第8話 黒宮桃の苦悩

永遠の眠りから目覚めるのなら、私は貴女のキスが良いな。


◆ ◆ ◆


飴玉は好きだ。

甘くて、小さくて、何となく可愛い雰囲気がある。

理由なんてその程度で良いと思ってる。

好きも嫌いも、結局は単純な理由と、瞬間的な直感が大部分だ。

数学は好きじゃないけど現国は好きだし、ロックはあまり好きじゃないけどジャズは好きだし、蛾はあまり好きじゃないけど蝶は好きだし、黒宮って苗字はあまり好きじゃないけど、桃って名前は好きだし。詰まりはそういう事なのだ。




「黒宮さん? ここの立ち回りなんだけどね」

「も〜、先輩! 苗字で呼ばないで下さいよ!」

「じゃあ何て呼べば良いのよ?」

「可愛く『モモ』って呼んで下さい!」

「はいはい、黒宮さん。いいからここの立ち回り」

「もーー!」



先輩の話は舞台上の移動と台詞のタイミングについて。私は身体が大きくないから、舞台で映える様に、あと、演じる役柄を踏襲して身振りを大きくしてみようと、そういう提案だった。


まぁ、そんな事は分かっているのだ。

声を大きく、身振りは大袈裟に。一年生の私は台詞が少しある程度の端役だけれど、それでも名前のある役を貰えただけで嬉しかったから、私はこの身体で全力を出すのだ。


夏休みは終わり、高等部での初めての学園祭までもう一ヶ月を切っている。

それは、私が演劇部として舞台に立つまでの猶予期間でもあるのだ。



◆ ◆ ◆



「夏休み中は練習どれくらいあったの?」


暑さは少しだけ緩和されたけれど、それでもまだまだ日中は暑い。九月いっぱいは夏期制服なのだが、それまでには如何にか過ごしやすい気候になってくれるとありがたい。


お昼休み。

中庭の屋根のあるスペースで、日陰に入りながらいつも通りの昼食を摂る。

サヤちゃんは可愛らしく小さなお弁当で、ハルちゃんは購買のパンで、私は、何となくおにぎり。私が少しずつおにぎりを食んでいると、いち早くご飯を終えたサヤちゃんが、私にそうやって問うてきた。それにはハルちゃんも少しぱっかしの興味がある様で、パンを食みながら首を少しだけこちらに向けていた。


「んー、週に三回と、八月の中頃に三泊で合宿やったかな。そんな感じ」

「そっか。なんかかんかあって、今年はあんまり遊べなかったからね」

言って、サヤちゃんは律儀に「ご馳走様」と所作をしてから、自身のお弁当箱を片付けて鞄に仕舞う。


あまり遊べなかったとは言っても、要所要所のイベント的なものはしっかりとこなしていた。海には行ったし、お祭りも花火も行ったし、宿題は二人に沢山手伝って貰った。


「まぁね。高等部って言うだけあって、やる事は結構増えたよね。体感的にも、スケジュール的にも」

そう言って、ハルちゃんもまた、食べ終えたパンの袋を小さくしてクルクルと結んでいく。それはいつものハルちゃんの手癖だ。


「ねー。夏休み終わったと思ったらすぐ学園祭だもんねー」

言って、漸く私もおにぎりを食べ終えた。


変化とは喜ばしい事だと思ってる。


サヤちゃんは高等部に進学してから苦手意識を持っていた運動にも積極的だし、座学も成績が上がっているみたいだ。

そして、ハルちゃんもまた、中等部時に退部していた美術部に夏休み明けから再び入部した。


停滞も時には必要だけれど、変化もやはり同様に必要なのだ。どちらもを良い塩梅でこなす事が自身の為になっていくのだ。

そう、私はそれが分かっているのだ。


サヤちゃんは高等部で何かを得ている。

ハルちゃんも高等部で何かを得ている。


じゃあ、私はこの半年で、何かを得られているだろうか?

中等部から続けてきた演劇部に居る事は、停滞になってしまっているのか?

停滞は良い。それは必要だから。


じゃあ変化は?


私は何かを得られているだろうか?



