第29話 彼女達の並走〜前編

何処へでも。そして何処までも。



◆ ◆ ◆



『それでは! 本日最後の種目ですよ皆さん! 学年別クラス対抗リレーッ!! それはもう全力出しちゃってくださいよッ!! それでは一年生から準備しちゃって下さいホラ早くッ!!』


放送部のアナウンスは、終始大体こんな感じだった。


普段の校内放送が所謂模範的なお嬢様学校然とした上品でおとなしい内容なのの反面で、こういった行事やイベント毎だと大きく羽目を外して良いらしい。

選曲なんかも好きにして良いらしく、放送部の子達は毎年毎年イベントで自分の好きな曲を流す事が出来るのを大変楽しみにしているようで、陽気なポップスやヘビーメタル、アニメソングや何処ぞの国の民謡と、全く総合性が無くて面白かった。借りて来た物を持ってゴールして、それを返してからまたゴールするまでが全容の白海坂独特の借り物競争で『待ってろよ!生きてろよ!〜〜♪』と曲が掛かった時は自身の耳を疑った程だ。


「去年もこんなに賑やかだったんですか?」

宴町さんにそう問われるが、私はゆるゆると首を横に振って応える。

「去年は私、白海坂じゃなかったから」

「あぁ、そうでしたね。失念してました。じゃあ、以前の学校ではどんな感じでした?」

「前の場所では――…………」

私がそうやって応えられずに言い淀んでいると、宴町さんは「……あ、いえ、すみません。応え辛い事もありますよね」と、少しだけ困った様に薄笑みを浮かべてみせた。

……別に、応え辛い訳では無いのだ。

楽しかった思い出が無かったという訳でもないし、クラスの子達ともそれなりに仲は良かった。

けれど、やはり何処か、手前が抜け殻の様だったとも思える。


絢芽の入学する筈だったその場所に、彼女の姿は無かったから。


「宴町さんは走者じゃないの?」

「ふふっ、それは嫌味ですか志穂さん?」


話題を変える為、現行で進行されている最終種目の話を振ってみたけれど、彼女は小首を傾げて口角だけで笑んで見せる。

勿論、彼女が走者でないだろう事は分かっていた。

学年別クラス対抗リレーは各クラスから十名が選出されてのリレーとなる。

200mのトラックを半周。最終走者はトラック一周。

文芸部所属の宴町さんがこの大一番のリレーで走者に選ばれていたとしたら、恐らく彼女のクラスには文化部しかいなかったのだろう。


宴町さんの出場した競技は借り物競争と玉入れ。


『見てましたか志穂さん! 玉入れ! 3つも入りましたよ! 凄いです!』


競技後にそう言ってこちらに駆けてきた彼女は、頰を紅くして嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。

そんな彼女はとても可愛らしくて、すぐにでも頭を撫で回して褒めてあげたい欲求に駆られたけれど、それと同時に『あぁ、この子はきっとリレーは走らないだろうな』とも悟った。


「私は走らないですけど、お友達の光莉ちゃんがアンカーで走ります。だから、私も頑張って応援するんです!」

「光莉ちゃんって、この前話してた陸上部の子だよね? 志波光莉ちゃん」

「そうですそうです!」

「光莉ちゃん、結構凄いみたいだね。内のクラスの陸部の子も『一年の志波さんって子が速いんだ』って、興奮してたよ」

「へぇー! 光莉ちゃんって凄いんですね!」

「知らなかったの?」

「部活の事は、あんまり喋らないんです。光莉ちゃんが何の種目とか、タイムがとか、記録がとか」

「そうなんだ。その辺りストイックなのかもね、光莉ちゃんは」

「はい! カッコいいです!」


友人を嬉々として自慢する宴町さん。

ニコニコと屈託のない笑顔がとても彼女に似合っていると、心からそう思える。


「それで、志穂さんはリレー走るんですか?」

「私? 走るよ」

「……――!? え、走るんですか!?」


私の返答が想定していたものとは違ったらしく、宴町さんはそのニコニコとした表情から一変させ、大袈裟に目を見開いて驚いて見せた。


「え! 何でリレー走るんですか!?」

「私、これでも結構足速いんだよ」

「志穂さんのクラスの陸上部の方々は?」

「ウチのクラスの陸部の子みんなトラック競技じゃないんだよね」

「じゃあ志穂さんの事沢山応援しますね!」


因みに何番走者ですか?


