第6話 日常という戦い
職場からアパートまでは徒歩で二十分だが、誠一はバイクで通勤しているからあっという間だ。個人所有ではなく防人機構の所有物なので、私的な利用は禁じられているから通勤と出撃だけでしか走らせておらず、走行距離は多くはない。車検に通せば、違法改造だとか規格外だとかで問題視される代物だから、そういうものとは縁遠いが。
アパートは築百年が見えてきた木造ボロアパートだ。セキュリティも何もあったものではないが、貧困層の人が借りられる物件なんてこんなものだ。保証代行業者を通しても、精々がボロ、が頭から取れるくらいでしかない。
社会的な信用はないに等しい。もちろん、両親がいればいいのだが、児童養護施設育ちとはこういう時にも差別をされる。
部屋は二階で、三部屋あるうちの一部屋だ。鍵のかからないドアを開けて、中に入る。貴重品があるのだから、鍵を直してもいいのだが、盗まれたらその時はその時だ、という想いが邪魔をしている。
中は1DKで狭くはない。独りならばちょうどいいとさえ言えるし、和室ではなく、フローリングだから少しだけ貧乏という感じが減る。まぁ、清掃業者の力を借りてもぬぐい切れない、しみついた汚さというものはあるので、総合点ではマイナスになるのだが。
誠一は部屋着に着替えて、万年床に入った。疲れてはいないが、眠りたかった。いつ起こされるかわからないから、帰宅はイコール睡眠になる。食事は抜いてもどうにか生きていけるが、睡眠はパフォーマンスの発揮の妨害と化す。食事だっていずれはそれに繋がるのだから、健康的な生活をするのが最善だとわかってはいる。
だが、ゴーズの適合者は他にいなくて、ケダモノはゴーズでなければ殺せない。
そうなれば、誠一が無理をしないといけない――人が持たない才能を持つとはつまり、人よりも業を背負うということだ。
寝た。はずだが。
二時間もすれば、目が覚める。夜の九時半。アパートの窓からたくさんの灯りが見える。水商売と風俗が主な産業なのだから、どうしたって夜が主戦場になる。今日もたくさんの金が落ちて貧困層の人の手に渡り、税金という形で富裕層の懐に還る。
金の動きは繰り返しだ。
それは、人も同じだろうが――否定はできない。個人が、人という種の流れを変えることなんてできるはずがない。
起き上がって、キッチンに行って冷蔵庫を開ける。リサイクルショップで買った、何世代分、型落ちしているかわからないそれはとりあえず今日も稼働している。いつ壊れるかというチキンレースに、今日は勝った。
冷凍食品でもあればいいが、冷凍室がないのだから買えるはずがない。そして、これといった食べ物は入っていなかった。近くのスーパーはもう閉まっているが、コンビニか、ドラッグストアは営業しているはずだ――昔、避妊手術が貧困層の人の義務になる以前、深夜でもアフターピルを買える店として深夜営業をしていた名残である。
ドラッグストアに足を向ける。コンビニより安いし、弁当をしっかり食べる気がないから。菓子パンのひとつか二つを食べればいい。それか、インスタント食品を適当に腹に入れられたら文句はない。
量はもちろん足りないのだが、児童養護施設時代から満腹なることを稀にしかなかったので、わりとどうでもいい。施設はできるだけ量と質に優れた食事を用意してくれていたが、育ち盛りの男が満腹になるのは難しかった。
買い物を終えて、面倒になって帰路を歩きながらパンを食べる。
帰路の最中、あちこちの客引きから声をかけられる。法の下では禁じられた行為なのだが――ぼったくりや詐欺の温床になり、その賠償金を税金から出すとなれば面倒だ――、貧困街では当たり前に行われているし、誠一もバイトでやっていた。
そのせいか、顔馴染みもいるのだが、今の誠一に笑顔で対応してくれる人はいない。下請けではあるにしても、役所の仕事をしている。その安定性と各種保証の手厚さは、嫉妬や憎悪を生むことがあっても、共感を呼び起こしたりはしないものだ。
もちろん、間宮や柊のように上客になれば話は別だ。しかし、誠一は居酒屋はともかく、女が関する店を利用したことはない。居酒屋だって法的にはアウトな年齢で利用していたのだが。
ともあれ、ある種の裏切り者になった誠一は誰に声をかけられることなく、帰宅した。その頃にはパンは胃に収まってしまい、もはややりたいことはなかった。
