第4話 並外れた能力

 ナルルは順調なスーパー勤務を続けていた。毎日が楽しそうに過ごすナルルの姿に青空綾夫は意外だという気持ちがあった反面、ある意味ではやはりできる子だったんだという安心感を持っていた。レストラン事件の時には、厳しく素性を問い詰められて、家はなく、学歴もなく、おカネもないという3ない状況を説明していた。その時のナルルの声はおびえてもいた。彼女の切ない声と表情を見ていて、青空は見ていられなかった。何としてもあの子を助けてあげないといけないと、心から気の毒に思い、おカネの支払いを申し出た。もうそのままにはできない。自分が助けなくてどうするんだと、自責の念に駆られた。ナルルが心の底から、哀れにも似た、それでいて、親という父性がその場で目覚めたような感覚に襲われたのである。

 そして、公園での少女傷害事件の際にもナルルがわが子のように愛しく思えたので、彼女を救えるのは自分以外にないという気持ちで、「私が父親です」という身元引受人になりきり、いきなり行動に出て助け出そうと試みた。その時もナルルの素性は行く当てもない孤独な少女のように映った。学歴もおカネもない彼女が放って置かれたら池袋の街で途方に暮れて、いずれは女の園の仕事に引きずり込まれてしまうのではないかと、心配した。東京の街は女の仕事は多い。体を張った仕事は待ってましたと、大きな口を開けて少女などが踏み込むのを待っている。まるで蟻地獄のように、一度捉えたら絶対に逃がしはしないという逆螺旋階段になっている。不憫に思えてならなかった。

 ところがその青空の不安は、大きく外れたかのようなナルルの活躍だった。ス-パー勤務はおそらくは、3日とはもたないのではないかと思い、次に働く場所は自分の夢花店以外にないのではないかという思いで開店を急いでいたものが、空振りになるような嬉しい誤算になるような気がしてきていた。ナルルの態度はどんどん自信に満ちている。そっとしておこう。傷ついても、ムリに楽しいフリしながらスーパー勤務をこなしているのかなとも思った。夜はベッドで深い悲しみで泣いているのではないか、顔に出さずに、心で泣いているのではないかと心配もしていたが、それもどうやら、取り越し苦労だったような気もしてきた。

「スーパー勤務は、なにか問題はある、どううまくいってるの」という問いかけに「ふつう、何もないよ」と明るく答えるナルルの目は自信に満ちていた。

 青空は複雑な気持ちだった。そんなに簡単にうまくいくはずはない、はずだが。その反面、安心もしていた。深く詮索することは、逆効果になるような気がしてそれ以上は聞くことはできなかった。怖かったのである。ナルルが傷ついて家を飛び出してしまうのではないか。詳しくは聞いてはならない。こちらも安心して信じているという包容力を見せていないといけない。いっぽ間違うと大きなものを失うことになるのではないかと、それ以上踏み込んだ質問はいけないと、はやる気持ちにはブレーキをかけ続けてもいた。そのため、ナルルが務めるスーパーに行く勇気がなかった。うまくいってるはずだと思いながらも、うまくいってなったらまずい、と悩んでしまって足が止まってしまっていたのである。

 実際の現場では、その心配が見事に裏切られたような、ナルルの活躍ぶりだった。

 朝食を一緒に食べている時に、

「どうだね、ス-パー勤務でつらいことはないかい。ムリはしなくていいんだからね」青空は、ナルルに勤務ぶりを訪ねた。

「なにもないよ。心配かけてごめんなさいね。そんなに心配かけてしまって。おじさんが毎日心配してくれてるの知ってる。でも本当に大丈夫よ。」

「そうならいいんだけど。疲れるんじゃないかい」

「まったく、ぜんぜん。疲れるような仕事じゃないんです。毎日楽しくやってます。正直もっと厳しい仕事かなと思っていたけど、簡単な仕事なんですねスーパー勤務って」ナルルは正直に答えた。が、青空の心配を裏切ってもいけないし。