ん、アンカー。


「アンカー!!!?」


自身の声の大きさに自身で驚き、宴町さんは慌てて口元に両の手の平を当てる。

そうして、宴町さんは照れた様に笑んで見せるので、私は彼女の髪に軽く手櫛を通してあげると、頬の紅みが耳たぶにまで伝染してきた。




程無くして、スターターの火薬音と共に一年生のクラス別対抗リレーが開始される。

各所から応援の声が上がり、放送部の実況が興奮した様にトラックを駆ける彼女達の接戦を事細かに伝えていった。


一年生のリレーが終わったら、次は二年生の番。本当なら、ただ純粋に楽しむだけのアンカー走者だ。

内申にも影響は無い。

特別な賞が貰える訳でも無いし賞品が貰える訳でも無い。

得点計算だってあってない様なものだ。


けれど、このクラス対抗リレーだけは、どうしても負けたくない。


私個人の事情ではある。


それでも、約束したのだ。


「宴町さん」

「はい?」

「……私、アンカー頑張ってくるね」

「はい! 沢山応援します!」


一位のクラスに次いで、宴町さんのクラスのバトンがアンカーの志波さんに繋がる。



私は、自身のクラスのアンカーを走る。


本当なら、なんでもない事なのだ……。


けれど、これは自身を清算する為の約束であり、勝負なのだ……。



◆ ◆ ◆



「そっちの方のクラス団幕どんな感じ?」

「んー、七割くらいかな。結構ギリギリ。そっちは?」

問うと、千里は口角をクッと上げ、見てわかる得意げな表情を晒した。

「九割方完成って感じ。あとは細かいところ塗ってちょっと修正して。乾燥込みで三日かな」

「千里はこういうのの製作ほんと早いよね。スピード感っていうの?」

「あー、まぁ最近はクオリティは前提としてスピード感は結構意識してるかな」

「どれくらいの割合で?」

「クオリティ:スピードで6:4ってところ」

「へぇ、比重置いてるね」

「なんにしてもある程度の数はこなすようにしたいから。夏休み中にデッサン20枚と水彩10枚目標にして仕上げたいし」

「まぁ、ハングリー精神旺盛だこと」

「春真だって自主課題くらい設けてるでしょ?」


五時を回ってもまだまだ明るい五月の終わり。

床に広げられた自クラスの団幕は下地の着色がようやっと乾いたところ。これからメインの着彩に掛かれるところだ。


「私はそんなにストイックじゃないわ。部の課題にプラスして油彩6枚ってぐらいだよ」

「……油彩6枚も充分イかれてると思うけど」

「そうかな?」

「そうだよ」


呆れる様に言った千里だったけれど、口元には確かな薄笑みを浮かべていた。


私も千里も、既に進路希望で同じ美大の進学希望を出している。夏休みに入れば予備校にも通う手筈になっているし、この体育祭の団幕は大判のサイズで絵を描くのに良い練習になった。今年のコンクール製作は夏休み後なので、こういった行事での製作は肩の力を抜くのに丁度良い。


