第28話 星波志穂の物語

明日また、会えるよね?



◆ ◆ ◆



借りた文庫本は、読んだ。

そこには、常に事の波風を立てず、中間点で自身を御する女の子と、見た目は美しく背も高いのに、自信を持てず行動する事の出来ない女の子が出てきて、二人が成長して女性になった後に再開する物語があった。


それは何処か私と宴町さんに似ているようでもあったけれど、彼女がこの本に自身を重ねているのだろうという事だけは決して無いと分かった。

彼女は真摯だ。

自身の好きなモノに対して、それに自分を投影する様な娘ではない。

それだけははっきりと分かる。


彼女は、ただただ、本当に純粋に、この本が好きだから、私に読んで欲しいと、そう勧めてくれたのだ。


この本を読んで欲しいと言った宴町さん。

この本を読んだ私。


だから、私は彼女の真摯な気持ちに応えてあげたい。


私だって、答えが欲しい。


……だけど、それはどうやって?


……どうすれば私は彼女に、宴町さんに応えてあげられるの……?



◆ ◆ ◆



理由何てなんでも良かった。

例えば、宇宙人が攻めて来たとか、天変地異とか、隕石が降ってくるとか……。そんな大それた事で無くとも、借りた本が面白かったとか、触れた手が暖かかったとか、悲しそうな表情が儚げだったとか、笑顔が可愛かったとか。


それでも私は、彼女に涙を流して欲しかった訳では決してない。


言い訳なんて、考えれば考えるだけ出てくるし吐き出せる。

『だから』『それでも』『そうやって』『それなのに』『これまでも』『これからも』


勇気を振り絞ったのは宴町さんなのに、臆病なのはずっと私の方だ。


そして私は、ずっと臆病なままだと思っていた。

これからも、そして、これまでも。


自室に篭り、毛布に包まり、死ぬまで何かを後悔し続けて、誰に宛てるでもない贖罪をお腹の中に溜め続けて、届かない謝罪を口にし、向けられる言葉に怯えて、本心を晒さないように、誰の本心も聞かないように、煮えたぎったマグマと極低温のドライアイスを同時に胃袋へと流し込まれながら、道化と般若と菩薩と能面が混じったような仮面を付け続けるだけの、そんな日常を、ずっと無感情に送る事が自分の罰だと思っていた。



それなのに、貴女は私を好きだと言ってくれた。



私が一番聞かないようにしていた言葉。

絶対に近付かない様に、近付けない様に、突き放して逃げ出したその言葉が、貴女から向けられたものだという事実が、私は怖かった。


『貴女みたいなのが一番迷惑なのよ』


いつか放たれたその言葉は、私の内側を容赦無く土足で踏み荒らした。

私がまた誰か女の子を好いてしまったら、また同じ様な言葉を投げてくる人がいるかも知れない。

そう思うのが怖かったし、そんな考えに至る自分が嫌だった。


男の子を、好きになろうともした。


アイドルグループとか、カッコいいと言われる俳優さんとか、そういう人を意図的に視界に入れる様にしてみた。

けれども、やっぱり駄目だった。

彼等に魅力こそ感じるものの、肝心な何かがやはり違っていた。

根底には絢芽との楽しかった思い出があって、それが大き過ぎて、大事過ぎて、突き離されたのにも関わらず、私は彼女の柔らかい表情とか、屈託の無い笑顔とか、髪の柔らかさとか、肌の白さとか、腕の細さとか、大きな瞳とか、優しさとか、苛立ちとか、悲しさとか、嬉しさとか、そういう事が忘れられずにいる。