「というか、少しは疲れますけど・・・。覚えることが多くてたいへんです」

 ナルルは研修生が漏らしていた言葉をそのまま伝えた。もしろそう言っ他方が、青空が安心してくれるような感じがした。

「そうなんだよ。最初は誰もそうなんだよ。でも慣れていくから、少したいへんでも頑張ってね。で、どうしても合わないと思えば次を考えるというのもいいと思うよ」青空は無難な言葉の表現で交わし、安心した。

「はい、おじさん。その時には考えますね」ナルルははっきりした言葉で言った。

 青空はうまく言葉が伝わったようで、ホッとしながら、心の中で毎日応援していた『がんばれ』って。


 ナルルは軽快にス-パー勤務をそつなくこなしていた。レジ勤務では申し分ない成果を発揮していた。ナルルは通常では考えられないほどの理解力で、業務内容を把握して、ほぼ完ぺきに仕事をこなしていた。1週間後には、店内にある商品名をすべて覚え、どこに何があるかを正確に言えた。お客から何か探しているものがあると聞くと、売り場の担当者よりもす早くその商品棚まで案内した。10日目には、ほとんどの商品の値段まで覚えてしまった。値札が外れた商品がレジに持ち込まれても瞬時に価格をジャンコードで入力した。やさいや果物で値札が外れた物でも価格の入力ができた。しかも何も見ずにできた。しかも2週間後にはなんと、人気のある定番商品のジャンコードの棒線を見ただけでナンバーを読み取った。さらにプライスカードが消えかかった品物や汚れた商品がレジ台持ち込まれても、そうした商品はレジ台では読み取れないことも多いが、ナルルは人気の定番商品であればジャンコードナンバーを覚えていて、手入力ができるようになっていた。しかもずいぶん前に覚えたことでも忘れないというのが、すごかった。レジ担当者からは神業だと呼ばれていた。さらに、お客の名前を一度聞いただけで、すぐに覚えた。レジ初日に来たお客さまの名前まできちんと呼んだ。「飯森様いらっしゃいませ」と実名を呼ばれた、その客は大声で大喜びするといった具合だった。まさに、驚く程の才能の持ち主だった。コンビニなどの小規模な店なら商品を全部覚えるのも可能かもしれない。コンビニエンスストアーの商品数はおよそ2,3千品目だが、このスーパーは3万品目とコンビニの10倍以上だ。その商品名を全部覚えるというのは、かなり困難なことだった。コンビニの10倍以上の商品群に囲まれ、定番商品とはいえジャンコードナンバーまで覚えることはどんな頭脳でも通常は不可能に近かった。ナルルはさらりとやってのけた。こうした行動は、レジの担当をやった人でないと理解しずらいため、通常の従業員には『すごいね』ていどの驚きにとどまったが、レジの経験者であれば『信じられない』偉業と言ってもよかった。もちろん、これだけ記憶してるため、商品の品出しをやればとんでもなく早かった。1年アルバイトしていても、自分の担当する狭い商品棚だというのに、出そうとする品物の場所がなかなか探しきれずに、品出しに時間がかかる人もけっこういた。

 そうした超難関の業務を、わずか3週間もかからずに、ナルルはすべて覚えてしまったのである。まさに神業といってもいいほどだった。

 この日は、ナルルは通常のレジ対応を任されていた。既にナルルは主任待遇の位置に立っていた。つまりレジ経験を長くしている人達の先頭に立って、指導する立場に就いていたのである。

「おい、そこの若い姉ちゃん。そうだよお前しかいないだろう。この新人野郎が、とんでもない間違いしやがって」恐ろしい剣幕で、60代と見られる一見するとヤクザっぽい男が乗り込んできた。店内にはたくさんのお客がいた。その中で、大声を張り上げて騒いでた。

「おいっ、おまえなぁ、計算ミスしてんぞ」どこの言葉かは知らないが、少しなまっていて、ドスばかりが効いていて、とにかく怖い人が店にやってきた。

 ナルルを指差していた。

「いらっしゃいませ。何かご不便をおかけいたしましたでしょうか?」ナルルは少し笑みを浮かべマニュアル通りの接待を行った。

「なにが、ご不便だよ。まずは店長を呼べ、それからだ、話しはお前みたいな下っ端女相手にしたって拉致あかないんだよ。とにかく店長を呼べ。」男は店長を出せと言い張った。他の女性店員が事務所にあわてて店長を呼びに行った。

