第19話 彼女達の奔走〜前編

誰かの為の嘘。


◆ ◆ ◆


朝から話題は件の新聞部の事で持ち切りだった。


今朝まではあんなに幸せだったのに、今はもう全てが黒ずんで見える。

どの色にも、ほんの一欠片の黒色の絵の具が垂らし落とされて、ぐるぐると混ぜられて、容赦の無い侵食を受け、光とか煌めきとか、そういうものが一切視界に入らない。


全ての視線が私に向けられている様な気がして、全ての聞こえる声が私の事を喋っている気がする。


全ての嫌悪とか排他的な圧力とか、そういう何か嫌な物が、なにもかも私に向けて投げ付けられている様な、そんな感覚が……。


たったあれだけの新聞部の文書は、私を殺すのに十分な毒だった。




千里に会いたかった。


けれど、それと同時に、千里に会いたくもなかった。




千里はアレを見たのだろうか?

それすらを聞く事も憚られる。




そして、私はアレを見た同級の女の子が口にしたのを聞いた。


彼女が誰だったかは分からない。

そもそも顔すら見ていない。

何処のクラスの子なのか、はたまた同じクラスの子なのか。

もっと言うと、本当にそう口にしたのかすら怪しいし、私の聞き間違いか、彼女の言い間違いか、そういう可能性だってある。


けれど、私は『それ』を聞いて、脳ミソが『そう』だと解釈してしまった。


耳ざといのは、こういう時に嫌気がさす……。





彼女は言った。





『気持ち悪い』と……。







◆ ◆ ◆


朝から避けられている様な気はしていた。

授業の合間に教室へ行っても春真は居ないし、いつもお昼ご飯を食べているという中庭に行っても彼女には会えなかった。


春真の友人である花見坂上さんや黒宮さんに聞いて見ても、授業の合間は直ぐに何処かに行ってしまうとか、お昼を誘っても断られたとか、そういう話を聞くばかりだ。



軽率だった、とは、思っていない。

けれど、まさか本当にこんな事を書かれるとはと、心底後悔はした。



軽んじていたというのが正直なところだろう。


新聞部が新設されて、まさかこういう記事が書かれてこんな事になろうとは、私は思っていなかった。


朝一番で掲示されていた新聞部の壁新聞は先生に見つかった矢先に直ぐ様剥がし取られてはいたけれど、其処に記されていた内容は鬼の様な速さで一年生階層を流れて行った。


誰と誰が怪しいとか、誰と誰がそうだとか、誰と誰をこの前見たとか、誰と、誰が、誰で、誰に…………。






春真に会いたかった。






あんなモノは気にする必要なんて無いと。

誰がどういう話をしていても、私達には関係無いと。

誰にも勝手な事は言わせないと。

春真の事が好きだと。


私はちゃんと、春真に会って、そう言いたい。



だから、私は『今日』春真に会わなければいけないのだ。

今日会えなくても、明日会えるからそれで良いみたいな考えは捨てる。


大事なのは今日だ。


きっと、今日会えなかったら、春真はまた筆を取れなくなって仕舞う。

そんな気がする。


私には責任があるのだ。

彼女に再び筆を取らせた責任が。

そして、私は覚悟したのだ。

彼女の隣で絵を描き続ける覚悟を。



もう放課後は直ぐ其処まで迫ってきている。

そしてきっと、放課後になっても春真は今日、美術室には来ない。





『許さないからね?』






『絶対に許さないからね?』







私は考える。





彼女を傷付けたのは、新聞部か?



星波志穂か?




それとも、私か?





◆ ◆ ◆



『考えがある』



聡明な彼女はそう言った。






お昼休み。

いつもより浮かない顔をして保健室に来た桃は、来るなり私の定位置のベッドに腰掛けてきて、細腕で私の腕に抱き付いてきた。


桃がそういう事をする時は、決まって何か嫌な事があった時で、この間は自動販売機のイチゴ牛乳が売り切れていて、その前はテストの結果が少し悪くて、またその前は他所のクラスで私の陰口が言われていたとかの時だ。