◆ ◆ ◆



演技をする事は楽しい。

中等部の時になんとなく入った演劇部は楽しかったし、高等部でもそのまま継続出来ている。

演技をしている最中、私は何者かになれる気がしているから。

演劇の舞台に立つ事が出来れば、私は自分を殺す事も出来るし、誰かを死ぬ程愛する事も出来る。


「……ごめん、ハルちゃん。もう眠い。本当に眠い」

「お馬鹿桃。先生に言っとくから早く保健室行ってきな。そこ等で寝ちゃダメだからね?」

「……桃ちゃん、保健室まで付いて行こうか?」

サヤちゃんにそう気遣われるが、私は「……んー、大丈夫。一人で行けるから」と、その申し出を断った。



お昼ご飯を食べた後のお昼休憩時。

昨日までの徹夜続きが身体に『もうダメだよ』と音を上げさせた。

最後にやったのは去年の六月位だった気がする。

昨日、一昨日と演劇の映像資料を見続けていて、あと授業二時間過ぎれば帰れたのだけれど、残念ながらもう眠気に耐えられなかった。

去年は三日は大丈夫だったのに、流石高等部、一日の密度が高くて私の活力は三日持たなかった。


「……すみません寝かせてくださいダメって言われてもごめんなさい寝ます放課後に友達が迎えに来ますー」


保健室に着くや否や一息でそう言って、幾つか並ぶベッドの内の一つに潜り込んだ。

保健室には保険医の先生が居たかどうかも定かじゃあないけど、お昼を食べてからはもうどうしようもなく眠かった。

そう言えば、高等部で保健室に来たのは初めてだ。怪我とか病気とかじゃなくて良かった。

ただ寝る為だけに来て良かった…………。



◆ ◆ ◆



当然だけど、夢を見た。

舞台に立つ私はバッチリ衣装も決まっていて台詞も全て頭に入っているのに、すごーく遠くにお客さんがいるのだ。

前の方の席は沢山空いているのに、私は百メートルも二百メートルも先にいるお客さんに聞こえるよう声を張らなければいけないし、見えるように身振り手振りを大きくしなければならない。


……何で?


私がこんなだから……?


凄く遠くに離れているのに、サヤちゃんやハルちゃん、他のクラスのみんなもハッキリと見てわかる。


何でそんなに遠くで観てるの?


もっと、もっと近くで観てくれれば良いのに……。


近くの席はこんなに空いてて、私の声もハッキリ届くし、私の動きもちゃんと見えるよ?


舞台上には私しか居なくて、他の演劇部のみんなは誰も居なくて、私にだけピンスポットが当てられて、どことなく悲しい曲がゆっくり流れていて……。

誰の声も聞こえなくて、それでも私は舞台に立っていて、お客さんがいるから演目を続けなければならなくて……。



…………今やっている演目って何だろう?


ゲーテ? モーム? フィールディング? ユーゴー? チェーホフ? それとも、バーナード・ショー?


……私の台詞は、どれ?

…………私はここで何を演じれば良いの?



その時、目の端が最前列にいる一人の観客を捉えた。


「――!!」


彼女の顔は見えないが、かろうじてそれが『彼女』である事は分かる。

そして、彼女は立ち上がり、今にもその場を退席してしまいそうな、そんな様子で……。

表情も読めなくて、そして、その動きがどんな意味を持つのかも分からなくて……。


待って、行かないで!

お願い! 私の演目を観て! 私の台詞を聞いて!


舞台上だからだろうか、私は演目以外の言葉を発する事が出来ない。

スポットが当たっても、役割が与えられても、台詞があっても、私は無力で、そして矮小で、こんなにも誰も――――。



…………お願い。



◆ ◆ ◆



目が醒めると、蛍光灯の並ぶ天井が視界の大部分を埋めた。


保健室。


夢だとは分かっていたけど、なんとなく虚無感や自己嫌悪に襲われる。


腕時計を確認すると、まだ寝に入ってから一時間も立っていなかった。

それでも、頭はヤケにスッキリしていて、眠気も殆ど取り払われている。

……その代わりに、何故だか無性に泣きたくなってきて――。




「おはよう」




「…………」




その声を聞いて身体を起こすと、私の寝ていたベッドの端で、女の子が一人、遠慮がちに腰掛けて文庫本を開いていた。

私は少しだけ虚を突かれたが、直ぐに視線を合わせて「……おはよう」と返す事が出来た。


彼女は、ニッコリと優しい笑みで返してくれる。そうして、「ごめんなさい、起こしちゃったかしら?」と首を傾げると、手にした文庫本に栞を挟み、柔和な笑顔で私に向き直った。


「……あの、いえ。最近徹夜が続いてたので、ちょっともう眠気が強くて……。でも、もう大丈夫です」


「そう。それなら良かったわ」


なんというか、彼女の肌は白かった。

少し度が過ぎたような白さで、それこそ、言ってしまえば青白くさえ見えるような。



「……あの、貴女は?」

問うと、やはり彼女は少しだけの笑みを浮かべて、「そうねぇ、いつも休んでいるベッドで、貴女があんまりにも可愛らしく寝ていたから、何だか嬉しくなっちゃって」と、頰に手を当ててシナを作って見せた。


