第17話 奥海桜子の胸中

大切なモノを、ひとつも取り零さない。そんな勇気が欲しい。


◆ ◆ ◆


「もう、今年も終わるね」

言うと、沙耶は口元で薄く笑みを浮かべて、「うん、そうだね」と、小さく言葉を返した。


二学期も流れる様に過ぎ去っていき、学園祭の後には直ぐにテストがやってきて、沙耶と過ごす日々を噛み締めていたら、いつの間にか終業式が明後日に迫っていた。


いつの間にか大切になっていて、いつの間にか凄く近くに居て、いつの間にか彼女は私にとってなくてはならない存在になっていた。


花見坂上沙耶。


「色々あったけど、楽しかったよ。駆け足みたいに感じるけど、やっぱり、桜子と居たから、全部楽しかった」


ホットココアに口を付け、イチゴのショートケーキを食み、沙耶はそう言って少しだけ頬を紅くさせた。




沙耶はココアを飲む様になった。


秋口にやはりこの場所、ライトオレンジでお茶をしている時、沙耶はコーヒーを頼んで、やはりいつもの様に執拗にミルクと砂糖で甘くしていた。

『何でコーヒーなの?』

ふと気になった。そうまでしていつもコーヒーを飲む理由があるのだろうか?

私がそう問うと、沙耶は恥ずかしそうに俯きながら、『……コーヒーの方が、カッコいいから』と、そう言いを吐き出した。


私は笑わなかった。

沙耶の気持ちも分からなくは無い。

安西さんと黒宮さんと、三人でお茶をする時、三人は決まってコーヒーを頼むのだと言う。

苦いのが苦手な黒宮さんもライトオレンジのコーヒーは美味しそうに飲むと言うのだけれど、どうやら沙耶にはまだ苦いらしく見える。

それでも、その『苦いのが苦手な黒宮さん』がコーヒーを飲んでいる手前、自分もコーヒーを飲まなければならないという使命感がある様だった。


『凄く甘くすれば、コーヒーも飲めるから大丈夫だよ』


言った沙耶の、コーヒーに角砂糖を入れる手の動きが止まらない。


なので、私は提案した。


『じゃあ、こうしよう』


『??』


『安西さんや黒宮さんと来る時は、コーヒーを飲めば良いよ。だけど、私とお茶する時は、ココアを飲んで良い。って、そういうのはどう?』


そう言うと、沙耶は数瞬だけ口を開けて呆けていたけれど、直ぐに我を取り戻して、『……じゃあ、そうする』と、顔を真っ赤にしながらホットココアを注文していた。


運ばれて来たホットココアに口を付け、『っへへ、丁度良い』と破顔して見せたのは、今でも目に焼き付いている。




そういう思い出が、約半年という短い期間でいくつもあった。

海に行って、水族館に行って、花火を見て、花火をして、一緒にテスト勉強をして、ご飯を食べて、ただ空を眺めるだけの時間を一緒に過ごしたり、頬に触れたり、おでこを付けたり、肩を抱いたり、キスしたり、舌を絡めたり……。


初めてじゃない事も沢山あったけど、初めての事の方がより多かった。


初めての恋人は女の子で、初めてのキスも女の子で、私の初めてを全て貴女にあげたい。


貴女に奪って欲しい。



「そろそろ行こうか? 映画何時から?」


私は腕時計の文字盤に視線を落とした。

薄い黄色の文字盤に白金色の針。

この時計も沙耶に貰った物で、人から腕時計を貰ったのも初めてだったし、人に腕時計を贈ったのも初めてだった。

沙耶はこれより一回り小さく、薄いピンク色の腕時計をしている。


時刻は、大体十七時半。


「あと一時間くらいだね。そしたら、もう向かってみようか」


「うん」


ライトオレンジを出て、駅二つ向こうの映画館へ。


「今日のは何て映画?」


「んー、『空飛ぶチョコレートケーキ』ってやつ」


「美味しそうなタイトルだね」


「内容はどうだろうねー」


そんな事を話しながら、私は沙耶の隣にいる事が幸せだった。


好きな人の隣で映画を観られる幸せを教えてくれたのは沙耶だし、キャラメルポップコーンの美味しさを教えてくれたのも沙耶だからだ。


◆ ◆ ◆


屋上は立ち入り禁止って知ってるでしょ?


