第15話 殻梨千里の覚悟
絶対に許さないから。
◆ ◆ ◆
何故そんな事をしてるのかと問うたら、彼女は貴女も女の子が好きなのねとそう言いを吐き、私の質問には答えなかった。
「へぇ、人が来たのは初めてだな」
「そりゃあそうだよ。だってここ、立ち入り禁止だもん」
あからさまに驚いた様な表情を作って見せる星波さんに、私は至極当たり前の事を言って返した。
白海坂の屋上は、特別な許可がない限り立ち入りは禁止なのだけれど、施錠がされている訳でもなく、屋上の扉への階段も簡単な仕切り板があるだけで簡単に乗り越えたり潜ったり退かしたり出来る。
屋上に出ようと思えば出られるのだけれど、そこは生徒への厚い信頼でこういった処置になっている様だ。
なので、これまで生徒が屋上に出たという事件や屋上での事故等は、学園設立以来一件も報告されていないとの事。
きっと教師の方々にはバレているし、幾つもの前例が黙認されているのだろうけれど、取り敢えずとして、前例は一件も報告されていない。
「星波さんは、こんなところで何をやってるの?」
私はイーゼルと画板を設置する作業の傍ら、さして興味の無さそうに振舞って、彼女にそう問う。
それは星波さんに感付かれたところで隠し通せたところで、別にどうでも良い事で、重要なのは彼女と話をする事なのだ。
春真には先日『興味が無い』と返してはいたけれど、彼女の件はもう『興味が無い』では済まされない。
私にも、自身と春真を守る理由と意味があるからだ。
「私は、……そうね、別に何も。ただここで、何もしないで、空を眺めたりしているわ」
「……そう」
一見すると、星波さんが『そういう』嫌がらせをする様な子には見えない。
高場さんの一件から近隣クラスで星波さんの事を色んな子に聞いて回ってみたけれど、悪い印象を持った様な子は誰もいなかった。
星波さん? 可愛らしいよね。喋り方も上品だし。
一昨日ネイルしてもらった! 凄い上手なの!
なんか、お弁当手作りらしいよ?
なんとかってゲームが凄く強いらしいよ。私は知らないやつだけど。
ふにゃって笑う感じが可愛いかな。
彼女に悪印象を持つ子はついに現れなかったし、遠目で彼女を見ていても、特に変な様子や印象を受ける事も無かった。
ともすれば、もしかしたら本当に可愛いだけの編入生なのかも知れないと思えてしまう程に。
……けれど、それが事実でない事を私は知っているし、少なくともあと二人、花見坂上さんと高場さんも知っているし、もしかしたら、もっと他にもその事を知っている子がいるのかも知れない。
「それで、そういう貴女は何で屋上に来ているの?」
「見れば分かるでしょう? 絵を描きに来たのよ。美術部なのよ。私」
言って、「ごめん、そこの夕陽で色を塗りたいから、少しだけ横にずれられる?」と続けてお願いすると、星波さんは「えぇ、良いわよ」と、特に躊躇う事もなくその場所を明け渡してくれた。
画板に向かい、絵の具を溶かし、夕陽の色を確かめ、目の端には星波さんをしっかりと捉えている。
今日、春真と一緒じゃなくて良かった。
いつもより少しだけ早く美術室に着いて、自分の描き掛けをひったくり、春真に気付かれる前に屋上に来て良かった。
そもそも、今日屋上に星波さんが居た事も偶然といえば偶然な気もする。昨日、一昨日と、放課後に屋上へ上がる星波さんを見ていた子が居たから、三日連続はどうだろうと思ったけれど、意を決して良かった。
この事を知ったら、春真は怒るだろうか?
怒るとしたら、何に対して怒るだろうか……?
「星波さん」
「なんですか?」
夕陽の色を塗りたいのは本当だ。
屋上へ来たのもその理由に過ぎない。
だから、私のこの星波さんに対する言いは……。
「高場さん、泣いてたよ」
「へぇ、泣いちゃったんだ。高場さん」
私の言いに、星波さんは動じない。
動じないし、悪びれる様子も無い。
あくまでも、私の視線は画板と夕陽の色へ。
そして、星波さんは、視線をグラウンドの方へ。
斜陽とそよぐ風でなびく二本のおさげで顔はよく見えないが、星波さんは表情を消しているだろう事が伺える。
少しの間を置いて、星波さんはどこか気だるそうに口を開いた。
「確か、高場さんの良い人は瀬尾さんだった筈だけど、貴女、瀬尾さんじゃないでしょ?」
「殻梨です。美術部で、高場さんとは同級で同じクラスで、部活も同じ。よろしくね」
言うと、星波さんは「えぇ、よろしく」とあっさり答えた。
あと二十分もすれば夕陽は完全に落ちていってしまうだろう。
空の色がどんどん黒の割合を増やしていき、オレンジ色がその行き場を徐々になくしつつある。
「何でそんな事してるの?」
問うと、彼女は一瞬だけ固まった様に動きを止め、そこから瞬時に何かを悟ると、大きく、一つのため息を吐いた。
あからさまに肩を落とし、グラウンドに向けていた視線をずらすだけで私へと投げる。
私はというと、依然として視線は画板へ。
「貴女も女の子が好きなのね?」
「何でそう思うの?」
「ここが女子校だから対象が居ないだけ? それとも、元からそうな訳?」
「さぁ、どうだろうね」
私の問いには答えてくれるの?
