第25話 宴町雉鶴の痛み

ズキリと胸が…………。



◆ ◆ ◆



なんとなく。

どことなく。

心ここに在らずといった具合の日々が続いた。


他学年の階層に足を運ぶのは校則で禁止されていないし、彼女の学年もクラスも分かっている。だから、ちょっと休み時間にでも向かえば、それは二分も掛からない。

会いたいという気持ちはあったし、一目視界に入れるだけで、私には十分だった。

それでも、私はそうしなかったし、そうしようとも思わなかった。

私は物語的な二度目の出逢いを望んだのだ。

意図しないタイミングでの出逢いや、彼女の方から声を掛けてくれる二度目の邂逅を。

如何にもな思想と下らない見栄。

夢見がちだという事を自身で理解している。

けれど、そういう展開を望んでしまった以上は、自分で何か行動するというのが不鮮明に思えて仕方がない。

まぁ、私が奥手で、物語の主人公では無いだろう事は、私自身が一番理解しているのだけれど……。


貸し出し期間は一週間。

昨日の時点で、『薔薇と園芸』はまだ返却されていない。



◆ ◆ ◆



お昼休みは大体光莉ちゃんやお友達とご飯を食べているのだけれど、あいにくと今日はみんな部活のミーティングだったり選択科目の課題だったりで、ご飯を食べ終わった後は直ぐにみんな散り散りとなってしまった。

学生食堂でお弁当を広げ、食べるのが遅い私はみんなが急いでご飯を食べ終えては他方の予定へ駆けて行くのを見送ると、なんだか小学生の頃の給食の時間を思い出す。急いで食べるというのが習慣付いていなかった私は、大体最後の方まで給食を食べ続けていた。

お腹が一杯で食べられないという訳ではなく、ただただ食べるのが遅いだけなのだ。

だから、高等部でのお昼休みはなんとなく安心してご飯を食べる事が出来ている。

食べるのが遅くてもみんなお話してくれているし、一人で食べていても文庫本を広げる事が出来るからだ。


新しい本や読み掛けの本を持っていると安心する。けれど、それを読み進めていき、物語が終盤に差し掛かると、楽しみな反面、不安にもなる。自分の望まない結末だったらどうしようとか、新しい本は一体どれを読めば良いのだろうかとか、漠然とした、言い表すのも少し難しい、そんな不安。

本を読むのは好きだし、読み進めるのも楽しいけれど、読み終わる事で私がこの物語を自身の中で生かす事が出来るのだろうか、ともすれば、私はこの物語を殺してしまうのではないだろうかと、そんな馬鹿みたいな不安に襲われる事もある。

一種の脅迫観念かも知れない。

好きが昂じてというのは良くあるようだ。

だから私は小説を書くようにもなったのかも知れない。

自分で書いて仕舞えば、それは自身の望む結末へと進み、中途でどんな障害に立ち塞がれても、エンドマークを打つ頃には私の納得するそれに仕上がっているから。

それは自己顕示でもある。

私の作る話を誰かに読んでほしいという欲目でもあるし、私の存在を誰かに肯定して欲しかったというのもあるかも知れないからだ。


モタモタとお弁当を食べながら文庫本を読んでいても、今は一人だから誰に迷惑を掛けるでもない。行儀はきっと悪いだろう。けれど、それは何というか、私の正義に反していないのだ。

無理繰りな自己肯定で私は箸を進めながら文庫本の文字を追う事が出来ている。


――と、そこでだ。

私は視界の端に捉えた。

視線を文庫本から外して顔を上げると、少し離れた場所に幾人かの女の子と、その中に彼女の姿がある。


あぁ、本当に、ちゃんと居たんだ。あの人。


そんな的外れな事を思ってしまった。

1週間前に図書室で少しの話をしてからこっち、一度も会う事は無かったし視野に映り込んでくれる事も無かった。

ともすれば、あれは幻のだったのではないだろうか……と、そんな馬鹿みたいな事は流石に思いはしなかったけれども、少なくとも、彼女は学校に来て授業を受けているし、友達もいる事が分かった。

彼女がココにいる事は、分かった。



それだけで十分だったのに……。



「…………え?」

彼女は私に気がつくと、何やらお友達と一言二言交わして、手を振り合うと……。

ニコニコとした笑顔で、こちらに近づいてきた。


「…………え? え?」

「こんにちは宴町さん。一人?」

そうして、文庫本片手にお弁当を食べる私の向かいに腰を下ろしたのだ。


「っあの! ――今日は、お友達みんな部活のミーティングとか課題とか、それで、私はお弁当の、お昼は一人です…………」


みっともない……。

声は上擦って目は合わせられないし、妙に早口で捲し立てて仕舞うし……。


ただ、彼女の事は凄いと思った。

たった一度会話を交わしただけの私に、こんなにすんなりと入り込んで来て、私もそれを受け入れてしまっている。

こういうのが才能ってものなのだろうか?