問うと、彼女は片眉を上げて肩を竦める。そうして「えぇ、だから、秘密のお話をするには丁度良いとおもわない?」と薄っすら笑んで見せた。


「秘密の話?」


「そ、秘密の話。……まぁ、別に秘密って訳でも無いのだけれども、便宜上ね。他の人にあんまり聞かれたく無いってだけ。その方が都合が良いでしょう。私にとっても、貴女にとっても」



「……それで、何の話なの?」



「花見坂上さんの事よ」



そう答えると、星波さんの表情から笑みが消えた。




「……沙耶の事?」


「あら、名前呼びなのね」


「今更、貴女に隠したところで、でしょ?」


「まぁ、知ってはいるからね」



十二月の半ば。

星波さんに呼び出されて連れ立った放課後の屋上は風が冷たかった。


沙耶には提出物があるから職員室に行くと言ってある。

こんな嘘まで吐いて、私は彼女との時間を星波さんの為に割いている。

そうして、何の話かと思ったら、星波さんは沙耶の事だと言う。



「沙耶がどうしたの? 貴女、また沙耶に何かしたの?」


問うが、星波さんは手の平でそれを制して、「いいぇ、それは流石に無いわ。色んな子にしっかり釘刺されたし」とため息を吐き、言いを続けた。


「だから、今はもう誰にもちょっかい掛けて無いよ。今後貴女達みたいな人を肯定出来るか分からないけど、私だって新しい場所で友達は欲しいし」


「友達は出来た?」


「えぇ、良くしてくれる子達は多いわ。この前もお茶しに行ったし」


「何だ、良かったじゃない」


「おかげさまでね」


星波さんが笑みを浮かべると、一つ強い風が屋上に吹き付けた。


星波さんはそれに身震いすると、首元に巻いた大き目のマフラーをクッと口元まで上げた。そうすると、彼女の大きな瞳と赤くなった鼻頭が、その可愛らしさに拍車を掛ける。

かく言う私も寒さには強い方だけれども、今の一風には身が締まった。

コートのボタンを一番上まで閉めて、ポケットに手を入れて暖をとる。



それで、本題は?

その私の問いに、星波さんは一度頷いて見せ、「貴女と花見坂上さんはお付き合いしているのよね?」と、此方に問いを投げてきた。


「そうよ。悪い?」


「そう邪険に扱わないでよ。今私が言いたいのは良い悪いの問題じゃないわ」


星波さんは『良い』とも『悪い』とも答えなかったが、そのまま先を続けた。


「貴女達が好き合ってるなら問題は無いわ。けれど、軽率にキスしたりいやらしい事をするのは、今後控えた方が良いわよ」


「…………それは、まぁ、そうね。うん、ごめんなさい」


件のあらましをある程度沙耶に聞いていたので、ソウイウコトを星波さんに見られてしまっていた事も聞いていた。

単純に目に余る行為だとは思ったし、それは改める必要があったから、私は星波さんの言いに素直にうなずいた。

見せ付けている積りは更々無いが、それを偶然にも目撃してしまった人が不快な思いをする事もあるだろう。


けれど、星波さんは「いや、そうじゃなくてね」と、手の平をひらひらと仰いで首を横に振った。



「……? どういう事?」





「奥海さん、先月の、十一月の終わりに新しい部活が立ち上げられたの、知ってる?」






………………?


…………どういう事?





私が眉根を寄せていると、それを受けて星波さんは先を続けた。


「私、最近部活に入ろうと思ってね、色々部活見学してたんだけど、今回新しく立ち上げられた部活にも見学に行ったの」


「…………」


確かに、新しく部活が一つ新設されたのは十二月頭の朝礼で話があった気がした。

ちゃんとは聞いていなかったけれど、なんとなく覚えてはいる。


……あれは確か――。








「新聞部よ」


星波さんは言う。








…………そうだ、新聞部だ。


十一月の終わりに新しく新聞部が新設されたのだ。



部員五名以上と職員会議の可決があれば部は新設される。

朝礼時に部長の二年生の人が壇上で活動方針を演説して部員募集を呼び掛けていた。



それが、何だと言うのだ?



星波さんは何が言いたい?





「新聞部に部活見学に行ったわ。草稿も見せて貰った。どういう記事が書かれて、どういう感じで掲示されるのかも聞いた」



「…………星波さんは、何が言いたいの?」



「花見坂上さんは、危ういわよ」



………………。



………………。



………………。



…………どういう、意味?




「新設された新聞部の記事はゴシップ色がとても強かったわ。二週に一回の新聞掲載ってスパンらしいけれど、顧問もまだ付いてないし、内容は割と書きたい事書き放題みたいになってる。流石に顧問が付いたらある程度推敲されるされるだろうけれど、貴女達、滅多な事はしないに越した事無いわ」



「……沙耶が、その新聞部にスッパ抜かれるって、そういう事?」



「可能性があるって事」

星波さんは、特に感慨も無いといった風に冷静に続ける。



「男子禁制のこの場所で話題になって槍玉に挙げられるのはどういう事か分かるでしょ? 言いたい事分かるわよね?『新聞部』よ? 無い事は書かないけど『有る事は書く』って、そういう集まりよ」



普通の共学なら、何の問題も無いのよ。



そう言って、星波さんは外気の冷たさにか、今一度マフラーをキツく巻き直した。


私は、ただ星波さんの言いを聞いている事しか出来ない。


話しの着地が何処なのか、星波さんの言いたい事の核心部は何なのか……。



「共学なら、男の子と女の子がカップルで取り上げられて、周りから冷やかされて、そうやって仲を深めるか離れてしまうか。何方になったところで深傷は負わないわ。だって、それは至極真っ当なのだもの。男の子と女の子が好きあうのは、真っ当な事だから」



真っ当。


星波さんはそう言って、一瞬だけ私から視線を外した。


それにどういった意味合いがあり、彼女が何を思ったのかは、私には定かでは無い。


けれど、星波さんがそうしたのは事実だ。



「でも、白海坂は女学園で、本来ならカップルなんてものが存在する方がおかしくて、それなのに、この度新設されてしまった新聞部は、二週に一回のペースで新聞掲載するって言ってるのよ?」


「……分かった、気を付けるよ。学園内では、そういう事はしないように――」

「だから、違うって言ってるのよ」



…………?