聞くと、星波さんは「まず、私の問いに答えてるくれるなら」と、自身の我を通しにきた。
私は大丈夫だ。
問題無い。
私の春真は傷付かないし、私は春真で傷付かない。
「私は女の子とお付き合いしてるわ。私の場合は、……そうね、女子校とか、そういうのは関係なかったと思うな」
「何で女の子を好きになれるの? 同性なのに、何の進展も無いわよ? 世間に認知されないし、この国ではきっと永遠に認められないわ」
「それなら、将来的に海外に行くしか無いねぇ」
言って、私もまた視線だけを星波さんへと投げて返した。
「多分ね、私は、私の彼女が女の子だとか男の子だとか、そういうのは問題じゃなかったと思うんだよね。自分となんとなく感覚の似てるあの子だったから、私は彼女を好きになったのかも知れないなぁ」
「……なにそれ。自分と似てるからとか、結局自分が好きだって事? 馬鹿みたい」
「自分の事が好きじゃなきゃ、相手の事なんて思いやれないわよ。私は、彼女の好きな相手なんだから」
貴女に、この感覚、分かるかしら?
「……気持ち悪い」
星波さんはそう言って表情を蹙めた様だけれど、私はそれを見て少しだけ笑んで見せた。
「最も重要なのは『覚悟』よ。星波さん」
「…………」
「あの子を守るのも覚悟だし、あの子を大切にするのも覚悟。あの子を好きになるのも覚悟だし、あの子に好いてもらうのも覚悟。それで、覚悟には相手が女の子だとか男の子だとか、そんなのは関係無いわ」
星波さんは答えない。
私は、言いを続ける。
「私ね、彼女の事が好きなのね。彼女の笑顔を全部独り占めしたいし、彼女の嫌がる顔も少しだけ見たいし、貴女なんかに見せてやらないわ。それに、あの子の泣き顔なんて、誰にも、私にも見せてやらないんだから」
だからね、星波さん。
「私の彼女にちょっかい出したら、許さないからね」
絶対に許さないからね?
「…………」
星波さんは答えなかった。
ただただ口を固く引き結んで、視線だけで私を睨み付けてくる。
夕陽がもう霞んでしまう位に地平の向こうへ姿を隠してしまったので、今日の着彩はここまでだった。
通常生徒の完全下校時刻まで、もうそれ程時間は無いだろう。
「私の答えは、こんな感じで良いかしら?」
今度は、私の問いに答えてもらうわよ?
言うが、星波さんは、動じない。
「花見坂上さんと、高場さんと、他にも、貴女が誰にちょっかい出したか分からないけどね――」
何で、そんな事を、してるの?
星波さんは動じない。
しかし、星波さんは答えた。
「…………そんなの、貴女に、関係無いでしょ」
吐き捨て、星波さんは足早で屋上を後にした。
釘は刺したが、これから星波さんがどうするかは分からないし、それを決めるのは星波さん自身だ。
星波さんの背中を完全に見送った後、私はイーゼルを畳み、大荷物を持って屋上を後にし、美術室へ戻る。
そこには、ずっと待っていたのだろう春真が木椅子に腰掛けており、私の姿に気が付くと同時に、どこか安心した様子でパタパタと歩み寄ってきた。
「鞄があったから、まだ校内には居ると思って。待ってた」
十一月の教室内で、暖房も付けずに待っていた春真の鼻頭と頬は、薄っすらと紅く染まっていた。
「あー、寒かったでしょ。ちょっと色々寄るところがあって、待たせちゃってごめんね」
温かくして帰ろ。
言うと、春真は可愛らしく一度頷いて見せる。
最も重要なのは覚悟だ。
私が春真を悲しませない覚悟と、私が春真の事で悲しまない覚悟が重要なのだ。
私には、安西春真と共に歩む覚悟がある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます