第14話 政治屋
政治家というものはよくわからない生き物だ。
少なくとも、舞奈はそう思っている。
負わなくていい義務と責任を背負い、自由を捨ててしがらみの檻に飛び込んでいく。そんな人間が変でなければ、この世界に変人はいなくなるだろう――無論、政治家だからこそ得られるものもあるはずだが、リスクに見合ったリターンだとは思えない。
防人機構の施設の、客室で。
舞奈は政治家――公島と向かい合っていた。白髪など一本もない、と言わんばかりに黒々とした頭髪に、生気に溢れた顔、そしてそれを引き立てる高級なスーツ。百人に聞けば百人が貴族みたい、と言うはずだ。
その貴族が、貧困層の人間と対等に話しているのはある種のスキャンダルなのだろうが。
公島は平然と舞奈に言葉を投げてくる。
「君はいつか、お兄さんのようになりたいかな?」
半眼で、舞奈は返した。
「死ねって言ってる?」
「あぁ、そうじゃないよ。つまりだね、そう、善人でありたいと思うか――超人として人々に奉仕する覚悟があるかと、そういうことだ」
「ないに決まってるじゃない」
舞奈が言い切ると、公島は意外そうな顔をした。
「君はお兄さんのようになりたいのではなかったかな?」
「あたしは兄さんの意思を継いだけど、でもそれって、兄さんと同じになるわけじゃないでしょう――後継者って、別に同質の存在になるってことじゃないはずよ」
「ふむ、そうか……」
「何? あたしが兄さんみたいにならないと、不満?」
「ないと言えば嘘になる。彼は超人の義務を理解していた」
「それ」
舞奈はうめく。
「凡人の発想よね。超人は優れているんだから、自分たちよりも苦労するべきだって――自分たちが何もしないでいるための理由探しの結果でしかない。あなたは、そんなつまらないことを言いに来たのかしら?」
公島は、苦く笑う。が、それはあくまでパフォーマンスだ。彼は自分に有利になることしかしないというか、政治家とは本来そういうものだ。損得の計算をできないのであれば、政治家としては二流だ――善人が優秀な政治家になれない理由がそれである。
はたして、公島はどういう得を見つけてそう笑ったのか。舞奈にはわからない。兄ならば理解して、先んじて彼を喜ばせるくらいはできただろう。兄はとにかく、察しのいい人だった。あまりにも良すぎて、不幸になる道しか選べなかったほどに。
「今日ここに来たのはね、間宮さんに用があったんだよ。しかし、彼はしばらく手を離せないというから、まぁ、君には暇潰しをお願いしたわけだ」
「そんなの、茜さんでいいでしょう。金を払えば、ホテルでも喜んでいくんだし、あれは」
「私はね」
政治家は――日本の明日を担い、数年の内には総理大臣になると決められた男は言う。少なくとも、この政治家はそのつもりで、であれば、手段を選ばずにその地位を得る。
「立場的に、女一人抱けないのさ。妻とさえ、まともに性行為はできない。君は、優秀な政治家に必要なものが何か、わかるかな?」
「得を得られる好機を見逃さない、鼻の良さでしょ」
「それもある。が、最も大切なのは家族を作らないことだ」
「どうして?」
「家族とは弱みであり、凡人というのはね、愚かだから有権者よりも家族を優先したい、などと思ってしまう――尽くすべき相手を誤る、というわけだ。だから私は子供を作らないし、その危険のある性行為はできないんだ」
少し感心して、舞奈は告げる。
「あたし、あなたはもっと俗っぽいのかと思ってた。自分の権力をスライドさせる相手は、子供だってそう――つまり、凡人らしいことをするって思ってたってことだけど」
「私は生まれながらの政治家だよ。だから、そう、父や祖父の愚かな姿を見てきた。彼らは実務を取り仕切る能力はあったが、精神は政治家――貴族のそれからは遠かった。だから総理大臣にはなれなかったし、歴史に名を遺すような誉れにも恵まれなかった」
「自分は違うって?」
「ああ。私は総理になるし、歴史に永遠に遺るよ――なぜなら、私はこの日本に悠久の幸福を生み出した男なのだから」
ふと違和感を覚えて、問う。
「生み出した? もうあるっていうの? 今から作り出すんじゃなく?」
「ああ。君にもいずれ教えよう。人は手に入れたのだよ――幸福になるための最善を」
どう考えても、ろくでもない言葉だが。
言い切ったからには、公島にはその確信があるのだろうし、すでにそのため――幸福になるためのシステムは完成していると見て、間違いない。有能な政治家は、できないことを口にしない。できることだけを豪語して、実際にやってみせるものだ。
訝しみながら、舞奈は告げる。
「そんな都合のいいもの、あるわけ――」
「人には無理だろう。手に入らないも、幻と言ってもいい。が、何のために超人がいるのか――そういうことだ」
「あたしに何かさせる気?」
