20 賢者、慄く

 喧しい国王たちを放置して、玉座の下の隠し階段へ転移魔法で侵入した。

 明かりがなく、真っ暗だ。

 閉じた瞼に手を当てて、暗視魔法を使う。チュアとキュウにも掛けた。

「ふわ……不思議な感覚です」

「おいらの夜目よりよく見えるっす」

「足元注意だ。進むぞ」

 声がよく響くので、僕たちの会話は小声で短く済ませている。


 地下の構造も探査魔法で把握してあるが、知らない場所へ転移魔法で飛ぶのは危険が伴う。

 特に、王女であるチュアすら知らない場所ともなれば、何があってもおかしくない。

 慎重に下へ降りていった。



 やがて階段が途切れ、目の前に扉が現れた。

 扉に鍵は掛かっていない。玉座の下という場所にあることから、ここへたどり着くもの自体、ここへ来る必要があるものに限られているためだろう。

「開けるぞ」

 チュアに問うと、チュアはこくりと頷いた。



 そこは、何もない部屋だった。

 天井が少し高いくらいで、家具や調度品などは何も置いていない。

 天井も床も壁も、漆喰が塗られている。やや薄汚れてはいるが、何の変哲もない。

「何もないっすね」

 キュウが部屋の真ん中まで歩いていき、臭いを嗅ぐ。キュウの嗅覚にも、何も引っかからない様子だ。

「ここは……何なのでしょう」

 チュアも戸惑いを隠せない。

 僕は……。

「幻影だ。これから破る。破ったら、誰か来るかもしれないから、キュウもこちらへ」

「幻影!?」

 ずいぶんと巧妙な魔法だ。

 キュウの嗅覚も騙すほどの。

 だけど、巧妙すぎる。

 ここまで来て、この部屋に何もないなど、有り得ない。

 その疑念が、幻影魔法に気付く切っ掛けになった。


 手近な壁に触れて、魔力を流し込む。

 魔力の流れた部分から、魔法が反応し、部屋が本来の姿を見せた。



 壁の色は真っ黒に見えて、良く見ると細かい文字がびっしりと書かれていた。

 魔法を使用する際、魔力の少ない人間は魔法を発動させるために詠唱が必要になる。詠唱によってこの世の理を解き明かし、足りない魔力を補って魔法を発動させるのだ。

 その詠唱を書き起こしたものに思える。


 部屋の真ん中には人ひとりがようやく立てるほどの小さな円が描かれていて、そこに布の切れ端が落ちていた。

 チュアがその切れ端を見つけて駆け寄る。

「触れるな。何が起きるか分からん」

 ギリギリで止めることができた。チュアは切れ端に伸ばした手をびくりと引っ込め、数歩後退った。

「それに見覚えがあるのか?」

 振り返ったチュアは真っ青な顔をしていた。

「第二王女……他国へ嫁いだはずの、義姉上が着ていた婚礼衣装に使われていた布に、そっくりです」

 布をよくよく見れば、小さな端切れだというのに小さな宝石を散りばめた細かな刺繍がしてある。あれほどの細工をする布は、高級に違いない。

「そいつが嫁いだのは、何時だ」

「二年ほど前です」

「それは……」

 僕が言いかけた時、背後から慌ただしい足音が近づいてきた。


「チュア! 戻ってきてくれたのだね! さあ、こちらへ!」

 国王だ。満面の笑みを浮かべ、両手をチュアに向かって広げている。

「陛下、ここは一体何なのですか。この布はどういうことですか」

「そんなことは一切気にしなくていいのだよ。お前は何も気にしなくていいのだよ。お前は何も考えなくていいのだよ!」

 僕を押しのけようとした国王を、体で止めた。

「なんだ!? 邪魔をするな!」

「チュアをどうするつもりだ」

「うるさい、どけ!」

 僕はどかなかった。

 逆に国王を突き飛ばし、魔法で動けなくしておいた。

「ええい、こうなれば……チュア! その円の中に立て!」

 王の言葉はただの言葉のはずだった。

 しかし、チュアはかくん、と体を震わせると、一歩一歩、円に近づいていった。

「チュアっ!」

「え、エレル様、足が、勝手に!」

「キュウ、チュアを足止めしろ!」

「合点っす!」

 キュウがチュアの服の裾に噛みついて、チュアの動きを鈍らせた。

 その隙に考える。


 王の言葉は魔法の詠唱ですら無い、ただの命令だ。

 しかし、それがチュアに影響したと考えて間違いない。

 この場で魔法といえば……。


 壁を見た。相変わらず黒々としている。

 この中から、王の言葉に強制力を与えた一節を探し出すのは、短時間では無理だ。

 ならば、全部消す。


 魔力を解き放ち、そこへ消滅魔法を乗せる。

 壁の文字が「ヂッ」という気色悪い音を立てながら、消えていった。


「貴様っ、何をする! ああ、何年も掛けて書き上げた呪文が……!」


 黒い壁が徐々に乳白色へと変化していく。

 どこかの場所の呪文が消えた時、チュアの歩みがぴたりと止まった。

「チュア、キュウ、こっちへ!」

 僕が大きな声を出すと、二人は素早く僕の側へ来た。

 二人に強固な結界魔法を掛け、僕は国王のもとへ歩み寄る。


 魔力が制御しきれず、床がびしびしと音を立ててひび割れていく。


「チュアに何をさせようとした」


 僕が動くたび、何か言うたびに、壁がぼろぼろと崩れ落ち、床に亀裂が入る。

 おそらくチュアは、生贄にされかけた。

 チュアを消そうとした眼の前のこいつが、許せない。


