第18話 安西春真の鼓動
……如何して、そっとしておいてくれないの……?
◆ ◆ ◆
少し遠出しよう。
千里からそう連絡があったのが、12月23日の正午を過ぎたくらいの頃。
泊まりじゃ無いわよね?
と、私がそう聞くと、千里は『泊まりだったらどれだけ素敵かとも思うけれど、今回は日帰りにしておきましょう』と、片眉を上げて、口元だけで笑んだキャラクターのスタンプが返ってきた。
冬休み中は特別やれる事も無かった。
白海坂はアルバイトをするのに担当教師の許可が必要だし、休み中の課題もそう多くない分量だったし、本当にただ、年末と年始を学外で過ごす為だけの休みという位置付けになってしまっている。
美術部の先輩に話を聞いてみた限りで、アルバイトに関しては結構無許可でやっている人も多い様だけれど、私はまだ高等部の一年生なので、そこまで肝が据わっている訳でもない。
なので、冬休み初日と二日目を怠惰に過ごした後の23日。千里からそうやって誘いがあった事は素直に嬉しかったし、彼女に会う口実が出来たのも嬉しかった。
持ち物は色鉛筆だけで良いというので、絵の具用の画材は持たなかった。
半年前に買った十二色の色鉛筆は、もうどの色も最初の長さの半分くらいしかない。
先々週に千里の方を見せて貰った時、彼女の青色の色鉛筆は、如何にか正規の持ち方でやっと持てるくらいの長さしか残されていなかったのを覚えている。
日帰りで、少し遠出。
場所の見当は全く付かないけれど、色鉛筆だけ持って行くという事は、何かしらを描きに行くという事だろうか。
次の日の朝十時に駅前で待ち合わせる約束をして、その日は連絡を終えた。
なんとなく楽しみで、なんとなく千里の考えてる事が読めずにモヤモヤとしてる。
そう言えば、明日は24日なのか。
クリスマスは、毎年沙耶と桃の三人で過ごしてたけど、今年は千里と過ごすのかな?
夜、布団に入ってそう考えると、少しだけ心臓が熱くなるのを感じた。
◆ ◆ ◆
24日。
いつもより少しだけ早く起きて、いつもより少しだけ少ない朝食を食べ、いつもより少しだけ長くお風呂に入り、いつもより少しだけ着飾って、いつもより少しだけ余裕を持って家を出た。
空は快晴で、12月の冷たい気温は、太陽光で少しだけ緩和されている気がする。
九時五十分に駅前に着くと、既に千里はそこで私を待っていた。
「おはよ。待った?」
「全然」
言って、千里はマフラーの首元を少し緩めて笑んで見せる。
彼女は長い髪を束ねていた。
彼女が髪を束ねているという事は、今日は絵を描くという事。
それならば事前に言っておいて欲しいと思ったけれど、持ち物が色鉛筆だけという事だったので、事前に言われていてもそれ以上の準備は何も無かっただろうと思い至った。
最近はこういう事が多い気がする。
千里に言われ、私がその深部を知らないままで従うと、何かしらの企みが千里の中で進行していたりするのだ。
この前なんかはいつの間にか猫カフェを三軒ハシゴさせられていた。
「少し遠出とは聞いてたけど、今日は何処に行く予定なの?」
朝十時に集まって出掛けるからには中時間の移動も覚悟しなければならない。
けれど、千里は特にそういった素振りを見せる事もなく、「はいこれ」と、私に電車の切符を渡してきた。
「切符?」
問うてはみるが、駅集合なので電車に乗るのは少し考えれば明らかだろう。
「行きは私が出すけど、帰りは自分で買ってね」
千里はそう言って薄く笑んで見せる。
切符は、此処から駅五つ先の街を記していた。
電車で大体二十分。
それなら別にお昼過ぎからでも良かったのではと思うけれど、それは聞かない事にした。
「それじゃあ、出発しましょうか。春真ちゃん」
「……なによ『ちゃん』って」
先を歩く千里は答えなかった。
なんだかんだで、最近千里に振り回されるのは、少しだけ楽しいのだ。
◆ ◆ ◆
「春真は何が好き?」
「クラゲとかかな?」
答えると、千里は凄く意外そうな顔をして「何で何で?」と執拗に言いを投げて来た。
「もっとさ、イルカとかペンギンとかにしようよ! そっちの方が可愛いよ!」
