女騎士団長さま、ちゃんとしてください!

連野純也

エリス、王都に到着する。

 エリスは王都にあるダンフォード家に初めて来たときのことを、はっきりおぼえている。



 乗り合い馬車の揺れが、小さくなった。

 道がよくなった証拠だ。つまり王都に近づいたということ。

 王都にはたった一回だけ、訪れたことがあった。

 辺境の領主である父の用事に無理を言ってくっついてきたのだ。エリスの住んでいた家からは馬車を使っても片道五日はかかるので、当時小さかったエリスにあるのはただただお尻が痛かった記憶だった。

 その時に整った街並みなども見ていたはずだし、砂糖をふんだんに使った甘い甘い菓子も食べたはずなのだが──今となっては小さい頃の記憶など、家に飾ってあった絵を眺めてから見る夢と混ざってしまい、はっきりこうだったと言えるような代物ではない。


 まあ今でもお尻が痛いのは変わらないのだけれども、お手製のクッションのおかげか、我慢できないほどではなかった。

 上流の女性は家事をしないのが当たり前。でも田舎ではそんなことも言ってられず、一通り習っている。なかでも裁縫さいほうはエリスの趣味と言えるほどに好きだった。

 それよりもエリスの目を奪ったのは王都の、色彩にあふれた家々の壁であり、行きかう馬車の多さだった。

 窓に花を飾っている家が多い。エリスの田舎には山と森と原っぱ(ときどき畑)しかなかったから、花や葉っぱをわざわざ外に向けて飾る人は少ない。しかしこのレンガと石の街ではわずかな緑が可憐に映った。

 通り過ぎる馬車は荷物運搬の素朴なものがほとんどだったが、たまに黒く塗られ装飾のついた箱型の車体のそれもあり、金持ちか貴族が多いのだ──と実感させられる。

 エリスはかばんの持ち手を握りしめた。

 これから向かう、ダンフォード家はどんなところなんだろう?

 そして、当主にして銀薔薇騎士団の女団長、ベアトリス・ダンフォード様っていったい──どんなひと?


 馬車が駅に着きそうだ。カランカランと御者が鐘を鳴らす。

 他の乗客たちが降りるために荷物をまとめ始める。

 エリスは急いでクッションをしまいこみ、かわりに手鏡を出した。

 そこに映ったのは燃え立つような赤毛をおさげにした、十四歳の少女の顔。

 エリス・ロックウェルはここ王都を遙かに離れた、辺境貴族の四女である。

 父の親友の親戚にあたる(小さい頃に会ったかもしれないが顔もろくに覚えていない)オズウェル・スタインベック卿が、エリスに王都のダンフォード家のメイドとして働かないかとの手紙をくれたのだ。

 都会暮らしのこの上ないチャンスにエリスは飛びついた。

 ダンフォード家といえば知らぬ者のいない名家だ。王家を支える人材を多く輩出しているし領地も多い。王都にある館は滞在用にすぎないが、それでもたいていの貴族のそれよりは立派だろう。

 家は長女アンリ次女フレデリカが婿を取るだろうし、将来的には嫁に出される身である。渋る両親に四姉妹の末っ子は必殺の泣き落としにかかる。

 父は額を押さえて言った。

「仕方ないな、エリス……行っておいで。ただくれぐれも、粗相はしないでくれよ」

 ──そうだ、私はロックウェル家を代表しているんだ。がんばろう!

 別に社交界にデビューするわけでもないのに、少女らしい固い決意をしたエリスは馬車から降り立った。

 ──あれ?

 目が違和感を捉えた。

 扉の上にかかっている『アラン商会』と書かれた木製の札が斜めになっている。

 自然と手が出て、札を水平に直した。

「どうしたい、嬢ちゃん」

 お客の様子を見に来た初老の御者が声をかけた。

「何でもないです、ちょっと曲がっていたもので」

「ああ、ありがとうよ。ロックウェルさんとこの嬢ちゃんだね。聞いてるよ、仕事頑張りな」

「アランさんも帰り道に気をつけてくださいね」

「こっちは慣れてるさ。じゃ俺は仕入れしてくるから、またな」

 アラン商会は時々仕入れに馬車で王都まで往復している。そこに乗りたい人がいれば乗せてくる──みたいなこともやっている。エリスの父からも援助がでているらしくちょちょく家に顔を出す。エリスも知っている、というか王都の物品を売っている店などアランのところしかないから、若者の大半はアランと顔なじみだ。

 アランが行ってしまうと、エリスは本当に知らない街にたった一人で取り残されたような気持になった。

 鞄を握りしめて歩き出す。

 人はこんなに多くすれ違うのに、誰も声をかけてくれない。それがこんなにさびしいとは。これが都会というやつなのか──と思っていると。

 小ぶりな一頭立ての馬車がエリスの目の前に止まった。御者がドアを開ける。

 出てきたのは、とても背の高い男性だった。

 全体的に垢抜けた、一歩間違えれば気障キザになりかねない格好。

「えーと、君はロックウェルのところの……」

「父を知ってるんですか?」

「オージーだよ。覚えてないか、君はまだ小さかったからな。君の家にも何度か行ったことがあるんだが」

「あ! 私を紹介してくれた、スタインベック卿ですか」

「大きくなったなあ! うん、美人になった」

「自分のことくらいはわかってますよ。まして王都には美人がゴロゴロしてるって聞きますし」

 田舎でさえ、エリスは平均よりちょっと上、ってところだった。姉たちのなかでさえフレデリカという飛びぬけた美女がいて(しかし性格は男そのものだった)、その点では自惚うぬぼれてはいなかった。

「お世辞じゃあないよ。君は将来的に光ると僕は思っている。外国も含めて女の子の顔を見るのが好きでね」

 エリスはこの独身の貴族、オズウェル・スタインベック卿が希代のプレイボーイとして知られていることを思い出した。

 確かに背が高いから細く見えるけれど、しっかり筋肉のついた身体つきをしているし、高い鼻筋と変わった感じに整えられた顎髭あごひげは女性陣に受けそうだ。

「でもスタインベック卿が推薦してくださったのは私の容貌のおかげ、ではないんですよね」

「君のお父さんから聞いたところによると、君は片づけ魔だって? 姉妹で取っ組み合いの喧嘩までしてたっていうじゃないか」

「お父様、何話してんですか……恥ずかしい」

「周りにそんな人がいれば刺激になると思うんだ。まあ細かいことは車内で話さないか」

 オズウェル・スタインベック卿はにっこり笑って中へどうぞ、との手ぶりをした。


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