第9話 政治家というもの

「そもそも、幸福に至るためになぜ痛みが、苦しみが必要なのか」

 新興宗教なんてものは、とっくの昔に法で規制されて消え去っているのだが。

 そういった、つまり幸福がどうだとか言い出す輩は後を絶たないものである――誠一は半眼でその政治家を見つめていた。

「人は幸福になるために生まれてきたのであって、痛みや苦しみ、不幸を味わうなんていうのは生命誕生の本質に背いた愚行であるはずだ」

 公島圭太。それが政治家の名前だ。スーツに疎い誠一でも一目で高級とわかるスーツに身を包み、いかにも貴族然とした雰囲気と顔つきをしている。実際、貴族だと言っても間違いではない。公式には否定されているし、公島自身も肯定はしないのだろうが、富裕層の中でも上澄みの家で、何の障害もなく政治家になれた、というのは貴族でしかない。

 年齢は五十歳。政治家として脂の乗った年齢であり、男盛りと言える。政治家としての活躍はもちろん、性的にも豪胆な振る舞いで有名だ。

 その公島は、防人機構を生み出した男でもある。だから、施設には定期的に顔を見せる。自分の作った組織が、自分の意に反したものになっていないか。そのチェックを怠ればアキレス腱になり得るということをよく理解している。

 それはつまり、いつでも切り捨てる――というアピールだ。ケダモノの存在が消滅しない限り、防人機構は必要なのだが、公島は自分の邪魔になると断じれば、簡単に組織を消すだろう。あくまで、彼の意に沿っているから生かしているに過ぎない。

 防人機構を潰せば、ケダモノは野放しになる。が、それがなんだというのか、と公島は確信しているだろう。貧困層は選挙に行かないのだから、政治家として守る価値はない。富裕層は現実を直視できないから、自分たちの仲間が死んでも日常を守るために見なかったことにする――だから、無理に人を守る意味はないわけだ。

「つまりだね、風切君」

「はい」

 政治家は自分の言葉を黙って聞く人を好む。俗人との違いは、そこから議論になっても勝てるという確信を持っているかどうか、だ。公島は国会では常に議論の勝利者である。

「人は無償で幸福になるべきなんだ。そのために命として進化し続けているんだよ」

「苦難がないと、美談になりませんよ」

「人は都合よくストーリを作ってくれるよ。少しだけ材料を与えてやれば、あとは勝手に自己完結させられるのが人だ。それとも、君は公式発表以外を信じられないかな?」

「そうではないですけど、人は、美談が好きです」

「それは当然だ。美しいものが嫌いな人なんていないからね――美醜のジャッジは社会がするものであって、個人がするものではないということは、知っているね?」

 にやりと、公島が笑う。野心に溢れた笑みは、女を落とすだけの力を持っている。女は本能的に強い男を求めるもので、この政治家はそれをよく理解しているのだ――もっとも、人々が政治家に求めるものは性別関係なく、その強さである。

 圧倒的な強さで強引に、豪胆に自分たちを幸福にしてくれる。

 理想の政治家とは結局、そういうものだ。

「その定義をするのは、いつかあなたになる」

「そうだよ。疑問を持つかな?」

「いえ。人に選ばれるって、そういうものだと思います」

 そして、選ばれ続ける――都合のいい存在だと思わせ続けるだけの能力と覚悟がないなら、そもそも政治家になどなるべきではない。

政治家に求められるものとは、人を騙し、欺き、利用し、夢を見せて、現実から目を背けさせる手腕だ。間違っても、真実を以って誠実さを貫き、世を正すような理想を叶えてしまう超人ではない。

 その意味では、公島は天性の政治家だと言える。防人機構を立ち上げるための予算を奪い取り、人材を配置したのは彼一人の力で、一人の官僚の力すら借りていないと言ってもいい。

 そのあまりの手際の良さに、誰もが反対するタイミングを見つけられなかったくらいである。落ち着いて考えるだけの余裕がなければ、人は、どんな悪法にも反対できない――防人機構の存在は悪ではないと思いたいが、余計な予算を食う虫だと言われれば、否定はできない。

 その公島は、どういうわけか誠一を気に入って、施設に来る度にこうして話し相手になることを求めてくる。言うまでもないが、組織の生みの親なわけだが、要求は命令だ。間宮も柊も決して、この件については口にしないし、他の同僚だってそれは変わらない。

 事務室の来客用のソファに座り――それはいつしか公島しか座ってはいけないソファになっている――、公島は楽しそうに語る。

「なぜ私が人に選ばれたのか――選挙で勝つとはどういうことか、教えたね?」

「人々が見たいと欲する現実だけを見せる」

「その通り。私はその術に長けて、顔もよく、金もあり、実家のパイプも強く、ついでに人より優秀なんだから、票を集めるなど容易い――果ては総理大臣になるわけだが、その時は君をSPにするよ」

