第13話 花見坂上沙耶の恐怖

貴女以外に、触れられたくない……。


◆ ◆ ◆


放課後。


誰も居ない教室はドキドキした。


運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏の音が遠くで聞こえる。


私はまた手にした文庫本のページを一枚めくり、貴女が来るのを待ち続けている。


そろそろ、彼女が戻って来る頃だろうか?


いつもいつも、貴女が来るまでの時間は途轍もなく長く感じるのに、貴女と一緒に居る時間は恐ろしく短く感じる。


そうして、また文庫本のページを一枚めくったところで、彼女が教室の扉を開け、手を上げて私に自身を示したので、文庫本に栞を挟んで閉じ、鞄にしまった。


「沙耶、待った?」


「ううん、ちっとも」


奥海桜子。


最近の放課後は春真ちゃんと桃ちゃんとで一緒に帰る日が多かった。

毎日同じ教室には居るし、彼女の目を見て話す事も以前よりはずっと多くなった。

それでも、貴女ともっと沢山居たいと感じるし、貴女に沢山触れたいとも思っている。


「帰りはどうしようか?」

言って、桜子は私の席の正面の椅子に座り、薄く笑んで見せる。

そういうちょっとした彼女の仕草が、私にはとても愛おしい。


「本屋さんに寄りたいな。桜子は、どこか寄りたいところある?」


「私は特に。紅茶とケーキが美味しい場所なら何処にでも。お嬢様」


「なぁにお嬢様って、変なの」


「変か如何かは私が決めるんだよ。沙耶」

言うと、桜子は机を回り込んできて、私の隣に位置付くと、鼻の頭がくっ付いて仕舞うくらいのところまで顔を近付けてきた。


おでことおでこで熱を測るような、そんな親子の様な距離。


「……ここではヤだなぁ」


「それも私が決めるって、そう言ったら?」


……そう言われて仕舞うと、私には断る事が出来ない。


「……っ、どこまでするの……?」


「どこまですると思う……?」


私の答えを待たずに、桜子は私の唇に自身の唇を重ねた。


「……っん…………」


キスする様になってから、どれだけ回数を重ねただろうか?


互いの舌の柔らかさを確かめ合う様になってから、どれだけの回数を重ねてきただろうか?


