第20話 彼女達の奔走〜後編

大切だから、そうしただけなんだ。



◆ ◆ ◆



こういうところが、自分の嫌いな部分だと思う。


黒宮さんのソレが嘘かどうかを判ずる事は、私には出来ない。

ただ、あの新聞部の掲示を指す人が安西さん『かも知れない』というのが、沙耶と黒宮さんの考えだった。


普段から注視している訳ではないけれど、二人の言いを聞いてみると、やはり今日の安西さんは休み前の彼女とは何処か様子が違った様にも思う。


それでも、私も沙耶も黒宮さんも、それに確信があった訳ではないし、黒宮さんがあぁ言った以上、あの掲示の指す人は黒宮さんだったのかも知れない。




昼休み以降、誰もが口を閉ざしてしまっていた。


はしゃいでいたグループの子達も、それを遠巻きにしていた子達も、そして私達も……。


「……私は、如何すれば良いのか分からない」


言った沙耶の言葉を受けるが、やはり私も、如何すれば良いのかが分からなかった。

黒宮さんは五限目の授業を受けた後、授業の合間に席を立つと、六限目は教室に戻ってこなかった。

安西さんはいつの間にか戻って来ていたけれど、五限目と六限目の授業を済ませると、放課後にはやはり、いつの間にか教室から姿を消していた。


新学期の初日から、居た堪れない空気で、誰に何と声を掛けて良いのかが分からない。


「……私も、何を如何すれば良いのか分からないけど、ちょっと行きたいところならあるよ」


「……?」


首を傾げてみせる沙耶に、私は続けて言いを発した。


「……新聞部の、部室に行ってみようと思う」


言うと、沙耶は「私も行く」と、控え目に拳を握ってみせるが、「……でも、桜子、何か考えある?」と、自信無さそうにうな垂れた。


「正直、言いたい事もわからないし、何を言うのが正解かも分からない」


だけど、今はそこに行く事に意味を見出したい。


私は、沙耶と連れ立って新聞部の部室へと足を向けた。





疑いを掛けられた安西さん。


本当か如何の真意は分からないけれど、ソレは自分だと言った黒宮さん。





私は安心してしまった。



事の渦の中に沙耶がいない事に、私は安心してしまった……。




私は、自分のそういうところか嫌いなんだ……。



◆ ◆ ◆



「……来てくれる、気はしてた。……だけど、それと同じくらい、来てくれないかもと、思ってた」


「……で? 見付けて欲しかったの? 欲しくなかったの?」


「…………分かんない」


そう言って返すと、春真は日の沈み掛けた空へと視線を投げ、青色とオレンジ色の、丁度中間点を探す様に視線を泳がせた。



居るとしたら、多分ここだと思った。



立ち入り禁止にはなっているけれど、鍵が掛かっている訳でも無く、ちょっと跨いで通ればその柵は何の障害にもなっていない。



白海坂の屋上は、そうやってある程度自由に出入りが出来てしまう。



それでも立ち入りは禁止なのだから、本当は私も春真も、この場所に居てはいけないのだ……。



「……ごめん、春真」


「……何で謝るの?」



問われ、私は先の言葉が続かない。

何故今、私が春真に謝ったのか、私自身も、その理由が分からないから。


謝れば許されると思ったのか?

そもそも、私は何を許して欲しいんだ?

私が春真に何かをした訳でも無いのに。

無性に、何故だか、私は春真に謝らなければいけない様な、そんな気がしていた。


理由の無い謝罪になんて、何の意味も無いのに……。



「……今日、何で私を避けてたの?」

問うと、春真は返す刀で「……別に、避けてた訳じゃない」と言いを吐く。


そんなのは、嘘に決まっているのに。



「嘘だね」


「……嘘じゃないよ」


「嘘だよ」


「……嘘じゃないってば」



嘘だよそれは。

だって、顔にそう書いてある。


言うと、春真は空に投げていた視線を、カクッと、地に落とした。


視線を落とし、肩を落とし、春真は何処か泣きそうな目で、それでも、それを必死に堪える様にーー。



「…………合わせる顔が、無かったわよ」



決壊した彼女の目から、涙が一筋だけ溢れた。

春真は言いを続ける。


「昨日まで、あんなに楽しかったのに。昨日まであんなに幸せだったのに。今朝からは、今朝のアレを見て、そこからもう、色々ぐちゃぐちゃで……。千里の事が好きなのに、貴女に会うのが怖かった……。貴女に会って、話をして、それを誰かに見られるのが怖かった……」



