第27話 星波志穂の相談
今この時、私に必要な貴女。
◆ ◆ ◆
「お菓子食べる人〜」
「それ勉強に不必要。校則違反」
「帰りライトオレンジに寄ろうか?」
「沙耶が行きたいなら私は何処でも」
「冬乃、冷たいの飲む?」
「うん、ありがとう」
わいのわいの
わいのわいの
「……………………」
……何故、こんな事になっているのかが分からない。
『放課後、少し話を聞いて欲しい』と、花見坂上さんにそう言ったのが三時間目の終わりで、彼女はそれをなんの躊躇いもなく了解してくれた。
そこまでは良かったのだけれど、いざ放課後になって花見坂上さんのところに行ってみると、少し困った様な苦い表情を浮かべた彼女の隣には奥海さんが居た。まぁ『私』が『花見坂上』に話を聞いて欲しいという要件に奥海さんが良い顔をしないのも分かるのだけれど、場所を何処かに移すという道すがらで、遭遇した安西さんと殻梨さんは、『そういう事なら私も同席する』と安西さん。『それなら私も』と殻梨さん。『部活は良いの?』と問いこそするものの、優先順位が違うという事だった。五人になった大所帯。場所をどうするか考えあぐねいていると、そこに現れたのはまたまた偶然通り掛かった黒宮さんで、『それなら良い場所知ってるよ』と連れて来られたのが保健室。そこには三月場さんも居て、流石にこれは保健室に迷惑が掛かるのではと思ったけれど、ベッドの三月場さんは『別にいつもの事だよ』と笑んで見せ、保険医の朧先生も『別にいつもの事だよ』と口角を上げて肩を竦めると、すぐに職員室へと出向いてしまった。『何かあったら呼んで』との事だ。
かくして、私達七人は、保健室で机を寄せ合い、その上でお菓子を広げて、なんやかんやと、わいのわいのと…………。
……つまり私には、何故こんな事になっているのかが分からないのだ。
なんだかんだと結局開かれてしまったプチお茶会の様相は、私が花見坂上さんに話を聞いて欲しいと申し出たのにも関わらず、30分程他愛の無い雑談で多少なりとも盛り上がった。中間テストが近いとか、近い内に美術部のコンクールがあるとか、演劇部の舞台があるとか。
その中で私にも園芸部の話が振られたので、薔薇が綺麗に花開いている事を教えてあげた。幾つかの花は間引かれたりしたものを演劇部や美術部にも提供しているので、安西さん、殻梨さん、黒宮さんからは「いつもお世話になってます」と声を揃えられて笑みを向けられる。
そうやって言ってもらえるのは、実のところ、悪い気はしない。
二年生に進級したタイミングで、何となく蟠りは風化してしまった。
一年三学期時の停学明けで、何となく事情を察したみんなが、何となく優しくしてくれて、何となく『そんな事』など無かった様に、本当に、何となくなのだけれど…………。
他クラスだった高場さんと瀬尾さんには謝る事が出来た。
当初こそ高場さんは私の姿を見て身体を強張らせ、瀬尾さんは敵意剥き出しでいつ喉元に噛み付いてくるかも分からないと言った風体だったけれど、どうにかこうにか、頭を下げて謝罪の言葉を口にする事で許しをもらう事が出来た。
許してもらえたその理由も、そして事情も、なんとなく、ある程度理解している。
誰も口にこそしないし、噂も立たないけれど、一部の人達は、私が停学になった理由の、その『深部』を知っているのだ。
何故私が新聞部の部室にいたのか。
何故私が新聞部の八木沢さんに手をあげたのか。
『深部』を知らなくても、表面の理由は知っているのだ。
だから私は高場さんにも瀬尾さんにも許された。
これは同情だ。
同情されるのは好きじゃない。
けれど、許されたのは有り難かったし、その後も普通に接してくれる事には感謝しかなかった。
そして、同情とは私への罰だ。
花見坂上さんや高場さんを傷付けた罰で、軽率だった私への罰で、身勝手だった私への罰。
そして、タイミングというのは難しいもので……。
私はまだ、花見坂上さんと奥海さんに謝る事が出来ていない。
同じクラスだという事に甘んじて、掛けられた優しい言葉に甘えて、風化した蟠りに安堵して……。
停学が開けて、普通の学園生活に戻ってきて、そうやって臆病な自分に嘘を吐き続けながら肯定した結果、進級して彼女達とは別々のクラスになってしまった。
些細なきっかけとは、一体どうやって掴めば良いのだろうか……。
何となく、本当に何となくで時間は進んでしまった。
保健室でのお喋りは楽しかったし、進級してからの彼女達の生活の変化も聞けて良かった。私の事も少しだけ話せたし、それについては良い悪いで言ったら『良』かったと思う。
けれど、肝心な事を、私はまだ――。
◆ ◆ ◆
「それじゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
保健室でのお茶会は御開きとなって、皆が其々帰路へと経つ頃にはもう日がある程度傾いていた。
夕方の5時。
この季節なら、まだ空に青い部分は少しだけ残っている。
安西さんと殻梨さんは、一度美術室に寄るという。
黒宮さんと三月場さんは、そのまま真っ直ぐ帰るという。少し足取りの重そうな三月場さんの手を、黒宮さんがしっかりと握ってあげているのを見て、私は何処か、彼女達の事を羨ましく思ったような気がした。
安西さんにも殻梨さんにも、黒宮さんにも三月場さんにも、私は随分と酷い事を言った。
直接ではなくても、間接的であっても……。
そうして、残ったのは、私と、花見坂上さんと、奥海さん。
「それで、話ってなぁに?」
「……覚えてたのね」
「勿論。忘れないよ、多分大事な事だと思うから」
そうやって、花見坂上さんは薄く笑んでみせ、言いを続けた。
「少しだけね、意地悪しちゃったよ」
「……私に対して?」
「ううん、みんなに対して」
……なんとなく、そうだろうと思っていた。
彼女、花見坂上さんは聡明だから、あの場で私に話を振るような事は無いだろうと思っていた。だから、私はあの場で特に心労もせず、楽しくお喋りが出来ていたのだろうと思う。
「みんな優しいからね、私の事は心配するし、勿論、星波さんの事も心配するし。だけど、今日の星波さんの話は、大勢は居ない方が良いんだろうなって、そう思ったんだけど」
あ、桜子も居ない方がいいよね!
