ベアトリス、赤面する。

 エリスとオズウェルは馬車で移動中である。

 今いる馬車はアランの乗り合い馬車と比べて華奢な作りで、屋根に革が張ってあった。天気のいい日はたたむのだろうか?

「まずは謝罪させてくれ。僕が迎えに行くはずだったんだが、直前に用が入ってしまって。僕から言い出したことなのに申し訳ない」

「いえいえ、謝罪なんてとんでもないです。違う土地の景色がいろいろで楽しかったですよ」

「君のお父さんから、もう出発したと早便が来た時は驚いた」

「すいません、思いこんだら行動しちゃう性格で」

「頼もしいな。ただ、女性ひとりで旅行するのはよくないよ」

「気をつけます……」

「王都は治安のいい方だけど、怖ぁいおじさんたちはたくさんいるから。まあ君はこの国で最も強い武装集団の団長の家に行くんだから、それを聞いて襲う馬鹿はいないさ」

「ベアトリス様って、お強い方なんですか?」

「めちゃくちゃ強いよ。一対一の決闘だったら勝てないかもしれない。剣の腕だけなら僕の方が上だけど、彼女には加護があるからね」

「加護?」

「銀薔薇騎士団は教会に属するんだ。というか教会のトップ、教父の直轄と言えばいいかな。知らなかったかい? 彼女は普通に魔法を使いこなす上に加護の力で自分の能力を強化できるから。そうそう、彼女の母は聖女だし」

「……? 聖女様って一生純潔を保つんじゃなかったですか?」

「大人にはいろいろ事情があるんだよ」

 オズウェルは華麗にウインクしてみせた。誤魔化された気になったエリスだったが、次の彼の言葉にそんなことは吹き飛んでしまった。

「さあ着いたぞ。本人に会いに行こう」


 門を過ぎ、降ろされた館の前でエリスは首をひねった。

 前評判から想像していたのとは、少し違っていたからだ。大きさは来る途中で見た大聖堂よりはるかに小さい。

「あの……こんなことを言って失礼かもしれませんが、思ったよりもこう……ぎゅっとコンパクトというか……」

 オズウェルは大声で笑った。

「ここは確かにダンフォード家が持つ館の中でも小さい方だね。広さだけならもっと大きい館が郊外にあと二つほどある。ここを拠点にしているのは王城とも教会とも近いからだ。ベアトリスがここを動かなくて。楽だから」

 エリスは納得いかなかった。確かに城や属する教会に近いのはいろいろと便利だろう。しかし同じ王都の中で、そこまで違うものだろうか? 騎士なら馬に乗ればいいはず。

 そうこうしていると執事らしき男性が扉から現れた。

「ようこそいらっしゃいました、オズウェル様」

「やあメイソン。彼女に面白い子を連れてきた、と伝えてくれ」

「かしこまりました。どうぞ中へ」

「ありがとう」

 ふたりを通すとメイソンは奥へ消えた。

 少し小声でオズウェルが教えてくれる。

「彼は執事のメイソン・テイラーだ。ベアトリスの親の代から仕えてくれている古株さ。君の上司になる」

 エリスはまるで少年のように落ち着きのない様子のオズウェルに聞いた。

「あの、本当にベアトリス様のおつきでいいんですか? 私メイドをするのは初めてですよ」

「うん、君に庭掃除や洗濯をさせるつもりはない。失敗しても命がなくなるわけではないから気楽にいこう。そうなったら王都を観光して帰ればいいよ」

「そんな無責任なことできませんっ! お父様にも見得切って出てきたんですから」

「君は真面目すぎる。そんなところも魅力的だが」

 エリスのあごにそっと指を当ててきた。あわてて距離を取る。

「はは、手折たおるにはまだ早いつぼみだな」

 ばたん、と扉が大きな音を立てて開いた。

「叔父様! お久しぶりです! 元気そうで何より」

 ゆったりとした部屋着の女性が飛ぶように近づいてオズウェルに抱きついた。

「おおベアトリス、変わらず太陽も恥じ入るほどの美しさだな! どうしていまだに誰も求婚しないんだ?」

「それは叔父様が噂に尾ひれをつけまくってしゃべるからです。みんな熊みたいに凶暴な女だと思ってるに違いないわ」

 エリスは魚のように口をぱくぱくさせた。言葉が出てこない。

 (……なんて綺麗きれいな)