「何か不都合がございましたか」ナルルは丁寧に接した。

「ほらみろっ、50%引きで買った昨日の刺身が、半額になってねえんだよ。750円も払い過ぎてんだよ。そうやって、客からぼった食ってんだな、ここは。あくどい店だっていうんだよ」客はレシートを出して見せた。ナルルはその男に見覚えがなかった。

 騒いでる間に、駆け足で店長が飛んできた。

「もうしわけございません。サービスカウンターでご用件を受け賜りますので、どうぞこちらにいらしてください。」店長はサービスカウンターの席を用意した。男は座りながらも横柄な態度を続けていた。

「あの新人姉ちゃん、従業員だが、昨日かった刺身の値引きを忘れてたんだよ。50%も違ってた。750円も余計にとってるってのはアクドイ商売だやな。お前らそうやって、店大きくしてきたのかよ」男が話した。

「大変申し訳ございません、只今ご返金させていただきます」店長は応対した。

「それとだな、なんか、へんな匂いもしてたんだよ。おかしなにおいがしたんだ。この店はおかしなものまで売ってるのか」男の怒りは収まらず、苦情はエスカレートするばかりだった。

 青空さん、ちょとお客様にご返金をお願いします。

「それではお客様、刺身の代金1500円をお返しいたしますので、少々お待ちくださいませ」店長はさしみの代金全額を、その男に返金するようナルルに支持した。

「ちょっとまってください。お客様は何時に当店に来ましたか」

「うぅ、5時か6時くらいだったな、夕方。」

「刺身のパッケージはそちらですか。半額のシールはどこにありますか」

「これだよ」男は半額シールの張ってあるラップを見せた。

「お客様はご来店時間が5時から6時とおっしゃいましたが、このレシートの時間は4時になってますが」ナルルは質問した。止めるように店長は横で心配そうに顔を横に振っていたが、ナルルは話しを続けた。

「それがどうした。」

「4時半では刺身は半額にはなってません。昨日は6時に20%引きになり、7時半に30%引き、8時に半額のシールが張られています。それと、その半額のシールは一度はがしてませんか。もし指紋を取ればはがしたものかどうかわかりますよ。それとシールの張り方が左利きの向きになってます。当店の従業員は右利きなのでその貼り方にはなりませんが。防犯カメラで確認すれば、わかりますよ。それとあなたは昨日は私のレジには並んでいませんでしたね。あなたの顔は覚えていません。昨日本当にこのスーパーで買われていますか」ナルルははっきりと言い切った。

「なんだよ、俺を疑ってるのかおまえは、新人のくせして何もわかりもしないで、すっこんでな」男は威嚇するように立ち上がった。

「詐欺罪になりますよ。それと威力業務妨害に脅迫罪も加わるので、相当厳しく処罰されますよ、いいんですか」ナルルは反撃に出た。

「何を言ってるんだ、こ、こ、小娘が。俺を脅してるんかな。そんな、脅しはつまりだな」

「店長、警察に通報していただけますか」ナルルは店長にむかって頼んだ。

「おいっ、まてよ。何言ってんだよ。俺はただ、買ってきただけだだろう。買っちゃダメなの。買うぐらいいいんじゃないの。それに用事を思い出したんで、まあ、いいてことよ」男は人をかき分けるように店から急いで出て行った。店の外で肩を大きく落として、したをむき小さくなって足早に去って行った。

 何とナルルは、そのクレーマーをいとも簡単に撃退してしまった。それも、何のトラブルも起こさないで、平和的に解決してしまったのである。おそらく、男は店から難癖をつけて、おカネを脅し取ろうとしていたに違いない。ナルルは、その行為を鋭い記憶力で、撃退してしまった。まさか、並んでなかったという事まで言われるとは考えてもいなかったのだろう。昨日の防犯カメラを見返せば男がその場にいたかどうかも、割引シールの貼った時刻も、男が買ったかどうかも全てがはっきりしてしまう。警備会社によって防犯カメラのチェックで確認される前に、いち早く退散した方がトクだと男は考えたのだろう。レシートも拾ったものかもしれなかった。もたもたすると自分が不利になると考えたに違いない。ナルルが新人だから、難癖をつけても大丈夫だろうと男は高をくくって、ひと儲けしようとたくらんだのだろう。しかし、実はこのスーパーの最強の従業員を相手にしてしまったことは、その男の運のつきだった。

