ねーちゃん待ちな。あのクソ女騎士の家のモンだろ?」

 エリスは男たちに囲まれていることに気がついた。

 四人……いや、五人か。

 その中の一人がエリスの前に立った。

 痩せてはいるが、異様に思えるほどぎょろりとした目を持った男だった。

 その男はオウルと名乗った。

「おめえには悪いがクソ女騎士に用があってな。ちょっとばかり人質になってくれ」

「……絶対かないませんから、やめた方がいいですよ」

「だから人質だって言ってんだろ! 暴れんじゃねえぞ、余計な怪我をすることになるぜ」



 もともとねぐらに使っていた廃屋に着くと、オウルはエリスを乱暴に突き放した。

「俺たちのねぐらだ。大人しくしてりゃあ傷はつけねえ。ま、森の中だから騒いだって助けは来ねえよ」

「こんなところで生活してたの?」

 男所帯に何とやらで、そもそも片付けると言いう発想がないから何もかも放り出したままだ。

 さらにほこりや蜘蛛や得体の知れない虫があたりを這いまわっている。食い散らした卓には大量の蠅が飛び回っていた。

 エリスは気が遠くなりかけた。頭の隅で何かがぷつんと切れた感覚。

「なんか娘っ子の雰囲気が変わりましたぜ、親分」

 子分の一人が不安そうに言う。

 真正面からオウルを見返すエリス。完全に目が座っている。

「縄を解いてください。逃げはしませんから」

「って、おめえ、何をする気だ?」

「もちろん──」


 エリスは袖をまくりあげ、ぽきぽきと指の関節を鳴らしつつ、言った。


「──

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