「君だけが超人というわけじゃない。もちろん、君は超人だよ、それは認める。だが、世界は広い。この日本だけでも一億を超える人がいるんだよ。探せば、超人だろうとなんだろうと見つけられるものだ」
「腹立つ言い方得意よね、あなた」
「君ほどじゃない。ゴーズでなければ、百回は殺しているよ」
その言葉を冗談ではなく、本気で言っているからこの男は油断できない――その気になれば、いつでも舞奈を殺せると確信しているのだ。無論、公島が直接、手を下したりしないし、常識を順守するようなこともしないだろう。舞奈が寝ている間に、アパートを爆破すればいいだけのことである。貧困街の建物が消えて、嘆く人などいない。
公島は危険な男だが、そうでない人物が政治家などという狂気の仕事をするべきではない――政治が誰にでもできると思っているのが馬鹿以下の証明だ。
「公島さん」
と、間宮が客室に入ってくる。用事は終わったようだ。
「やぁ、間宮博士。首尾はどうかな?」
「何か頼んだの?」
「君に教える理由はないわな――完璧ですよ、当然でしょう」
公島は防人機構を作り上げ、今現在のスポンサーの大半を連れてきた男だ。間宮にしてみれば、彼に逆らうなど天地がひっくり返ってもありえないことだろう。
「ふむ。ならば私は帰ろう。たまには家内を労ってみせないと、夫ではいられない」
「奥様によろしくお伝えください」
「別に奥さんに媚び売っても、あんたに得はないでしょ」
「そうでもないよ、舞奈君。我が家の財布は妻が握っている。私は、個人的な募金さえもできないんだ」
「嘘に聞こえるけど?」
「私だって知らんよ。だがな、公島さんは私らの最上級の上司だ、忘れない方がいいぞ」
「彼女は最初からそれを知らんようだがね」
「覚えておく必要のない情報なんて、ゴミよりも価値がないんだもん。仕方ないでしょう」
公島も間宮も、舞奈が媚び諂う姿が見たいのだろうが、爺どもの妄想に付き合ってやるほど善人であるつもりはなかった――公島にも間宮にも、舞奈は殺せない。舞奈を失えば、ケダモノに対抗する手段がなくなるのだから。
無論、新しいゴーズの適合者が見つかれば話は別だが、そのためにかかる時間と労力――そして人的被害は膨大なものになる。貧困層の人間はいくら死んでも大して話題にはならないが、それでも、まったく動きが出ないわけでもない。一人死んでも問題がなくても、百人が死ねばさすがに噂くらいにはなる。
「ま、いいさ。君もいずれわかるようになる――人は嫌でも、大人になるのだからね」
「自分が大人だって言ってる?」
「そうだよ。私は大人だし、間宮博士もそうだね?」
「もちろんです――間違えたりしませんよ」
と言いながらも、間宮は公島を見限ればあっさりと切り捨てるだろうし、それは逆でも同じことが言える――それが大人だとすれば、あまりにも目標にする価値がない。それでも、大人になれ、と彼らは言うだろう。
自分たちだけが大人になるなんて、許せない。
などと、思っている――劣等種は自分たちと同じ位置まで堕落していない人間を許せないし、視界に入るだけでも嫌なのだ。だから、誰も彼も堕落させようとする。
「自分が大人だっていう自信があれば、同意なんて求めないと思うけどね」
「耳が痛いよ――君に痛い想いをさせられないのが、これほどまでに憎いと思ったことはないね」
「へぇ、通算何度目?」
「最高は常に塗り替えられているよ。君は優秀だからね」
皮肉の応酬になったが、続ければ舞奈が不利になる。教養の差、教育格差は歴然としている。所詮、生まれ育った世界が違い過ぎて、勝負にもならない――忌々しい。
「さて、本当に帰るよ」
「お見送りを――」
「不要だよ、間宮博士。その暇があるなら、彼女を教育してくれ」
「わかりました」
「やる気ないくせに」
間宮が、黙ってろ、という目を向けてきた。肩をすくめて、舞奈はそれに応えた。
公島が去ってしまえば、客室にいていい理由はなくなる。つまらないルールがあるせいで、この部屋を自由に利用することもできない。
廊下に出ると、間宮が愚痴をこぼす。
「君は、私の寿命を減らして楽しいか?」
付き合っているほど暇ではない。間宮を追い越して、告げる――情けで。
「減るほど残ってないじゃない」
間宮が怒りで手を振り上げたのは察していたが、素人の拳が当たるはずがない。戦いのタイミングと距離をわかっていないから、そもそも、振り下ろせない。間宮は優秀な技術者かもしれないが、武を振るえる人ではないのだ。
施設を出て、帰路に着く。タイムカードを切れと茜が言うかもしれないが、その辺の調整が彼女の仕事なのだから、何も言わずにやればいい――仕事とは結局、各々が役割をこなしていれば滞りなく進むものでしかない。
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