陰口を叩かれるのが、怖かったの……。



顔を覆った春真の掌から、次々に涙の粒が溢れて落ちる。

今にも崩れて落ちそうな彼女の膝は、それでもどうにか自重を保ち、折れない様に、挫けない様にと、自身の心を支え続けている様に……。




「わたし、どうすれば良いかな……?」




涙で濡れた顔を上げ、春真は私にそう問うた。



「私は、春真が好きだよ。ずっと、貴女に会った時から、そう言い続けてる。春真の事が好きだし、春真の描く絵も好き。誰かの陰口も私は気にしない。誰もが貴女を悪く言っても、私は貴女を一番に想える」


これは誓いだ。

昨日までと、そして今日からの毎日が、ほんの些細な悪意で歪められて変わってしまったとしても……。


「だから、私は春真の為に傷付かない。陰口が春真の事を言っていても、私は貴女を嫌いにならない。陰口が私の事を言っていても、私は絶対に傷付かない」



……だから、だからね…………。




「私を愛して、春真」

私の事を好きでいて、春真。





空の全てがオレンジ色に染まった時間。


私は、春真が私の腕の中で泣いてくれたのが、嬉しかった……。

崩れそうな膝を奮い立たせて、一歩ずつ歩み寄ってくれて、そうして腕の中で私を求めてくれたのが、嬉しかった……。


「……私、千里を失うのが怖かった……」


「……ばかだね。私はいなくならないよ」


「……千里が好きぃ…………」


「…………私も、春真が好きだよ」




きっと、色んな事への恐怖は尽きない。


一度表に出てしまった情報は何処までいっても消える事は無いし、私達が普通では無いという事は自身で理解している。偶然何処かで陰口を聞いてしまうかも知れないし、ある日突然蒸し返される事もあるかも知れない。


それでも、私が好きなのは女の子だし、私を好いてくれているのは女の子だ。


春真も私も、きっと『こういう事』からは何処までいっても逃れる事は出来ない。けれど、この選択が間違いでは無いと、いつ迄も言い続ける事は出来る。



「わたし、これから少し行くところがあるんだけど」

言うと、春真は首を傾げて私を見やった。


「新聞部に行ってくる。そんで、ちょっと一言いってやろうと思う」


春真も、来る?



問うと、彼女は少しだけ考えてから、一度だけ小さく首肯した。



守る事も好きでい続ける事も難しいのに、壊す事とか悪意を投げる事だけ簡単なんて、そんなの理不尽過ぎる。



だから…………。



◆ ◆ ◆



これは、私の所為なのだろうか?



どうでも良いとは思っていたし、もっと言えば嫌悪すらしていた。

……けれど、私はこうなる事を、本当に望んでいたのだろうか?


「八木沢さんは、なんであんな記事を書いたの?」


問うと、彼女はPCに向かったまま、此方を見もしないで「ん? 別に、なんか面白そうなネタだなって、そう思って」と、次回の掲示物の為に打キーを続けている。




面白そう、か……。




嫌悪はしていた。


けれど、それを誰かに吹聴して、面白がるような事を、私はしたいとは思わなかった……。



「あの記事は、訂正できないの?」


「訂正? 何故そんな事をする必要が?」




放課後。


私が向かったのは新聞部の部室。


いの一番に早足で向かい、二度のノックで扉を開けると、其処では彼女が既にPCへと向かっていた。



1-F 八木沢かえで



先日新設された新聞部は少人数体制ながら、常に掲示物への新鮮な情報を求めて奔走していた。

求めていたものはエンターテイメントだ。

退屈な学園生活に一筋の旋風を吹き起こそうとしている。


結果として過去何週間かの記事についてはアタリもあったがハズレもあった。

そういった起伏の激しい内容だったけれど、一部の生徒間では少しずつその期待値は高まりつつあっただろう。



それまでがあってからの、今回の内容だ。



面白がる者もいれば、そう思わない者もいる。

不快感を示す者もいれば、そうでない者もいる。

そして、不安に思う者もいれば、やはり、そうでない者もいる……。



「訂正しろという事は、あの記事が『嘘でした』と、そういう内容の事を書けと、そういう事なのかな?」



そういう事なのね? 星波さん?