だから、私はまた、性懲りも無く編入先に女学園を選んでしまった。





『星波さんは、もう自分の気持ちにも、自分がどうするのが良いのかも、自分で気付いてて、分かってるんじゃないかな?』





花見坂上さんに言われた言葉。


そうだよ。

分かってたよ。

どうすれば良いのかとか、何が必要なのかとか、踏ん切りをつけられなかった私が何をすれば良いのかとか、全部そんなの分かってたんだ。


勇気を振り絞った宴町さんに対して、私が何をするべきかなんて、そんな事は明白だった。

だから、私は……。


宴町さん、貴女の事を……。



◆ ◆ ◆



私ね、好きな人がいたの。


言うと、宴町さんは少しだけ息を呑んで見せた。


宴町さんに『好きです』と言われたあの日から、宴町さんから文庫本を借りたあの日から、今日まで一度も彼女に会う事なくここまで来た。

大体一週間くらいになるだろうか。

一年生の階層にも近寄らず、図書室にも足を運ばず、そうやって意図して彼女を避けてきた一週間で、私は彼女から借りた文庫本を読んで、自身の内で思案をし続けた。

適切なものを選択し、適切ではないものを排して、そうやって、必要な思考と必要ではない思考とを選り分けて、漸くの事決心を固めて、宴町さんを前にした。


夕暮れの時。


もう図書室が閉まるだろうという時間の十五分前。


『話したい事があるから、図書室を閉めた後、少しだけ貴女の時間を頂戴』


言うと、それを受けた宴町さんは、何処か悲しそうに、少しだけ頬を赤く染めて、一度首肯した。



図書室内に居た生徒は私と宴町さんを除いて片手で数えられるくらい。

そんな彼女達も、時間が迫るにつれて少しずつ退室していく。

本を借りる人、本を返しに来た人、そんな彼女達に、宴町さんはとても丁寧に対応していく。


彼女の書く綺麗な字が思い出された。


初めて会ったのもここだった。

それは随分と前だった様にも思えるし、つい先日だった様にも思える。


「……星波さん。もう、閉館の時間になります」

「そう。それじゃあ、何処かに場所を移しましょうか」

そうやって申し出ると、宴町さんは「いえ、ここで大丈夫です」と、図書室の鍵を内側から閉める。そうする事で、これからココに誰かしらが立ち入る事は出来なくなった。


図書室に、ココに居られるのは、私と宴町さんの二人きりだ。


西陽の差す窓際へと立った宴町さんを追いかけ、私は彼女の正面へと位置する。

眩しくはない。

夕暮れ時の強い光こそあれども、それに眩しさは感じなかった。


「私ね、好きな人がいたの」


「……なんとなく、知ってます」


出だし澱みはしたけれど、そう言った彼女の視線は揺らがなかった。

真っ直ぐに私を見据えて、ともすれば、私が視線を逸らしてしまいそうな程に。


「私ね、女の子が好きだったの」


「…………」





その子はね、とても可愛らしい子だったの。髪なんかも綺麗で、肌なんかも白くて、手足も細くて。


冬の寒い日でね、その子に会ったのは学校の屋上で。


何でその日、私は屋上に行ったのか、もうその理由も覚えてないの。


私もね、その子に一目惚れしたんだ。


その一目惚れが衝撃的過ぎて、自分がそこに居た理由も思い出せないのに、その子が屋上に来た理由はね、ハッキリ覚えてるの。


その子ね、死のうとね、してたんだって、そう言ったのね。


屋上から飛び降りる気でいたって。


だから、私、その子に言ってやったの。


『好きです』って。

『私と付き合って下さい』って。


……っはは、おばかちゃんだよね。

私は本当にその子に死んでほしくなくて、本当に好きでね。


そしたら、その子は『良いよ』って言ってくれたの。


私はその子と手を繋いだし、遊びに行ったし、肌にも触れたし、キスもしたし。


その子ね、良い所のお家のお嬢さんだったの。


進学する高校も大学も決まってたし、働く会社も決まってたし、結婚する相手もね、もう決まってたの……。


そういうのがね、……嫌だったんだって。


だからね、もう死んじゃいたいって、それであの日、屋上に来たって言ってたのね…………。





あぁ、駄目だ。また思い出される。彼女との思い出がどんどん掘り起こされてくる。我慢しても、どれだけ堪えても、涙が止まらない。決壊したらもう止められない。自分で止める事が出来ない。涙が止められない――。


それでも、私が宴町さんの思いに応えるには、ちゃんと全部を、話さなければ、そうしなければ私は過去から動けない――。





「ちょっと、ゴメンね」

言って、私は流れた涙を手の甲で拭う。

きっと赤くなっているだろう目と鼻頭で、不器用な感じにでも笑顔を作って見せ、私はどうにか言いを続ける。






『逃げちゃおうか』って、いつだったか彼女が言ったから、私は彼女と逃げる事にしたの。


彼女が望まないこの場所から。


逃げ切れるとは、思ってはいなかった。


実際にはね。


それでも、これを機に、彼女の意見がお家に少しでも通るようになれば良いなって、そう思ってたの。


少しでも彼女の負担が軽くなる様に。

少しでも彼女が自由になる様に。


だけど、やっぱりそれは現実だったし、私達中学生に考えられる様な理想なんて、そんなのは何の意味も為さなかったし、ただただ結果は虚しいだけだったの。


私達はたった数日学校を無断欠勤しただけで、彼女の家は途方も無く大きい存在で、彼女はそれから一度も学校に来なくて、それから一度も彼女には会ってない…………。


だから、彼女が本当に私を好いていてくれていたかも、今となっては、もう分からないの…………。





「一目惚れなんて、良い事無いわよ」

再度私は涙を拭うと、正面の宴町さんもまた、ボロボロと涙を流しているのに今更ながら気付いた。


「ごめんなさいね、自分の話ばかりしちゃって」

言うと、宴町さんは「……いぇ、お話が聞けて嬉しいです」と鼻をすすった。

目を赤くする宴町さん。

鼻の頭を赤くする宴町さん。



私はもう一度「一目惚れなんて、良い事ないわよ」と言って投げる。



「それに、女の子を好きになるのも、きっと良い事なんてない」



宴町さん。私は貴女とお付き合い出来ないわ。



「私が彼女を好きになってしまった事はきっと罪で、今の私は罰を受けてる様なものだって、そう思ってる。だから宴町さんは、真っ当に男の子を好きになって。貴女にはそれが出来るし、きっと良い人にも出逢える。私も、頑張って男の子を好きになってみるから、だから――」

「お貸しした本は――」


――…………?