「俺はゴーズでしかないですよ」

「ケダモノが出ればその役割をこなしてもらうが、毎日出るわけでもないんだ。暇はあるだろう?」

「ぬるま湯に浸かり過ぎて、真っ当な仕事はできません」

「イリーガルな仕事だよ、安心してくれ――君に真っ当など、与えるわけがない」

 公島が情熱的な声音が言い切った。つまるところ、冷淡に誠一を利用すると宣言したわけだが、人は情熱を前にすると冷静な思考を失うものである。

 誠一が冷たくその現実を直視できる理由は、単に、公島の本音を悟っているからだ――彼は彼の夢を叶えることにしか興味がない。その過程で多くの人を幸福にするだろうが、そんなものは些末な出来事なのだ。

 その夢の正体はまだ理解できない。簡単に他人に悟られてしまう夢など、大した価値はないし、叶えても誰も――自分さえも喜ばせられないものである。

「誰かが法を犯し、禁忌の領域で生きねばならない。それが世の理だ。その数を可能な限り減らすための努力がつまり、歴史なんだよ」

「ゼロにはならない?」

「すれば、人の手から幸福は落ちるよ。一億の人を幸福にするための独りの犠牲は容易に容認される――自分がそれでないなら、人は気にも留めないし、むしろ、後押しをする」

「自分と、精々が手の届く範囲に犠牲者がいないなら、それでいい。そう思うのが人の本質とか、そういうものですか?」

「人は己の見たいと欲する現実しか見ない――などとのたまった偉人がいるが、あれは少し違う。見られないんだ。最初からできないんだよ。人は生まれる前にすでにその才があるかどうか、というふるいにかけられる。できない者は、何があっても自分の知る現実の外にも世界があることすらわからないで死んでいくのさ」

 あおれはある意味で幸福だと、いつだか公島は語っていた。自分の手の届く範囲しか認識しないならば、よほどのことがない限り、その人は幸せに人生を終えられる。

 ネットの発達で認識できる世界が広がった――なんていうことはない。むしろ、ネットの世界で同類を見つけて、世界を拡張することなく、身内の中だけでの馴れ合いから先に進むことなく一生を終える人ばかりになった。

 何より、それが楽だ。自分の認識の外にも世界があって、そこには苦痛を抱えて生きる人がいると知れば、無邪気に幸福を謳歌できなくなる――幸福とは所詮、思考停止と盲目になることでしか叶わない幻想だ。

「それが、愚かだと?」

「そうは言わない。そういう人の分まで現実を直視し、正していく才能を持った人を政治家と呼ぶんだ。無論、そうでない本物の愚者もいるが、それを支持することで義務を果たしたと思い込む救いようのないゴミにしか支持されないから、いざという時に切り捨てられる。そんなものが政治家であるはずがない――政治家とは超人であるべきなのさ」

 朗々と語る公島に狂気は感じない。この政治家はあくまで冷静に客観視した上で、自分を超人だと自負している。間違いではないだろう。凡人とは、自分を超人だと信じることができず、他者に対して証明できない人のことを言うのだから。

 厄介な人だ。声にせず、誠一はうめく。それが虚言であればいいが、この男は実行できるだけの才能とコネがある。だから無下にできないし、彼は必要なら誰だろうが駒にして使い捨てられる。

 優秀であるここと、人間ができていることは両立しない。

 公島は前者ではあるが、後者ではない。だから皆で幸せになろう、などとは表向きの演説くらいでしか言わないだろう。本音では非情で冷酷で……愚かだ。

「その超人のあなたが、今日は何の用なんです?」

 にやりと、公島は笑う。

「君にひとつ、提案を持ってきた」

「拒否権ないんでしょう?」

「ああ。すでに手は回している。もし断れば、即座に君は拘束される。できれば私も、手荒な真似はしたくない――部下のメンタル管理もまた、私の仕事なのだからね」

 誠一を傷つけることで、苦しむ部下がいるのだろう。彼らのために、誠一には痛い目に遭えと言っている――正気で。

 この男も、誠一のことを人だとは思っていない。思うはずがない。超人の視界の中に写る人は二種類しかいない――救うべき人と、そのために利用するべき人。誠一がどちらかは考えるまでもないことだ。

「俺が消えれば、ケダモノを殺せなくなりますよ。まだ後任は見つかっていないんです」

「たかが千人程度の人が死んでも、誰も気にも留めない――万を超えたとしても、話題に上がるだけで済む。人は、自分の身内が死んだって、目の前の生活に追われれば忘れてしまうものだよ」

「……あなたは」

 冷静に、言う。

「一人でも多くの人を幸せにする気ですね?」

「それ以外に望みなどない――私はこの国の人の幸福を心から願っている。その中に君は入っていないが、入りたいなどと下賤な言葉を口にする気かい?」

「いえ」

 公島は起伏があり、バイタリティに溢れた声で言ったのだから、少し笑いそうになる――彼の親族は何を思って彼をこういう人にしたのだろう。

 自分たちが幸福になるための道具として作り上げた、その才覚は大したものだが。

「俺は、ちゃんと利用されます――永遠に」

 最後は人を犠牲にすることでしか幸福を作れないのだから、公島もまた、旧人類的な世界しか作れないのだと、そんなことを思った。

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