第9話 黒宮桃の足掻き
貴女の為の歌
◆ ◆ ◆
「聞いた事ある?」
「……ちょっと考えてみるね」
言うが、やはり三月場さんは「うーん、やっぱり聞いた事は無いわねぇ……」と首を傾げた。
その彼女の反応は当然だ。
「結構マイナーな話だし、劇作家の人も特に有名ではないしね。知らないのも無理ないよ」
そう言うと、当然の如く三月場さんには一つの疑問が浮かんでくる。
きっとそれは誰でもそうなるだろうとは思う。
「なんで、そんなマイナーな劇を、学園祭でやるの?」
「部長が原作? みたいなのを見たらしくて」
「あー、それで感銘を受けちゃったのね?」
「なんかね。マイナーなやつを観るとすぐ熱くなっちゃうの。うちの部長」
私は、保健室に来る事が多くなった。
特に怪我でも病気でもなく、本当に、ただただ三月場さんに会いに行く為だけに。
空気は読む。
三月場さんが本当に体調が悪かったり、体調の悪い他の子が寝ていたりしたら、私は保健室に長居はしなかった。
一度、なんとなく保険医の先生に話を聞いて見たけれど、「ん? 別に良いんじゃない? 三月場も嬉しそうだし」と、邪険にされる事も無かった。
休みの時間になって予定が空いたりすると、なんとなく保健室に行ったり、1-Hまで足を運んでみたり……。
一日で、彼女を探す時間が、日に日に増えている気がする。
そうして今日もまた、昼休みに保健室で三月場さんを見付け、こうして当てもなく他愛の無い話を繰り連ねていた。
「それで、モモちゃんはどんな役なの?」
問われ、わたしは肩を竦めて「簡単な役だよ」と答え、先を続けた。
「当然だけど、主要な役は大体上級生の先輩達だからねぇ」
「でも台詞はあるんでしょう?」
その三月場さんの言いを受け、私は椅子から立ち上がると、大袈裟に手を前に突き出して、言う。
『行かないで下さい!』
「――って、今回はこれだけ」
部員は何人も居るし、それに加えて私は新入部員の一年生。中には台詞すら貰えていない子も居る。だから、私は自分の貰った役とこの台詞を一生懸命やるだけだ。
……けれど、そういった事情を知らない人からしたら、『たったそれだけ?』と思う人もいたりする。
それでも、だ。
私は自分の役に不満を持ったりしない。
これが今の自分の実力で、実力を得る為には道程とその過程は絶対に必要だからだ。
「……凄いね!」
「………………ありがとう、ごさいます」
……だから私は、そう言われて単純に嬉しかった。
三月場さんは、私のその三秒にも満たない演技を見て、純粋みたいな顔でそう言ってくれた。
「こんなに近くで観たの初めてだよ! 凄いね! 本物みたい!」
「……本物みたいって、――もぅ! 失礼な! 本物だよ!」
その言いを受け、三月場さんは声を少しだけだして笑うので、私はむくれたフリをして怒ってみせた。ただの、そんななんでもない様な遣り取りが、私は凄く嬉しかった。
そういう遣り取りはサヤちゃんともハルちゃんとも度々やっているのに、何故だか三月場さんとのお話は自分にとって違うトクベツな様に感じている。
三月場さんのなにが私にそう感じさせるのだろうか?
私って、三月場さんの事が好きなのかな??
◆ ◆ ◆
発する台詞は三秒でも、舞台上で立ち回る時間は三分程ある。
台本を頭に叩き込んで、舞台上での立ち回りを何度も何度も、朝練でも放課後でも、自宅の自室でも、考え反復してシュミレートし、身体を動かして声を出す。
拙者親方と申すは、お立ち会いの内に。
アカサタナハマヤラワ。
オコソトノホモヨロヲ。
ういろうはいらっしゃりませぬか。
飴玉を舐めるのが日課になった。
喉は壊さない様に労わる。
役割は喉を潰す事じゃない。
喉を守る事こそが本分だから。
それでも納得出来ない時はあるし、先輩達から駄目出しを貰う時もある。
もっとこうした方が良いんじゃない?