 やくざ風のクレーマーをほぼ一撃で追い返したのには、店内の客も、その場にいた従業員も驚かせた。みんなの尊敬すらも集めた。これだけの事は新人、それも入ったばかりの女性が簡単にできる芸当ではない。しかも、おびえるそぶりは終始一切見せていない。毅然とした姿勢で、冷静に相手の出方を見ながら、適切なタイミングで、効果敵な反撃に出たのである。あれが若し、もたもたすると、たとえ相手を撃退したとしても、恨みを買ってしまう。みんなの前で、客が大勢いる前で恥をかかせてしまうと、男は近所で生活がしづらくなったりする。そうなると、ストーカーに転身したり、又は、ナルルや女性従業員に対して腹いせをしてくることもある。場合によると、食品に毒や針と言った危険異物を混入させることすらある。そのため、そうしたクレーマーをうまく処理するのは、簡単なことではない。長年勤めた店長ですらも危険な思いをしたりする。その前の店長は、やくざ客ともめて最後は命まで狙われ、会社を辞めて北海道の田舎にまで逃げたと噂されていた。過去には爆弾を仕掛けると脅されたことまであった。単なるクレームの処理でも、少し間違えるととんでもない危険な事態を招くことにもならないのである。、そのため店は、従業員のレジ研修に執拗に時間をかけてしているわけである。レジの業務は店の存亡にもかかわるような大きな要因と言えた。ナルルの対応は、そつがなく、すばやく、適切な時間と言葉で最適な状況でクレーム処理したことに価値があった。この場合では、その男のし返しの可能性は極めて少ないと思えた。店長も黙ってナルルに事態の収拾を任せたのは、そうした判断が働いたものとみられる。言い合ったり、店長も加わり、相手を威嚇したり抑え込もうと時間をかけると、仕返しが起こる可能性が大きくなる。まさに、的を得た抜群の苦情処理の見本ともいえるものだった。まさかそんな高度な対応がナルルができるとは、店長も思ってもいなかった。店長はナルルに助けられたかもしれないと感謝していた。もし今回相手に従って要求をのむと、やりたい放題で野放しになり、そのあともしつこくやってきて、何度も店は脅され、ついには店が衰退してしまう事にもなりかねなかったのである。それ以来ナルルは店の従業員からも店長からも一目置かれる存在となった。

 ナルルの才能はとどまるところを知らなかった。

 1か月もしないのに、誰よりもお店の事を熟知していた。従業員がアルバイト、パートまで含め約300人いたが、全員の名前を言えるようになった。バックヤードの通路で会うと、名前を呼び挨拶をした。倉庫にある在庫の量を毎日確認して、ヒマな時間があれば、スピーディに補充をかけた。客の買い物かごを見て合計がいくらか瞬時に言い当てた。そのため買い過ぎなどを心配するお客は、ナルルが通路などにいたりすると合計金額がいくらになっているかを尋ねたりしていた。とうぜん顔見知りは増えて、人気はうなぎ上りにあがっていった。少女のようなあどけない容貌で、社交的で、挨拶がこまめで、客に対する姿勢も丁寧なことからどんな人からもナルルは好かれていった。ここまで来ると、本社の従業員の間にまでナルルの噂は広がった。本社からも一目見ようという社員がやってきた。

 勿論店の周辺でもナルルの評判は伝わり、つれて、

 店の売り上げは一日これまで平均が300万円だったのが一気に600万円になり最近は800万円近くとなっていた。店は大繁盛していた。とうぜん本社からも、また、他店からの応援の従業員も増えていった。

