第14話 殻梨千里の判断

貴女の笑顔を守るのは私。

貴女の笑顔が欲しいのも私。


◆ ◆ ◆


最近、沙耶の様子がおかしい。


そう言われて、私が「どんな風に?」と問うと、春真は筆洗に筆を沈めて、「理由は分かってるんだけど……」と、少し思案してから先を続けた。


「三日前に、うちのクラスに編入生が来たの、知ってる?」


その話は知っている。

私のクラスでもある程度は話題に上がっていたし、物珍しさで野次馬に行った子もいた。

基準より可愛い子だとうい噂も上がっていたので、それはどこのクラスでも顕著だっただろう。

……というか、何を基準にしての可愛い子なのかという事も問題ではあるとだけれども。


「ん、知ってるよ。何さんだっけ?」


「星波さんだよ」


「あぁ、星波さん。うん、なんとなく名前は聞いてたかも知れない」


「……あんまり興味無いでしょ?」


「星波さんについてはね。花見坂上さんの事は心配ではあるけど、結局星波さん自体は他クラスの子だから。名前と顔すらまだ一致しないよ。そもそもまだ編入してきて三日目でしょ?」


「……まぁ、それはそうだけど」


春真は筆を止めているけれど、私は依然として筆を動かし続けている。


放課後のこの時間でしかこの澄んだ夕陽の色が空に出て来ないのだ。

十一月という日付がこの夕焼けをどれだけ継続させてくれるか分からないし、そもそも晴れの日がずっと続くかも分からない。

花見坂上さんの様子がおかしいというのは確かに心配だけれど、星波さんについては今のところあまり興味が無い。なので、私の中では、今この時、美術室から観られるこの夕焼けの色の方が優先されるのだ。


「それで、その星波さんと花見坂上さんが、一体どうしたの?」

問うと、春真は一層神妙な顔つきとなる。

横目で見ていてそれの判別が付いてしまったので、さしもの私も一度筆を止めた。


「星波さんが編入してきてから、沙耶の様子がおかしいんだ……」


「へぇ。それじゃあ、星波さんが理由で、花見坂上さんの様子がおかしい、と。そういう事なのね?」


「……最近ね、お昼ご飯、四人で食べてるの」


「話の流れから察するに、春真、花見坂上さん、黒宮さん、星波さん、と、その四人でお昼ご飯を食べてると」


春真はその私の言いに一度首肯してから、先を続ける。


「今日のお昼も四人で食べたんだけど、なんだか沙耶がやたら星波さんの事を気にしている様な……」


「気にしてる?」


「星波さんに話し掛けられる度にびくびくしてる気がするって言うか、それなのに何か観察してる様でもあるって言うか、兎に角、何かおかしいのよね」


びくびくしてて、それでいて観察してる様でもあって……。


「花見坂上さんは星波さんの事が好きなんじゃないの?」

「それは無いよ」


春真からの返答には間髪が無かった。


本当に、私のその特に何の変哲も無い様な、言って仕舞えば『そういう事もあるんじゃ無いの?』程度の問いに対して、春真の返答には一刹那程の猶予も無くて……。


「……言い切るねぇ」


「沙耶には、ちゃんと好きな人が居るのよ」


「へぇー」


それは初耳だった。


ただ、それもその筈で、春真とは他の子の色恋沙汰みたいな話をした事がない。

私達がしている専らの話の内容といえば、何処の湖が写生ポイントだとか、今度の休みは何処に行って絵を描こうとか、あそこのメーカーの絵の具の色合いが良いとか、誰々の個展の評判が良いとか、そういう話ばかりだ。


だから、今日だって、春真からこんな相談を受けるのは久し振りというか、初めてと言ってしまっても過言では無いと思う。


「花見坂上さん。そっか、好きな人居るのか。なに? どんな男の子? カッコいい感じとか?」


春真、見た事あるの?


そこまで言うと、春真は少し黙って目を瞑った。

寝ているでも無く、何か考えるでも無く。


それを見て、なんとなく予測が付いた。




春真を知ってから一年と半年。

春真と知り合ってから半年。

春真と好き同士になってから、やはり半年。


半年は長い様で短い様な、そんなあやふやな期間だけれども、彼女のそういう様子が何を意味しているのかとか、そういう彼女の雰囲気は、少しずつ分かる様になってきた。


最近は、春真にも私の気持ちが筒抜けになっている時が多々ある。

少し勘弁して欲しい時もあるけど、そういう事が、何だか嬉しいと感じる時もある。




「うちの学園の娘?」


問うと、春真は目を瞑ったままで一度首肯した。


「難儀だね、女の子を好きになるなんて。世間の目はまだまだ冷たいよ。きっと理解なんてされないしさ」


「……でも、私も千里の事が好きよ? これってやっぱり難儀な事なの?」


「難儀だよ、花見坂上さんも。春真も、私もね」




キスしようか?




唐突な私の申し出に、春真は顔を真っ赤にして、上げていた顔を再度俯けた。

その仕草と表情と、顔を真っ赤にした彼女の心が、とても可愛くて――。


「……夕陽の時間、終わっちゃうよ?」


「良いよ。今はなんとなく、絵を描くより春真に触れたい」


「……ばか」



俯けられた春真の顔を顎から少し持ち上げると、彼女は耳まで真っ赤にして、目を少し潤ませている。


「何で泣きそうなのよ?」


「……なんでもない」


「……いや?」


「――っ違! ………………。恥ずかしいの……」

言って、春真は少しだけ視線を逸らす。


春真は何度キスしても、いつまで経っても恥ずかしがるし、いつまで経っても顔を真っ赤にして緊張する。

そういうところが可愛くて、そういうところが愛おしく思う。


「可愛いよ、春真」


「……知らな――」


言いを終える前に唇を奪うと、春真の目の端から涙が溢れた。

キュッと目をつぶり、躊躇いがちに私の腰元へ腕を回して来る。



「――っぷぁ……」



何十秒程か、唇を離すと、春真は私の肩に顎を乗せて「……急には反則だから」と、そう耳元で囁かれた。


「急にではないんだけどなぁ」


「……でも、びっくりしたの」


「急にって言うのはこういうのだよ」

言って、私は春真の耳の輪郭へ舌を這わせる。すると、彼女は肩を少し震わせて、甘く声を漏らした。



「――っん……、んっぁ…………」



肩を押されて逃れられるかとも思ったけれど、予想に反して春真は自身の腕に力を入れ、私の腰を引き寄せる様にして身を震わせている。


「気持ち良い?」


「……んっ、……っわか、んない……よ……」


「もう少しして欲しい?」


「…………知らないわよ、……バカ」


返事を聞いて、私は春真の髪を優しく撫でた。



花見坂上さんの事は心配だけれど、現状私の出来る事は無いし、星波さんの事もよく知らない。きっとこの件は私が蚊帳の外にいる内に終息するだろう。


と、私の腕の中で顔を赤くして身を震わせる春真を愛おしみながら、そう思っていた。


◆ ◆ ◆


それが間違いだったと気付かされるのは、星波さんの話を春真から聞いてから一週間の後の事。


その日は部活が自由参加で、完全下校時刻まで校内での自由写生となっていた。


美術室から部員は出払ってしまっていたが、私は矢張り、美術室内で件の夕陽の時刻を待っていた。

運動部の活動も多くなく、いつもより声の数が少ない気がするし、吹奏楽部の音量も小さく聞こえる。

春真は委員会で、部活が出来てもそうそう長くは出来ないだろう。

あと総計で三時間も掛ければ夕陽は塗り終わるだろう。だから、今日はある程度完成まで近付けて、春真と一緒に下向出来ればそれで良い。


そう思っていた矢先だった。


美術室に入ってきたのは、同級で同じクラスで美術部員の高場さんだった。


小柄で、ちょこちょこと可愛い絵を描くのに、立体物になると途端にスケールが大きくなる、造形の鬼神みたいな、なんとも可愛らしい子。


そんな彼女が、少し虚ろみたいな表情で室内に入って来るや、私が一人なのを見て、急にボロボロと泣き出して床に膝を付いたのだ。


「――えっ、ちょっと! どうしたのさ⁉︎」


問うても彼女は喉を鳴らして泣き続ける。

溢れる涙が彼女の制服やら床やらをだくだくと濡らし続けて、なんとか宥めて落ち着く頃には十分程が経っていた。


背中をさすり、肩を抱き、ようやっと高場さんの口から出た言葉が「星波さん」だったので、私はギョッとした表情と言葉を隠すので精一杯だった。それがちゃんと隠せていたかも微妙なところだった。


「星波さんに何かされたの?」


「……急に呼び止められて、はじめ、瀬尾さんとの事をみんなにばらすって、言われて……」


瀬尾茜さん。

同級で同じクラスの吹奏楽。

高場さんとお付き合いしているけれど、その事はみんな知っている筈だ。


「……なんか、茜ちゃんとキスしてるところ、見られてたみたいで……。でも、私、別に隠してないって言ったら、……そしたら、星波さんが――」




気持ち悪いって。


続く訳無いって。


何がしたいのかって。


不毛だって。


何も無いって。


だだいやらしい事がしたいだけだって。


瀬尾さんもどうとも思っちゃいないって。


つまらないって。




「……私も茜ちゃんも、ちゃんと好き同士だって言ったら、『ごっこ遊びやってれば』って……。私、言い返したかったのに、怖くて、言えなくって……」


そう言って、高場さんはまたボロボロ涙を流し始めて。私はただ高場さんの背中をさする事しか出来ず、ややあって、再び高場さんは言いをポロポロとこぼし始めて――。


「……星波さんの事も、怖かったし、……私は、茜ちゃんの事、凄く、好きだけど、……星波さんの、言う通りに、茜ちゃんはって……、そう考えたら、それも、凄く怖くて……、そしたら、何も、言っ……、言い返せっ、なっくて……」


「大丈夫だよ。瀬尾さんも、ちゃんと高場さんの事が好きだから。不安なら瀬尾さんに直接聞けば良いよ。瀬尾さんの気持ちは、瀬尾さんと高場さんが一番良く知ってるんだから」


言うと、高場さんはうんうんと首肯して、少しだけ余り気味の袖口で涙を拭った。






事は、急を要する程ではない。


けれど、それは確かに如何にかしなければならない事ではある。


高場さんの言いから察するのは、恐らく花見坂上さんも、星波さんから何かそういった類の言葉を受け、嫌がらせをされたのだろうという事。


他人事ではなくなった。


私の愛する人もまた女の子だからだ。




星波志穂。




私もまた、彼女の事を知らなければならない。




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