第3話 花見坂上沙耶の我儘
星の欠けらを集めたり、虹の生まれる場所を探したり、太陽の笑顔に出逢えたり、貴女とはそういう事が出来たら良いなと、私は思っている。
◆ ◆ ◆
「最近さぁ、サヤ、奥海さんと仲良いよね」
「……そうかな?」
「そうだよ」
春真ちゃんにそう言われ、私は少し間が空いてしまったのにも関わらずに一応の事八割方否定的に聞こえなくも無い様な曖昧な返事で答えを濁そうとしたのだけれど、すぐ様そうやって真っ直ぐに切り返され逃げ場を塞がれた。
……ただ、何と無く自分の返した答えに違和は感じる。
何で私は直ぐに『そうだよ。仲良しだよ』と答えられなかったのだろうか……?
◆ ◆ ◆
グループとは形成されたら簡単には分解再構築出来ない様になっていて、特に問題も無く私は今もこうしてお昼ご飯を春真ちゃんと桃ちゃんの三人で食べている。
奥海さんもそれは同じで、四月の当初から形成されていた子達でお昼ご飯を日々食べ続けていた。
保健室での一件以来、次の日は流石にドギマギしたり、目を合わせる事もままならず、視界に入るだけで顔が赤くなる様な体たらくだったのだけれど、どうやらそれは奥海さんも同じだった様で、件の日から二日の後、どちらからともなく放課後に喫茶店へと出向いた。
中等部から白海坂の私と違って奥海さんはまだまだこの辺りには詳しく無い。だから、行きつけと言う程に通い詰めている訳では無いけれど、事ある毎には春真ちゃん桃ちゃんと足を伸ばしていた喫茶店へと行く事になった。
喫茶店『ライトオレンジ』
白海坂女学園から徒歩十五分。
学園から駅までの道を中途で脇道に逸れて程なく到着。
ランタン風に吊るされたオレンジがシンボルマークで、コーヒーとケーキが美味しい、そんな喫茶店。
「へぇ、こんなところがあるなんて知らなかった」
内開きのドアを開けると上部に付いたベルが『リン』と鳴り、来客を店員の女の子に教える。二人ですと簡単に伝えると、笑顔とこの喫茶店の制服が似合う店員さんは奥の席へと案内してくれた。
そうして席に着いて、奥海さんが開口で一番に発されたのがその言いだ。
「ふふっ、だって奥海さんまだ白海坂に来て一ヶ月も経ってないじゃない」
「そうなんだけど、受験の時の帰りに色々散策した筈だったんだけどね」
「まだ受かるか分からなかったのに?」
「そう、まだ受かるか分からなかったのに」
そうやって他愛の無い話をして、二人でケーキとコーヒーを注文して、また他愛の無い話をした。
好きな漫画は何か、好きな俳優は誰か。好きな音楽は、好きな映画は。誕生日は、何の科目が得意か、好きな食べ物嫌いな食べ物。私はコーヒーにはミルクと砂糖を沢山入れるけど、奥海さんは少ししか入れなかった。私のケーキは苺のタルトで、奥海さんはチョコレートケーキ。一口ずつ交換したのだけれど、奥海さんが少し大きく取り過ぎたと謝ったので、私はいいよ別にと言って返した。一口を大きく取り過ぎたと言って謝る奥海さんはどこか子供っぽくて可愛かった。
他愛の無い話はずっと続けた。
小学生の時の将来の夢は何か、もし今百万円あったら何に使うか。旅行に行くなら何処が良いか、ソフトクリームはカップかコーンか、ドラえもんの道具は何が欲しいか、身体は何処から洗うか、もし今一つだけ願いが叶うなら。
他にも沢山、もっと沢山。
片方が問うて二人で答え、今度はもう片方が問うといった感じで順繰り順繰り。これが全く話が尽きなかった。
夏に向けてどんどん日は長くなるだろうけれど、この日は何だか、いつまでも太陽が沈まない様な、そんな錯覚をするくらい日が長く空に居たのに、いざ日が沈んでしまうと全然話足りないとも感じていた。
「はいはい、高校生はもう帰る時間だね」
お店を出るタイミングは店員さんに決められた。
なんでも日暮れ以降も高校生をお店に置いておくと店長さんに怒られるらしい。
そう言えば、いつ来ても店長さんは居ないし、店長さんの姿を見たことが無い。
その事を奥海さんに言うと、「変なお店だね」と笑ったから、私も「そうだね」と、笑って返した。
次の日からは、学校でも奥海さんと普通に喋れる様になった。
あの日以来キスはしてないしお互い過剰に触れ合う事もしていないけれど、お互いの事を少しずつ知っていって、他の人が知らないお互いの事を共有しあって、好きだという気持ちがどんどん私だけのトクベツになっていって、私はそれがなんだかとても幸せだった。
…………けれど、幸せに付随するのが、ほんの一塊の不安なのも、私と奥海さんは知っていて――。
◆ ◆ ◆
私と奥海さんが仲良しでも良いじゃないか。
何で私はそれを肯定するだけの事を躊躇ったのだろう。
結局春真ちゃんにははっきりした答えを返す事が出来ず、「……あー、まぁ別に、なんか聞き出そうって訳でも無いから」と、何だか気を遣わせてしまう始末。
少しだけ、ほんの少しだけ、自分の事が嫌だなぁと思った。
こういう時、普通ならどうするのが良いんだろうか。
