第4話 赤の戦士は聞いている

 風切誠一は、うろんな目でその男を見ていた。今現在、誠一に説教をするその男を――ゴーズの開発者であり、稀代の天才科学者、間宮剛三郎を。その名は本名ではなく、科学者としての名前だとか聞いた。もちろん、本当の名前は知らない。それでも問題なく仕事はできるから、わりとどうでもいい。

「――わかっているのかね!? 風切君!」

「わかっています」

 話は一時間半ほど前から聞いていなかったが、そう答えておく。すると、間宮は楽し気にまた説教を再開する。人は年を取ると、とにかく年下で、かつ、見下せる相手に一方的にまくし立てたくなるものだと、聞いたことがある――間宮から。

 間宮の年齢は六十過ぎた辺りだったはずだ。何歳であっても、対応は変わらないので忘れてしまったが――いつでも白衣を着て、その下はくたびれたシャツとスラックス、白と黒の入り混じる髪や髭は整えられていない。不出来な営業マンが白衣を着た、という感じである。

 貧困街にも営業マンはよく現れる。仕事をサボるか、仕事の後にストレス発散のために下流の人を好き放題にしたがる人は多い――間宮もそれと同じだ。今は夕方の五時前だが、午前中は彼を支援し、ゴーズを運用する警察機構のお偉方に散々、叱責されたそうだ。

 つまり、誠一は間宮のストレス発散の道具にされているのである。珍しいことではない。年齢を重ねた人は、年齢を重ねていない人を人として認識しないでいることを許されるものだからだ。

 ああだこうだと間宮は話を続けるが、要約すればこうだ。

 私は天才なんだから、愚か者に付き合う義務はないというのに、どうしてお前たち無能に糾弾されなければならない。

 そんな話を、もうたっぷり、一時間半はしている。同じことの繰り返しになっているのだが、間宮は気づいていない。一方的に人に言葉をぶつけているのだから、その中身を精査するだけの脳の働きは期待できない。

 大変だよな。と、誠一は思う。ゴーズを開発したくらいなのだから天才ではあるのだろうが、なまじ能力があるから周囲を見下せてしまうのに、その相手から文句を言われるのだから人格のひとつや二つは歪むだろう。

 その点、誠一は気楽だ。所詮は現場要員。間宮にストレスを与えたお偉方なんて、死んでもお目にかかれない――彼らからすれば、誠一と同じあの世に行くなんてありえないことだ。彼らは特別な人で、誠一は人の姿をした道具でしかない。

 もちろん、組織からしてみればすべての個人は等しく道具だ。その分を弁えていない存在は貶められる。だから、なのだろう。間宮は富裕層からの評判がよくない。道理を弁えていない――貧困層の出身のくせに、富裕層と対等であろうとする姿勢が嫌われている。

「――そうだろう!? 風切君!」

「そうですね。その通りです」

 数えていないが、まぁたぶん十回目くらいの同意の言葉で、同じ文言なのだか、間宮は気づいていない。

「私の他に誰がケダモノから人を守れるというのか!」

 ゴーズの開発者にはそれを言う資格がある――そして、ゴーズになる資格を持つ者は極端に少ない。現在は誠一独りしかいない。

 それを得るための基準が何か。間宮も把握していないらしい。いわく、私の天才の仕事に着いてこられる人なんてものは、そうそう存在しない。君だって、本来は妥協の末に選ばれた人材であって――そんなところだ。

 まぁつまり。

 間宮は不満を抱えて、だがそれをぶつけるべき対象を見つけられていない。だから、ぶつけても無意味な誠一を言葉で嬲るくらいしか思いつかない。それはある意味では、間宮が貧困層の出身であることを証明している。

 正しく想いを表現できず、届けるべき相手に意思を届けられず――そのストレスから無関係の人を貶める。

 それが貧困層の人の共通項だ。そんな大人になりたくない、と思っていながら、そういう大人にしかなれないからこそ、貧困層は富裕層のような人にはなれない。そして、富裕層からすれば貧困層は一生そのまま納税だけをしていればいいので、救いの手を伸ばしてくれたりはしない。