そう言って花見坂上さんは奥海さんの背中を押して他方へやろうとするけれど、「……いえ、居てもらっても構わないわ」と、私はそうやって言いを絞って出す事が出来た。
それを聞いて、花見坂上さんは何処か安心したように、何処か嬉しそうに、そして、何処か誇らしげに……。
「……あの、なんて言うか、…………私の事を、好きだって、そう言ってくれる娘が、いるんだけど――」
……あの、私には、その…………、その娘に、どう接して良いのか、分からなくて……。
言うと、花見坂上さんも、そして奥海さんも、少しだけ、ほんの少しだけ、表情が真剣なものに変わった。
「それは、大切な話だね」
「私がこんな相談していいやつじゃないって事は、……分かってる。…………だけど――」
「星波さんが、そういう相談しちゃいけないなんて事は、無いよ」
そう言ってくれたのは、……奥海さんだった。
私は少し意外に思ったけれど、花見坂上さんはそうでもなく、寧ろ奥海さんならそう言うだろうという確信さえあった様子で嬉しそうに笑みを浮かべて――。
「聞くよ、星波さんの話。昔の事も、星波さんが話したいなら聞くし、言いたく無いなら聞かないし。……だけど、多分星波さんがしたいのは、『今』の話なんでしょ?」
そう問われ、私は一度、首肯してみせた。
「……私は、私の事は、この際どうでも良くて、ただ……、あの娘には、なんていうか、ね……。悲しませたくなくて、でも、この前、私の事を、好きだって、そう言ってくれて……。その娘、泣かせちゃって……。どうしよう、私、あの娘に嫌われたく無いと思ってる……」
私、どうすれば良いのかが分からない……。
……みっともない。
自分の存在が酷く矮小な者に思える。
結局あの日、私は宴町さんから差し出された文庫本を受け取って図書室を後にした。
私は彼女に謝る事しか出来ず、彼女の涙を止めてあげる事も出来ず、そして、私は自分の話をしてあげる事も出来ずに……。
痛覚が、悲しさが、身体の其処彼処を支配しているみたいに、私は、あの日宴町さんが涙を流した理由を欲している……。
「そう思ってるって事は、星波さんは、その子の事が、少しだけ気にはなってるんだね」
花見坂上さんにそう言われるが、やはり私には分からない。
それが『気になっている』という感覚なのか……。それで私が彼女の事を、宴町さんの事を好いて良い理由たり得るのか……。
「例えばなんだけどね――」
言って、花見坂上さんは言葉を続けた。
「テストの範囲とか、部活の事とか、お昼に何を食べようかとか、そういう話だったら、私は相談に乗ってあげられるし、意見も沢山言ってあげられると思うの」
「…………?」
「だけどね、好き嫌いって、とても繊細だと思うから、簡単に私達が、他の誰かが口出ししちゃったらいけない事だと、私は思うの」
これ、本当に違ってたら、ゴメンね。
花見坂上さんは、そうやって前置して……。
「星波さんは、もう自分の気持ちにも、自分がどうするのが良いのかも、自分で気付いてて、分かってるんじゃないかな?」
「……私は、…………私は――」
心臓の音が聞こえる。
この心臓の音は、本当に私のもの……?
花見坂上さんの笑顔が、何処か心地良い。
奥海さんの片眉を上げた薄笑みも、何処か心地良い。
自分の気持ちなんて、私、本当に気付いているの?
どうしたいかとか、本当に私が決めて良いの?
絢芽、私は、誰かを好きになって良いの?
宴町さん、私は、貴女に好かれて良いの?
私は、貴女を、好きに――――。
一つだけ、今の私にとって確かな事がある。
今私が会わなければならないのは、
絢芽ではなく、宴町さんだという事……。
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