09 賢者、買い物する

「じゃあ金を渡しておく」

 道について教えた後、僕は金の入った革袋をチュアに渡した。

「随分と重たいですね。中を確認しても?」

「勿論だ。僕は金銭感覚がわからなくてな、服や本が買えるだけ残っていればいいのだが」

 チュアは居間の机の上に革袋を置き、袋の口を大きく開けて、中を覗き込んだ。何故かキュウも身を乗り出した。

「……! 凄い大金じゃないですか!」

「そうなのか」

「家が一軒買えますよ! こんなに持ち歩くの、怖いです!」

「家など自分で建てればタダじゃないか」

「普通はそんな事できませんっ!」

 どうやら、森で半自給自足の生活を送るなら、一生働かなくても過ごすのに十分な額だったらしい。

「魔法薬の値段はどう決めたのですか?」

「町の薬屋を何軒か見て回って参考にした。だが、その額の十倍で買う客もいたな」

「十倍で買った方のお顔を覚えていますか?」

「記憶にある」

「……その方には気をつけてくださいね」

「どういうことだ?」

 僕が首をひねると、チュアは革袋の口紐をぎゅっと締めて、僕に突き返してきた。

「ものを値札より高い値で買う人や、安い値で売る人は、下心があるんです。エレン様は町へ行くときの見目が大変よろしいので、お近づきになりたいと願う方でしょう」

「なんだそれ。そんなの、こっちから願い下げだ。……見目が良い?」

「チュアさん、エレルさまはまだ気付いてないんだよ」

「そうでしたね。あのですね、エレル様」

 チュアとキュウは、僕がいかに見目が良いか、魔法で大人の姿になっている間は更にそれが顕著なことを、僕にもわかりやすく噛み砕いて説明してくれた。

「こんな黒髪でもか?」

 先日切ってもらったばかりの髪は、短いままだ。

「貴族や王族の間では、失礼ながら不吉とされる色ですが、庶民はそこまで気にしません。むしろ、珍しいお色ですから余計に目を惹くかと」

「そんなものなのか」

 言われてみれば確かに、親と城へ行く前までは、黒髪が理由で蔑まれることはなかった。

 黒髪について「穢らわしい」という言葉を聞いたのは、城に住むようになってからだ。

「よくわかった。気をつける。差し当たって、大人の姿になるときはもっと不格好にするか。……どういうのが不格好になるんだ?」


 一時間ほど、僕はチュアとキュウから「このくらいでいいんじゃないでしょうか」と言われるまで、変身魔法で様々な姿に変身した。

 チュア曰く「よくある平凡な顔立ちになりました」だそうだ。

 人間なんて、顔面に目と鼻と口がついていればだいたい同じだろうに。




「では、行こうか」

「はい」

 翌日、僕とチュアは小さな革袋に金をいくらか入れて、町へ向かった。

 チュアは僕の魔法で変身させてあるから、全く別の町娘の姿になっている。

 最初は道の試運転も兼ねてチュアひとりで行かせるつもりだったが、チュアが僕に「最初だけ案内して下さい」と頼んできたので、同行することになった。

「キュウさん、残念そうでしたね」

 キュウもついてきたがったが、野生の獣である狐が町中に入り込むのは問題がある。

 人の姿に変身させる魔法はあるが、四つ足の獣を二つ足の人の姿に化けさせるのは、被術者に負担が大きい。

「仕方ない。何か土産を買ってやろう」

 キュウはものを食べないが、僕が魔法で作ったクッションは気に入った様子だった。

 魔法で作ったものだから、キュウがいくら自分の体に合わせようと凹ませたりしても、元通りになってしまう。

 普通に作られた、あれと同じ大きさのクッションを買っていってやろう。

「というのは、どうだろう」

「いいと思います」



 町ではまず食料を買い込んだ。

 僕がついたくさん食べてしまうので、消費が早い。

 食料用保管庫に入れておけば腐る心配は無いので、多めに買っておいた。

 いつもと同じ場所で買い求めたのだが、今日は注文量より多く渡してきたり、やたらと値引きされることがない。

 これが平凡顔の効果なのだろう。

「買い物しやすかったな」

 店を出た僕が感想を述べると、チュアが「そうでしょう」と相づちを打った。


 次に、キュウのクッションを探すために寝具店へ向かう。

「キュウさんて、何色がお好きなのでしょうね」

「好きな色? そんなものがあるのか」

 色に拘ったことなどない。この黒髪だって、忌々しいと思ったことはあるが、嫌いな色だと断じたことはない。

「この紺色なら、キュウさんの金色の毛に似合いそうですね」

 僕は頭の中で、様々な色のクッションに埋もれるキュウを思い描いた。確かに、紺と金は相性が良さそうだ。

「合うな。これにしよう」

 クッションは詰め物と外側を包む布が別売りになっていた。

「洗い替え用に何枚か買いましょう」

「ああ」

 魔法でクッションごと洗って即時に乾かすことができるから、洗い替えの必要性を感じなかったが、チュアが楽しそうに選んでいたので、そのままにさせておいた。


 そして今回の本命、服屋へやってきた。

「ええと……あのあたりのようですね」

「そっちでいいのか?」

 女の客は、色鮮やかな服のところに集まっていたが、チュアが指さしたのはいわゆる作業着が集められている場所だ。

