10 賢者、狩人に絡まれる
唐突な来訪者は、草木で染めた服に、長弓と矢を背負っていた。
狩人だろう。
背格好はチュアと同じくらいか。
この家には森やその中に住むもの達に悪意を向ける者を近づけないような魔法を掛けてある。
それでここまで入り込んできたのだから、自分と家族の食い扶持だけを狩りに来た、今時珍しい真っ当な狩猟者ということだ。
はて、そんな狩人が果たして道を間違えてここまでやってくるものだろうか。
何にせよ、邪魔だ。
しばらく待ってみたが、そいつは家の前から動こうとしないばかりか、家の扉を叩いた。
家の中にはキュウとチュアがいるが、あの家の住人はいちいち扉を叩いたりしないので、誰も出てこない。
そいつは二度、三度、繰り返し扉を叩く。
仕方がない。
僕は溜息をついて、凡人の姿に変身してからそいつに声を掛けた。
「うちに何の用だ?」
「ひゃっ!? だ、誰っ?」
「聞いているのはこっちだ」
「あぅ、えっと……道に迷っちゃって。……いま、この家のこと『うち』って言った!?」
「聞いているのはこっちだと言っている。それで、うちに何の用だ?」
「くっ、なんて生意気な野郎……」
「なんだと?」
僕が睨むと、そいつは怯んだ。この程度で怯むくらいなら悪態なんぞ吐かなければいいのに。
「う、わ、悪かったわよ。道に迷っちゃったの。森の出口を教えてくれないかしら」
「教える前に、どうやってここへ来たか答えろ」
「どうやってって……普通に、狩りのために森に入ったら、迷ったのよ。いつもならこんなことないのに」
わけが分からなくて、首を捻った。
「まあいいか。一番近い人里への道は、あっちだ」
「え? あれ!? 道があるっ」
そいつは足元を見て驚いていた。
「道を辿ってきたんじゃないのか」
遊戯盤の目のような道は、知っていれば最短の道を選べるが、知らない者だと迷ってしまう。
迷い人に帰り道だけ示すような魔法を掛けておくべきだった。
「この前までこんなの無かったのに」
「最近作ったからな」
口が滑った。
「作った!? 道を!? あんたが!?」
道と僕を指さしながら、狩人が騒ぐ。こいつうるさい。
「うるさいなお前」
「一体どういうことなのよっ! 勝手に道……そりゃ道があれば便利だなぁって……」
「勝手にって、この森がお前のものみたいに言うな」
僕が言うと、そいつはふん、と鼻を鳴らした。
「この森は私の庭みたいなものだから、私のものも同然よ」
「暴論じゃないか」
魔獣が出る場所は全て「誰のものでもない土地」だ。
魔獣を気にしないのなら、住み着こうが何をしようが、住み着いたもん勝ちの場所である。
もしこの辺りの土地から魔獣が完全に居なくなれば、国が所有権を主張してくる。
それ故、僕はこの森の魔獣を積極的に倒したりはしなかった。
「僕はこの家を作って、ここに住んでいる。正当な権利のはずだ。土地の所有権は主張していない」
「ぐぬっ、やっぱり生意気な野郎だわ……!」
「帰り道は教えたぞ。早く出て行け」
「わ、わかったわよ」
そいつは大人しく、僕が指さした方へ向かって駆け出した。
その背中が見えなくなるまで待ってから、家へと入った。
「おかえりなさい。外で何があったのですか? 扉を叩く人がいましたが……」
「迷い人だ。扉を開けなかったのは正解だったな」
チュアには普段、変身魔法を掛けていない。
王族が銀髪紫眼というのは、僕の黒髪が不吉の象徴であることと違って、平民にも知れ渡っている。
先程のやつ以外にも、誰かがここへ「迷って」たどり着いてしまうかもしれない。
「チュア、指輪を」
「はい」
チュアは僕が渡した指輪に細い鎖を通し、首から下げている。料理の際に一々外さなければならないというので、指ではなく首にかけることにしたのだ。
指輪の石に指を当てて、魔法を使った。
僕の指から出た小さな光は石に吸い込まれるように消えた。
「何をなさったのですか?」
「急な時に変身できる魔法を作って掛けておいた。見た目を変える必要がある時は、それを強く握れ」
「また難しそうな魔法を……。試していいですか?」
「僕も魔法がちゃんと動くか見たいから、やってくれ」
「……わっ、一瞬で変わるのですね」
「もう一度強く握れば元に戻る。……よし、ちゃんと動くな」
魔法の出来を自画自賛していたら、いつのまにか足元にいたキュウが、眼をキラキラさせて僕を見上げていた。
「何だ?」
「エレルさま! おいらの首輪にもやってくださいっす!」
「お前は別に要らんだろ」
キュウは口をあんぐり開けた状態で、硬直した。
「狐ってこんな表情できるのか……。とはいえ、キュウは何になりたいんだ?」
「町にいてもおかしくない四つ足の動物!」
先日町へ行けなかったことが、まだ燻っていたらしい。
「チュア、何か知らないか?」
「猫はどうでしょう。自宅で飼育している貴族がいますし」
「猫でいいか?」
「なんでもいい!」
キュウの首輪にも魔法を掛けてやった。
「握りしめることはできないから、前足で引っ掻けば魔法が発動するようにした。誤作動させないように気をつけろよ」