甘い味とか甘い匂いとか、そういう桜子を感じる事が幸せだと思えるし、彼女とのキスは私の心をいつも満たしてくれる……。


「……っぷゎぁ」


唇が離れると、桜子は鼻の頭と頭を擦り合わせて、「……どう?」と、私に意見を求めてきて……。


「……気持ちいい。……桜子ぉ。好きぃ……」


私はそうされるのが好きで、きっと桜子はそうするのが好きなのだろう。


私も桜子にしてあげたいのだけれど、如何せんされる方が好きなので、なかなか私からしてあげられる機会が無い。

だから――。


「…………好き」


言って、抱き付き、私の体温を桜子に少しだけ分けてあげるくらいの事しか出来ない。

そうすると桜子は、「私も」と、抱き締め返してくれるので、それが私には嬉しくてーー。

やっぱり私はされる方が好きなのだろうと、つくづく感じるのだ。


「……っ、ぁん……っ」


気がつくと、私はブラウスの第一ボタンを外されていた。

首筋から鎖骨にかけて舌を這わされ、上気し敏感になっていた身体は無意識の内に、そして自覚なく声が漏れてしまう。


「……っ、ここではっ、やだよぉ…………」


1-Cクラス。

ここでエスカレートしてしまうと、罪悪感というか、背徳感というか、そういうもので身体が蝕まれてしまいそうに…………。


「ここじゃなかったら良いの……?」


薄くグロスの残った桜子の唇が艶めき、上目遣いにそう問われてしまう。


「……ずるい」


「沙耶、首筋に痕付けて良い?」


「…………ダメ」


「……ここで首筋に痕を付けられるのと、もっとイイコトされるのと、どっちが良い?」


…………。


………………あぁ。


私は、桜子の事が好きだなぁ……。



「…………ここじゃなかったら、どっちもして欲しい…………」



……顔が熱い。耳まで熱い。


桜子の顔が赤い。耳まで赤い。


「……じゃあ、まずは紅茶とケーキ、行こうか?」


「……その前に、本屋さんね」


この場では、互いになんとか自制する事が出来た。


躊躇いもあったけれど、それ以上の事もどんどん求める様になっている……。


それは桜子も、そして私も……。


残念だという気持ちを少しだけ残して、私はブラウスの第一ボタンを留めながら、そう返した。


◆ ◆ ◆


「さっき職員室寄ってきたんだけどね」


朝のホームルームの始まる前。

まだ予鈴もならない様なそんな時間帯に、1-C教室内は少しだけ騒めき立ちつつあった。

昨日の提出物を忘れていた雛子ちゃんが、朝一で高柳先生に件の提出物を渡しに行くと、其処には見慣れない顔で白いリボンの女の子が居たそうな。


他のクラスの子じゃないの?


でもでも、高柳先生と話してたし今後の事〜とか、色々話してたし。


白いリボンならまぁ一年生だよね。


じゃあ、やっぱり――。



其処まで話が進むと、みんななんとなく合点は付いていた。

朝登校してきて教室に入ると、誰の席だろうか、見慣れない机と椅子が一組、教室最後列に加えられていたのだから。


ざわざわと収まりの付かない教室内は、やがて校内中に鳴り響いた予鈴によって収束を迎える。

予鈴が鳴り終わると、まず教室に入って来たのは担任の高柳先生。そして、その後ろに続き、件の彼女が入って来た。


「おはようございます。早速ですが、今日からうちのクラスに編入生が入ります。じゃあ、自己紹介して」



編入生



そのワードに、再び少しだけ生徒間でのザワつきが出たけれど、高柳先生の「はいはい静かに」という一言と二度の手ばちで瞬時に収まりついた。

高柳先生の担任教師としての威厳がなせる技である。


編入生の彼女は一時くるりと背を向け、黒板に自身の名前を書き記すと、再度こちらに正面を向けた。


「星波志穂です。過保護な両親の転勤でこっちに越して来ました。仲良くして下さい。よろしくお願いします」


星波志穂。

大きな瞳にハッキリとした目鼻立ちが特徴的で、ぱっつんに切り揃えられた前髪に長い黒髪が二つに縛られておさげになっている。


なんとも可愛らしい女の子だった。



彼女がそう言って薄く笑むと、最後に一つお辞儀をした。

そうすると、教室内では彼女を迎え入れる様に拍手が上がった。


「はいはい、静まってー。そしたら星波さんは一番後ろの空いてる席に座って。取り急ぎホームルーム始めるから、彼女への質問だったりはホームルーム後とか授業の合間にね。クラス委員長は取り敢えず今日は星波さんのお付きで。移動とかは一緒に動いてあげて」


高柳先生のその言いに、春真ちゃんは「わかりました」と挙手し、星波さんに「よろしくね」と伝えていた。


◆ ◆ ◆


十一月の半ばに編入生がやってくる。

珍しい事ではあるけれど、絶対に無いとも言い切れない。

それに、高校時での編入生という事自体が珍しいので、その日のクラスの中心は必然星波さんとなっていた。


何処から来たの?


以前の学校はどんなところ?


部活は?


趣味は?


好きな音楽は?


映画は?


アイドルは?


そうやって矢継ぎ早に質問されるが、彼女は嫌な顔一つせず、それ等の一つ一つ丁寧に返していく。


「沙耶は星波さんに何か聞きたい事無いの?」


桜子にそう問われるけれど、編入初日の彼女を大勢で囲むのも気が引ける。

「私はまた今度にするよ。沢山で色々聞いても、星波さん大変だろうし」


「そうだね」


その流れから不意に桜子に肩を抱かれて、私は少し顔が熱くなってしまう。


と、そこで。

遠巻きに眺めていた私達に、星波さんは一瞬だけ視線を流してきて、口元だけで笑んで見せた。


周りの子たちは星波さんのその仕草に気付いた様子は無いけれど、確かに彼女は、こちらに笑んで見せたのだ。



…………どういう意味なのだろうか?