桃にとって良い事と悪い事、嬉しい事と嫌な事には分別があっても尺度は無い。

良い事は何でも100の良い事で、嫌な事もやっぱり100の嫌な事なのだ。



「どうしたの?」


問うと、桃は少しだけ目に涙を溜めて、今朝方からあった事のあらましを話してくれる。


「それが安西さんだって、そういう事なの?」


「……多分そうだと思う。なんとなくだけど、朝からハルちゃんの様子はおかしいから」


心配なのは分かる。

もし仮にそれが本当に安西さんの事を書いているものだとしたら、今一番不安なのは安西さんと、その彼女の方だ。


だけど、私や桃、それに安西さんのお友達に出来る事は、現状、思っている以上に少ない。

変に出しゃばって弁明しようものならば、事態を更に掻き回す様な事に、なり兼ねない。


「桃、私達に出来る事は、安西さんとお話ししてあげる事くらいかも知れないね」


「……私も、それは分かってる」


言って、桃は抱き付いた私の腕に、少しだけ頬を当てた。

温かさが彼女のものだと分かる。

そうして、桃は何か、意を決した様に言いを吐いた。



「……少しだけ、考えがある」



「なぁに……?」



問うが、桃は首を横に振って答えない。

その代わり、少しだけ目を伏せってから、言いを続けた。



「……冬乃は、私が何をしても怒らない?」



「……場合によるわ」



「……私の事、許してくれる?」



「……それも、場合によるわね」



「…………私の事、嫌いになる……?」



「……それは、絶対に無いから、其処だけは、桃には安心して欲しい」





ありがとう。





そう言って笑み、桃はスルリと私の腕から自身の腕を解いた。



「どうするの?」


私の言いを受けて、桃は大袈裟に肩を竦めて見せる。


「冬乃は、もしかしたら怒るかもね」


ポケットから取り出され、私には投げ渡されたのは飴玉だった。


小袋で包装された、イチゴ味の可愛らしい、飴玉。




「……なるべく、私に怒られない様にね」




「分かってるよ。冬乃の事は好きだけど、怒られるのは好きじゃないんだ」




言って、やはり桃は笑顔で応えた。





◆ ◆ ◆


大切な事はいつだって自分で決めてきた。

友達はいるし、みんなは大切だ。

だけど、相談したりする事はあっても、それが私を決定付ける事は、あまり無かったかも知れない。

事が好転するにしても暗転するにしても、それは結局自分だけの事だったから。


そう思ってたけど、なんとなく、今は違う気がする。


ハルちゃんやサヤちゃんは友達だ。

他のみんなとだって仲は良い。



それで言うと私にとって、冬乃は、彼女の位置付けは何処なのだろうか?



友達というには彼女の事を好き過ぎている。


じゃあ、冬乃は私にとって恋人なのか?


恋人で良いのか?



お互いに好いてるという感覚が恋人だというのならそうなのだろうけれど、私は冬乃とキスをしたいと思った事は無いし、いやらしい事をしたいとも思えない。


ただただ、彼女の事が大切で、好いてるという事、好かれているという事、その事実だけが、今私と冬乃の間にはある。



だから、冬乃には予め言っておいたのだ。




『考えがある』と……。




昼休み。

保健室から足早に教室へと戻って来ると、やはりハルちゃんはいなかった。


サヤちゃんと奥海さんはどこか気持ちが沈んでいて、ハルちゃんを心配しているだろう事が伺える。


クラスの中の全部が牽制し合っている様な、そんな、あまり気持ちの良くない空気で、そんな中でも取り分け元気なグループが、男の子のアイドルに熱心な子達で、少し静かな昼休み時、彼女達の話し声だけが、端々で、聞こえたり聞こえなかったりした。



「アレって誰だと思う?」



「絶対あの子だよ、ほら、F組のソフト部の子」



「B組のあの子も怪しいよね」



まるで週刊誌が報じた芸能人のスキャンダルの様に、彼女達はそれが現実では無いといった風な様子で、そうやって騒ぎ立てる。





決めていたワードがあった。





仮に私自身がソレを聞く事が無かったら、何もしないでいようと、そう決めていた。

私の耳がソレを拾わない様に願ったし、誰もがその名を口にしない事を願いもした。


けれど、そんな願いなんてものには縋れる筈もなく、神様は居ないし、結局決めるのは自分で、そうするのも自分しか居ないのだ。



「やっぱりさ、アレって私は『安西さん』だと思うんだよね」



だから、私はソレを拾ったら、発した子に直接言ってあげると、決めていたのだ。






「アレって、私だよ?」





発した子の席まで歩み寄り、眼前に立ち、少しだけの笑みを浮かべて見せ、猥談で盛り上がる彼女達に向けてそう発してやると、彼女達からは笑みが消え、教室内は不思議な感じに静まり返り、廊下や他クラスから聞こえる談笑の声が聞こえてしまえる様な。


だから、これは私の自己満足なのだ。


ハルちゃんは怒るし、サヤちゃんも怒るし、冬乃もきっと、怒るだろう。



正しいかどうかは二の次で良い。



でも、私だって冬乃の事が好きなんだし、実質本当ではあるでしょ?




「他の人がどうかは分からないけど、あの新聞部のやつに書いてあったのは、私の事だよ」



言うと、彼女達は聞いた事も無い様な声色でキャーキャーと騒ぎ立て、それが面白いのか何なのか、矢継ぎ早に質問を投げてよこして来る。



嘲笑の目色、忌避の目色、拒否の目色、好奇の目色。



こんなものに、私の大切な友人を晒す訳にはいかないのだ。



投げられる質問には答えない。

そもそも矢継ぎ早過ぎて一つも拾う事が出来ない。


けれど、その中でも、唯一答えようの思っていた問いがあった。

これには、絶対に答えなければならない問い。




『相手は誰なのよ??』




私は、言いを返す。






「それは、絶対に教えない。教えたら、貴女達あの子の事も笑い者にするでしょ? そうやって興味本位だけで取り囲むでしょ? だから、教えない」


私ね、冬乃の事が好きなの。


「私ね、あの子の事が好きなの。だから、私の大事な人の事、虐めないであげて」







私の言いを受け、彼女達の言葉は止まった。



あぁ、サヤちゃん。

そんな顔をしないで。

奥海さんも。

別に、私はなんでもないんだから。




唯一、私が今思う事で、神様に感謝しなければならない事がある。






あぁ、本当に、今この場に、ハルちゃんが居なくて、本当に良かった。






ありがとう神様。





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