「ありがとうございます!」
キュウは首輪を何度かカシカシと引っ掻いて、猫の姿と狐の姿を行ったり来たりした。
このときの迷い人が再び家の前に現れたのは、三日後だった。
「どなたか、いらっしゃいませんか?」
扉の前で、知らない男の声がした。
僕とチュアとキュウは顔を見合わせ、僕たちはそろって変身した。
「なんでしょうか」
扉を開けると、そこには壮年の男と、先日の狩人がいた。
「ファルコ、こちらの方か」
「うん」
狩人の方は、先日の騒がしさとは打って変わって大人しい。
「先日は娘が道に迷ったところを助けていただいたそうで、一言お礼を言いたく……」
「お気になさらず。それと、僕たちは訳あってここに住んでいるんです。できれば、訪問はこれきりにしていただきた……」
「それと、道を作っていただいたと聞いたのですが、それは本当ですか? どうやって? この家もいったいいつから……」
狩人のことを娘といったからには、この二人は親子なのだろう。
親子揃ってよく喋る。
「申し訳ないが、僕は訳あってこの森にいます。静かに過ごしたいのです。用事が済んだなら、お引取りを」
「ま、待ってっ!」
締めかけた扉に、足を挟んできやがった。
魔法で追い出すのは簡単だが、僕が他人に「魔力持ち」「魔法使い」だとバレるのは拙い。
魔法薬を売っているから「魔法使いですか?」と聞かれることはあるが、その度に「他所から仕入れている」「仕入先を明らかにしない契約をしている」と答えている。
「娘に『道ができている』と聞いた時は疑いましたが、驚くほどしっかりとした道がちゃんとある。貴方が造ったのであれば、我々は貴方にお礼がしたいのですっ」
「我々?」
「この森を狩猟場にしている狩人たちです。道のお陰で、夜中に森を歩く羽目になっても、帰り道が分かりやすくなりました」
「その割に、そっちの奴は道に迷ったと言っていたが?」
「娘は先日が初めての一人猟だったのです」
狩人は喚く男の隣でこくこくと首を縦に振った。
「話はわかりました。自分のために造った道なので礼は不要です。僕に感謝しているというなら、さっさとお帰りを。そして、二度とここへ来ないで下さい」
僕がきっぱりはっきり言ってやると、男はようやく諦め、扉が閉まるのを止めていた足を引き抜いた。
「わかりました。そうまで仰るのなら、これ以上何も言いますまい。お邪魔しました」
「えっ、父さん?」
「こうまで嫌がっておられるのだ。食い下がるほうが失礼だろう」
男のほうが話が分かるようだ。
男は何か言いたそうにしていた狩人を引きずりながら去っていった。
「疲れた……」
体力は消耗していない。精神力がごりごり削られた。
「お疲れ様です。パウンドケーキ食べますか?」
「ケーキ? ケーキは難しいんじゃなかったのか?」
「パウンドケーキは簡単なのですよ。難しいのはお店で出されるような凝ったものですね」
「なるほど。パウンドケーキ食べる」
「いま切り分けますね」
チュアが厚めに切り分けてくれたパウンドケーキを、三きれほど食べた。
更に翌日から、不思議なことが起き始めた。
朝起きて入口の扉を開けると、血が抜かれ大きな葉に包まれた森の獣の死骸が落ちているのだ。
数日に一度落ちていることもあれば、三日連続で落ちていることもある。
兎や鹿、猪以外にも、一度だけ熟練の狩人ですら捕るのが難しいヤマドリも落ちていた。
大きな葉に包まれ血抜きがしっかりと行われているから、たまたま家の前で動物が死んでいるとは考えられない。
家の前に動物の死骸が落ちているのは衛生上よろしくないので、すぐに家の中に入れることにしている。
そして勿体ないので、僕たちの食料になる。
「一体誰が何のためにこんなことを……」
真っ先に疑うのは、先日の狩人親子だろう。
しかし、男の方は僕の拒絶を正しく理解していたように思える。
女の方は初めて会ったときが初一人猟だと言っていた。狩猟初心者がヤマドリを他人に与えるなど、考えにくい。
「そういえば、キュウも初めて会った時、獲物を僕にくれたな」
キュウを見ると、キュウは首を横に振った。
「おいらじゃないっすよ! 一緒に寝てるじゃないっすか!」
「わかってる」
「落ちてる獲物からは、人の臭いがするっす。獣の仕業じゃないっす」
「じゃあやっぱり、あいつら絡みか。うーん……」
「親切心や感謝でしょうから、素直に受け取っては?」
「だとしても、こう続くとなぁ。多すぎる」
「エレル様。森に道を敷くのは、普通は大変な作業なのですよ」
平らな荒野に道を敷く作業ですら、国営事業となるくらい大規模な仕事であるのだと、チュアが熱弁してくれた。
「じゃあ、これは暫く続くのか」
「でしょうね。今朝は先日頂いた猪の燻製ですよ」
「くんせい?」
「煙で燻しながら火を通す調理法です」
それでこの前、僕に「煙突を作って下さい」と頼んできたのか。
「へぇ。楽しみだ」
僕は香ばしく仕上がった豚肉に舌鼓を打ったのだった。
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