…………違う?


…………なにが?





「私が部活見学で新聞部に行った時に見せて貰った草稿。その内容はね、『新屋先生 旦那さんとスーパーでお買い物』ってものだったわ」


「…………? それが?」


「内容としては陳腐なもんよ。新屋先生が旦那さんと、ただスーパーで買い物してるだけの、ただそれだけの事。晩御飯はお鍋で、写真にはしっかりカメラ目線でピースまで決めた新屋先生とその旦那さんが写ってたわ」


「…………だから、何よ?」



それが何だっていうの?



星波さんは何が言いたいの…………?

















「新聞部、学園外でも撮るわよ?」

















「………………え?」



それってつまり…………。



それってつまり、どういう、事…………?



「理解はしなきゃいけない。分かるわよね? 奥海さん。今後新聞部は写真部と結託するかも知れない。私にちょっかい出されたく無いんだから、当然それが新聞部でも同じでしょ? 自分達の良い人を守りたいなら、ちゃんと理解した方が良い」



私は伝えたからね。



そう言って、星波さんはさっさと屋上を後にしようとする。


私はその星波さんの背中に呼び掛け、彼女を一度引き止めた。



「――待って」


「…………なに?」



引き止めはしたけど、私は彼女に何が言いたいのだろう……。


特に何かが言いたかった訳では無いけれど、何か言わなければいけないという使命感もあった。




「……なんで?」



「…………なにが?」



…………なんで――。




「……なんで、教えてくれたの……?」



その問いが正解だったから分からない。


けれど、星波さんは一度肩を竦めて見せ、私の問いに答えてくれた。

答えてくれたという事は、その問いは、きっと正解だったのだろう。




「貴女達の事は、別に好きではないわ」




だけど。




「肯定も否定も、どちらもされないっていうのは、……なんだろう、案外心地の良いものだったのよね」




言って、今度こそ星波さんは屋上を後にした。


その言葉の意味は分からなかったけれど、なんとなく星波さんの表情が柔和に見えたから、私は今日聞いた事を信じようと思った。


◆ ◆ ◆


「映画、面白かったね」


「うん、結末も伏線が効いてて良かったよね。最後の飛行機と」

「あーダメ! まだ観てない人が居るかも知れないから!」


映画館内。

入れ替わりで三十分の後には今日の最終上映が開始される。

館内はざわざわと其処彼処で沢山の人がお喋りしているけれど、沙耶の言う通り、これから観る人が偶然にも私達の会話を耳にしてしまう事があるかも知れない。


「っと、そっか。あとで二人きりになってから総評しよう。特に結末部分は今日中に誰かと話したい」


「お相手は私で良い?」

言って、沙耶が可愛らしくシナを作るので、私は「勿論ですよお姫様」と冗談っぽく答えて片眉を上げてみせた。


「んふふ、やった」

沙耶は笑みを表情に浮かべ、少し浮き足立つ様な歩幅で歩き、私と手を繋ごうとしてくる。

















『新聞部、学園外でも撮るわよ?』

















「…………如何したの? 桜子?」

…………問われ、私は我にかえる。


「――っと、ちょっとそこに、何か虫が飛んでる様に見えて、咄嗟に手が出ちゃった」


苦しい言い訳。

けれど、沙耶はそれ以上の事は聞かずに、「あー、冬でもいるよね。ちいちゃい虫」と、薄い笑みを浮かべた。



沙耶と付き合って七ヶ月。

沙耶が私の心中に気付いている事は分かったし、沙耶は私の苦しい言い訳にも気が付いている。

そして、私のその行いが如何言う事だったのかも、きっと察しがついているだろう。




私は沙耶の差し出した手を避けた。

差し出された手を振り払った。




私は何が怖いのだろうか?



沙耶との関係をみんなに知られるのが怖いのか?



沙耶を失うのが怖いのか?






今度は、私から手を差し出した。


手はしっかりと握り返され、指を絡められて、彼女の小さな手の平の感触が私にそれを感じさせる。


ほんの少しだけ汗ばんでいて、ほんの少しだけ震えていて……。



「日が落ちると、もう外は凄く寒くなっちゃうね」


言った沙耶の顔はほんのり紅く色付いていて、眉は微妙にハの字になっていて……。




「……ごめんね、沙耶」


「別に、私気にしてないよ?」


だって。


「私、桜子の事、ちゃんと好きだもん」




沙耶は優しい。




私は沙耶を守っている気でいる。




けれど、きっとそれは違う。




本質として、きっと……。





私は沙耶に守られている。







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