08 賢者、道をつくる
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人里で魔法薬を売った金で得た小麦粉を始めとした食材は、チュアの手で素晴らしいものになった。
「これが焼きたてのパンか……」
衝撃的だった。
少し力を入れるだけで潰れてしまうほど柔らかで、そっと割ると湯気が立ち、小麦の香りが空腹を刺激する。
そのまま一口頬張ると、ふわふわもちもちとした食感にほのかな甘味が広がった。
食卓に乗った山盛りの白パンは、夢中になって食べていたら、あっという間になくなってしまっていた。
「あら、もう全部食べてしまいましたの? お昼のサンドイッチの分を追加で焼かなければいけませんね」
「すまん。あんまり美味かったから、つい」
「美味しかったのなら何よりです。エレル様、パン捏ねを手伝っていただけますか?」
「やる」
「おいらも手伝えるかな!?」
「うーん、毛が入ってしまいますから、難しいですね。お気持ちだけで十分ですよ」
「そっかぁ。毛、剃っちゃおうかな」
「やめとけ。これならどうだ?」
自分で食わないくせに料理を手伝いたがるキュウの鼻と口と耳以外の全身を、薄い空気の層で覆ってやった。
「これなら、パンを捏ねるくらいならやれそうだろう」
「また、凄い魔法を軽々と……。では、お願いしますね、キュウさん」
「わーい!」
三人がかりで、僕が先程食べ尽くした分の三倍の量のパン生地を捏ね、昼の分のパンは確保できた。
「チュアのパン、売れるんじゃないか?」
冷まして落ち着かせた白パンをナイフで上下半分に切り、それぞれの両面を軽く炙ってバターを塗ってから火を通した肉と野菜を挟むと、あの忌まわしき腐れサンドイッチの思い出は綺麗に消え失せた。
「高く評価していただけて嬉しいですが、所詮は素人の手仕事です。量を作ることもできませんし」
「むぅ、そうか」
チュアのパンが売れるものなら、魔法薬の代わりに売ろうかと思ったが、そううまくは行かないようだ。
僕の魔法薬は人里へ持っていく度に売り切れるが、そもそも魔法薬を作れる人間は限られている。
もしロージアン国が僕を探しているなら、魔法薬から足がついて見つかってしまうかもしれない。
僕が見つかれば、チュアと離れ離れになってしまう。
……チュアが居なくなると考えただけで、僕の心臓が縮み上がった。
「?」
「どうなさいましたか?」
「いや……考え事をしていただけだ。チュアは町に行きたくはないか? ここで生活していて、足りない物や欲しい物はないのか」
町で他の人間を観察していて、一つ気づいたことがある。
一般的な人間は、自分を着飾るものらしい。
特に女は、顔に色々なものを塗ったり付けたり、機能性を無視した服や装飾品を身に着けていることが多い。
「必要なものはエレル様が何でもぽんぽん作ってくださるので、特には……って、本当にどうなさったのですか?」
僕が町で見た女のことを説明すると、チュアは「ああ」と納得した。
「森暮らしの私に装飾は不要です。でも、贅沢を言うならば服はあと何着か欲しいですね。エレル様、作って頂けませんか」
「着替えを欲しがることくらい贅沢でもなんでもない。それと、魔法で作っても構わないが、チュアがそれを着ているときに僕に何かあったら、その場で服が消えるぞ」
「買い物に行きたいです」
チュアの返事はいつになく早かった。
「じゃあ、チュアが町へ行き来しやすいように道を作ろう」
昼飯の後、森に道を敷くために外へ出ると、チュアとキュウもついてきた。
「見学したいです」
「見たいっす!」
だそうだ。
邪魔にならないところを指定して「そこでじっとしているなら」と許可した。
僕は片膝立ちになり地に右手をつけて目を閉じ、森の草木や動物たちに語りかけた。
「道を通したい。少し退いてくれるか」
森の中に道を一本だけ作ってしまうと、僕たちの棲家はあっという間に余人に見つかってしまう。
だから、城で流行っていた盤上で駒を動かす戦略遊戯の盤の目を、少し歪めたような道を敷いてやる。
更に、森を通り抜ける大きな道を一本通しておけば、細い道に目を向ける人間は少なくなるだろう。
どうせチュアやキュウが通る時は隠蔽魔法を掛けるから見つかる確率はほぼ無いが、やれることはやっておくに越したことはない。
「……わわわっ!?」
「森から聞こえるっす!」
地鳴りのような音に、チュア達が驚きの声を上げる。
森が、僕の頼みどおりに動いてくれているのだ。
しばらくして、地鳴りが止む。目を開けると、森の中に道ができていた。
「すっ、凄いです! でも、こんな大魔法を使ってお体はなんともないのですか!?」
立ち上がると、チュアが駆け寄ってきて、早口でまくし立ててきた。
「大魔法? 森に頼んだだけだから、僕自身の魔力はそんなに使ってない」
美味い飯を食ったばかりの僕は、いくらでも魔法が使える気がしている。
そんな僕にとってこの程度はどうということはない。
「森に『頼む』……。そんなふうに魔法を使う方は、見たことがありません」
「人間や魔獣相手だと、魔法に魔力の芯を通さないと通じないが、相手が動物や植物なら頼めば大体聞いてくれる」
僕がまだ物心つくかつかないかの頃から、自然とやっていたことだ。
人前で使うことはなんとなく避けていたが、五歳の時、三日ほど僕だけ飯にありつけず空腹に負けて、そこらの雑草を食べられるものに変換した。それを親に見られて、僕に魔力があることがバレたのだ。
「で、でも、頼みを聞いて貰う代わりに、魔力を差し出しているのでは?」
「動物や植物は人間と違って無欲だからな。魔力はほんの少しでいい」
僕が乾いた笑いを上げると、チュアは何故か辛そうな顔をした。
「どうした」
「エレル様はこんなに素晴らしい魔法使いなのに……」
言い淀んだ部分を、僕は容易に理解した。
「チュアが気にすることじゃない。道の使い方は夜、教えよう。小麦粉で菓子が作れると言っていたな。食べたい」
「は、はい。……道の使い方?」
「道って歩いて通ればいいんじゃないんスか?」
「まあそうだが、魔法で作ったものだからな。色々と注意点がある」
チュアにクッキーとパンケーキを作ってもらった。
「っ! な、なんだこれ!」
「甘いのは苦手でしたか」
「違う、そうか、これは甘いのか……。パンも甘いが、これは飛び抜けて甘いな」
一見硬そうに見えるクッキーは歯で簡単に噛み砕くことができて、口中が『甘み』で満たされる。
パンケーキは、ほぼパンだ。これも先に食べた白パンより甘い。
「ほとんど同じ材料で、こうも違うものが作れるのか……」
「クッキーにはバターをたっぷり使いましたから、食べ過ぎは禁物です。パンケーキも砂糖が多めですから、控えめにしてください」
「う、わ、わかった」
朝と昼のように全部食べようとしたら、チュアに釘を差された。
確かに、食べ過ぎは良くない。
特に僕は、目の前にあったらこれまで食べれなかった分も……と、つい食べてしまう。
食事を楽しみたいのであれば、自制しなくては。
今日もチュアの料理をたっぷり食べて、特に何もすることのない時間になった。
ひとりだったらさっさと寝てしまう時間だが、今はチュアとキュウがいる。
他愛も無い話をしたり、お茶を飲んだりという時間にしていた。
「――で、今度はこっちの紫の目印を」
「待って下さい、エレル様、理解が追いつきません」
「クォン!」
「む、そうか」
道の使い方――僕が設置した魔法の起動手順とその理論について講釈していたのだが、チュアが音を上げた。キュウも、人の言葉が通じるのに獣の鳴き声で抗議している。
「もっと簡単に……うーん、魔力があればどうとでもなるんだがな……。あ、そうか」
僕は手のひらを上に向けて、指輪を作った。銀のリングに金色の石が嵌ったものだ。同じ石が嵌った首輪も作った。
「これを身につけてくれ。僕の魔力が込めてある。時折魔力を補充をしなくてはならないが、道を使う手順が煩雑だというなら、この方が手っ取り早い」
指輪をつまんでチュアのほうにやると、チュアは顔を真っ赤にして、なかなか指輪を取ろうとしなかった。
「エレル様、異性に指輪を贈る意味を、ご存知ですか?」
「指輪を贈る意味?」
「おいらでも知ってるのに……」
僕が首を傾げると、キュウが頭を振って何事かつぶやき、チュアは溜息をついて下を向いた。
「異性に、特に男性が女性に指輪を贈るのは、求婚の意味があるのですよ」
「へぇ。……求婚!?」
知らなかった。
指輪という装飾品は身近にはなかったが、存在は知っていた。でなければ、今こうして作れなかった。
「あ、ああー、だからあの本のあの場面はそう言う意味だったのか!」
「何か思い当たることが?」
「城の図書室にあった本に……」
あまり読まない方向性の本だったが、何度も借りられていて、図書室に無い日の方が多いほどの本だったから気になって読んだ。
魔法や魔力のことは書かれておらず、終始、男と女がお互いをどう思い合っているか、という話しか書かれておらず、退屈だった。
中でも、女が男から貰った指輪を失くした際、それが別の女の指に嵌っていたのを知った女は、自死を決意するほど追い込まれていたのが理解不能だった。
「おそらく『王宮大恋愛~姫付き侍女は公爵様のお気に入り~』という本ですね。城の侍女たちの間で人気でした」
「たしかにそんな表題だったな」
「読んでみたい!」
「キュウは文字読めるのか?」
「読めるよ!」
「じゃあ、ほら」
僕は記憶の中から本の情報を引っ張り出し、本を魔法で完全再現してキュウに渡した。どんな本でも何かの役に立てばと記憶魔法に保存しておいたのだ。まさかキュウの知的好奇心を満たすために使うことになるとは。
「えっ!? ど、どういう魔法ですか?」
「人間の記憶は本人が自覚していなくても、見たもの、聞いたことは全部覚えているものだからな。魔法で取り出しやすくしているだけだ」
「キュウさん、ちょっといいですか?」
チュアがキュウから本を受け取り、中身をパラパラとめくる。
「一言一句間違いなく同じです……」
「チュアはこういう本が好きなのか?」
「ええ、少し」
「僕の記憶にはあまり無いな。今度町へ行くときに、好きなのを買ってこい」
「え、でも、これこそ贅沢品では」
「僕は自由にできる金があったら、食事と本には惜しまないと決めていた」
「……では、お言葉に甘えて」
この時は話がすっかり横道にそれてしまったが、翌日、指輪と首輪の魔法がきっちり機能することを確認できた。
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