第5話 不愉快と無関心

報告書を作成していると、同僚が一人、帰ってきた――貧困層の女ではあるが、ホストが嫌いという変わり種だ。その代わりに、女性向け風俗に通い詰めているが。いわく、肉体関係は欲しいが、無用な金は使いたくない、とのことだ。

 とはいえ、それなりに整ったパンツスーツを着ているから、外見ではまじめな役人、といった感じである。短く切りそろえた黒い髪が、その印象を加速させる。

「間宮さん、エンドレスしてた?」

 柊茜は自分のデスクに陣取りつつ、言ってきた。苦笑する。

「はい。満足したんで、もう何も言いませんよ」

「それが君の仕事だもんね。お疲れ」

「俺の仕事はケダモノの処理です」

「最年少はストレス発散の道具、これはどこの組織でも基本なのよ?」

 柊はそう言ったが、彼女との年齢差は三歳でしかない。が、組織の中にいればそれで十分、頭が上がらなくなる。私的にはどうとでも付き合えるが、ここは職場で、であるならば私的な感情の入り込む余地はない。

「わかってますよ」

「よろしい。報告書、定時までに出してね?」

「無理ですよ」

「過ぎてもいいけど、それで間宮さんがまた怒られて、君が怒られるから」

「悪循環ですよ、それ」

 ぼやくが、意味はない。どうせ間に合った所で、別の理由で間宮は糾弾され、誠一は彼の愚痴を聞く道具になるのだから――お偉方にしてみれば、天才科学者だろうがなんだろうが、ストレス発散の道具でしかない。

 誠一がその対象にならないのは、そもそも、彼らの世界に存在しないからだ。存在しないものに対して言葉をぶつけるほど、人は馬鹿ではない。

「いいじゃない。どうせ循環が良くなることなんてないんだから、悪くてもさ」

「そうですけど――柊さん、何しに戻ってきたんですか?」

 彼女の仕事はもうない――今日の最後の仕事は、間宮の愚痴を聞くことだったはずだ。それを誠一に押し付けてサボっていたわけで、つまり、ここにいる意味はない。

 柊は肩をすくめた。

「だって、定時まで仕事してるフリしないといけない立場だし――他の皆は帰ったよ。いいよね、定時前に帰っても金もらえるんだもん」

「残業代、出るじゃないですか。俺と違って」

「そんなもんいらないし。あたし、君よりはマシな給料もらってるんだよ? なんで金にこだわらなきゃいけないの――稼いだってどうせ税金で取られるだけなのよ」

 貧困層が税金の面で優遇されたり、軽減されたりはしない。むしろ、富裕層の方が低額で済んでいるくらいだ。

 無論、それには理由がある。

 貧困層の人は、十六歳で避妊手術を受ける。男は妊娠能力を奪われるし、女も妊娠しない身体にされるのだ。理由は簡単で、そうしないとむやみやたらに子供を作り、そして育児放棄をして路頭に迷わせるからだ。加えて、子供を育てる時間を奪い、その分だけ働かせれば税収も上がる、という理由がある。

 無理矢理な理屈かもしれないが、これを実現させる法は簡単に議会の承認を受けたし、市民からも好評だった――貧困層が無秩序に増やした子供を育てるために税金を使うのは無駄だと、富裕層は断じた。貧困層は法に対する知識がないから、そもそも反対などできるはずがなかったのだが。

 当然、その奥にはシンプルな欲望がある。

 妊娠しない女であれば、いくらでも性行為をしてもいい――女が男は犯すという意味でも、それは同じだった。不貞をしても、子供が夫との間のものであれば、夫婦間に亀裂は生まれにくい。

 そんな人々が政治をやっていれば、貧困層の生活が改善されることはない。人は、自分の居場所を守るためならば、際限なく醜悪になれるし、それ以前に人ではないものに対してはどこまでも非常になれるものだ。

「でも、税金のおかげで病院に行けますよ」

「知ってる? やつらは負担額が一割なんだって。あたしらは三割。おかしくない?」

「そんなこと言われても。全額負担じゃないだけ救われてる、って教えられましたよ」

「それ言った人、一割の方だからね?」

「知ってます。でも、反論はできませんよ。事実、全額だったら風邪のひとつだって治せないんですから」

「出産は全額国庫から出るの。あたしらは妊娠もできない、これは差別じゃない?」

「不幸な生い立ちの子供を増やしてどうするんですか――税金を収めないで生きる市民を容認する社会なんて、何年前の話ですよ」

 もちろん、現在でも法の上では生活保護というものは存在している。が、幾多の条文の追加でその対象として保護される家庭は貧困層の中では一パーセント程度である。ゼロではないのは、健全に法が運用されているというパフォーマンスのためで、実際には一円でも支給されていないと聞く。資料としてゼロでなければいいわけだ。

「ま、あたしらの存在価値は納税のためよね。それは知ってる。納得はしないけど」

「生きづらいだけですよ、それ」

「うるさい。君は報告書を出しなさい」

「別に、間宮さんに罵倒されてもいいんですよ、俺」

「マゾ?」

「これまで生きて来てましたけど罵られることのが当たり前なんで、楽なんですよ――褒められる方が、よほど気持ち悪いです」

 ゴーズは正義の味方でも、ヒーローでもない。命を奪う殺戮者、というのが組織の認識である。であれば、事実どうであるかは関係なく、頭のおかしい人が害獣を殺しているだけということになる。動物を虐殺すれば批判されるが、害獣であればどれだけ殺しても非難はされない。称賛どころか、市民からは存在を無視されるが。