 一人の女の子が、たった一人で、店の売り上げを倍以上に引き上げてしまった。これは奇跡に近い現象といえるものだった。通常なら、本部の経営企画部が総出になって、商品の見直し、陳列タナの入れ替え、価格の見直し、仕入れ先の変更など様々な工夫と努力を投入して、さらに店舗の改装までして、多額の投資をして、売り上げ目標を30%アップできるかどうかだ。それが一人の女の子が、売り上げを倍にするという事は経済環境から言ってありえないこと。今は競争の社会である。どの店も売り上げアップを目指してあれもこれもできる限りの策を講じており、簡単にはその勢力図式を変えることはできない。そのため、他の会社の店長などは隠れるように来店して、この店を訪れては攻略の対策を考えていた。このままでは自分の店がつぶされかねない、ほってはおけない現象だった。簡単なのはナルルを引き抜いてしまえばいいのだが、簡単ではない。それも含めて対策会議が開かれていると見られる。

 オーケースーパーは引き抜きを恐れて、すでに臨時ボーナスを支給して、従業員の囲い込みを強化していた。そしてナルルは一気に社員に格上げされた。かつて見たこともないほどの異例の昇進人事異動である。もちろん全員に臨時ボーナスが支給されたことから、ナルルをねたむ人などなく、皆がナルルに感謝した。全員から歓迎される人も珍しかった。ナルルは人をどんどん引き付ける不思議な魅力を持っていた。

 だが、1か月が過ぎたころから、店には異変が生じ始めていた。商品が腐っていた、野菜の鮮度が悪い、魚に問題が出たり、賞味期限の切れた商品を買ってしまったという苦情が増えていった。どうしても繁盛店になると、苦情やミスも増えてくるのは仕方ないが、少し頻度が多くなってきていた。

 青空が経営する夢花店も、開店から1か月で徐々に昔のお客さんが戻ってきていた。近所の住民も利用するようになり、経営は上向きで推移していた。

「ナルル、オーケースーパーの方はどうかな。仕事は順調に言ってるの?」青空は尋ねた。

「うん、まあ、いい調子でいってるよ。心配しないで。」

「そうかあまり仕事の事は聞かないよ。ナルルが気にするといけないから。そこそこうまくいっててくれさえすれば。それに生活は心配はないからね。花店の収益もプラスになってるから。生活は問題ないからね。もしあれだったら、生活費は入れなくてもいいからね」青空はナルルが仕事の事を何も言わないことを気にかけていた。イジメにあってるのじゃないか。仕事で失敗して悩んでいるんじゃないかといろいろ心配していた。

「大丈夫だよ。おじさん。私、いつの間にか正社員になってたよ。入社した時から正社員に慣れたって言ってたよ」

「そうか、それなら気にしないように。アルバイトだってあるから・・・。えぅ、正社員になった?」

「ええ、そうみたい」さらりと言ってのけた。

「そんなことがあるのかい。いきなり正社員だって。まだ入ったばかりなのにそんなことって。いったい、ナルルはどんな仕事してるの。いやはや、信じられないような大抜擢だね」青空は、驚いてしまった。

「ただ、働いてるだけだよ。どうしてかわからないけど、みんなすごいと言ってくれてる」

「他の人もそうなのかい。全員正社員で全員が課長になったりするあれかな。」

「そうじゃなくて、今回は私一人みたいだよ」

「それはすごいね。すごい。頑張ってるんだね。いいことだね。またこれからもムリしない程度に頑張ってよ」どうなってるのかと疑いながらも、やめたいとか言い出すよりは、良かったと思った。

「はいっ」ナルルは、元気な返事を返した。

 花店の営業は、ナルルにご飯を作って待つことを考えて、夕方速い時間にしまっていた。ナルルが帰ってくるころは片づけも済んで、一緒に夜ご飯を食べるのが日課だった。これから正社員になって帰りが遅くなると聞いて、青空は花店の営業時間も少しのばそうかとも考えた。この幸せが長く続いてほしいと青空は願っていた。ナルルはもう娘と同じ存在となっていた。20年間近くも妻と娘の帰りを待ってきた。帰ってきてほしいと願わない日は一日もなかった。毎日、朝起きると神棚に水を上げ、どんな形であってもいいからどうか帰ってきてほしいと願ってきた。その願いが今やっと叶ったような気持だった。周りからは、再婚してはどうかと、お見合いの話しなどもあったが、全て断り、他の女性には脇目も振れず毎日、妻をしたって想いながら 待ち続けていた。たとえ命が果てようともこの家に留まって妻と娘の帰りを待つ決心を固めていた。全財産を費やすまで、自分の命が燃え尽きるまで、ずっと待ち続ける覚悟ができていた。全ての楽しみも捨て、欲望にも負けずに、妻と娘の帰りを待ってきた。一目だけでもいいから、会って死にたいとさえ思ってこともあった。そして、形は違えども、ナルルという娘が家にいる。この幸せを失いたくないという気持ちが日増しに強まっていた。