「それは何を読んでるの?」

「これは、太宰治です。星波さんは、本は読むんですか?」

「たまーにね。そんなに多くは読まないわ。でも、人に勧められたら読むわね。人が勧めるものって、何かしら面白い箇所が絶対にあると思ってるから」

「あぁ、なんとなく分かります」

「何かお勧めがあるなら、読んでみるわ」

「ちょっと考えてみます。星波さんは、何かお勧めありますか?」

「そうねぇ……。私も考えておくわ」


そういう会話は、何となく嬉しかった。

文芸部でもそういう会話はするし、友達とも本の貸し借りはしていた。それは中等部の頃からだし、小学生の頃にもそういう事があったのを覚えている。

それなのに、この星波さんとのこの会話はどこか私にとって、特別な様に思えてしまって仕方が無かった。

彼女の声を聞くたびに、体温が上がっている。

そんな気がしている。


「宴町さんは、この後何か、お昼休みの予定とかは?」

「いえ、特には何も」

「それなら、園芸部の庭園に来てみない? 私の薔薇はまだ咲いてないけど、他の花は色々咲いてるわよ。この前の御礼って感じで、如何かしら?」

「――っ行きたいです!」

大きな声は出せない訳ではない。

御礼を頂ける程たいそうな事をした覚えは無いけれど、彼女が庭園を見せてくれるというのなら、それは是非もない。

というか、今なら私はきっと、彼女の誘いならとこでもほいほい付いていくのだろうと思う。

文庫本を閉じ、急いでお弁当のご飯を食べると、星波さんは何となく嬉しそうな顔をしているように見えた。



◆ ◆ ◆



園芸部の庭園は広くはなかったけれどとても綺麗だった。


「これはなんていう花ですか?」

「それはベゴニア」

「じゃあこっちのは?」

「それは白丁花」

「やっぱり詳しいんですね」

「少し覚えたのよ。去年までは全く知らなかったわ。だけど、苗を植えて、自分で水をあげて世話をしてってなると、自然と覚えちゃうのよね」


そう言って、星波さんは肩を竦めながら笑んで見せた。


「貴女の本と同じよ。宴町さん」


読んだ本なら殆ど覚えている。

ページをめくって物語を追って、そうする事で私は本を読みそれを覚えていく。

苗を植えて水を上げる事は、それと同じ事なのだろうか。

それならば、私も花の世話をしてみれば、花の名前を覚えていけるのかも知れない。


「花言葉とかも詳しくなりました?」

「それはまだまだ。覚えるには日が浅いし、覚えられる程花に執着出来るかも分からないし」

「執着、ですか?」

「んー、まぁ執着って言葉が一番適当かと思ったんだけど、のめり込むとか一緒懸命とか、そういう感覚かな」


執着。

…………執着か。


日は暖かい。

当然だ。

お昼は太陽が一番真上にくる時間帯なのだから。


「星波さんの薔薇は、どれですか?」

「私の薔薇はそっちのやつ」言って、彼女は苗の植えられた花壇のスペースを示す。そこにはまだ花の開いていない薔薇が幾つも並んでいた。

「そろそろ咲きそうなんだけど、まだいつかは分からないわね」


咲ききらない薔薇の蕾と、花の甘い匂い。

土の匂いと、空気の匂い。

暖かい日差しと、星波さんの――。


「今日、図書室に来てくれますか?」

「ん?」

「あの、……本を返しに」

問うと、彼女は「えぇ、放課後に行こうと思ってたわ」と、そう答えてくれて……。


「あの、星波さん」

「ん?」

星波は――。


「星波さんは、あの……。誰か好きな人は――」

「……へ?」

「今、誰かと、お付き合いしていたりはーー」


花の匂いや暖かい風の肌合いとか、そういう雰囲気というか……。

先週始めて言葉を交わしたばかりの人に、私は一体何を聞いているのか……。

独りよがりで身勝手な問い。





「付き合ってる人はいないし、今、好きな人も、特にはいないわ」





「――っあの! 私」




そこまで言って、私の言葉は星波さんによって、手のひらで制された。


「待って。宴町さん」

そうやって、彼女は続ける。


「私は、これからきっと、誰も好きにならないし、誰からも好かれない。そう思ってる」


…………如何いう事?


「きっと誰も愛せないし、誰からも愛されないの。だから、ごめんなさいね。宴町さん」


「…………そう、ですか…………」



星波さん、何で謝るんですか?

星波さん、誰も好きにならないって如何いう事ですか?


星波さん、私が今、貴女に、そんな表情をさせてしまったのですか?


私が身勝手で、独りよがりだから……?


花の匂いは甘くて、日差しは暖かくて、風は心地良くて、星波さんは綺麗で……。






ズキリ。






…………なに今の?


ズキリって何?


別に、なにかを期待してた訳じゃないし、ただ、私は星波さんの事が少しでも知りたくて、興味というか、星波さんとお話しするのは何だか楽しくて、嬉しかったし、何となく楽で、彼女を簡単に受け入れられたのが意外だったし、すんなり入り込んでくる星波さんに魅力を感じていたのも事実で、例えば、例えば私が――――。






「……あの、庭園を見せてくれて、ありがとうございました。とても綺麗で、…………あの、あ、ありがと、う、ござ…………」



胸が苦しい。

顔が熱い。


私は、星波さん。


貴女の事が…………。




「ありがとうね、宴町さん」

だけど、ごめんなさい。

今日は図書室に行くから、また放課後に。


予鈴の音が遠くに聞こえる。

目の前にいる筈なのに、彼女の事が遠くに見える。

『ごめんなさい』とは、つまりそういう事なのだろう。


星波さんとはその場で分かれた。その時彼女がどんな表情をしていたのか、私には怖くて見る事が出来なかった……。





放課後。


星波さんは図書室に来なかった。

来ていたのかも知れないけれど、私はそれに気付かなかった。


『薔薇と園芸』は、いつの間にか返却されていた。






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