水を飲んで、再び布団に潜り込む。寝ておいて損はない。幸運の女神が微笑んでくれれば、朝まで眠れる。
と。
そんなことを思った直後に、耳にAIの声が届いた。
「ケダモノ発生」
布団から出て、最低限の着替えを済ませて――部屋着で現場に行くと、どこからかクレームが入って面倒なことになる――誠一は部屋を出た。返す。
「場所は?」
「バイクに送りました。自動運転で着きます」
「了解」
バイクにせよ、自動車にしろ、完璧な自動運転が実装されて久しい。平時は、通勤くらいでしか自分の意思では動かせないし、ケダモノが出ればこうして「AI運転が優先される。何のための免許だ、と思わないでもない。
バイクにまたがるとすぐに、発進した。余計な時間はかからない。AIは無駄な時間を作ったりしない。
その間に人が死ねば、もしそれを組織が許しても、誠一が許せない。公的には命の差があるが、だからといって誠一の中にもそれがあるかと言えばそんなことはない。
人という全体を構成する個人を守らないでいい理由は、ありはしない――どういう理由があっても、人は理不尽に殺されるべきではない。それが人の総意である。であれば、誠一がなすべきことはひとつ。
ケダモノに誰にも殺させない。そのためにケダモノを殺す。
バイクで街路を走りながら、デバイスを取り出して、叫ぶ。
「強化装甲!」
全身が赤の装甲で覆われ、そして、バイクも戦闘モードに変形する。普通のバイクから、先端に大きな刃が二本ついた、赤いバイクに。最高速度は500kmに迫るが、さすがに公道ではそこまでは出せない。特例でもあれば話は別だが、所詮、ただケダモノが出ただけだ。
人の命が奪われるかもしれない事態なわけだが、対応しているのはAIと誠一だけだ。それがすべてを物語っている。富裕層でも貧困層でも人の命は平等だ――個人の命を守るために機能する組織というのは、本質的には存在しない。
だから、組織ではない個人が――誠一が守るのだ。誰かが必ずやらなければならない、しかし、誰もやりたがらないこと。それを俺がなす。誠一は思う。たとえ、そのために一方的に痛みや苦しみを背負うのだとしても、構わない。
組織という命が生きていくためには、絶対に個人の献身が――生贄が必要になるのだから、たまたま、その役割を担ったというだけでしかない。
バイクが止まり、誠一の視界にケダモノが写る。狼型と呼ばれる個体で、名前の通り狼の顔を持っている。が、二足歩行である。だから厳密に狼人間型ではないかと思っているが、お偉方と仲のいい学者先生がつけた名前を変更するなんて、できるわけがなかった。
繁華街から少し離れた、住宅街とそれの狭間の位置にそのケダモノはいる。数は三体、問題ない。敵は住宅街の方を見つめている――ケダモノの意図に正解はないが、予想はできる。狙いは寝静まった人々だろう。
無抵抗な命を殺すほど、興奮するものはないという。
ケダモノといえども、命である。その法則には従うと思うが――誠一は思考を切り捨てて、駆け出す。バイクで殺したくはあったのだが、自動運転が切れた状態でバイクを使った殺傷行為をすれば、それだけで報告書の枚数が倍増するから仕方ない。
狼型のケダモノがこちらに気づく。殺意は隠していないから、対応するだけの猶予がある――と、敵は考えたのだろう。その気持ちが動きを一拍、遅らせる。
戦場に出れば、落ち着いて呼吸するなんていう行為は死を招くだけだ。そんなことをする前に、敵を殺したものが生き延びる。
「ゴーズ、なぜ――」
言葉を吐いている暇があれば、身体を動かすべきだ。その程度のことさえもわからないなら、なぜ話すだけの知性を有しているのか――馬鹿よりも馬鹿だ。知性を持っていながら使わないのであれば、それは、生きていることの否定になる。
生きるとはつまり考えることであり、戦場ではそれをすれば死ぬ。だから、戦場に立った時点で生きようなどと思うのは愚か者のすることでしかない。
そう。戦場で生きていよう、などと思うのが間違っている。
誠一は三体のうち一体のケダモノの棟に拳をぶつける。避けるだけの余裕はあったはずだが、余分な思考がそれをどぶに捨てた。数トンに及ぶ威力だが、ケダモノはよろけて数歩、後退するだけだった。
人ならば殺せた一撃でも、ケダモノは死なないことがある。戦う、という一点においては人よりも優秀だ――が、思考は未熟な人のそれでしかない。