「……――あぁ! すみません。私そんな、私本当にただ眠気に勝てなかっただけなので――」

言って直ぐにでもベッドから出ようとしたが、彼女は「いいえ、良いのよ」と、私の動きを手の平で制してみせる。


「授業が終わるまで、まだもう少しあるしね」


「……あの、貴女はなんで」


「あぁ、私ね、なんだかんだ保健室にいる事が多いの。なんかね、人より少しだけ血が少ないみたいで。保健室の常連ってやつよ」


「――え、それじゃあ」


「あ、でもね、今日は何だか平気なの。保健室に来るまではふらふらだったのに、貴女の寝顔を見ていたら、なんだか調子が良くなってきちゃった」


――な、そんな……。


「それじゃあ駄目だよ! さっきまで調子悪かったなら、やっぱり寝てなきゃ!」


それを聞いて、私は直ぐにベッドを這い出て場所を明け渡した。

「えー、大丈夫なんだけどなぁ」

そう言ってやはり薄く笑うが、私は彼女を無理矢理にでもベッドへ入れ込む。

観念したのか、彼女は横になって胸まで布団を被るけれど、それでも「もぅ、強引なのね」と唇をキュッと尖らせていた。


「ま、六限目は体育だから、結局出られないんだけどね」

「……貴女、そんなに身体悪いの?」

「まさか、貧血気味なだけだよ」


彼女は笑み、言いを続ける。


「他は別になんともないの。ただ、血が足りないだけ。薄くもないし、濃くもないし、ただ、身体の中の血が、人よりちょっと、少ないだけだよ」


「あー、私もたまに貧血になるよ。あれ何か嫌だよね。大変だね。――えっと……」


そこまで言って言い澱むと、彼女は合点がいった様に身体を起こし、手の平を打つ。そうしてやはり、ニッコリと笑んだ。

なんというか、この人の笑みは見ていて気持ちが良いと感じた。

サヤちゃんやハルちゃんとは、違った感じの気持ちの良さ。


「1-Hの三月場みつきば冬乃ふゆのです。新入生組です」

「1-H かぁ、それじゃあなかなか会わないよね。私も端の方のクラスだし。私は1-Cの黒宮くろみやもも。持ち上がり組」

「端同士じゃなくても、私は保健室にいる事が多いからなかなか会わないのかも知れないね。黒宮さん、で良い?」



黒宮さんで良い?



問われ、私はいつも通り苗字呼びを訂正してもらおうと思った。


苗字はあまり好きじゃないんだ。

だから名前で呼んで欲しいな。

それは私のテンプレートだし、何かと自分を知ってもらえるアピールポイントにもなる。

そうやって自分を他の人に知ってもらえる様に、そして頭の片隅でこんな人居たなぁと留めてもらう為に。


…………しかし。




「…………――――! っやだ!!」




………………⁉︎



……何故だろうか、発した声がそうやって凄く大きなものになってしまった。


苗字呼びを訂正しても尚『黒宮』で呼ぶ人も多いし、それならそれで別に構わない。それなのに、何故だか、私はこの時声を大きく『嫌だ』と、はっきりそう言い放ってしまった。


「――っ、ごめん、三月場さん、……あの、違くて――」


この嫌だは何の『嫌だ』なのだろうか?


これではまるで、私は三月場さんに、苗字で呼ばれたいのではなく――。




「んー、じゃあ、モモちゃん。って、呼ぶね。それならどう?」




「――っうん! それなら嬉しいな!」




三月場さんは私の『嫌だ』に動じなかったし、私の返事はなんとも子供っぽくなってしまった。

それは、仕様が無かった。

三月場さんが私の苗字を先ん出した時、私は名前で呼んで欲しいと思ってしまったし、実際に名前で呼ばれて、何故だか心臓が高鳴り熱くなってしまったのだから。



三月場さん。

三月場冬乃さん。



三月場、冬乃さん。




色白で、綺麗な髪で、私より随分と背が高い。




授業の終わる鐘が鳴り、十分後には六限の始まる鐘が鳴る。



「また眠くなったら、っふふ、眠くなくても、また来てくれたら嬉しいなぁ」



可愛らしく笑んだ三月場さんの頬は、色白の肌の中で、少しだけ紅に色付いていた。


私は頷き、「また今度ね」と、六限目は授業を受ける為に保健室を後にする。



モモちゃん。

モモちゃん。



モモちゃん。



…………何だろう?



廊下を進む中、彼女が呼んでくれたその声が何度も思い出される。


三月場さんにそう呼ばれてから、何故だか身体がとても熱いんだ。


夏の終わりの熱気じゃなくて、内側から茹っているような。


寝起きだからかな?


学園祭も近いし演劇部の練習もあるのに。


どうしよう……。


風邪の引き始めとかだったら嫌だなぁ……。











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