「! 貴様、賢者か、賢者エレルだなっ!? 丁度いい、壁の呪文を書き直せ、すぐにだ!」

 国王が何か喚く。

「僕の質問に答えろ。チュアをどうするつもりだったんだ」

「そんなことはいいから早く、直せっ!」

 強情だ。さすがは一国の王というところか。

 僕は問答を諦めて、国王の考えを読むことにした。


 やはり、悍ましいことを考えていた。



 妖魔は、魔力器を取り除かれても魔力を持っていた。

 どこにあったかというと、血液だ。

 壁の呪文は全て、妖魔の血を使って書かれていた。

 何体もの妖魔がこの部屋で命を落としている。


 二年前、とある妖魔がこの部屋に連れてこられた。

 人と似たような姿をした妖魔に、第二王女は魅入られた。

 他の妖魔と同じように血を抜かれようとした妖魔の前に、その日他国へ嫁ぐ予定だった第二王女が、婚礼衣装を着たまま立ちはだかった。

「この方を見逃してくださいまし」

 第二王女は、王の命令を受けた近衛兵によって、斬られた。

 ところで、妖魔もまた、第二王女に特別な思いを寄せていた。

 斬られた第二王女はまだ息をしていたが――。



「怒りの感情というのは、魔力を暴走させるのか」

 妖魔は魔力を暴走させ、第二王女を取り込み、魔王と化した。


 魔王は城を飛び出し、根城を作り上げて引き籠もり……人間に対する恨みを募らせた。

 その想いは、妖魔に近い存在、魔獣たちに伝播し、影響を与えた。

 魔獣は妖魔の魔力を取り込んで強まり、妖魔の感情に同調して積極的に人間を襲った。


 それをこの国王は、更に利用したのだ。


 魔獣から人々を守るという名目で税を吊り上げ、魔王討伐隊という茶番を作り……メリヴィラたちは結局、報奨を受け取れなかったのか。


「ひどい国だな」

「申し訳ありません」

「チュアのことじゃない」

「せめて謝らせてください」

「わかった」


 チュアの謝罪を受け取っている間も、国王は喚いていた。


「チュア、早う、早うお前も死ね! 妖魔に取り込まれろ! 第二の魔王となって、他の国々を攻め滅ぼすのじゃ!」


 あれで正気なのだから、恐ろしい。

 最初の魔王を御せなかったくせに、次の魔王は操るつもりでいる。

 そして、生贄として実子を差し出すことに何の躊躇もない。


 醜い。


 口汚く喚き散らす王を、魔法で眠らせた。


「エレル様。この結界はどこまで有効でしょうか」

 チュアが僕を見上げて、そんなことを問うてきた。

「どこまで?」

「陛下に近づいても、触れても大丈夫でしょうか」

「大丈夫だがそんなことをする必要はない」

「いいえ、あります。エレル様、剣を作ってください」

 僕には、チュアに願い事をされたら出来る限り叶える癖がついている。

 細腕のチュアでも扱えるよう、軽い剣を作り出してチュアに与えた。

「ありがとうございます。以前エレル様は、イズナとはいえ人を殺めて心を痛めておりましたね」

「ああ」

「私は王族ですから、間接的に多くの人を殺めております。ですから、もう、一人くらいこの手で殺しても、心は痛まないのです」

 チュアが何をする気か、すぐに分かった。

「やめておけ」

 僕は剣を消した。

「あっ……。ですがっ! もう、これ以上」

「だからって、チュアが背負うことはない」

「……せめて、臣下たちの前で陛下が……父が犯した罪を、告白させてください」

「チュアがそれで納得するなら。但し、僕も付き合うからな」



 僕が国王を担ぎ上げ、チュアとキュウと一緒に、転移魔法で玉座の間へ飛んだ。


「陛下! 貴様、陛下をどこへ……第三王女殿下!?」

 玉座の間ではどうやら、王が急に消えたことで混乱していたらしい。

 玉座を見ると、わずかに魔力が動いたあとがある。

 魔力の痕跡は、国王につながっていた。国王は懐に魔力の籠もった魔道具を持っている。これを使って、誰にも気づかれずにこの下へ潜り込んだのだろう。


 突然消えた国王と、行方不明だった第三王女ことチュアが現れたことで、室内の混乱は極まっていた。


「静まりなさい!」


 喧騒は、チュアの威厳ある一言で沈黙に満ちた。

「これより、現ロージアン国王、アルタイ・イダルトゥ・ロージアンが犯した罪を、第一王位継承者、チュア・コトラ・ロージアンが詳らかにします。ここにいる皆には証人となっていただきます」

「しかし殿下……」

「私の命が聞けませんか?」

「い、いえ」

 こんなチュアは初めて見た。流石王族といったところか。僕も跪きそうになった。

「エレル様はそんなことなさらなくても。貴方は被害者なのですから」

「エレル……賢者!?」

「まさか、確か十歳前後にしか見えぬ姿をしていると」

「その事も含めて説明します。何度黙れと命ずれば、貴方がたに通じますか?」

 臣下達は今度こそ静かになり、チュアが国王の罪を暴ききるまで、黙ったままだった。


「それと、こちらのエレル様は、この城で大層な扱いを受けていたそうです。責任者はどなたですか?」

 僕のことを問い詰めはじめたチュアは、国王の罪を暴いているときよりも冷たい声を出した。

 キュウは僕の足元で、尻尾を後ろ足の股に入れて震えている。

 僕もちょっと怖い。

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