エリス、無事メイドになる。

 はあ、と一息ついてから、エリスはなるべく慎重に──といっても何かを踏みながらでしか進めないが──ベッドに向かう。

 シーツをつかむとばさっと払った。菓子のかけらみたいな小さなくずがパラパラと部屋に落ちる。

「ベアトリス様、ベッドで寝転んでお菓子を食べるの禁止です」

「えー……、私の数少ない楽しみなのに」

「それはともかくちょっと来てください」

 ベアトリスはまるで見えない道でもあるかのように器用に部屋を横断する。

 エリスはいったん部屋から出ると、メイソンが運んできた大きい木箱をベッドの横に設置した。

左端ひだりはじのは、今現在使っているものを入れてください。真ん中は最近使っていないけれど捨ててほしくないもの。右端みぎはじはそのまま捨てていいもの、です」

 エリスは使い込まれた砂時計を置く。

「あまり考えこまないでください。迷ったらこれを倒して、砂が落ち切る前に決断して。いいですね」

「あの……なんでこんな大掛かりなことになっちゃってるの……?」

「それは、この部屋が、汚いからです。い・い・で・す・ね?」

「……はい……」

「あたしも手伝います!」

 エリスと同じくらいの年の女の子が寄ってきた。服装からするとここのメイドのようだ、とエリスは推測する。明るめのブラウンの、肩までかかる長さの髪を髪留めで後ろに流している。つり目気味の、深い茶色の瞳。やや幼めの顔立ちと相まって、獲物を見つけた猫みたいだとエリスは思った。

「あたしはポーリーン・テナ。下働きのメイドをしてる」

「エリス・ロックウェルよ。お願いします、テナさん」

「ポーでいいよ、エリス。あたしもこう呼んでいいよね?」

「もちろん!」

 ポーリーンは布で鼻と口を覆うと、掃除でいつも使っている、ひも付きの三角巾さんかくきんを頭に巻く。エリスにも同じものを差し出した。

「ありがとう。助かる」

 二人はなんとなしに笑顔になる。同じ仕事をする者同士の連帯感。

 すると、いつの間にか上着を脱いで腕まくりをしたメイソンが入ってきた。

「男手も必要でしょう。重いものは任せてください」

 包囲は整った。籠城しようにもベアトリスには援軍が来ない。仕方なくベアトリスは白旗を上げた。

「……わかったわ。はじめましょう」



 そうして何時間か過ぎた後、ベアトリスの部屋は何とかまともに──物が多すぎるのはしょうがないとしても──見れるようになった。

「すごい、この部屋の床が見えたのなんて初めて見た」

「それはちょっと言いすぎなんじゃない、ポーリーン?」

「いえ、ベアトリスさま。このメイソンも何年も見た記憶がございません。ポーリーンが見たことがなくてもおかしくはありません」

「みんなしていじめるわ、エリス……どうしたの、エリス?」

 ずっとうつむいてるエリスに気づいて、ベアトリスが声をかけた。

 エリスは落ち込んでいた。、やってしまった。

 途中で気づいてはいたのだ。仕えるべき主人に命令し、上司をあごで使うようなことをしてしまった。そんなメイドを誰が雇うだろうか。

 片付けの後半は、どうせクビだろうと開き直ってとにかく目の前の仕事に没頭していた。

 しかし、それも終わった。もう現実に向き合わなくては。さようなら……私の都会暮らし。

「短い間でしたが、お邪魔しました。私帰ります」

 エリスは深々と頭を下げた。そうして置きっぱなしだった鞄をつかんで玄関の方へ歩き出そうとした。

 しかし、その腕をつかまれた。がっしりと、力強さを感じる手で。

「なに言ってるのエリス。あなたがいなけりゃ、またこの部屋が無茶苦茶になるじゃない。悪いけどそうなる自信はあるわ」

「でも……私……無礼で生意気なことばかり……」

「失礼ですが、ベアトリス様にはガツンと言える人が必要かと存じます。自分はベアトリス様がお小さい頃から接しておりますので、ついつい甘やかしてしまいます」

 メイソンがエリスをしっかりと見つめて言った。腹を立てている様子はない。

「エリスの掃除テク、すごいよ。もっと教えてほしいな。きっとこの館ピッカピカになる」

「ポー……。」

 うっすらと涙が浮かんでくる。

「いいんですか……私、ここにいて」

「当たり前じゃない。これからお菓子はちゃんと喫茶室で食べるわ。それで文句はない──でしょう?」

 ベアトリスが微笑んだ。昔教会で見た聖母像の記憶が重なる。やっぱり美しい、とエリスは思う。

「よろしくお願い……します」

 そこでエリスは緊張の糸が切れた。すっと気が遠くなる。


 気がつくとベッドに寝かされていた。

「やっぱり長旅で疲れていたのね。体は大事にすること、それが第一の規則。あなたはもう大切なダンフォード家の一員なんですから」

 いい人たちばかりで、本当によかった。ベアトリスが出て行った後、久しぶりの柔らかいベッドの中で、エリスは泣いた。



 あれから一か月。

 夜中の物音に目が覚めたエリスは、ポーリーンとともにランプを持って廊下に出る。

 ごつん、と何か固いものに足が当たった。

 ベアトリスが着用していった鎧の一部だ。ぽつんと片足の部分だけ落ちている。

「ベアトリス様、お帰りになられたのかな。たしか警ら兵と合同で密造酒販売のボスを捕まえるって話だったけど」

 ポーリーンが言うと、エリスが細かい装飾の入った高価な鎧なのを確かめる。

「これはベアトリス様の鎧ね。ああ、あっちにもある。玄関入ってから脱ぎ散らしながら歩いてるんだわ」

 鎧の部分部分を拾いながら行くと、ベアトリスが寝ていた。自室のドアノブに手をかけたところで力尽きたようだった。

 それに近づいたポーリーンは、大げさに鼻をつまんで見せた。

「ああ、酒くさっ。だいぶ外で飲まれたみたい。しょうがない、二人でベッドまで運ぼう」


 やれやれ。

 キルトで作られた厚い服を脱がせながら、エリスはこの人本当に噂ほど強いのかな、と思う。

 たいてい喫茶室でお茶飲んでお菓子食べてるし、自室にこもってなかなか食事に来なかったり(魔法書を読んでたって言っていた)、あんまり剣の稽古とかしないようだ。

 

(まあ、そんなことはどうでもいいか。私はここに来た最初の日に、彼女に仕えると決めたのだから)


 エリスはポーリーンと一緒に、ベッドまで運ぶためにダンフォード家当主、眠りこけたベアトリスを担いだ──。


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