「奥海さんは、お友達に私の事を聞かれて、なんて答えてる?」
「ん??」
放課後、月末に控えたテストの勉強をする為に奥海さんと図書室に寄った。
空調の効いた室内と図書室独特の匂い。それは紙とインクの匂いなのだろうか? 私にはそれを判ずる事は出来ないが、兎に角、それは独特の匂いだ。
まだ三週間以上も間が空いているので、勉強という体で奥海さんと二人きりになりたかっただけなのかも知れないし、春真ちゃんも桃ちゃんも委員会やら部活やらで、一人で帰るのがなんだか嫌なだけだったかも知れない。
図書室は静かではあるけれど、同じ様にグループで勉強をしている卓も幾つかある。だから少しのお喋りなら誰も気にしないし、会話が特に漏れ出ている雰囲気でも無かった。
問うと、奥海さんは少し困った様に苦笑いを浮かべた。
「……あの、ごめんなさい、私――」
「違う、謝らないで。少し、なんて言うか、びっくりしただけだから」
「……うん、大丈夫」
うん、大丈夫。
そうやって答えて、私は数学の問題集に向かう。奥海さんも同じく問題集を解いていたが、程なくして「隠してる訳でも無いけど、本当の事を言ってる訳でも無いよ」と、そう言って、走らせていたペンを一度止めた。
「私の気持ちに嘘は無いし、後悔も無いし、変わりもないの」
だけどね……。
「例えば、私がこの事を誰かに、本当の事を話したとしたら、多分、何の得もしないのに、凄く沢山傷付くと思うのね」
花見坂上さんが。
視線を合わせ、そう断定された。
……あぁ、そうか。そうだよね。
奥海さんは続ける。
「私が迫害されて傷付くのは、なんて言うか、別に良いのよ。だって、そもそもあの時花見坂上さんに嫌われる事もあったかも知れないのに、あぁやって自分を押し付ける事が出来ちゃう様な人だからさ」
だけど……。
「花見坂上さんが迫害されるのは嫌。花見坂上さんが傷付くのは嫌なのよ」
私は言いを挟まない。
奥海さんは尚も続ける。
「私は女の子の花見坂上さんを好きになったけど、それ自体が非常識なのかも知れないけど、私、人としての常識はあるんだ」
奥海さんは笑った。
『にっ』と両の口角を上げて。満面の笑みで。
「私、好きな人が傷付くの、嫌なんだよね」
「………………」
「ん??」
「………………私も」
私も。
私も、好きな人が傷付くのは、嫌。
保身だと言われても、嘘つきだと言われても、好きな人が傷付くのは嫌だな。
春真ちゃんの事も好きだし、桃ちゃんの事も好きだし、二人が傷付くのは嫌だ。
奥海さんが傷付くのも嫌だ。
私が奥海さんを好きな事で、誰かが傷付くのも嫌。
理解者は少なくて良いし、私を愛してくれるのもたった一人で良い。
だけど今は、それが奥海さんじゃなきゃ何の意味も無いし、私が死んでも、死んだ後でも、そうであって欲しいと思う。
そう考えると、私は奥海さんの手を引いていた。
「どうしたの?」
問われるが、私は答えない。そのまま奥海さんと図書室の深部、奥まった資料棚の陰へと入った。備え付けの机で勉強する、沢山の皆んなからは絶対に見えないこの場所で……。
「花見坂――」
私は、奥海さんの首に腕を回し、そのまま引き寄せ、私の名前さえ最後まで言わせなかった。
奥海さんの唇が温かい。
好きな人の体温が心地良い。
良い匂いがして、心が満たされて、こんなに自分勝手に唇を奪ったのにも関わらず、奥海さんはほんの少しだけ困惑しただけで、すぐに私に身を任せてくれた。
十秒? それとも二十秒?
唇を離すと、自分の顔が熱くなってるのを感じた。奥海さんも顔を赤くしていて、なんとなく目がトローンとしていて、なんと言うか、とても可愛くて、私はそんな奥海さんに、どうしようもなく甘えたくなって――。
「! 花見坂上さん?」
奥海の胸に顔を埋めていた。
「…………」
「…………」
奥海さんの心臓の音が聞こえる。
心地良く、一定のリズムで、こんな事を愛おしいと思う日が来るなんて。
「ごめんなさい、奥海さん。私、常識無いのかも知れない……」
「……良いよ。常識無くても。私も、花見坂上さんが好きだもん」
…………。
「お願い」
また、また心臓が…………。
「お願い、奥海さん……」
ここで――。
「ここでキスして?」
私に――。
「私にキスして?」
言うと同時に、再び私は重ねられた唇で奥海さんの体温を感じた。
もう、なんなんだろう……。
彼女の事がが好きだ……。
あぁ。私、奥海さんの事が好きなんだなぁ……。
程なくして離された唇。
心臓の鼓動が早く、呼吸も浅くてクラクラしそうになる。
私より十五センチは高い身長の彼女が、私の髪を撫でながら真っ直ぐに視線を合わせてきた。
そして、問われる。
「……気持ち良かった?」
「…………気持ち良かった」
きっと私は、常識が無くて、そして我儘なのだ。
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