第31話 彼女達の並走〜後編

長い道のりを、歩くような速度で。



◆ ◆ ◆



「私、本当に……。貴女達になんて言って謝っていいか分からない……。酷い事ばっかりしたのに、虫のいい話だし……。自分がキライで、嫌になる……」


星波さんは薄く流れた自身の涙を手の甲で拭うと、「それでも……」と俯けていた顔を上げた。

彼女のその目には、強い意志と確固とした覚悟が、私には見えた気がした。だから私も桜子も何も言わない。言葉を挟まない。

星波さんは言いを続けた。


「……私は宴町さんの事が好きなの。宴町さんも、私の事を好いてくれているの……。だから、私は貴女達にちゃんと謝る覚悟が出来たんだと思う。花見坂上さんと、奥海さんに……。これまでの事を、全部。してきた事は変えられないしやってしまった事も無くならないけど……。宴町さんは私の事を好きだって言ってくれたから、私は、ちゃんと花見坂上さんと奥海さんに謝りたい……。謝って、私は変わりたい……。ちゃんと、宴町さんの事を好きになりたい」


宴町さんは傍らに立つ星波さんの体操服の裾を掴んで離さなかった。口元はギュッと引き結ばれて、やはり彼女にも、絶対に自分は口を出さないという強い意志が感じられる。


「沢山、花見坂上さんに酷い事をしました……。奥海さんにも、酷い事を言いました……。これまでの事、御免なさい……。全部、なにもかも……」


星波さんの肩が震えているのが分かった。

声が震えているのが分かった。

堪えていただろう涙が、ボロボロと零れ落ちてきたのが、目に見えて分かった。

いくつも、いつまでも、誰かが止めてあげなければ、ソレは永遠に流れ出てしまうのではという涙の粒を、星波さんは必死に拭っていた。




体育祭は、特に何組が優勝とか、何組の得点が何点とか、そういう結果は殆ど無く、上位だったのだろう3クラスが健闘しましたという発表の後、各クラスが各クラスを讃えあう事で終了した。

そうして、各自で簡単な持ち回りの片付けをした後の自由解散となっている。

各々打ち上げを企画していたり、部活に向かう子達だったり、体育祭の日でも塾がある子だったり。


『この後、帰る前にちょっと付き合って貰って良い?』


私も例に漏れず、体育祭後に桜子とライトオレンジでお茶をしようとプチ打ち上げの約束をしていたのだけれど、クラスで使用していたシート等の片付けしな、桜子にそう声を掛けられた。

『良いよ。どうしたの?』

二つ返事で了解すると、連れてこられたのはこの場所。


園芸部の庭園。


噂には聞いていたけれど実際にここへ来たのは初めてだった。

そしてそこには、道中で少し説明されていた通り、星波さんと、1年生だろう女の子がいた。

彼女は自身を『宴町雉鶴』と名乗った。




少しだけ暑さのおさまった時間帯。

控え目に吹く風は肌に心地良く、庭園に咲く花の香りが鼻腔の奥の方を緩くくすぐる。

きっと、ここに咲く花のいくつかは、星波さんがちゃんとお世話をして、綺麗に花を咲かせたものなのだろうと、そう思った。


「なんかね、色々あったけど……。許すとか許さないとか、そういうのはもう良いかなぁって、私は思ってる」


私はそう言うが、ソレは取り様によっては勘違いされてもおかしくない言いで、事実として星波さんは、宴町さんは、そして桜子も、気持ち少しだけ目を見開いて私に視線を投げてきた。


視線は、少しだけ痛い。


その中で一際強い眼が宴町さんだった。

強くて、痛くて、少しだけ不安そうで、泣きそうな視線。


私は言いを続ける。


「蟠りはあったし、お互いに嫌な事もあったけど、今ではもう友達だし。私、星波さんの事好きよ? 色々吹っ切れて地の方が出てきたのか、変にツンケンして尖ってた綺麗目の素振りより、今の方がずっと可愛いもの」


だからね、星波さん。


「許すって言うのは簡単だし、許すか許さないかで言ったら私はもう大喜びで許しちゃうの。それでも、私はこれを曖昧なままにするよ」


曖昧が良いという事など殆ど無い。

だけど、私はそう言って星波さんに投げた。

傍の宴町さんはどうしていいのかと戸惑いを見せるものの、両の脚でしっかりと地面を踏んでいた。彼女の隣を死守する様に。


「謝るも謝らないも、許すも許さないも、これで終わりにしよう。もう半年以上も前の事だし、あの時は私も星波さんも、お互いに何も知らなかったから。気にする気にしないなら、私はもう気にしてないし、星波さんの事も好きだし。だから、私に謝ろうと思うその分をさ、違う誰かを思って、大切にしてあげて」


彼女の事とか。


言って手の平で宴町さんを示すと、星波さんと宴町さんの頰が少しだけ紅くなった。


そうだよね。


それくらい分かりやすい方が、星波さんは可愛くて素敵よ。


「沙耶は曖昧にするって言うけど、私は貴女の事は許すわ」


次いで、桜子はそうやって言いを吐き、続ける。

桜子は、言いを続ける。


「沙耶は優しいから曖昧にするって言ってるけど、私は沙耶ほど優しくないわ。貴女が沙耶にした事を考えるとやっぱりモヤモヤするけど、今の星波さんの事は私も好き。だから、私は星波さんの事をちゃんと許す。沙耶がそう言うから許すんじゃないわ。沙耶は優しいから曖昧にするけど、私は優しくないから許す。私は私の意思で貴女を許すの。それだけは分かって」


「桜子って天邪鬼よね」


「何とでも言って」


「私じゃない子にも優しくして良いのよ? 私、ヤキモチなんて焼かないんだから」


「……そういうのじゃないから」


言うが、やっぱり桜子もそうやって頰を紅くしてみせた。



上手く隠してる積りでいただろうけど、知ってたよ。

桜子、ずっと気にしてくれてたもんね。私の事も、星波さんの事も。


気掛かりだったのは、私が星波さんを許しても、桜子が彼女を許してあげなかったらどうしようかという事。絶対にそんな事は無いと分かっていたものの、一抹の不安だけは残っていた。

信じて、信頼もしている。

私は桜子の事が好きだし、桜子も私を好いてくれている事は知っている。

それが嬉しい。

だからこそ、私のこの件で桜子が星波さんにちゃんと自分の気持ちを口に出してくれるか、ただそれだけが不安だった。


桜子は、私にだけ優し過ぎる……。


『私は星波さんの事をちゃんと許す』


桜子がそう言った時、凄く嬉しかった。

涙が流れない様堪えるのに必死だった。

誰にもバレない様に、そうする事に必死だったよ。


ありがとう、星波さん。

心の中の言葉をくれて。


ありがとう、桜子。

星波さんを許してくれて。


ありがとう、宴町さん。

星波さんを助けてくれて。



「……ありがとう、花見坂上さん、奥海さん」

言って、星波さんはもう一度だけ頭を下げた。

涙を拭って、鼻の頭を赤くして。

そうして、それを最後にする様に垂れていた頭をあげると、少しだけ笑んで見せた。


「……ありがとう。少しだけスッキリしたよ。宴町さんも、ありがとうね」


最後の涙を頰から払うと、星波さんは胸を撫で下ろす。

そうして傍らに並び立つ彼女にもそう言うと、宴町さんは口を噤んだままぶんぶんと首を振って答えていた。その指先には依然として、星波さんの体操服の裾がつままれている。


長かった蟠りのが、本当に『ちゃんと』終わったと、そう思えた。

だから私も、胸を撫で下ろす事が出来た。

本当に、漸く……。






「それじゃあ、行こうか。星波さんと宴町さんも来るでしょ?」

場を仕切る様に突然と桜子がそう言うと、星波さんと宴町さんは急な問いに頭の上で疑問符を掲げた。

小首を傾げる二人の仕草が対になっている様子で、なんだかとても可笑しかった。


「体育祭のプチ打ち上げ。もし良かったら一緒に行きましょう。まぁ、打ち上げって言ってもお茶するくらいなんだけど。私と、沙耶と、二人が来れば四人になるんたけど。沙耶も、良いよね?」

