第10話 ブルー・ゴーズ
神代舞奈は基本的に怒っている人だと、思われがちである。
舞奈自身、それを否定する気はあまりない。だって世の中の人たちは馬鹿過ぎて、いつもあたしを苛々させるんだもの。仕方なくない? というのが彼女の言い分だった。
貧困層の暮らす街で、舞奈は育った。父は何をしている人か知らないが、おそらくは違法ドラッグの密造が仕事だと思っている。いわゆる電子ドラッグで、音声と映像を認識しているだけで気持ちがよくなる代物のはずだ――それを作る父の背中を、舞奈はずっと見ていた。父は舞奈の顔を見ることはなかったが、ディスプレイとは睨めっこをしている。
母はその電子ドラッグの売買を担当している。はずだ。スマートフォンを操作して連絡を取る姿ばかり見てきたから、予想ではあるが、おそらく正解だ。
舞奈はそういうもので両親が得た金で育った少女である。
十八歳になり、見た目は富裕層のアイドル――を遊びか、婚活でやっている女どもと――比べても負けないくらいに整っている。白い肌に切れ長の瞳、バランスのいい顔のパーツ、しっかり起伏のある身体、大して手入れもしていないがいつでも綺麗な黒髪をポニーテールにして、服装はいつでもシャツにジーンズだ。
服装に金をかけられるような、そんな身分ではない。だから必然、古着屋で投げ売りされている服しか買うことができず、必然、シンプルな格好にならざるを得なかった。
舞奈の家は貧困街の住居としては珍しく、一軒家だ。両親は金だけはあるから、安アパートで生活する気がなかったらしい。建て前としては、子供が自由に遊べる広さの家を求めていたそうだが、実際はセキュリティの高い家を探した結果だと聞いている――個人で仕事をしようと思えば、余計な邪魔の入らない一軒家の方がいい。
一軒家ともなれば、いくら金があると言っても所詮は貧困層の中では、でしかない両親は駅前ではなく少し離れた所に家を建てた。おかげで、舞奈はどこへ行くにも自転車が欠かせなかった――今は少し事情が変わって、バイクに乗ることもあるが、プライベートでは未だに自転車のお世話になっている。
というわけで、舞奈は自転車がえっちらおっちら走って、防人機構の施設に来ていた。本来は非番なのだが――ケダモノが出れば即座に出勤なので、実質、待機なのだが――、つまらない理由で呼び出されたのである。バイクを使えば怒られるくらいの、つまらない理由であり、舞奈はそのせいで怒りを覚えていた。
絶対に。と舞奈は思う。ぶっ飛ばすあの爺!
施設に入るや否や、舞奈を呼び出した男――間宮が待ち構えていた。
「遅い――」
「うっさいのよ爺! まーたあたしに愚痴を言おうっての!? あんたさ、自分の立場がわかってんの、ねぇ!? あたしはね、あんたが来いって言ったら、こうして来ないとなんないのよ、つまり、あんたは強制執行ができるのよ! その立場を理解していれば、たかが愚痴ごときにあたしを呼ばないでしょう違う!?」
「えぇ……」
間宮は怯んだらしかった。そもそも、この爺は自分に反抗する年下の人間というものが存在していることが解せないのだ。馬鹿だから、年上でちょっと特別な技術を生み出しただけで、年下の連中は誰もが褒めたてると勘違いしている痛い爺でしかない。
それでも、尊敬に値するような爺であれば話は別だが、所詮は舞奈の協力なしでは自身の開発したゴーズでさえも運用できない、とびっきりの愚か者である。それを理解しながらも、舞奈を奴隷か小間使い程度にしか思っていないのだから始末に負えない。
馬鹿で愚かな人間に生きている資格はないということを、いい年をして理解していないのだから、間宮は天才でも何でもないと舞奈は思っている。
「少しくらい、話を聞こうっていう姿勢をだね……」
「建設的な意見なら聞くっての。あんた、くだらない愚痴以外になんか言える? 言えるなら言ってごらんなさい。特別に聞いてあげるから」
「なんで君はそんな偉そうなのか……」
「偉いもん。あたしがいなけりゃ、あんたのゴーズはなーんの価値もないってわかってないの? どんなにすごい技術でも、使える人がいなけりゃ、そんなの存在しないのと同じなんだよ? そういうこと、わかんないの? 自称天才科学者の爺はさ」
舞奈が言い切ると、間宮はしょぼくれた服装と髪の毛くらいしょぼくれて、去って行った。告げる。
