第4話 奥海桜子の快諾
雨の日は好きだ。
あの子と一つの傘に入れるから。
◆ ◆ ◆
教室では殆ど話さない。
話す内容といったら課題の提出がいつだとか、次の授業は移動教室だとか。誰々さんが呼んでるとか、誰々先生が呼んでるとか。本当にその程度の事しか話さない。花見坂上さんは安西さんや黒宮さんとよく喋っているし、私もやっぱり他のお友達とのお喋りが多い。
教室でもきっとお喋りする事はできるだろう。寧ろ、お喋りなんてさして特別な事でも無いのだから話をしていても何の問題も無い筈なのだ。
だけど、私と花見坂上さんは、なんとなくそれをしようとしなかった。
本当に、只々なんとなく。それは例えば、私には花見坂上さんではない友達がいる様に、花見坂上さんにも安西さんや黒宮さんが大切な友達としていてくれる。そういう事にも起因しているのかも知れない。
世界が滅んで花見坂上さんと二人で死ねるなら悪く無いとも思っているけど、生きている限りそれは絶対ではない。
私にも花見坂上さんにも、生活も友達も学校も家族もあるのだ。
私も花見坂さんもお互いがお互いを独り占め出来ないという事を知っているし、それを分かっている。
だからきっと、私は花見坂上さんと教室ではあまり喋る事が無い。
けれど、なんとなく彼女の方に視線を向けると花見坂上さんは気付いてくれる。そうして、可愛らしい笑顔で私に応えてくれる。だから私はこの一日を幸せで居られるし、笑顔で過ごせるのだ。
「雨の日が続くね」
「六月だからね」
当たり前の事を呟き、花見坂上さんもまた、当たり前の事をそう返してくれる。
火曜日から降り続いている雨は金曜日になっても止む気配がなく、天下予報を見るに週明けになる月曜日まで続くとの事だった。校内も明らかに湿度が高く、屋外での活動が中心となっている部活は軒並みミーティングや筋トレなど、余力や熱意を持て余している様子であった。元気良く聴こえるのは吹奏楽部だけれど、やはり気の持ち様か、晴れの日の方が音も澄んでいる気がする。
「今日は安西さんと黒宮さんは?」
「春真ちゃんは委員会で、桃ちゃんは部活。奥海さんの方は?」
「みんな部活」
「……じゃあ、一緒に帰る?」
私よりも十センチは背が低い花見坂上さんは、そうやって上目遣いで私に問うてくる。
ほんのり頬が紅色なのは、少し蒸し暑い気温の所為だけ?
私が「うん、一緒に帰ろうか」と答えると、彼女は「ふへっ」と柔らかく笑った。
きっと、私の頬も紅くなっている事だろう。
一緒に帰る日は、なんとなくいつもドキドキしている。
だけど、嫌な感じの、例えば緊張しているようなドキドキではなくて、高揚とか、嬉しいとか、そういう類のドキドキだという事は分かる。
あの日、花見坂上さんに肩を借りて保健室まで行った日のドキドキとは違うドキドキ。
不安の方が大きかったドキドキよりは、随分と成長した、安心による胸の高鳴りだ。
それが、花見坂上さんも同じだったら良いなぁとは思う。
「あれ? 花見坂上さん、傘は?」
問うと、「……あ、折り畳み傘、壊れちゃってて」と、俯き気味に小さくそうこぼした。
「え? 大丈夫? 良かったよ今日一緒に帰れて」
「――っや、えっと……あの」
「??」
下駄箱で少し俯く花見坂上さん。
下校でちらりほらりと行き来する何人かの子達も、なんとなく花見坂上さんに視線を送って見るが、直ぐに傘をさして雨天の下に帰路へと経っていく。
「……どうしたの?」
「……あの――」
傘……
傘?
「……壊れちゃって、って、事にしても、良いですか……?」
「…………?」
…………。
………………。
……あぁ。
…………あぁ――。
「うん、良いよ」
「…………はい」
ドキドキって、こういう時に凄く強くなるんだなって。毎度毎度、花見坂上さんといるとそう思い、また、改める事が多い。
顔が真っ赤だよ、花見坂上さん。
可愛いね、花見坂上さん。
…………私、大きい傘で良かったよ。
◆ ◆ ◆
「肩、濡れてない?」
「うん、大丈夫。それより、奥海さんの方が」
「私も大丈夫だよ。私の傘、大きいもん」
言って笑うと、「ほんと、大いき傘だね」と花見坂上さんも笑った。
本当に、こんなベタな相合傘で楽しい気持ちになれるなんて白海坂を受験した時には夢にも思っていなかった。けれど幸いな事に、これは夢ではなく、一緒の傘に入っているのは私の好きな人で、彼女も私の事を好いてくれている。
「夏の予定とか決めてる?」
「私はまだ何も。何日かお婆ちゃんのところに帰省するみたいだけど、それ以外は特には」
奥海さんは?
「私も特にはって感じかなぁ。去年は半分以上受験勉強してたから」
「あー、私もそれ、おんなじだったなぁ」
そうか、あと一ヶ月もすれば夏休みなのか。
そうすると、あんまり花見坂上さんとは会えなくなるのかな?
毎日の様に会ってて、週末にたった何日か会えなかっただけでも急に会いたくなったりするのに、長期休みになったらどうなるんだろ……。長く会わなかったら、私の事忘れちゃうかな……。嫌いになっちゃうかな…………。
花見坂上さんの横顔。
可愛いなぁ。
綺麗だなぁ……。
…………。
「あ、花見坂上さん、肩が」
濡れてる。
言うと私は、無意識に彼女の肩を抱き寄せていた。
他意はない。ただ単純に、花見坂上さんを傘の内に、もっと肩が濡れない位置にといった――。
「――んっ…………」
…………。
そんな、色っぽい声出さないでよ……。
花見坂上さん……。
「――あ、ご、ごめん」
突き放すのもおかしな話だし、そのまま肩を抱いたままでいると、花見坂上さんは私を抱き締めてくれる。
力は強くない。
本当に、か細い女の子の様な弱い力だ。
……それでも、彼女は私に力強く視線を投げ掛けてくる。
避けられないし、それを避けようとも思わない……。
「――あ、あのね!」
「……?」
「……あの」
あのね…………。
…………。
「……桜子、ちゃん」
「…………へ?」
「桜子ちゃんって、……よ、呼んでも…………」
「……あー、ちゃんは要らないんだけどなぁ」
「…………桜子」
「……なに?」
「……桜子」
「なに?」
「桜子」
「なぁに?」
「……す、好き」
「…………私も、好きだよ。……沙耶」
言って、私は少し屈み、自身の頬を沙耶の頬に当てる。
沙耶の頬の赤さを貰って、私の頬の赤さをあげて。熱を貰って、熱をあげて……。
唇じゃなくても、お互いの温かさを確かめ合う事は出来る。
「教室では、流石に無理だね……」
言うと、沙耶は「そうだねぇ」と可笑しそうに笑った。
私は彼女のその笑顔が、この世で一番尊いものだと思えている。
二人だけの帰路はもう少しだけ道のりが続いた。
今度は私の傘が壊れてしまいそうだから、その時は、沙耶の傘に入れてくれる?
沙耶の傘は小さいから、私の肩が濡れてしまうかも知れないけど、きっと貴女は必死で自分の肩を濡らすんだろうなぁ……。
だから、私の肩も沙耶の肩も濡れない様に、今度は沙耶が、私の肩を抱き寄せてね。
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