 変わらないに日常を守るためには、犠牲は必要である。それを誰が支払うか。答えは簡単だ。自分たちの視界に入ってこない弱者に押し付ければいい。

「つまりだね、私の研究がどれだけ有用であるか――」

 もちろん、押し付けられた弱者は溜まったものではない。強烈なストレスが生まれて、その発散先を探して――子供を犠牲にする。無抵抗なサンドバッグと同等の命を探せば、それは子供になる。動物愛護団体はいても、児童愛護団体は存在していないから、誰も文句を言わない。

 児童養護施設はあるわけだが、貧困層の子供の三割程度しかカバーできていないのが現実だ。たかがその程度の数の人のために、政府が多額の補助金を出したりはしない。出した、という事実が生まれればいいわけで、その額は小さくても議論の的にはならない。どうせ貧困層は投票したりしないのだから、政治家からすれば人ではない。

 そんなことを考えていると、間宮がひとつ、息を吐いた。ろくに水分を取らずに話し続けていたから、さすがに補給しないといけないらしい。

 誠一がいる部屋は、小さな事務室だ。デスクは六人分しかなく、電子化がされていない資料の入った棚がある。総じて狭くて息苦しい部屋なのだが、今は誠一と間宮しかいないからギリギリでそれを感じないで済む。

 勘のいい職員は、間宮が午前中にお偉方に呼び出された時点で退避したのだ。誠一はゴーズとして戦った報告書を作っていたせいで、逃げそびれた。テンプレをそのまま送ると文句を言われるので適度な改変が求められるのだが、何度も提出していればそれもまたパターン化してきて、やはり叱責される。

 そんなわけで、頭を悩ましていた結果がこれだ――報告書はまだ完成していない。事務仕事では残業代が出ないから、おそらく、タダ働きになる。

 事務室の給水器で水分を補給した間宮は、いくらか冷静になったらしい。言ってくる。

「他の面々はどうしたんだ?」

「さぁ、俺が来た時にはもう誰もいなくて――各所に調整に行っているんだと思いますけどね」

 実際は昼キャバクラ、昼ホストに行っているのだろうが、素直に口にするほど馬鹿でもない。同僚から不評を買う趣味はない。もっとも、貸しを作っても返ってくるようなこともないので、およそ無意味ではある。

「どうせ風俗だろう」

 あっさり、間宮は言う。

「君は行かないのか? 戦いの後は、女の体温が欲しくなるはずだぞ」

「今更、聞きますか? 俺が風俗を嫌いなのは知っているでしょう?」

「好き嫌いで風俗に行くかどうかを決めるやつがいるか?」

 当たり前のように間宮は言ったが、大概の人は好きだから行くものだし、嫌いだから遠ざけるものだと思う。天才には理解できないかもしれない、というだけなのだが。

「まぁいい。君、もう少し上手く戦えよ。死体の痕跡を残さないようにしてくれたまえ」

「調査したいから死体は残しておけ、と先週お達しが来ましたけど」

「朝令暮改だよ。君はそれに合わせて臨機応変に対応するんだ。不服かね?」

「なら、変更の報せはください」

「なんでそんな手間のかかることをしなけりゃならん。自分で知る努力をしなさい」

 理不尽ではあるが。

 組織というものが維持されるためには、ごく自然に個人にそれを強制する。特に、人よりも優れていると発覚すればそこに集中して――その人材を潰すことに躍起になるのが組織の在り様である。それの存続のためにはつまり、変化を生むような人は不要だ。

 変わらない日常を守るためならば、人は、どこまでも排他的になる。それを恐れるか、当然だと受け入れるか。結局はその程度のことでしかない。

「わかりました。アンテナは張っておきます」

 だから、他に言えることはない――伝えられていない情報だとしても、独力で入手して先んじて行動できなければ、組織の末端の人は生きていけない。

 間宮は気が晴れたのだろう、鼻歌混じりに事務室を出て行った。気楽なものだが、彼はその程度の自由は許されている。誠一とは違う。

 その姿が羨ましいかと言えば、そんなこともないのだから、間宮は不幸なのかもしれないなと、そんなことを思った。

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