「可愛いか如何かって言われたらペンギンの方が可愛いけどさ、好きか如何かって聞かれたら、やっぱりクラゲとかかなぁ」
「えー、何でよ?」
「見てて面白いから」
大水槽の中で優雅に泳ぐジンベイザメを色鉛筆でスケッチしながら、私と千里はそんな会話をした。
千里が先を歩き、私がその後ろを追い、連れて来られたのは水族館だった。
圏内での有名度は上から数えて三番目くらい。
水族館がそんなにいくつも点在しているような施設ではないので、つまりはあまり有名ではないという事。
それでも大水槽は他の有名どころとは引けを取らないし、飼育されている種類もそれなりに豊富だ。
何がこの水族館を其れ程有名ではないと足らしめているかというと、それは偏に立地の問題だろう。
都心に近い水族館の方がアクセスはし易いし少し足を伸ばせば遊ぶ所は沢山ある。
だから、本日私達二人が来たこの水族館。
クリスマスイブだと言うのに、来館者はあまり多くない。
近場から来る家族連れとか、老夫婦とか、友達同士とか、カップルとか、そういった人達をちらりほらりと見掛ける程度。
そのお陰で、私達はこうして水槽の前の段差に腰掛けて、千里から手渡されたスケッチブックを開き、サカナ達や海の生き物をスケッチする事が出来ている。
私と千里は、周りの人からどう見られているのだろうか?
ただの友達?
親友みたいには見えるだろうか?
流石に姉妹には見られないだろうけれど……。
ちゃんと、恋人同士に、見えているのだろうか?
ちゃんとそう見られたいという欲求があるのに対して、そう見られてしまっていたらどうしようという恐怖もある。
私は、私に……。
千里はどうあって欲しいのだろうか……?
「描けた? ジンベイザメ」
「描けたよ。そんなにちゃんとは描けなかったけど。あの子動くし」
「っはは。そりゃあそうだ。だってあの子生きてるんだもんよ」
そう言って千里は少し声を出して笑った。
圏内で一番の有名どころな水族館だったらそれすらも偲ばれるところだっただろうけれど、幸いにもここはあまり有名ではない水族館。
多少のお話しなら誰も咎めない。
「じゃあ、次の水槽に行こう。今度はなんだと思う? 春真の好きなクラゲかな?」
「ちょっと、一体どれだけ描く気なのよ?」
問うが、千里はにへっと笑っただけで答えない。
……答えないというか、この水族館に着いてスケッチブックを渡された時、私はその答えを既に聞いていた。
『今日は、このスケッチブックを全部埋めるよ!』
『全部埋めるって?』
『最後のページまで描き尽くすって事!』
まさか本気だとは思っていなかったけど、もう既にスケッチブックは三分の一程を消化している。B5サイズのスケッチブックではあるけれど、これを全部埋めるとなると、なかなかの根気が必要だろう。これは本当に一日中水族館にいる事になるかも知れない。
全く、絵を描くのが好きじゃなきゃやってられないわ。
その後も、私は千里とペンギンを描いた。
イルカのショーを描いて、チンアナゴを描いて、クマノミを描いて、クラゲを描いた。
クラゲの水槽で少し浮かれると、千里にはニヤニヤと嫌な笑い方をされて、私は何だか恥ずかしかったけれど、それと同じくらいには嬉しかった。
「クラゲってどうやって生きてるの?」
千里の問いに私は「知らないよ」とだけ答えて、色鉛筆をスケッチブックに走らせる。
「変な生き物だね」
「変な生き物なんて沢山いるよ。どうやって生きてるかは分からないけど、それでもクラゲは生きてるし、ふわふわ飛んでるみたいに泳ぐ様子は綺麗で、見ていて飽きない」
そういうもんかねー。
そう言って千里はクラゲの水槽を見遣る。そうして「……あー、でも、見てて飽きないってのは、何となくわかる気がする」と笑みを浮かべて見せた。
◆ ◆ ◆
「結局最後までは埋まらなかったねぇ」
「……そりゃあ、流石にねぇ」
水族館を出て、少し喫茶店でお茶をして、気持ちばかりの雰囲気的なケーキを食べ、待ち合わせた駅まで戻ってきた頃には夜の八時を回っていた。