「はい。動きやすい服が欲しかったのです」

 チュアが手に取ったのは、薄茶色のワンピースと白い前掛けだ。

 他にも同じ形の、色の違うワンピースと前掛けをいつのまにか手にしていた。

「それだけでいいのか」

「はい、十分です。次はエレ……貴方の分を選びましょう」

 僕とチュアは本名を呼び合わないと、事前に打ち合わせ済みだ。

 僕はチュアのことを「お前」と呼び、チュアは僕を「貴方」と呼ぶ。

「気をつけてくれよ」

「すみません」

 僕の名前を言いかけたチュアに釘を刺すと、チュアは素直に謝った。

「僕の服は不要だぞ」

「貴方は咄嗟に変身しようとすると、例の姿になってしまわれますよね?」

 僕が魔法で変身する大人の姿は、僕が本当に大人の姿になったとしたらこう、という姿だ。

 服装は、最初にチュアが考えてくれたあの格好か、ずっと着ていた白いローブ姿の二択しかない。

「なるほど、必要だな」

 今後も町には来るだろうから、魔法で作った以外の服を持っておいたほうがいい。

「僕にはわからないから、選んでくれないか」

「いいのですか?」

「任せる」


 失敗だった。

 僕は約二時間に渡って、チュアの着せ替え人形と化した。

「あの、そろそろ……」

 服をとっかえひっかえ着替えることが、こうも体力を消耗することだとは知らなかった。

「はっ! す、すみません、つい夢中になってしまって」

「いや、いい。それで、どれにする?」

「これとこれと、これにしましょう。あと、これも」

「そんなに買うのか」

「少ないほどですよ。全部安価なものですし」

 チュアに言われるまま服を買い、ようやく服屋を出た。


 町へ来てからずっと歩き通しだ。

 僕は魔法で体力を底上げしているから問題ないが、チュアが少し辛そうに歩いているのに気づいた。

「疲れていないか」

 尋ねてみれば、チュアは少し迷ってから、正直に白状した。

「少し。ちょっと喉が渇きました」

「喉か。どうしたらいい?」

「あのお店はどうでしょう」

「わかった」


 食べ物を売る店は何度も行っているが、食べ物をその場で食べる店には初めて入った。

 つい辺りをキョロキョロと見回してしまう。

「物珍しいのはわかりますが、まずは注文しましょう」

 チュアに苦笑交じりに注意されてしまった。

「ああ。……どれを選べばいいんだ?」

 手渡された板には木炭で様々な料理の名が書かれている。

 チュアは喉が渇いたと言っていたから、飲み物を頼めば良いのか。それとも、食事も頼むべきか。

「ケーキを食べてみませんか? 私では作るのが少々難しいのです」

「ケーキ。本で読んだことしかない」

「甘いですよ」

「食べる」


 注文して暫し。やってきたのは、焦げ茶色のソースが掛かった円形の物体だ。僕とチュアそれぞれの前に、紅茶とともに置かれた。

「これがケーキか」

「チョコレートケーキですね」

 チュアはケーキの端をフォークで一欠片切り取り、口に運んだ。

 僕も真似をして、ケーキを口に含む。

「これは……暴力的に甘いな」

「甘すぎましたか」

 ケーキは中も焦げ茶色で、逃げ場のない甘さだった。入っていた木の実が癒やしだ。

「そうだな。こんなに甘くなくても良い。だがこの、チョコレートというのは美味いな。作れるか?」

「難しいですね。いくらか買って帰りましょうか」

「そうしよう」

 また美味しいものに巡り会えた。休憩というのもたまには良いものだ。

「お前といると、楽しいな」

 僕が本心からそうこぼすと、チュアは少し驚いたような顔をしてから、フフフと笑った。

「そう仰っていただけるのは嬉しいです」

 その笑顔がなんだか眩しくて、僕はチュアを直視できなくなった。

「食べたら出よう。最後に本屋に寄るぞ」

「はい」

 チュアは本屋にいる間も、ずっと笑顔だった。



「戻りました」

「戻ったぞ」

「おかえり!」

 家に入ると、キュウが僕に飛びついてきた。

「くんくん……甘ーい匂いがするっす。何を食べてきたっすか?」

「チョコレートケーキというものを……そういえば、昼飯を食べていないな」

「すぐ作ります。エレル様はキュウさんにお土産を」

「すまんな。ほら、キュウ。お前のだ」

「何っすか? わあ!」

 キュウはクッションに飛びつくと、咥えて寝室へ運んでいった。

「お気に召したようですね」

「ならよかった。食材の片付けは僕がやる。チュアは飯を」

「はい」


 この日の後、足りなくなった食材の買い足しは僕、それ以外の買い物はチュアが担当することになった。

 もう魔法薬を売らなくても金は十分あることが分かったが、金は貯めておいたほうが何かの役に立つだろうから、魔法薬売りは続けた。

 町へ行ったときの「平凡な顔」で売ってみたら、売り切れない日が増え、客層も本当に薬が必要な者だけになったのだ。

 顔で売れ行きが変わるなど理解できないが、売るのが楽になった。


 そんな日々は十日程続いただろうか。


 ある日、魔法薬を売りさばいて家に戻ると、家の前に見知らぬ人間がいた。

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