バランスを崩したケダモノの腕を掴んで、誠一の身体の近くに引っ張る。抵抗できなかったその敵の身体に、別のケダモノの爪が食い込む。残っている一体はその事態に動揺したのか、動きを止めた。
その敵に向けて、肘を打ち込む。それだけの近さではあったが、死の気配は遠かった。ケダモノに足りない最大のものはそれだ――殺意。
人を殺すために存在していると言われるケダモノだが、ゴーズには甘い所がある。それがなぜかは知らないが、はっきり言って、動きと思考が鈍れば簡単に殺せるのだから、その習性には感謝するしかない。
三体のケダモノの動きが止まる。誠一の手の届く範囲にいるというのに――馬鹿か、と罵りながら、誠一は腰から二本の棒を取り出して、連結して大型の斧にする。
そこでやっと、三体が動きを再開する。が、近づきすぎていると気づいたのだろう。下手に攻撃すれば、味方を傷つけると思い至ったに違いない――実際、すでに味方を傷つけたという事実が、敵の脳裏をかすめたはずだ。
味方の犠牲など考えずに、殺せばいいのだが。
たかがその程度のことが、ケダモノにはできない。麗しい仲間の絆かもしれないが、そのために殺されるのであれば何の意味もない。
誠一は半歩後退して、斧を振り上げる。近すぎると、刃が当たららない。遠すぎてもだめだ。半歩、それだけでいい。
「我らの話を聞け、ゴーズ!」
「お前らは俺たちの話を聞くのか」
返して。
斧を振り降ろす。味方の爪で貫かれたケダモノの頭を切り裂き、そのまま両断する。
どのケダモノが話しているのかは、わからない。どの個体であろうと、殺すだけだ――それが人の総意。人に害をなす害獣は殺せ。シンプルな解答。
そして、誰も直視しない現実。人は、知性を持った命が相手でも、わかり合うための努力を続けられるほど、よく出来た生き物ではない。
「人をあるべき形に戻す! それこそが――」
「知るか」
振り下ろした斧を引き戻し、中段に構えて。
「命は終わらなければならない! 生き続ける命など、あってはならない!」
「ああ。だから――」
横一文字に凪ぐ。ケダモノの上半身と下半身を分裂させる。
「お前たちが死ね。人は永遠に生き続ける――自然の摂理に反するくらいが、なんだってんだ」
「お前がそれを言うのか、ゴーズ!」
「俺は俺という個体の意思になど従わない――お前たちもそうだろう。俺は人の総意、お前たちは自然の総意に従う。どちらが正しいかなんてのは、勝者が決めればいいし……そう」
ケダモノが距離を取った。誠一が話すから、それができる、と思ったのかもしれない。
「戦場に立つものが決めていいことじゃない」
生きていない命に決められることではない。
斧の刃が赤く光り出す。何をすればいいのか。システムが判断したのか、誠一の意思を反映したのか。どちらだろうか、あるいは、両方かもしれないが。
大上段に斧を構える。
「我らは自然の意思が現出した形のだぞ! 人とて、その結果のひとつにすぎない――なのに自然に抵抗するのか!?」
「人は強欲で、傲慢なんだよ」
振り下ろす。
斧の刃から生まれた光が、空を駆けて――ケダモノを真っ二つに切り裂いた。
「……駆除、完了」
斧の連結を解いて、腰に戻しつつ告げる。
「確認しました。お疲れ様です。報告は明日の朝一番に出してください」
「業務開始前に、だろ?」
「わかっているなら相応の動きをしてください」
それで、AIとの通話は終わった。
当然だが、帰宅して寝るなんてことはできない。時刻は夜の十一時過ぎ。今から職場に戻って戦闘終了後のメディカル・チェック――これもAIとの仕事だ――を済ませて、それから報告書作成に、時間外手当の申請を書かなければならない。終わるのは夜明けになる。
最後に関しては、書いたところで金は発生しないし、有給などのボーナスがつくわけでもない――が、組織としての体面を保つためには必要になるのだ。申請は受理したし、給料に反映できるように検討もしたが、惜しくもそれに至らなかった、という証拠づくりのために。
面倒なことだらけだが。
誰かがやらなくてはいけない。たまたま自分がその役割を演じることになった、ということに過ぎない。文句はつけられない。
それがレッド・ゴーズ。風切誠一の日々だ。
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