腰掛けた丸椅子を回転させて此方を向いた八木沢さんにそう問われ、私は一度だけ首肯した。



残念ながら、私は今朝のあの掲示物を見て、面白いと思わなかったし、不快であったし、なにより不安になったから。




「訂正は出来ないわ。何故ならあれは『事実』で、『嘘ではない』から」


言って肩を竦めると、彼女は次いで先を続ける。


「好き嫌いとか誰と誰が恋仲とか、そういうのって何処の学校でもあるじゃない。白海坂だって違いは無いわ。うちが女学園だからって、こういう話が無いとは限らない。寧ろ共学より多い場合もあるんじゃないかしら?」


「……だからって、面白半分であぁいう事を書いて良いとは限らないでしょう? 普通じゃないのよ? 女子校で色恋沙汰があるなんて」


……そう、普通じゃないのだ。

女子校で色恋沙汰なんて……。

共学でだって、同性の色恋なんて普通じゃないのに……。


気持ち悪いし、不快だし……。



だけど、それを、誰が笑い物にしていいって言うの?



そんな権利、誰も持ち合わせていないじゃない……。




「普通じゃないから面白いんじゃない」



それなのに、彼女は両の口角を薄く上げて、笑みを浮かべながら、そう言いを吐いた。




「普通の事なんて書いて誰が面白いの? 桜の季節が近付いた? 何処かの犬が子供でも産んだ? 学年の忘れ物の統計でも取る? 好きなアイドルグループのアンケートでも集めてみる? それって、星波さん、貴女面白いと思う?」


「…………」


反対論を出せない私に、彼女は「ふん」と息を吐いて、これ見よがしに足を組んで見せ……。


「普通の事は面白くないし、普通じゃない事は面白い。そう思うのは誰だって当然じゃない。『あっと驚く予想外の展開』ってのがあるから人は惹きつけられるし釘付けにされるのよ。映画にしろドラマにしろ漫画にしろ小説にしろ、素人が書いた壁新聞にしろ、だよ」


「…………っだけど、映画や小説で不快になったり不安になったり、そういう人はいないはずよ」

「いいえいるわよ」


八木沢さんは間髪入れずにそうやって言いを返す。


「どんなものにだって反対者はいるわ。それが多いか少ないか、たったそれだけの違い。貴女は今回の私が書いた記事で不快感を覚えたり不安になったりする人がいたって言いたいんでしょうけど、それはやっぱり当然だし、当然だけど、そういう人が今回の私の記事を蔑ろに出来ていない時点で、私の記事は『成功してる』って、そういう事だと私は思っているわ」


「…………どういう事?」


「これは無視出来ない事だって言っているのよ」



……八木沢さんは、

…………彼女は言いを続ける。



「新学期早々、誰もが話題に出して夢中になれる話の中心。無視出来なくて、無視しようとしても誰が話しているのは嫌が応にも耳に入ってくる。それは桜の季節とかわんちゃんの出産とか、忘れ物の統計とかアイドルグループのアンケートでは絶対になり得ないわ」


私はそういう事を誇らしく思いたいのよ。


「そういう事に快感を覚えたいの」


「…………変態じゃない」


「なんとでも言って」

八木沢さんは掌をヒラヒラと振って応える。



「…………自分の快感だけで、誰かを傷付けるのは、それは真っ当な事なの?」

「真っ当かどうかは分からないけど、傷付いた人が如何とかは考えないようにしてるわ。貴女は野球やサッカーの試合で相手が可哀想だからって理由でわざと負けてあげるような考え方の持ち主? 敗者が傷付くのは世の常よ?」


