第9話

「おい、ラー坊」


 いつも通りに掲示板を眺め、今日は沼の方に湧き出したカエルでも狩りに行こうか、などと考えていると、横合いから声がかけられた。

 凛とした、透き通るような、それでいてどことなく不思議な心地がする声だ。

 脳内に検索をかけるまでもなく、俺の脳内に人物像が浮かび上がって来る。俺をラー坊と呼ぶ者など、俺が知っている中では一人しか該当しない。

 振り向いてみるとやはり想像通り、金髪に緑眼、圧倒的な美貌。

 服は布。下は長ズボンにブーツ。柔らかい革の外套に袖を通し、背中には矢筒と弓、それと腰にショートソード。

 よく見ると、長い髪の隙間から覗く耳が通常よりも尖っていることがわかる。

 しかし、エルフと言うには丸いし、エルフならばそもそもこんな場所にいるわけがない。つまるところ人間とエルフの混雑種、ハーフエルフだ。


「はぁ……蜥蜴竜か、フュー姉」


 彼女の名はフューゼア。俺の先輩────どころか、数十年前から居るこのギルドでは最古参の人で、等級は銅。

 最古参なのに銅と聞いて低いと思ったかも知れないが、彼女はそもそも等級に興味というものがない。狩猟の片手間でモンスター退治をやるのに都合が良いから、冒険者になったというだけ。銅等級になったのも、逆にギルドから頼み込まれたかららしい。

 その長い寿命で培った技術と経験は本当に異次元クラスなので、その気になれば宝石にもなれるだろう。

 あと、誤解しないでもらいたいが、姉ではない。

 この呼び方と口調は彼女の趣味だ。レクスにいる冒険者は遅かれ早かれ全員が彼女の弟か妹になる。俺も最初の頃は『お姉ちゃん』と強制的に呼ばされていたが、20を過ぎてもその呼び方はあまりにもキツ過ぎたので、今の呼び方にさせてもらった。向こうは大分不服そうな顔をしていたが、仕方ないと割り切ってもらうしかない。流石にもう無理だ。


「うむ。そうだ。狩りに行くぞ」

「……いや、前みたくダーグルに頼んでくれよ。どうせ囮だろ?」


 フュー姉は蜥蜴竜討伐の依頼書をぴらぴらとこちらに見せつけるように揺らす。

 蜥蜴竜は、まぁ、つまりラプトルだ。見た目は前世にいたラプトルとほぼ同じ。某ジュラシック的なヤツ。

 ただ、某ジュラシックなヤツとは強さが違う。この世界の魔境とも言える森の生態系の上位に君臨する、とんでもない生物だ。

 ちなみにトップは勿論ティラノ。この世界だと顎竜と呼ばれてる。

 森には他にもスピノ────扇竜とかもいるし、ティラノと同一視されているがギガノトもいるっぽい。馬鹿デカい顎竜の詩があったし、多分そう。

 まぁ、その辺がこの近くに来ることは精々30年に一回くらいだし、割とさっさと森へ帰ってくれるので、下手に手さえ出さなければ意外と大丈夫らしい。ラプトルはそうもいかないので、狩るしかないが。