「それで、その七割の団幕で、なんでまたそういう事をするかね」

「そういう事って?」

千里に問うが、私は自身で気が付いている。

千里が何を言いたくて、私が何をしているのかを。

私が団幕に描いているのは、去年の文化祭で自身が描いた絵のオマージュだ。

カラーを増やし、キャラクターを増やし、前回は描ききれなかった箇所を拡張した、去年の文化祭に描いた絵を踏襲したデザイン。


「それ、クラスの子達に何も言われなかったの?」

「んふー。『安西さんが描いてくれるなら何でも』って。これでも学年内では面倒見の良い委員長だからね」

「職権の乱用だね」

「良いんだよ。乱用する機会なんてこんな時くらいしか無いんだから」


千里は肩を竦めて飽きれるけれど、私にはこれを描かなければいけない理由がある。

それは約束であり、贖罪にも似た何かかも知れない。


「千里の方終わったら、こっち手伝ってよね」

「えー、別のクラスじゃん。敵に塩は送れないなぁ」


そうやって澄ました顔をするクセに、千里は何処か嬉しそうな態度を隠せないでいる。

きっと、千里は手伝ってくれるし、どうせ放課後は何が無くとも一緒にいるのだ。


寧ろ、これを手伝ってくれなくても良い。


私はただ、貴女と一緒にいられればそれで良いのだ。



◆ ◆ ◆



トランペットの音が聴こえる。


管楽器から紡ぎ出される高い音域のロングトーン。

去年ならいざ知らず、今年でコレが出来る吹奏楽部員のトランペット奏者を、私は一人しか知らない。


「茜ちゃん、お疲れ様。ポカリ飲むでしょ?」


園芸部の庭園のある区画の裏手。

三年間白海坂に通っても、立ち寄らない人は本当に立ち寄らない、そんなデッドスペースで、いつも彼女はトランペットを吹いている。

自主練習。

基礎練習。

根底である基本を怠らない彼女は、きっと今年こそ、コンクールでソロパートを吹く任を与えられるだろう。


「あぁ、ありがとう由紀」


ボトルを受け取り、未開封のキャップを捻り開けると、茜ちゃんは一気に半分程勢いに任せて胃へと流し込む。

額に薄っすら浮かんでいる汗とポカリを流し込む度に緩く動く喉の動きが変な色っぽさを感じさせた。


「――っぷぁ。ありがとう、助かったよ。丁度ポカリが欲しかったんだ」


「……うん、少し前からずっと茜ちゃんのトランペット聴こえてたから。何にも飲んでないんだろうなって」


返されたポカリのボトルに、私も一度口を付ける。

一口分を喉に流し込むと、茜ちゃんの薄っすらと残した熱を感じた気がして、少しだけ体温が上がった。


『この場所はね、先輩に教えてもらったんだよ』

以前、そう言っていた茜ちゃんがとても誇らしそうに笑みを浮かべていたのをよく覚えている。

去年のコンクールでソロを吹いていた先輩から教えられたこの場所は、第三教室棟からは少し離れた場所だけれども、楽譜と楽譜のスタンドとトランペットだけ持って来るだけなら苦のない距離で、一人で練習するにはもってこいの場所らしい。


先輩から受け継いだこの場所を、私にも教えてくれた茜ちゃん。


私は、そんな些細な事がとても嬉しく思える。


「コンクール、夏休み中だよね。それって課題の曲?」

問うと、茜ちゃんは一刹那だけ宙を仰いでから、「んっとね」と言いを発した。


「コンクールは夏休み中だけど、これは課題とか、そういうのじゃないやつ」

「あー、じゃあ、なんか息抜きみたいな?」

「んー、それとも違うかな」

「???」


私がクエスチョンマークで答えていると、茜ちゃんは少し照れた様に頰を掻いて、「なんだろ、お礼? みたいなやつかな」と、なんとも意味深な感じで笑んで見せる。


「お礼?」

「そ、お礼。私ね、まだちゃんとお礼言えてなかったんだ。だから、体育祭の時に吹こうと思って。由紀、誰にも言っちゃダメだからね」


口止めされて、私は一度だけ首肯して応じる。


それが誰の為の曲で、誰に対してのお礼かは、私には定かではない。

けれど、私はそれが上手くいけば良いなとは思う。


体育祭はもう二週間後に迫っている。

今日は少しだけ気温が高いけれど、特に運動などをしなければ汗を掻くほどの暑さではない。

体育祭当日も、これくらいの気候だったら良いのになと思う。


「私、もう少しだけラッパ吹いてくけど、由紀はどうする?」

「茜ちゃんと一緒に帰るよ。それまで、ここにいて良い?」


「帰りに本屋さん寄って良い?」そう言った茜ちゃんに、私は矢張り首肯するだけで応じた。


誰かの為に茜ちゃんが吹く曲。


私はそれを隣で聴きながら、ゆったりと流れる時間を感じる。


少しだけ嫉妬するけれど、その曲が美しければ美しい程、私は茜ちゃんの事を誇らしく思えるのだ。






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