雪こそ降っていないものの、辺りにはクリスマスムードが強く浮き出ていて、街行く人達の足取りは何となく軽く、カップルは多く、親子連れのお子さんはそれぞれに包装されたプレゼントを持ち、イルミネーションが夜を明るく照らし出している。
「大分寒くなってきたね。あんた寒くない?」
千里に問うと、「まぁ、寒いけど、我慢出来る程度かな」とマフラーを巻き直した。
クリスマスに水族館。
好きな人と一緒に。
うん。何の間違いも無く、充実した一日だった。
嬉しい一日だった。
そもそも、私はもう千里と居られれば、千里と絵を描ければ、どこでも何でも楽しむ事が出来るようにはなっている。
この半年が私をそうさせた。
……ただ、惜しむらくは――。
「……プレゼント、何にも用意してなくて、ごめんね」
「ん?」
私の言いに、千里は首を傾げた。
「……私、これまでそういう機会が無かったから、クリスマスにプレゼントあげる習慣とか全然無くて。こういうイベントって、ほら、沙耶とか桃とか、友達と集まってもクリスマスプレゼントとかあげる様な事も無かったからーー」
本当に、盲点だった……。
「千里は水族館に行こうって言ってくれたのに、私は何にも――」
「いや、春真。プレゼント交換しようよ」
…………へ?
「……いや、だから。私、千里に何にもあげられる物無いよ」
言うと、千里はやはり、どこか悪戯っぽく、笑んで見せ……。
取り出されたのは、一冊のスケッチブックで、それは、今日私達が、水族館で一日粘って、全てのページを埋めようとしたソレで……。
「メリークリスマスだよ」
プレゼント交換しようよ。春真。
言って、千里は頬を紅く染めた。
それが冬の冷たい風に当てられたものでは無いことを、私は理解している。
その頬の紅色は――。
「全部のページは埋まらなかったけど、残りのページはまた来年のクリスマスで良いかな? 今度は動物園にする? それとも、何処かの風景画にする?」
…………。
鼻の奥がツンとする。
目の奥が熱くなって、心臓がドキドキして、自分の頬が紅くなるのが分かって。
私は、千里を独り占めしたくて。
だから、目の前の彼女を抱き締めた。
「……こういうことするから、あんたの事が嫌いなのよ……」
「私は春真のこういうところが好きかなぁ」
「……ばか」
寒いのと暖かいのをどちらも直接身体に受けて、千里の頬に触れる手が確かな体温を――。
「……何処でも良い」
「ん?」
「千里と一緒なら、何処でも行くし、何でも描く…………」
「……ばか」
「ばかは貴女でしょ……」
だから、次の12月24日も、どうか私と一緒に過ごして…………。
◆ ◆ ◆
冬休みがあっという間に過ぎ去ったのは、誰も彼もが同じだっただろう。
かく言う私もその内の一人だし、クリスマスの後、千里と一緒に行った初詣から新学期が始まるまで異様に早く感じた。
いつもと、全く同じ朝だった。
少なくとも、私にはそう感じた。
白海坂の校門をくぐり、下駄箱でクラスメイトと挨拶を交わし、自身の教室へと足を向ける。
何の変哲も無い朝だった。
その筈だった。
別にどうという事は無いと思っていたし、それが誰に知られたところで、何の問題も無いと、私はそう思っていたのだ。
……だから、私は自身の考えの愚かさを知った。
そんな気がした。
一年生階層の学年別掲示板。
普段は部活勧誘や学年への連絡事項、週内のイベント、行事などが掲示されている。
その場所に、新学期初日。
新聞部が壁新聞を掲示していた。
そこには写真こそ無いものの、見出しとして大きく文字が打ち出されており、それは大々的に取り上げられていた。
【24日 クリスマスイヴ 一学年生手繋ぎデート】
時間帯も場所も、あの日のあの時と全てが酷似していて、それが壁新聞となり、学年のほぼ全員が目を通している。
吐き気がした……。
目の前が真っ暗になった……。
千里に会いたい……。
彼女に貰ったスケッチブックの中で泳ぐ魚達が思い出される。
千里の描いたクラゲは、あんなに綺麗で優雅に、海の中を飛んでいるのに…………。
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