 これほど美しい女性をエリスは見たことがなかった。

 背はエリスよりも頭ひとつ分は高いだろうか。男の中でも上背うわぜいがある方の、オズウェルにも負けないほどだ。

 その手足の長いすらりとした身体は、ゆったりした上質な柔らかい生地の服に包まれていたし、黄金に輝く長い髪は細い金の鎖にまとわれて豪奢ごうしゃに流れ落ちている。

 ちょっと上向きな鼻に薄めの形のよい唇。奥まった大きな瞳はグリーンとも薄いブルーともつかない、神秘的な色彩を持っていた。そんなで見つめられると、エリスはどぎまぎしてしまう。

「前に言ってたろう。彼女がエリス。ロックウェル家のだ」

 とオズウェルが紹介した。

「叔父様の紹介であるなら私──いや、ダンフォード家は無条件にあなたを歓迎します、エリス。とりあえず私の身の回りのことを頼むことになりますけど……仲よくしましょう」

「エリス・ロックウェルです。よろしくおねがいしましゅ」

 噛んだ。エリスの顔が真っ赤になる。

 ベアトリスは柔らかく微笑んだ。

「はい、よろしく」

「じゃあ僕はこれで失礼する。また会おう」

 と、オズウェルは帰っていった。


「まずは家の中を案内しましょう。こちらが応接間──」

 ベアトリスの後をついて回りながら、エリスは思った。

 反則だ。絶対反則だ。

 私も熊みたいな──とまではいかなくても、ごつい野性的な方だろうと思っていた。

 とてつもない美女で、さらにどこかほわんとした、綿あめのような人懐っこさがある。

 この方がオズウェル様より強い……? 信じられない。

「ベアトリス様、聞いてもいいでしょうか」

「なあに?」

「本当に騎士団におられるんでしょうか? 想像がつきません」

「お飾りじゃないわよ、私」

「いやいや、そんな意味じゃなくて……」

 慌てるエリスにベアトリスは腕をまくってみせた。細いが筋肉がしっかりと浮き出る、力強い腕だ。それに大きく傷跡が残っている。

「魔法薬は傷によく効くけど、傷跡までは治してくれないのよね。だから、あまり露出の多い格好はできないの」

「変なこと聞いてすみません」

「いいのよ。ファッションといえば、最近腰をコルセットで締めるのが流行ってるみたいで。私どう絞っても細くならないの。早くすたれてほしいと願っているわ」

「あー、あれは私も嫌いです」


「それで、ここが私の部屋。でも、掃除はしなくていいわ。ほら、危ない魔法書とか、研究資料とかがいっぱいあるから」

 さっきからエリスの鼻は、異様なにおいを捉えていた。

 それが強くなっている。

 エリスは速足でベアトリスの部屋の前の扉に手をかけた。

「ねえ、エリスちゃん? 今日着いたばかりで疲れてるでしょうから、まずはゆっくり休んで──」

 焦った様子で止めに入る。がそれを振り切って、エリスは扉を開け放った。

 床が見えないほどの、散乱した本や羊皮紙。ゴミの海に浮かぶ島のようなベッドには服のようなものが脱ぎ散らかしてある。

 ぷっつんと、エリスの中で何かが切れた。

 ベアトリスは赤くなってもじもじしている。

 廊下の向こうに何事かと見物に来たらしい人影がある。その中には玄関で出迎えた執事の顔もあった。

「テイラーさん。大きめの木箱を3つ用意してください。野菜を運ぶような奴です。それに麻袋を大量にください。あとバケツと水と雑巾、縛るようなひも」

 メイソンは笑いをこらえるかのように口の端を微妙に動かすと、言った。

「承知いたしました。すぐに」

 見物人に指示を出し、自らも奥に消える。

 ベアトリスは思ってもいなかった事態に戸惑いつつ、エリスに一応言ってみる。

「エリスちゃん、明日ゆっくりと──」

「明日になれば、ゴミは消えるんですか?」

「……えーっと……」

「大丈夫、やまない雨はありません。掃除すれば、いつかはゴミが消えます」

 エリスの目は座っていた。


「やってみせます、私」



 






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