 で、だ。この世界のラプトルはまず滅茶苦茶に速い。

 普通に正面から矢を撃とうとすると、100mくらい離れていても一瞬で詰められて死ぬ。

 しかも五感がエグいくらいに発達しているので、矢が死角から飛んできても避けられる。

 そんななのでこの世界のラプトルは、狩人殺しとしてそれはそれは恐れられているわけだ。

 ただ、前世のラプトルとは違い、群れはしないのが救いだろう。


 まぁ、フュー姉なら普通にタイマンでも勝てるんだが。

 いや、あの人本当にヤバい。スナイパーライフルとマシンガンのいいところだけを融合させて弓の形にしました、弾は矢です。みたいな感じで矢を撃てる。マジでバケモン。

 でも本人曰く勝率は8対2くらいらしい。

 まぁ、実際そのくらいだろう。この世界のラプトルのスピードはそれくらい異常だ。

 とにかく、そんなわけなので、勝利を確実なものとするために頑丈な囮が欲しいらしい。


 で、最近そんな囮は専ら俺。というか2年前くらいからずっと俺。前回だけ俺が遠出していたのでダーグルだった。

 正直、滅茶苦茶怖いのでやりたくない。……いや、ラプトルだけなら良い。普通にいい鍛錬になるから。肉体的にも動体視力的にも。

 怖いのはフュー姉の矢だ。当たったら確実にヤバいのが、体スレスレのところをビュンビュン飛んでいくのは恐怖すぎる。

 だからまたダーグルに代わって欲しいんだが……


「さ、姉についてこい」

「いや、だからダーグルにだな……」

「グル坊は蜥蜴竜には向かん。アレは防げはするが掴めはしない。おかげでお前の有り難さがよーくわかった」


 というわけで、向こうのお目当ては俺の握力らしい。

 確かに俺の場合、胴体だろうがなんだろうが掌で触れさえすれば掴めるので、結構な大きさがあるラプトルも割とあっさり掴んで止められる。

 しかし、止められるとは言っても流石に膂力の差が決定的すぎるので、精々が1秒ほど。よく止められて3秒くらい。

 まぁ、フュー姉にとっては、たとえ0.2秒だとしても仕留めるには十分すぎる隙であるのだが。


「はぁ……わかったわかった。行く。行けばいいんだろう」

「よし、そうと決まればさっさと行くぞ。ヤツの爪と牙はいい素材になる。逃げられてはコトだ」


 相変わらずの素材キチだな、と思いつつフュー姉に連れられてギルドを出る。

 進む方向はこの前に行ったばかりのテイアム方面。今回はレクスとテイアムの間の森林地帯に出たらしい。

 俺も忘れてたが、あそこも一応、区分的には大森林なんだよな。


「で、村は大丈夫なのか?」

「うむ。こちらから三番目の村の村人がそれっぽい痕跡を発見したというだけだ。被害は未だ出ていない」

「ほぉ、被害なしか。なかなかに幸運だな、今回は」

「いや、何。撒き菱とか言うのがあったろう。アレを試しに撒きまくってみたら割と上手くいったらしくてな」

「あー……そうか、そういやあったな撒き菱」


 この世界にも撒き菱はある。手裏剣っぽいのもある。

 どこかに俺と同じような転生者がいたのか、この世界なりに作り上げられたオリジナルなのかは知らんが、とにかくある。

 一時期俺もロマンを追い求めて使っていた時期もあった……が、普通に扱いが難しくてやめた。

 アレは素人が手を出していい武器じゃなかったよ、うん。


「……ところで、聞いたぞ。昇格試験で王都だって?」


 少し歩いて、木が段々と増えはじめて来たあたり。フュー姉がいきなりそんなことを聞いてきた。

 情報の出どころは……多分、リーネか?アイツはかなりフュー姉に懐いてる方だし、話していても不思議じゃない。

 いや、受付嬢さんって可能性もあるな。あの人も妹だ。

 まぁ、別にどっちが喋ってたとしても、だからなんだって話なんだが。


「……そうだな。春が終わったら直ぐに王都へ行ってくる予定だ。何か王都で欲しいものはあるか?」

「む、特には無いが……強いて言うならこの辺では取れん食材だな」

「ん。わかった。まぁ、どうせ干物になるが構わんな?」

「無論だ。私に腐乱物を食う趣味はない」


 この世界の生鮮食品の運搬事情は江戸時代あたりとほぼ同じ。冬ならまだわからんが、俺が王都に出向くのは夏。食材が3秒で腐る未来を容易く想像できる。

 一応大量の氷を買ったり、氷魔法を使える魔術士を雇ったり、腐乱無効を使える付与職に頼んだりすればなんとかなるが、やはりというかどれも高い。金貨の袋が軽く消し飛ぶ。


 そんなことを話しながら歩いていると、急にフュー姉の纏う雰囲気が変わる。

 空気に溶けるように噴き出される、威圧感のような殺気のような何か。

 どうやら、もう目的は近いらしい。


「……おい、ラー坊。もう出てくる頃だぞ。準備しろ」

「了解」


 精神を研ぎ澄ませる。五感に神経を張り巡らせ、周囲の状況を完璧に近い状態で把握する。

 まぁ、聞くだけだと凄そうに思えるだろうが、冒険者になって真っ先に叩き込まれる初歩的な技能だ。

 俺の場合、度重なるグリーンスキン討伐で若干精度が上がってはいる。

 …………いるのだが。


「……ん?いるが……これは……鹿か。こっちも鹿だな。ふむ、逃げていないとなると……おい、ラー坊。移動するぞ」


 今回はバケモンが同行しているので索敵用としての意味は完全なるゼロ。

 これはただの不意打ち防止用。連中、一瞬で来るのでこういう対策をとっておかないと普通に先手を取られる。

 まぁ、今回はあの異次元がいるので正直それもあんまり要らないのだが。


「ふむ、そうだな……あっちだ」


 フュー姉がヒョイヒョイと木の上へ駆け上がり、森の奥を示す。

 まぁ、若干怖くはあるが、進むしかないだろう。

 この辺まで降りて来たラプトルは早めに処理しないと生態系が食い荒らされる。


「……もっと奥だな」


 言われるままに奥へ進む。

 植物が禍々しさを増して来た。

 ……お、レート草。レート草は強化版アロエみたいな見た目の植物で、効果もアロエとほぼ同じな上、明らかにこっちの方がよく効く。

 アロエの完全上位互換と言っていいだろう。回収しておくべきだ。


「…………まだだ」


 レート草とその他諸々を手早く回収して奥へ進む。

 周囲に霧のような瘴気がうっすらと見えるようになってきた。

 このあたりからが魔境の入り口だ。と言ってもまだまだ入り口も入り口。全然浅い方だが。


「………………いた」


 お、やっと出たか。もう夕方だな。

 思ったよりは深いところだったが、本来のラプトルの生息域から考えると充分浅い。

 まぁ、下手に被害を出される前に見つけられてよかったってところか。


「──────フッ!」


 フュー姉が弓を引き絞り、一本の矢を放つ。

 矢は明らかに矢が放つべきでない音を立てながら飛び、木々の中に消えた。

 俺には見えないが、恐らくあの方向にラプトルがいるのだろう。


「…………」

「…………」


 刹那の静寂。いわゆる嵐の前の静けさ。

 そして。


「ギャアッ!ギャアッ!ギャアッ!ギャアッ!ギャアッ!」


 来た。弾丸のような速度で知覚範囲内を突っ走って来る。

 一瞬にしてラプトルは俺に肉薄すると、走りながら鋭い爪を俺の首めがけて繰り出した。

 やはり弱点は晒しておくに限る。わかりやすい。爪と首の間に左腕を滑り込ませてガード。

 そのまま走り去られる前に右腕でラプトルを拘束しようとして────


 突如として出現した2匹目のラプトルを知覚した。

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