問われ、「私も、最初からそのつもりだった」と笑んで見せると、桜子はニヘッと大きく笑みを浮かべた。


「どうする?宴町さん?」

「……宜しければ、是非ご一緒したいです。星波さん事を色々聞きたいです。皆さんの事も」

「……それは少し恥ずかしいなぁ」


微笑ましげな二人のやり取りを見て、本当に星波さんが、自身の笑顔を浮かべられる様になったと思えた。

それもやっぱり嬉しかった。


後程校門で待ち合わせをするという事で帰る支度をする為、星波さんと宴町さんとこの場で別れる。

二人の並んで歩く背中。

それが本来星波さんの求めていたものの様な気がした。




「沙耶、良かったね。ほんとに」

「……うん」


応えると、「……ん」と、桜子は喉を鳴らして私に両の腕を広げる。


「……どうしたの?」


「いいよ、沙耶」


「……何が?」


「……ほら、いいよ?」


両の腕が、私を迎え入れてくれる様に広げられている。

そこは私の場所で、私だけの場所なのだ。

けれど、私には今、そこに飛び込んで行くだけの理由があるのだろうか?

場違いな様にそう考える。

ただ、星波さんと和解しただけだ。

喧嘩して、仲直りして、本当にそれだけの事。


「……いいよ、別に。なぁに? 桜子、気を遣ってくれてるの?」

「気を遣うっていうか、……うーん、まぁ、それでも良いよ」


そう言って、桜子はまた両腕を目一杯に広げる。


「……いいって、別に何でもないもん」


「そうだね。何でもないよ、きっと。でも、大丈夫だよ」


……大丈夫?


「沙耶、頑張ったね。だから、大丈夫だよ」







『頑張ったね』

『大丈夫だよ』







「…………私は――」



そんな、私は別に頑張ってなんか……。

それに、大丈夫なんて……。


……別に。

…………私は別に、なにも――。




「…………っふうぅ、ぅぅ……」




桜子がそうやって、私に笑顔を向けてくれるから……。

私は、堪えてた筈の涙が…………。



本当に無意識の内に、私は桜子の広げられた両腕に飛び込んでいた。



「どうして分かるの……?」

「分かるよ。沙耶の事だもん」


広げてくれた腕の中に身体を預けると、桜子は私の背中に腕を回して支えてくれる。

だから私は、もう涙を堪える事が出来なかった。


「……ぅうぅぅ…………」


漏れ出る声が言葉にならない。

ボロボロに流れ出る涙が桜子の体操服をダクダクと濡らしていく。


「沙耶、頑張ったね。良かったね、沙耶」


「…………うん、良かった。星波さんも、桜子も。ごめんね……。ありがとう、桜子…………」


泣かない筈だったのに。

それなのに、こんな……。何もかも、全部を分かってくれるだけで、全部分かってもらえるだけで、こんなに、涙が…………。


「……怖かった、よ……。不安だったし……、心配だった…………。自分の事だけでいっぱいっぱいだったし……、なんか、色んな事が……。嫌だった……。うん、怖かったよ…………」