「…………同性を愛する人は敗者だって言うの?」



そう問うと、彼女は一瞬だけ目を逸らして怯んで見せたけれど、それでも直ぐに視線を鋭くして再度此方に投げてきた。



「……っ人を傷付ける云々の話だったら、貴女だって良い話は聞かないわよ」


「……どういう事よ?」




色んなクラスの子に変なちょっかい掛けてたみたいじゃない。



「……それは、もう辞めたわよ。下らない事だったし、別に今の話とは関係無いでしょ」



言うが、彼女は此処ぞとばかりに、マウントを取ったかの様に、「いいえ、関係あると思うけど」と鼻息を荒くして……。




「聞いた話は多く無いけど、そういう事を少し聞いたわよ? 同性相手に女の子がちょっかい掛けて傷付けるとか、貴女の方がよっぽど変態だと思うけどね。貴女だって私の事をとやかく言える立場じゃ無いでしょ? そんなんだから前の学校でも問題起こして編入なんて事になったんじゃないの?」


「………………」


……八木沢さんの、彼女の勝ち誇った様な顔が、私の視界に――。


……いや、そんな事は如何でもいい。

そんな事は如何でもいいんだ。




「……私は、……貴女が私の何を――」


「新聞部だからねぇ、だけど、別に何もかも知ってるって、そういう訳じゃないのよ?」

彼女は笑みを浮かべる。


「でもさ、女の子傷付けて逃げてくるなんてさ、やっぱりどうかと思うよねぇ?」








辻絢音絢芽さん、どうなの?










彼女、元気にしてる?











「………………別に」



別に、編入した理由とか、私が誰かを傷付けたとか…………。



そういうのは、私にとっては、如何でもいい事で。



寧ろ、そういうこれまでの過去に何があったとか、そういう事って、結局自分の所為だから、自分で如何にかしなきゃいけない事だってのは、自覚してるし、私は分かってるんだ。



だから、私の事は如何だって良いんだ。



だけど……。



それなのに…………。






「…………貴女が、絢芽の――」



貴女が絢芽の何を知ってるって?



絢芽の事なんて、何も知らない癖に。



何も知らない癖に。



知らない癖に。









「……――ッッ絢芽の事なんて何も知らない癖に! 勝手な事言わないでよっ!!」




よく分からないのに涙が流れていた。

内側で堰き止めていた筈なのに、ちゃんとこぼれ落ちない様にしていた筈なのに、他人の言葉でこんなにも簡単に大切だったものが決壊するとは思わなかった。


私の中の絢芽が誰かに掻き回され、胃が痛くて、忘れようとしていたものを全く忘れられていない事が情けなくて、それなのに汚されたような感覚もあって、それが、無性に悔しくて。



「…………っうあ、っうう、っううぅぅぅ……」



不安で、不快で、面白くなくて……。


どれだけ拭っても涙が止まらなくて。


右の手が痛いと思ったら、如何やら私は気付かぬ内に八木沢さんを平手で叩いていたらしく、それが何度打ったかも覚えていなくて…………。



胃が、お腹が、頭が、目が、心が――。


吐き気とか、悔しさとか、誰かを傷付けたとか、私がどれだけ悪かったとか、私がどれだけ酷い事をしたとか、高場さんが傷付いたとか、花見坂上さんが傷付いたとか、絢芽が傷付いたとか、絢芽がどう思っていたとか、絢芽の笑顔とか、泣き顔とか、怒った顔とか、そういう、絢芽が私の為にどれだけ優しかったとか――――。








「うあああああぁぁ……、ああぁぁぁ……、っうぅあぁぁぁぁっ」









◆ ◆ ◆



私も、桜子も、殻梨さんも、春真ちゃんも、みんなびっくりしてしまっていた……。


行く先で殻梨さんと春真ちゃんに会って、向かう先が同じだから四人で一緒に行く事になって、新聞部の部室前までくると、中からは誰かの泣く声が聞こえていて、扉を開けると、そこには頬を赤く腫らせた新聞部の子と、膝を付いて泣き崩れている星波さんがいて…………。



先生達も沢山来て。


星波さんは先生に何処かに連れて行かれて。


新聞部の子は保健室に連れて行かれて。




私達は何も分からなくて、それでもみんな、なにかしら思うところがあって。


桜子は心配しなくて良いよと言ってくれたけど、それでも、あぁやって泣き崩れる星波さんが気掛かりで、それは春真ちゃんも同じだった様子で…………。






星波さんは十日間の停学で自宅謹慎になった。



壁新聞では、その後件の記事についての続報も訂正も書かれる事は無かった。



そして、一年の三学期。

桃ちゃんが教室に登校してくる事は、一度も無かった……。







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