深くは考え無かったし、それに深い意味があるとも思えなかった。




一日の授業は進み、移動教室も星波さんは春真ちゃんと動くので、必然的に私と桃ちゃんもその時間で星波さんと話す機会があった。

また、そのグループ展開になると、お昼ご飯もやはり一緒に食べる事となった。


「星波さん、体育は得意派? それとも不得意派?」

サンドイッチを食む桃ちゃんがそう問うと、星波さんは少し考える様にしてから、「私は不得意派ですね」と答えた。


「あんまり、外に出て遊ぶ事も無かったですし、基本インドアだったので。身体も強くないですし」


「まぁ、運動部でもないと毎日身体動かすとか無いもんね」


桃のその返しに、「えぇ、なので次の体育も少し不安です。座学の方が好きなので。苦手意識もあるかも知れないですけど」と、星波さんは苦笑いで薄笑みを浮かべる。


私も春真ちゃんも、それにはうんうんと頷いて見せた。


昼食の後の体育は一層気が滅入る。

毎週やってくるこの時間割りにはウンザリとはいかないまでも、やはり溜息は隠せないのだ。


◆ ◆ ◆


貧血というのはいつ何処からやってくるかの予測が出来ない。


昼食後ではあるけれど、例えば急な運動だったり、前の晩ちゃんと寝ていなかったり、疲れだったり、慣れない環境だったり、そういったどれか、もしくはそれ等複数にチェックマークが付いてしまうと、簡単に足の力が入らなくなり、視界がボヤけてしまう。


結論から言うと、星波さんは体育の授業中に貧血で座り込んでしまった。


前日の睡眠時間の不足、新しい環境、周囲の気遣いによる気疲れ、と、恐らくそういったアレコレが原因だろう。

とは言え、十一月で気温も大分下がってきて肌寒くなっているとは言っても、昼食後のマラソンはやたらめったら心を削がれる。


「保健委員、星波さんを保健室に連れてってあげて」

体育の先生にそう言われ、私は星波さんを連れたって共に保健室へと足を向けた。


……そういえば、こんな事が以前にもあった様な気がする。


「サヤちゃん…………」


「ん??」


「……あ、ううん、なんでもないや……」


「うん、私一人で大丈夫だから、ちょっと行ってくるね」


保健室に向かおうというところで桃ちゃんにそう呼び止められたけれど、結局桃ちゃんは何も言わずにマラソンへと戻って行った。


一体桃ちゃんは私には何を言いたかったのだろうか??




「大丈夫星波さん? 保健室もう直ぐそこだから」


「……えぇ、私の方こそ。ご迷惑をお掛けしてしまって」


「ううん、気にしないで。引っ越しとかの疲れもあると思うし、初日って気疲れとかもあるしね」


「……えぇ、ありがとう」


道中そんな話をしている内に、漸くの事保健室へとたどり着いた。


二度のノックと「失礼します」の言いで室内へ入ると、保険医先生は居らず、ホワイトボードに『急用事職員室』と書き付けられていた。

どうやら席を外している様だ。


「少し横にならせて貰おう、先生が帰ってきたら事情を話せば良いし」


「……えぇ、そうさせて貰うわ」


保健室内は暖房が効いているけれど、少し空気が籠っている様にも思う。

貧血の子にはあまり良い状況だと思えないので、一番窓に近いベッドに寝かせて、ほんの少しだけ窓を開けた。


「寒くなったらちゃんと布団を被ってね?」


「えぇ、ありがとう。ごめんなさいね……」


「それじゃあ、私はマラソンに戻らなくちゃだから」

言うと、星波さんは「マラソン戻るの? 花見坂上さんもここで少し休んで行けば良いのに」と、その表情に笑みを浮かべた。


「んー、それも良さそうだけど、やっぱり戻るよ。授業だからさ」


マラソンは嫌だ。

走るのは疲れるし正直キツイ。

だけど、それが授業だと言われると、素直に走るしか無いと思うのが私の性格の悲しいところなのだろう。


「また後でね」


言って、星波さんに背を向けてマラソンに戻ろうとすると……。


本当に、そういう音が鳴ったのではないかと思えるくらいに――。


ガシッ!!