もっとあぁした方が良くなると思うよ。
アドバイスは有難い。
それでも、胸の内は穏やかではなくなる。
学園祭まで二週間を切っている。
焦りとか不安とか。
そんな時、どうしても三月場さんに会いたくなる。
「……ごめんね、サヤちゃん。ハルちゃん。私、ちょっと行くところが」
「部活? 忙しいね」
「もう本番まで二週間も無いもんね」
「ん、うん。ごめんね、また後で」
……この嘘に、意味はあるのだろうか?
昼休み。
走れば1-Hまで何秒も掛らない。
走って向かう間、舞台上での立ち回りをシュミレートしろ。
大丈夫。
白海坂は廊下を走ると怒られるけど、見付からなければどうという事はない。
一年生クラスの並びである四階層に着き、息を整えてから、ポケットを弄って飴玉の小袋を一つ取り出す。
取り出されたのはイチゴ味。
イチゴ味は好きだ。
イチゴの味がするから。
小袋を裂き、飴玉を口内に放り、1-Hの教室内を見渡す。
三月場さんの姿は、無い。
いつもならそのまま踵を返して保健室に向かうのだが、今日は、そして今は、どうしても三月場さんに会いたかった。
すれ違うのは嫌だった。
私の話を聞いて欲しかった。
彼女の話が聞きたかった。
「……あ、あの」
「ん? はい、なんでしょ?」
年の数が自分と同じだという事しか分からない、名前も知らない女の子に声を掛ける。
大丈夫。それは彼女も同じだ。
彼女だって、私の事は何も知らない。
だから、大丈夫。
「……今日、三月場さんは」
「三月場さん? …………あぁ、三月場さんね」
……その瞬間、背中に寒気を感じた。
「今日誰か三月場さん見た?」
見てないねー。
どんな子だっけ?
今日居たっけ?
どうしたの? 三月場さんのお友達?
ざわざわと、1-H内が少しだけ、そうやって騒めき立つ。
「ごめんね、今日は誰も見てないみたい」
誰も見てないみたい。
『見てないみたい』
「…………そっか、ごめんね。……ありがと」
私はそう言って1-Hを後にする。
そうか、クラスには居ないのか。
じゃあ、保健室だね。
保健室に行けば、三月場さんに会えるんだね。
そっか。
…………そっか。
……あ、何でだろう。
足に力が入らない。
立って居られなかった。
膝から崩れ落ちて、廊下に手をつき、立ち上がろうとしても何故だかそれが出来ない。
……なんで?
悲しく無いのに涙が――――。
「っう…………っう、っうぁ…………」
なんで?
なんで?
そんな、そんな事って…………。
廊下で膝を付いて泣くと、そうか、奇異の目が向けられるのか。
成る程。
後から後から、涙が自分で止められない。
嗚咽が自身で制御出来ない。
居たか居ないかも分からないような、三月場さんはそんな子じゃないのに。
三月場さんは可愛く笑って、私の話を聞いてくれて、白い肌が透き通る様で、上品で、背が私より十五センチは高くて……。少し身体が弱いだけなのに、そんな、そんな風にって…………。
私にとって大切な人は、彼女のクラスで誰もその存在を見知していないと知らされると、何故だか途端に悲しくなった。
…………。
だけど、どうだろう……。
もしあの日、私が三月場さんにあぁやって会う事が無かったら、私は彼女の事をどういう風に見ていたのだろうか……?
手の平で涙を拭って、膝を叩いて、力を入れて立ち上がり、少しだけ歯を食いしばりながら廊下を蹴って走り進んだ。
白海坂は廊下を走ると怒られるのだ。
だけど、そんなもん今は知ったこっちゃない。
好きとかどうとかはよく分からないのが本音だ。
現国は好きだし、ジャズも蝶も好きだ。
飴玉だって好きだ。
今は、誰が好きだとかは分からない。
だけど、今この瞬間は、だ。
私は今、どうしても三月場さんに会いたかった。
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