そうやって、私の言いは遮られた……。



無理矢理にでも先を続けようともしたけれど、宴町さんの、彼女の目がとても真剣だったから、私はそうする事が出来なかった。


お貸しした本?


私が、貴女に借りた本……。



「先日私がお貸しした本は、私の一番好きなお話なんです。感情移入こそしますが、自身を登場人物と照らし合わせる事はしません。それでも、その本を読んだ星波さんが、私と同じ気持ちになって、私と同じ事を感じてくれたら、私はとても嬉しいと思いました」


私には、星波さんが女の子だとか男の子だとか、そういうのは関係ありません。


宴町さんは言う。


「私は『貴女』が好きなんです。『貴女』に一目惚れしたんです、『貴女』だから、私は一目惚れしたし、好きになったんです」


一歩。

また一歩。と、宴町さんは私との距離を詰めてくる。

それが不快に感じなく、どころかなんだか、その距離感は何処か心地良くてーー。



「……私には、貴女が勝手に背負った罪も、貴女が勝手に自分に課した罰も、そんな事は関係ないんです…………。っ――私はッ! 今の貴女が、好きなんです……。以前の貴女が好きなんじゃないんです…………」


宴町さんは、彼女は流す涙を拭わない。

歯を食いしばって、拳を固く握り締めて、眉をハの字に歪めて……。


「星波さんの事を知る事が出来たのは嬉しいです。星波さんから話して頂けたのも嬉しかったです。……だけど、私が好きなのはその時の星波さんじゃないんです」



そう言って、声を荒げて……。



「――ッ私は! 今! この場の! 貴女が好きなんです! 愛おしいんです! 尊いんです!」


もう私と宴町さんの間に距離は無かった。

私の胸に身を預けた宴町さんは、しゃくり上げる様な動悸を抑える様に言葉を零して続ける。



お願いします……。好きなんです……。

星波さんの事が好きなんです……。

今の貴女が、好きなんです……。

少しだけなんかじゃなくて、今ここからの私の時間を、全部貴女にあげられます……。

色んな初めても、大切なものも、なにもかも、全部星波さんにあげられます……。


お願いします…………。

私を好いて下さい…………。

私を、愛して下さい…………。






……腕が震える。

……身体が震える。

何が正しいのかとか、そうする事が本当に正しかったのかとか、そういった考えが自身の内側でぐるぐると渦を巻いていく……。


例えば、私は今日、宴町さんの『好きです』という好意に『ごめんなさい』と返すつもりでここへ来た。

そうする事で、彼女の何かを守ってあげられると、そう思っていたから……。


それなのに、私の胸で泣く彼女は、あまりにも小さくて、可愛くて、年下で、私の事を好いていてくれて。


色々考えて、漸く辿り着いて、費やした時間を惜しんで出した答えに、私は解った積もりになっていただけなのかも知れない……。



本能なんだ……。


意思や、感情じゃないんだ……。




――私は…………。




「…………私は、臆病だったから。宴町さん。貴女に諦めてもらう事で、貴女にお断りをする事で、絢芽の事を忘れようとしてた」


「…………」


「絢芽の事に区切りを付けようとしてた……」


「…………」




だけど、貴女の事を…………。




「……だけど、貴女の事を、好きになって良いの…………?」




「……絢芽さんの事は、忘れなくても良いです」




「…………?」




「絢芽さんの事も、星波さんの事も、沢山聞かせて下さい。私に、貴女の事を、教えて下さい……」




「……っはは。私、変な女だよ……?」


「私だって変な女です」


「……抱き締めても良いの?」


「……抱き締めて下さい」


「好きになっても、良いの……?」


「好きなってくれなきゃ死にます……」


「……死なないでよ」

「じゃあ好きになって下さい」






お願いします……、志穂さん……。






「……っうぅぅ、っあぁ、うぁぁぁ…………」






声を上げて涙を流すのが心地良かった。


抱き締めた彼女が私の腕の中で涙を流す。その温かさが、柔らかさが、嬉しかった。


これまでの思い出と、これまでの犯してしまった罪と、これからも受け続ける罰と、これからの作られる思い出を、全部大事にしていこう……。


辛い思い出も、楽しい思い出も、全部を大切にしていこう……。



「……借りた文庫本、読みました」




「……どうでしたか?」




「……私、宴町さんの事が好きです」




「……私も、志穂さんの事が、好きです」






静寂でしかありえないこの図書室という空間で、私と宴町さんは互いを好きだと言って泣いた。







星波志穂。


私の一目惚れは少しだけ辛い思い出になったけれど、私の事を好きだと言ってくれたの子の一目惚れは守る事が出来た。



宴町雉鶴さんは、私の事を好きだと言ってくれて、以前の思い出も忘れないで良いと言ってくれている。



私はまた、性懲りも無く女の子を好きになった。



たったそれだけの事が、今の私はどうしようもなく嬉しかった。








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