「逃げるなら最初から呼ばないでよ! 建設的なこと言えないって認めてんじゃない――あ、おいこら! ほんとに逃げるとかどういう神経してんのよこの爺!」
「うるさーい! 最近の若者は大っ嫌いだー!」
「子供みたいなこと言いやがって!」
吐き捨てる。間宮は研究室に消えていった。本当に消えてしまえば楽なのだが、こういう役に立たない爺に限ってなかなか死なないから面倒臭い――憎まれっ子世に憚る、というのは真実であるかもしれない。
「あーくそ……気分悪い」
「声がでかいよー、まいちゃん」
気楽で軽い声を投げてきたのは、茜だった。事務室の入り口から顔だけをのぞかせて、それで我関せずを気取っている嫌な人だ。ぼやく。
「茜さん、いるならあの爺の愚痴を聞いてあげてよ」
「なんでよ、嫌だよ」
「おかげであたしの休みは台無し! ここまで二十分もかかるんだよ?」
「バイクで来ればいいじゃない、速いよ?」
「それで減給になったら、その補填してくれるならいいんだけど?」
「ふざけないでよ、小娘が――私の給料よりも大切なものは、この組織にはあんまりないんだから」
簡単に言い切るのだから、茜には好感が持てる。不愉快なことをしないのが、この女のいい所だ。それくらいしかない、とも言えるのだが、まぁ、そんなことは言ったりしない。代わりに、言う。
「コーヒー淹れてよ」
「ここが喫茶店じゃないって知ってる?」
「ご生憎様。あたし、喫茶店なんて利用したことないの――誰かさんが給料を独り占めするから、その程度のお金ももらえないんだよね」
「コーヒー浴びたいの?」
「はっ。やれるならやってみなさいよ。あたしと違って、あんたの代わりなんていくらでもその辺に転がってるってこと、その身に刻み込んであげるから」
間宮の開発したゴーズを使えるものは適合者だけだが、給料泥棒の役所の下請け女なんていうのは誰だってできる。茜がクビになっていないのは、単にルーチンワークを崩したくないというお偉方の思惑でしかない。
偉くなるとはつまり、臨機応変に動くことをしなくなる――怠惰を覚えるということだ。そのために有用な人材の登用が常態化して、新しい風を吹かせる人間なんてものは存在さえも許せないという、不寛容さを垂れ流しているあのおっさんたちは死ねばいいと舞奈は常々思っている。
「かわいくないよね、あんた」
「どうもありがと。で、コーヒーはいつ淹れるの?」
茜は断れない。下手に不服従をすれば、彼女は失職する――それがわかっている上でこういう対応をするのだから、なるほど、あたしはかわいくない。舞奈は認めた。が、どうでもいい。どうでもいい人にどう思われようと、それは心を一ミリでも動かさない。
舞奈にとって、好印象を覚えて欲しい人なんて一人しかいなかった。もう故人で、その人以外の誰かによく想われたいと感じたことは、一度だってない。
事務室に入り、デスクに座る。前任のゴーズの席だったとかで、歴代の適合者の使っていた席である――ゴーズはどんなことを言っても、生命の簒奪者でしかなく、長く続けることができない。精神を病むか、ケダモノに殺されるかの二つの結末しかないそうだ。
しかも、どれだけがんばっても評価されないし、富裕層になれるほどの金をもらえるわけでもない――富裕層を守るための存在なのだから、その立場を脅かす可能性を孕んだ存在になれることが許されるわけがない。
だというのに、彼らはゴーズを求める――人を守る超人を求める。大概、矛盾した心理だとは思うのだが、誰もそれに異を唱えない。自分たちの生活を守るために仕方ない、と言えば聞こえはいいが、単に己が無能だと証明したくないだけだ。
富裕層と貧困層で共通している一点がある。それが、失敗をしたくない、という想いである。成功しなければ、無能だと罵られる。それが怖いから、そもそも成功や失敗というリスクを背負うような事態を避けるために最善を尽くしている。
その意味では。舞奈は椅子に座って思う。茜も何も変わらない。彼女は昨日と同じ仕事と、明日は京都同じ仕事しかを絶対にしない。もしも、それから外れることをして失敗するようなことがあれば、茜の生活は崩れる。
茜はそういう、大馬鹿者の仲間だ。だから、舞奈は彼女が嫌いだし、ゴーズというパワードスーツの技術を進化させることなく、つまらない仕様変更でお茶を濁す間宮も死ねばいいと思っている。