っと、手首を掴まれた……。



「…………星波さん?」



そう口を吐いた後、私は続く声すら出せなかった。

半身で受けると、掴まれた手首から簡単に引き寄せられ、体位置を入れ替えられ、簡単にベッドの上に押し倒されてしまう……。


声も出ないし、反応も抵抗も出来なかった……。



「……どういう事?」


両の手首をベッドに押し付けられ、殆ど馬乗りの状態にされてしまっている。


問うが、星波さんは「どういう事だと思う?」と、逆に私へと問うてきた。


「……分からないわよ。こんな事されるいわれがないもの……」


「昨日のアレはなに?」


「……昨日の? 何の事?」


「とぼけてもダメよ? 私、昨日の放課後、前日登校でブリーフィング受けてたんだから」


とぼけてもダメよ。


そんな漫画でしか聞いたことのない台詞を現実で言われるとは思ってもみなかった。

それに、星波さんに『昨日のアレ』と言われた時点で彼女にはが何を言いたいのかの察しはついていた。


……察しはついていたのだけれど、それとこの状況がどう結び付いてくるのかが分からない……。


星波さんは続ける。


「少し自由に校内を見て回って良いと言われたから放課後の時間帯に一人で歩いていたけれど、貴女達、自分のクラスで何してたの?」


「……別に、何も」


「イヤらしい」


「…………」


「イヤらしいし、常識無いんじゃない? 自分の教室で、それに女同士で」


「……星波さんには、関係無いでしょ?」


「花見坂上さん、奥海さんの事が好きなの?」


「…………」


私は答えない。


「奥海さんは、花見坂上さんの事が好きなの?」


「…………星波さんには、関係無いでしょ」


「もし私が、貴女の事が好きだって言ったら、私にもあぁいう事させてくれるの?」


「ーーっ、貴女何言ってるの?」


「昨日、声が我慢出来て無かったでしょ? 余程気持ち良かったって事?」


「〜〜〜っっ!」


私は何も答えない。

しかし、それと同時に彼女に目を合わせられない。

気丈に振る舞ってはみたものの、昨日の事を見られて、声まで聞かれていた…………。


顔が熱い……。

と、いう事は…………。




「……顔が赤いよ、花見坂上さん」




「…………もう辞めて」




そう言ってはみるものの、星波さんの私の手首を拘束する力は緩まない。

それどころか、両の手首を一つにまとめられ、片手の内で押さえ込まれて仕舞う。


私はどちらの手も使えぬまま、抵抗も出来ず、それなのに、星波さんは片方の手が空いている…………。


どういう状況か、詳しく判ずる事は出来ないが、非常に不味い状況なのだろう事は、なんとなく分かる……。


ジャージのジッパーを下ろされ、体操服の首元を人差し指で引かれる。


「可愛いブラしてるね」


「……本当に辞めて」


「……首筋、痕が付けられてないね」


「――――っっ」



昨日はあの後、ただただ普通に本屋さんに寄って、ライトオレンジで紅茶とケーキでお話をして、そのまま帰った。

だから、桜子に、そういう事をされる事、してもらう事は無かった。



「…………辞めて?」


「何が?」


「…………本当に、辞めて。お願い……」


「私が付けてあげようか?」


「…………お願い、だから……」



「どっちが良い? 選んで良いよ? 花見坂上さん」



「…………?」







「首筋に痕を付けられるのと、私にキスされるの。選んで良いよ」






「…………っ、嫌だよぉ……」







「あぁ、泣いちゃって。可愛いよ、花見坂上さん」



いつの間にか溜まっていた涙が決壊して零れ落ち、頬を伝っていた。



彼女の笑みが、怖い……。

自分が望まず、相手の意のままにされようとしている事が、こんなに怖い事だと思わなかった……。

桜子から貰える幸せや満たされる心が、他の人だとただの恐怖である事を気付かされる……。



「…………私、奥海さんが好きなの」


「だからなに?」


「……だから辞めて」


「私が貴女にキスしたら、私の事を好きになる?」


「……お願い、辞めて」


「辞めると思う?」



…………抵抗が出来ない。


……単純に、ただただ単純に、力が無くて、抵抗が出来ない。


力で押さえ付けられる事が、なにもさせて貰えないのが、どうしょうもなく怖くて、そして、自分が情けなかった……。


必死に顔を逸らし、彼女の視界に入らない様に、目も合わせない様に……。


そうする事でしか、抗う事が、出来ない……。


桜子……、助けて…………。








「ねぇ、貴女。彼女、嫌がってるわよ?」






瞬間。

不意に発されたその声に、私も星波さんも、二人してその方を向いた。



そこに居たのは、背の高い女の子だった。

病的な程に白く見える肌と、綺麗な髪の女の子。


「何だか寒いと思ったら、窓が、開いているわね。これ、閉めても良い? あと、貴女。そういう風にすると、嫌われちゃうよ? 彼女、泣いちゃってるよ? ね? 辞めてあげて?」


制服のリボンが白いので、彼女も一年生だという事が分かる。


「まぁ、冗談ですよ。本気にしないで下さい」

彼女の言いを受け、星波さんは漸くの私の手を離してくれた。

解放され、すぐに距離をとって、どうすればいいのか混乱した後、私は名前も知らない彼女の方に身を寄せる。


「ごめんね花見坂上さん。ちょっとふざけただけなんだ。ほんとうにごめんね」


星波さんは笑みを作って見せ、「私はマラソンに戻るけど、花見坂上さんは少し休んだ方が良いかもね」と言って保健室を出て行き、去り際に「本当にごめんね」と、そう残して去っていった。




残された私は……。



残された、私は…………。




「大丈夫?」


「…………えぇ、大丈夫です。本当に……、えぇ」


…………。



「……あの、少しだけ、……少しだけで良いので、……手を握って貰っても――」


「えぇ、良いわよ」



彼女の手はほんのり温かく、少しだけ冷たかった。


心地良いその感触で、徐々に心臓を落ち着かせる。


大丈夫。


私は大丈夫。


……私は、……うん。大丈夫。


心を落ち着かせれば、私は大丈夫だから……。




「沙耶、居る?」


そう言って保健室に入ってきたのは桜子だった。


保健室に入ってきたのは桜子。


桜子が保健室に入ってきた。


奥海桜子。




奥海、桜子。




「……手、握って貰って、ありがとうございました」


「いいえ、どういたしまして」


手を握って貰った御礼を言うと、彼女は優しく笑んでくれた。


あぁ、ありがたいなぁ。

こういう優しい微笑みは、本当にありがたいなぁ。



「……沙耶、大丈夫?」


うん、大丈夫だよ。

平気だった。

私泣かなかったよ。

褒めて褒めて。





「…………〜〜っ桜子ーっ!!」



色んな感情が、ぐちゃぐちゃになって、本当は平気な振りをするつもりだったのに、桜子の顔を見て、声を聞いたら、桜子の胸に飛び込んでいて、そうしたら、沢山安心して、内側に溜まってた、そういう、色んな、そういう色んなものが、溢れて、飛び出て、桜子の事が好きで…………。



「っ怖かった……。っ怖……っくて…………。私……怖く……って。桜子ぉ…………、ごめんね、桜子…………」


「良いよ。大丈夫だよ、沙耶」

言って、桜子は私の頭を優しく撫でてくれて、それが私には嬉しくて……。


「黒宮さんがね、『星波さんの貧血は多分嘘だよ』って。なんか心配になって来てみたら、さっき星波さんとすれ違ってね。っはは。どうしてかわかんないけど、凄い冷たい目で見られたよ」



何も聞かないから、泣いて良いよ。




そうしたまま、私は桜子の胸で授業が終わるまで泣いていた様に思う。




「貴女達、1-Cの子達?」


「えぇ、そうです。なんか花見坂上さんがお世話になってしまって。……って、どうして1-Cって分かるんです?」


「だって、黒宮さんで、貧血に詳しいっていったら、1-Cの子しか思い付かないわ」


「黒宮さんって貧血に詳しいんですか? キャラ的にそうはなかなか見えないですけど」


「極々一部、私の中では、なかなか有名よ。なにせ、彼女の前で、もう三回は倒れてるもの」



彼女は自身を三月場冬乃と名乗った。






授業が終わり、保健室で三月場さんと別れ、六限が始まる前に桜子と教室に戻ると、そこには何食わぬ顔で、特に何かを気にする様子もなく、星波さんは自身の席に付いていて、私に「おかえりなさい」と手を振ってきた。

私は数瞬考え、少し躊躇った後に、手を振り返す事を選ぶ。





星波志穂。


取り急ぎ、私は彼女が『そう』した理由を知りたい……。






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