不安しか無かった。

怖かった。

眠れない日もあった。

色んな事が、少しずつ全部キツかった……。

それでも、こうやって耐えられたのは……、いつかちゃんと、こうやって解決される日が来るって思てたから。

星波さんも、春真ちゃんも、桃ちゃんも。

大切なものも大切な人も、全部、零れ落ちなくて、本当に…………。



「……だから、…………本当に、良かった。……桜子、ありがとう…………」


「私も、ありがとう沙耶。沙耶のおかげで、ちゃんと星波さんを許してあげる事が出来たよ。……だから、ありがとう」


私、今ちょっと汗臭いよね。

そう言って桜子は照れた様に笑ったけれど、私は首を横に振って応じた。


「……桜子の匂い好き。頑張った匂いだもん」


桜子の胸に顔を埋めると、頭を優しく撫でられた。手の平の暖かさと、髪に触れる指先。

今日ほど貴女に甘えたいと思った日があったか分からない。


「お願い桜子……」


「…………?」


「私の全部をあげるから、私に少しだけ、安心と幸せを頂戴?」


「……酷いな沙耶。少しなんて言わないで、全部貰ってよ」



嬉しいから涙が出てきた。

好きだから強く抱きしめた。

愛しているから貴女を求めた。


半年以上。


凄く長い間だった。


何もかもとは言えないけれど、結果として良い方向に解決した事もあって、蟠りもあまり残さず終える事が出来て、本当に良かった……。


きっと今日飲むココアは昨日までより少しだけ美味しく感じる事ができる。



私は、そう思う。



◆ ◆ ◆



「光莉ちゃん凄く速かったね! 凄いよ! 1番でゴールだもん!」

「まぁ、これでも陸上部だからね」

「陸上部でも1番速いの⁉︎」

「うぅん、二年生にも三年生にも私より速い人は沢山いるよ。だけど、一年生なら私が1番速いかも知れないね」

そう言って、光莉ちゃんは両の口端を上げてニッコリと笑った。


一年生のクラス対抗リレー。


アンカーの光莉ちゃんは2位でバトンを受け取るも、その驚異的な速さで5秒後には1位の子を抜き去り、最終的には2位との距離を5メートル以上空けて1着でゴールした。

うちのクラスの逆転劇と光莉ちゃんの速さに周りも先生方も少しばかりどよめいていた。同校内の体育祭だけれど、これがもし何かの陸上競技の大会だったら、光莉ちゃんは一躍スターになっていただろう。


「まぁ、私の事は良いよもう。それより、次は二年生だよ」

「うん!」


私が星波さんに注視しているのを光莉ちゃんは知っている。

けれど、私と星波さんがどういう関係性なのかという事は知らない。

これもいつか、光莉ちゃんに言える日がくれば良いと思うし、もし必要が無ければ、特に言わなくても良いと思っている。

どちらでも良いというのはとても暴力的な言いだけれど、『こういう事』を受け入れてくれる人というのは、この世界にどれくらいいてくれるのだろうか。



『っさぁ! 一年生に引き続いて二年生のクラス対抗リレーもッ! 今ッ! スタートしましたッ! 先行するのはB組ですが、まだまだどのクラスにも巻き返しのチャンスはいくらでもありますッ!』



駆ける女の子達は、みな自分よりずっと大人びて見えた。

ほんの何ヶ月か前まで中学生だった自分とは何もかもが違う様に思える。

背は高くて、腕も脚も細くて長くて、胸だって私より大きい。


アンカーの待機列に星波さんの姿を見た。

私には、彼女の姿だけ、縁取る線が一際太く見え、薄っすらと光って思えるのだ。


リレーが始まる前、星波さんは『頑張るね』と言っていた。

だから私も、『たくさん応援します!』と返した。


少し前まで中学生だった私。

一年間高校生として生活して成長してきた二年生の方々。


それでも、星波さんは私を選んでくれた。


私は、星波さんの気持ちに応えたい。

胸を張っていきたい。


筋を通す部分は変えたくない。

けれど、彼女の横に立ち続ける為に、私は少しだけ変わりたいとも思っている。

それは例えば、髪色を変えるとか、爪にマニキュアを塗るとか、リップを色付きにするとか、決してそういう事ではない。


私の読む本に、その答えはきっと書いてないだろう。

魅力的な女性が出てきても、困難から立ち上がった主人公が出てきても、夢を叶えた青年が出てきても、リスペクトして模範する事は出来るけれど、それは決して私自身ではないのだから。


心を強くして、何物にも負けない気持ちと、少しの自信を、ちゃんと自分のものにして。


貴女と一緒に歩む為に。




アンカーとしてテークオーバーゾーンに立つ星波さん。


ドキドキしてますか?

緊張してますか?

今も、これからも、私は貴女に何をあげられますか……?

何をしてあげられますか……?





『先にバトンを受け取ったのはF組ッ! しかし! 僅差でD組がその後を追うぅッッ!!』









「星波さん頑張ってッ!!!!!!」








図書委員で文芸部で、普段大人しくて、こんな大きな声なんて出した事無くて、だから、きっとクラスのみんなはびっくりしたかも知れない。

光莉ちゃんも、凄くびっくりしたかも知れない。



それでも、私は応援します。

星波さんの為に。

貴女の隣に並びたい。

貴女の隣を歩きたい。

本が好きで、図書委員で、文芸部で、運動なんて出来なくて、大人しくて地味な子だって言われても良い。



それでも、貴女の為に、好きな人の為に声を大きくして応援出来ない奴にはなりたくないんだ。



大きく息を吸う。

そうして、私はもう一度、大きく叫んだ。






「星波さんッ!! 頑張ってッ!!! 負けないでッ!!!!!」






きっと、貴女は『そのままで良い』と言うと思う。




だけど私は、貴女の為に変わりたい。




少しずつで良いんです。




私は貴女と共に、一緒に歩いて、少しずつでも変わっていきたい。






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