防人機構の生みの親である公島は、防衛大臣になったとかで滅多に顔を見せなくなった。それでも問題なく組織は機能しているのだから、あんな肩書と生まれに恵まれているだけで、実際のところは何もしていない男が死んでも、誰も悲しまない――政治家としても、たとえば家庭の人としてもいくらでも代役はいる。
本当の意味で、替えの利かない人間なんてものがいるとすれば。
それは舞奈だったり、舞奈の兄――のような関係の男――くらいである。彼は有能だった。有能過ぎて、人間に尽くし過ぎて死んだ。舞奈には予想できた未来だったし、兄だってわかっていたはずだ。
わかっていて、彼はその未来を選んだのだろう。人の総意に従うとかなんとか。それが兄の口癖だった。基本的には大好き――家族として――な相手だったが、そこだけは相容れなかった。人の心は自由であり、全体に隷属する理由はないはずだと、舞奈は思う。もっとも、心をなくして奴隷になる方が幸福になれるのが、現代かもしれないが。
人としての自由と幸福を求めるよりも、奴隷として不自由とわずかな幸福だけで満足する方が楽だし、コスパとタイパがいいと考えるくそったれどもがいて、そういうやつらがもっと救いようのない馬鹿どもをのさばらせている――全員、死ねばいいのよね。と舞奈は常々思っている。
「はい、コーヒー」
忌々しそうに茜がカップを渡してくる。それを受け取り、返す。
「出涸らし?」
「味わかる人なら、高いの出すけどね」
「うん、まずいのはわかった――どんな豆を使っても同じような味なんでしょ? ま、うちが豆から淹れられるなんて思わないけど」
そう言ってから、コーヒーを飲む。茜の額に血管が浮かんでいたが、ここで怒れないのが彼女の限界だ。自分の立場が悪くなるとわかっていても、自分の自由なる意思のために動かないといけない時があるのに、それに見向きもしない――愚かだ。
「わ、ほんとまずい」
「なら飲まないでよ」
「うん。あげる」
カップを渡そうとするも、受け取らずに茜は席に戻っていく。飲みかけのコーヒーを放置すれば、最終的に片付けるのは彼女なのだから受け取った方が楽なのに、目先の怒りに囚われているから……もっとも、怒りに任せて判断を誤るからこそ凡人ではあるのだが。
舞奈はいつだって怒っているが、判断を誤るようなことはしない。怒りと判断は切り離すべきだ。感情を自在に、自由に出し入れできないのはかわいそうだと思う。
コーヒーを飲まないのであれば、事務室にいる意味はない。そして間宮を黙らせたからには施設にいる意味もない。それでもコーヒーを飲みに来たのは、予感がしていたからだ――ケダモノが出る、と。
人間に未来はわからないと言うが、それもまた、凡人にありがちな誤りだ。人間はその気になれば未来のことなんて簡単に予想できると、舞奈は兄から学んだのから。
無論、数日後だとか数年後の未来となれば話は別だ。そんな先のことがわかれば、それは絶望しかない――未来のことが断定できるなんて悲劇でしかないということさえ、凡人はわからない。
ともあれ、兄が予想して当てるのは数分とか、どんなに長くても一時間前後ではあった。が、人間の生活においてそれ以上のことを知る意味などない。そんな兄の影響か、舞奈も三十分以内の出来事ならば予想して、当てることができるようになった。
それは周囲の環境の情報からの計算と、直感の足し算のようなものだ。そこに経験値が入れば完璧だが――人間は経験に依存して間違いを犯す生き物でもあるから、どの程度それを信用するかの判断を間違えるわけにはいかない。
そんな予想の下、舞奈は五分、待った――AIの声が聞こえる。
「ケダモノが発生」
「了解。ブルー・ゴーズ、行ってあげましょう」
「わかってたの?」
「うん。あたし、超人だもん」
事実を言っただけだが、茜は不愉快そうだった――仕方ないことだ。超人は誰にも理解されないものである。
だからこそ、人間は超人を使い潰す。兄をそうしたように。
「あんたさ」
事務室を出る時に。
茜は言った。
「死ぬよ、そのうち」
「そうね、だから何?」
茜は何も返してこなかった。その程度の人間だ――相手が自分に言い返さないことを前提とした会話しかできない、馬鹿以下の人間だ。何がひどいかと言えば、おそらく、彼女はそんな自分のことが大好きなことだ。
だから茜は、一生、馬鹿にすらなれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます