18 賢者、罠にかかる
わずかに流れた重い沈黙を破ったのは、チュアの気の抜けた一言だった。
「ええと、はい」
表情は「それが何か?」と雄弁に語っている。
「怖いとか、気味が悪いとか、思わないのか」
「思いません」
チュアはきっぱりと断言した。
「妖魔が怖いなら、おいらも怖がられてるはずっす」
「いや、キュウは純粋な妖魔だから。僕は半分人間で……それも怪しいし」
フォテリウムに見せられた光景の中に出てきたあの男が人間かどうか、確証がない。
僕と同じように、見た目では区別の付き辛い半妖魔だったかもしれない。
「エレル様はエレル様です。だから何の問題もありません」
僕は僕か。
単純明快かつ、真理だった。
「なら、いいんだ。ここで知りたいことは知ることができた。小屋へ戻ろう」
「はい」
「っす!」
小屋へ戻ると、チュアがミルクを温めてくれた。
はちみつを入れて甘くしたミルクは少し熱かったが、腹の中から温まり、知らずに強張っていた身体がほぐれた。
「美味い」
「それは何よりです。お腹は空いていませんか?」
「空いてる。そういえば、最近あまり食べていなかったな」
ロージアン城の禁書庫の本を精査してから、チュアの料理を残すか、食べないことが多かった。
気になることが多すぎると食が細るなんて、初めての経験だ。
ひとつ解決したら、途端に空腹を思い出すことも。
「すぐにご用意しますね」
「頼む」
チュアの料理を並べられた端から平らげる。
こんな美味しいものを食べずに過ごしていたなんて、異常事態だ。
「食欲戻ったっすね。よかったっす!」
キュウにまで心配されていた。
「全部美味しかった」
「よかったです」
片付けを手伝い、食後のお茶をチュアと一緒に囲む。
「他にも何か気になっていることがあるのですよね?」
「ああ。魔王についてだ」
僕が「魔王」と口にすると、チュアとキュウはそろってびくりと震えた。
「魔王について、ですか」
「どこから来たのか、何故魔獣を強化し生み出せるのか……それと、城の連中は魔王討伐を何故信じたか。禁書に答えがあった。チュア、聞く覚悟はあるか?」
「はい」
チュアも薄々感づいていたのだろう。返事は早かった。
「魔王はロージアン国が作り出したものだ。魔王討伐など、民から税を搾り取るための自作自演だ」
「ええっ!?」
キュウが尻尾をぶわっとふくらませて、悲鳴のような声を上げた。
チュアの方は、目を閉じて天を仰いでいる。
「では、魔王の正体は」
「妖魔だ。妖魔は魔獣と違って人を襲わない。そして純粋だから利用しやすかった。捕らわれ、魔力器を取り出された妖魔が暴走したのが魔王だ。イズナがいるからその場で倒すこともできたはずなのに、あの国は魔王をわざと逃した」
「……」
「チュア?」
「エレル様。私、一旦城へ戻ります」
「駄目だ」
「でもっ」
「チュアには何の責任も、罪もない」
「知らなかったこと自体が罪です」
「知っているのは国王と重臣の一部、魔力器研究者だけだろう。それ以外で真実に気づいたものは……」
軒並み処刑されている。
「わかっております。聞く覚悟があるかとお聞きになったのはエレル様じゃないですか」
チュアは僕が言わなかった部分を正確に読み取って尚、決意を表明した。
「チュアに城へ戻れとは言ってない」
「戻らなければなりません」
こんなに頑固なチュアは初めてだ。
絶対に戻るという硬い意思を、まっすぐ僕に突きつけてくる。
「……わかった。僕も行く」
「これは私の問題で」
「チュアが絶対城へ戻るというなら、僕は絶対チュアについていく」
「エレル様がそこまで仰るのなら」
今度はあっさりと折れてくれた。よかった。
「おいらも、行きたいっす」
キュウがおずおずと、僕の足に前足を乗せた。
「おいら、自分が妖魔なのは知ってるんっすが、魔王が妖魔だったこととか、人の姿の妖魔もいるとか……なんにも知らないっす。知りたいっす」
「禁書庫の本にも、キュウみたいな妖魔のことはなかった。僕も知りたい。一緒に行こう」
「はいっす!」
「よし、早速行くか」
「早速ですか」
「ああ。時間を置いたって解ることは同じだ。さっさと片付けた方がいい」
「そうですね。まいりましょう」
「となると、この小屋はもう不要だな。……ん、こうか」
自分が半妖魔だと自覚してから、魔力や魔法が格段に扱いやすくなった。
指をパチンと鳴らすだけで、荷物は森の家へと送られ、小屋が消失した。
「わっ……」
「すごいっす……」
「よし。城へ飛ぶぞ」
チュアとキュウがそれぞれ僕の腕や足に触れていることを確認してから、転移魔法を発動させる。
一瞬の遅延時間もなく、城の入口前へ移動した。
「何者……第三王女殿下!?」
入口を守る兵士たちがざわつく。面倒くさいな。
「チュア、どこへ行きたい?」
「国王の元へ」
「どこにいるかな」
「おそらく、三階の自室かと。あのあたりです」
「わかった」
王の自室に用事などなかったから行ったことはないが、転移魔法で正確に移動することができた。
「ううー、チュア、チュアー……。今頃どこでなにをしておるのだ……」
部屋では、老けた男が、巨大なベッドに突っ伏してめそめそしていた。
男は何日も体を拭いていない様子で、頭髪はぎとぎとと脂ぎり、部屋中に異臭が立ち込めている。
「……」
チュアは男を、嫌悪の目で見下ろした。
「こいつだよな」
男の髪はチュアと同じ銀色だ。
「はい。父上、いえ、陛下。お聞きしたいことがあります」
チュアが嫌々というふうに、男に話しかける。
男はがばっと顔を上げ、異様に血走った目でチュアを睨みつけた。
「チュアが見つかったという話以外、持ってくるなと言うているであ……あ……?」
狂気じみた瞳に徐々に理性の明かりが灯る。
「ちゅ、チュア……? チュアなのか!?」
「はい、陛下。挨拶が前後しましたが、チュア・コトラ・ロージアン、只今帰城しました」
「おお、おおお、チュア!!」
男――国王はチュアの周囲に貼られた結界に弾かれて尻餅をついた。それでもめげずに、チュアに突進してくる。
チュアが心底嫌がっているので、国王の動きを魔法で封じておいた。
「くっ、これはどうしたことじゃ。何故動かぬっ!」
どうやら僕のことは視界に入っていない様子だ。ついでにキュウのことも。
「お聞きしたいことがあります。魔王はこの国によってつくられたのですね?」
チュアの質問は断定的だ。
聞くまでもなく確定している事実だが、チュアは本人の口から聞いて、認めさせたいと言っていた。
「チュア、何故そのようなことを聞くのだね。魔王は必要悪じゃ。人は共通の敵がいるからこそ団結し、繁栄するのだよ」
「そんなことはいいのです。魔王をつくったのはこの国なのですね?」
「ああ、チュア、何故この身体は思うようにうごかぬのだ。チュア、チュア!」
国王は完全に正気で、この言動は演技だ。
どうしてこんな下手くそな芝居を打っているのかというと……。
僕の足元に、禍々しい光が渦巻いた。
「なんだ!?」
光は僕を包み込んだ。何も見えない。魔法も、魔力を外にだすこともできない。足元にいたキュウまで巻き込まれている。
「! エレル様っ!」
チュアの声が聞こえる。
「はっはっは。賢者といえど、妖魔をも封じる魔術には手も足もでないようじゃな」
国王の勝ち誇った声も聞こえる。
「何をするのです! エレル様は……!」
「おお、チュア、賢者に誑かされたか。あれは妖魔の血が混じった忌むべき存在ぞ。そなたには相応しくない」
僕が半妖魔であることまで、既に知っていたのか。
でも、どうやって?
「妖魔の血? 妖魔とは、一体?」
「この世界とは次元を異にする世界の住人じゃ。彼らはこの世界の魔獣など軽く凌駕するほどの魔力を持ち、純粋で……純粋すぎて、愚かな存在よ」
国王は口が軽い。為政者がそれでいいのか。
「ああそうじゃ、可愛いチュアよ。魔王はこの城でつくられた。つくるつもりはなかったのだが、できてしまったからには、有効活用したくてな。しかし、卑しい貧民めが計画を狂わせよった」
チュアは怒りのあまり、何も言えなくなっている。
腹立たしく思っているのは僕も同じだ。
「だがそれも、チュア、お前が戻ってきてくれたおかげで、修正することが出来る」
僕は続きを聞くことができなかった。
僕を捉えた光が、僕を別の場所へ転移させたのだ。
転移先は地下牢だった。
狭くカビ臭い石敷きの個室には、魔法を無効化する格子が嵌っている。
家具は何もなく、部屋の隅に厠代わりの壺が置いてあるだけの、殺風景な部屋だ。
「すまんな、キュウ。巻き込んでしまった」
「平気っすよ。何ならおいらが枕になるっす」
「ありがたい申し出だが、枕の出番はないな」
「そうっすね」
ここまではほぼ想定内だ。
妖魔を捕らえる術があるのだから、僕のことも捕まえるだろう、と。
チュアには何があっても大丈夫なように、強固な護りを施してある。
キュウについては、普通の狐だと思われたのか、僕の巻き添えという一番よくわからない捕まり方をした。
まずは、僕の分身を作る。
これを作るのは約四ヶ月ぶりだ。
魔法を使おうとして反動で怪我をしたように偽装した分身は、簡単な受け答えもできるようにした。
キュウの分身は死体にしておいた。普通の生き物は、あの光に包まれたらひとたまりもない。
「うわー……なんか、不思議っす」
キュウが自分の死体を前足でつつく。
「僕も妙な気分だよ」
自分で作ったとはいえ、キュウがこんな状態なのは、あまり見たくない。
「こんなところからはさっさと出よう」
「はいっす」
僕をこの程度の魔力無効化魔法で押さえられると本気で思っているのなら、本当に愚かなのはこの国の連中の方だ。
僕とキュウは隠蔽魔法で、城の中を堂々と巡り歩いた。
チュアは城で一番高い塔の天辺に閉じ込められていた。
「無事か、チュア」
「はい、なんともありません」
チュアは装飾過多な服を着せられていた。
他の女が同じ服を着ていてもなんとも思わないが……。
「似合うな、その格好」
「へぅっ!? あ、ありがとうございます……」
僕が本当のことを言うと、チュアは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
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