レイヴンという男
「あたし朝の仕事もあるし、もう寝るねー」
ポーリーンがあくびを抑えながら言った。
「私は水を替えてから部屋に戻る。おやすみ」
「んー」
エリスは軽く手を振ってポーリーンを見送る。ベアトリスはまだ寝息を立てていた。
起き抜けに喉が渇くであろう
(ちょっとは都会に慣れたのかな?)
雇われてから正味一か月に足らないが、エリスはちょっと誇らしかった。
故郷にいる姉たちにちゃんと仕事しているんだぞ、と自慢したい気持ちだ。
(特にフレデリカ
そんなことを考えながらベアトリスの部屋に戻ると、部屋の主はむくりと身を起こしていた。
しかしぼうっとしていて、目の焦点が合っていない。まだ半寝半起きといった感じだ。
「ここは……エリスがいる。家に戻ったのかな」
「そうです、ベアトリス様。水はいかがですか?」
「もらうわ」
「はい」
コップに水を注ぎ、渡す。ベアトリスは一気に飲み干した。
「ぷはぁ。飲みすぎちゃった……というか思ったより酒成分が高い酒なのね、あれ」
「それで、お仕事はどうでした? 密造酒の組織を潰す、とかいう話のようでしたが」
「ん-、結論から言うと、『レイヴン』と呼ばれているボスは捕まえられなかったわ」
そう微笑むベアトリスに、エリスはさらりと訊ねた。
「ベアトリス様、わざと逃がしましたね?」
「どうしてそう思うの、エリス?」
ベアトリスが問う。
「ベアトリス様の服から妙な香りがしました。まるで
「その噂とやらを聞いてみたいものだけれど、覚えておいてエリス。私も人間だから、絶対ということはないわ」
「覚えておきます、ベアトリス様」
「その上で言うけど、頭がいいのねエリス。あなたがここに来たのは主の御導きにちがいない」
「あ……ありがとうございます」
「そもそも私たちが出るのがおかしいのよ。密造団なんて警ら隊単独で十分なはず。密造団が傭兵を雇ったという情報があったとかで要請が来たのだけれど、それも嘘だったし」
「ええと、でも悪人を取り締まるのはいいことですよね」
「彼らは強奪も殺人もしていない。私たち騎士団に頼らなきゃならない理由がないわ」
「でも法を犯してるのは確かなんでしょう?」
納得できない風に首をかしげるエリスに、ベアトリスが言う。
「エリス、彼らが犯したのは人間が作った法律よ。権力のある人間は時に欲得づくで法律をつくる。
「それはわかります」
「それで葡萄酒の輸入を握っているのはユーコン伯。彼の領地は最も南側に位置していて隣国と接しているから。葡萄酒に酒税をかけて価格を調整してるのも彼」
「はい」
それくらいはエリスも知っている。教えをうけた
「密造酒というのは林檎を発酵させた酒だった。なかなかおいしかったわ。林檎ならこの国にもたくさん採れる。安く作れるはずだし、これが普及すれば当然、葡萄酒の売り上げは落ちる。ユーコン伯の税収が減る」
「……」
「警ら隊は実質、貴族の私兵よ。この時期はユーコン伯の割り当てでもある。彼は林檎酒が流行っては困るわけね。だから違法である今のうちに芽を潰そうとした。私は新しい産業として林檎酒は面白いと思った。うまくいけばこの国を富ませる柱の一つになるかもしれない。レイヴンと話してみたわ」
あっさりとベアトリスは言うが、なんて大胆な行動だろう。エリスは舌を巻いた。
「レイヴンは面白い男よ。黒髪で黒い目、というのもここらじゃ珍しくて気に入ったし、ここで潰されるのは惜しいと思った。林檎酒の樽と引き換えに目をつぶった──というわけ」
「……それでベアトリス様が泥酔するほど飲む必要はあったんですか?」
「あ、やっぱり、自分で飲んでみないと品質がいいかどうかわからないじゃない? それに」
「いいです、だいたいわかりましたから」
口をとがらせるベアトリス。
「でもね、エリス。『悪い法律は法律だが、しかし真の法ではない』ということよ。今回は悪法とまではいえないけれど、利用されているのは間違いない。私の剣は主に捧げられたもので、こう言ってはなんだけれど陛下や国にではないの。主のさだめられた法が私の正義であり、それ以外にむやみに力を使うことは出来ない。他人に勝手に脅しとして使われるのは面白くないわ」
難しくてよくわからなかったが、最後に本音がちらりと出たなとエリスは思った。
「レイヴンはきっと表に出てくる男だと思う。楽しみね。……もう寝ましょうか」
「そうですね」
同時にあくびが出て、二人で笑った。
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