「君がいないと、ケダモノに殺されるのにね」

「まぁでも、ケダモノの存在を認めてるって俺たちと被害者遺族だけですよ――健全な市民は知らないで、税金が意図不明に使われている、って思ってます」

「あたしら、公務員じゃないけどね。下請け、外注業者、無駄遣いの象徴」

「防衛費って名目で誤魔化してるってほんとなんですかね」

「どーだろ。上は警察だけど、警察がやってたら怒られるじゃんね――害獣駆除ってのは、民間の仕事であって、税金の塊の公僕様のやることじゃないって」

 実際、市民の治安維持ということならば警察の仕事だが、侵略種とでも言える怪物を殺すのであればそれは軍隊つまり、自衛隊と防衛省の管轄になる――だから、誠一の所属する防人機構は常に微妙な立場であり、だから間宮はちょっとしたことで叱責され、そこで生まれた怒りを誠一にぶつけるわけだ。

 お偉方にしたって、そういう曖昧模糊な組織を管轄していれば、精神的な疲労が蓄積されるわけだ。だからどうしても、防人機構そのものに不快感を覚える。

 もちろん、その恩恵に預かる人たちもいる――水商売の人たちだ。一時期はインターネット上の存在に駆逐されかけた業種だが、気付けばその立場は逆転していた。人は、肉体的な熱を感じられない関係で満足できるほど、禁欲的にも、謙虚にも生きられない。それに、弱者の受け皿としてはこの上なく優秀だった。

 古代から存在し続ける職業のひとつは売春だと言われているだけあって、駆逐されることはなかった――もちろん、水商売という看板を掲げただけの風俗店ではあるが、富裕層のガス抜きとして利用価値があるから見逃されている。

 男女の区別なく社会の上層に食い込むことのできる時代である。つまり、男女関係なく鬱憤が溜まるわけで、その捌け口を排除するのは長期的に見れば悪手だし、法が変わって水商売や風俗、売春で生計を立てる人であっても納税は絶対の義務となっている。貧困層から効率的に税金を集めようと思えば、やはり、この手の仕事は生かしておくべきだ。

 それに、防人機構の人間だってその手のサービスは利用する。今、話している柊だってその一人だし、間宮だってその手の早さは有名だったりする。

 むしろ、そちらに興味がなく、税金だの市民の生活を守るのだ――害獣駆除に本気になっている誠一の方がおかしいとさえ言える。その意味では、間違いなく頭のおかしい人でしかないし否定する気もない。どうせ生まれも育ちもろくなものではないのだから、出来上がった自分というものが正常であるはずがない、

「あー……こういう時はあれよね、発散しないと」

「俺でですか?」

「君とやるほど、あたしは落ちぶれてないよ――人間としたいの、道具には興味ない」

 そう簡単に言い切れる辺りが柊だし、貧困層の生まれだと証明している。言葉の使い方と意味、どういう捕えられ方をするかを知らない。誠一でなければ、殴り合いの喧嘩のきっかけになってもおかしくない。もちろん、柊はそうならないと確信しているのだろうが。

 誠一が怒らないのは、単純に柊に対して興味がないからだ――そういう相手から何を言われても、別に何を思うこともない。

 誰に何を言われてもどうでもいい。大切なのは人の総意であり、全体の意思だ。個人に何を言われてもどうでもいい。逆にそれから、死ね、と言われれば死ぬしかないと思っているのだが――全体主義の権化だと、児童養護施設の人から言われた。が、そんなものだろう。個人ではなく、子供を死なせてはいけないという全体の意思に生かされたのだから。

 定時になり、柊は帰った……のではなく、女性用風俗に行ったのだろうが、とにかく事務室からはいなくなった。残りの面子も帰宅しているだろう。

 報告書は提示から三十分後にできた。不評を買うに違いないが、根本的には間宮の責任であるのだから、彼が罵られるのは因果応報だと言える。もちろん、その後に誠一も罵られることになるが、やはり個人からの罵倒は心に響かない。

「帰ってください」

 AIの声が耳から聞こえた。ぼやく。

「こういう時だけ積極的に話しかけるよな」

「不満ですか?」

「どうかな。……あぁ、わかってる。帰るよ――ケダモノの反応はないんだよな?」

「ありません」

「そうかい」

 帰ったところで、ケダモノが観測されればすぐに呼び出されるから自由に寝ることもできない。いつでも起きられるように気を張っていないといけない。熟睡できるのは一時間あればいい方だ。

 事務室を出て、そのまま防人機構の施設を出る――名前負けするくらいには、小さくて華のない外観をしている。金をかけたくない、という強い意思を隠していない。居抜きらしいが、以前は五階建ての単身者向けのマンションだったそうだ。そのせいか、決して広くはない。それでも、誠一の暮らすアパートよりは広いのだが。

 ここが職場だ。思う。だからどう、というわけでもないのだが。

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