 ナルルは今日も元気に、会社に向かって家を出て行った。青空はいつもその後ろ姿をみおくって、花店の開店の準備をするのが日課となっていた。今日は店の周囲がにぎやかになっていた。何かあったのだろうかと気になって、外を見ると、花店の前に何人もが開店を待って並んでいた。青空は外に出て理由を聞いた。

「何かご用でしょうか。何かございましたでしょうか」

「ここは青空なりるさんのオタクかしら。」

「はい、なりるは私の娘ですが・・・」

「あっ、良かった。お父様ですか。いい娘さんをお持ちで良かったですね。お花を頂きに来ました。まだ開店までは時間がかかるのかしら」

「ハイッ、すぐにお店を開けますので少々お待ちください」なんと、ナルルの評判を聞きつけて、この花店まで人が押しかけてきたのだった。土曜日とあって、人はどんどん押しよせてきた。あっという間に用意していた花は全てが売り切れとなった。それでもあとからお客はやってきて、断わるのがたいへんだった。まさかこれほど、ナルルの評判が良かったとは予想もしなかった。青空はナルルのすごさに、つくづく驚いてしまった。『やはりあの子は、タダ者じゃなかったんだ』と思った。家もなくカネもなく、家族もいない、学歴もなくないないずくしなのに、少しも悲哀が感じられなかった。それどころか気品にみちていて、溢れるような理知的な雰囲気に満ちていた。最初の時から人間にはないような、特別の光を感じさせていたことを思い返していた。それはどこかで見たようなや柔らかな光だった。記憶の底に。かすかに残る、漁火のような柔らかな光・・・。『そうだ、妻にあった時に不思議な光を感じた。あのときに見た光のようなきらめき』を青空は思い出した。でも、その記憶はもう遠くに飛んでいておぼろげにしか覚えていなかった。妻の物と同じ光なのかどうかは、はっきりしなかった。

 明日は日曜日、花を仕入れるのは難しい。でも何としても仕入れないと。知り合いの店に頼んでみようと、青空は考えた。まさかこれほどの商売繁盛になるとは全く考えてもいなかった、意外な展開となってきた。

 ナルルはいつものように従業員入口を入っていった。と、数名の社員が待ち構えていて「おめでとうございます。正社員、出勤1日目ですね。よろしくお願いします」若手の男性社員が花束をナルルに渡して、祝福した。ナルルの人気は若い男性からも強まっていた。

「ありがとうございます。頑張ります」落ち着いてお礼を言った。新人らしくないまさに、ベテランの風格すらも漂っていた。ふと見ると、どこかで見た顔を見つけた。

「あれっ、あなたはバイク便の配達の人ですよね」ナルルはユウヤを見て、不思議そうな顔をした。

「はい、おはようございます。また会いましたね。僕はこの会社で働いてます。小林裕也と言います。よろしくお願いします。以前はありがとうございました」ユウヤはあいさつした。

「あっ、ハイ、そうだったんですね、こちらこそよろしくお願いします。」ナルルは親しみを感じた。バイクの時には、ヘルメットもしていたため、不審な感じも持ったが、会社で見るユウヤは好感の持てる爽やかな青年に映った。また一人知り合いが増えて良かったと思った。ナルルは好奇心が旺盛で、いろんな人と知り合いになり、人間がどういう感情を持って、どう行動しているのかを探求したかったのである。とにかく仲間が増えることは大歓迎だった。

 ユウヤは、今回ス-パーの内勤に配属が変わったばかりだった。1か月前に公園でナルルと出会った後、スピード違反で警察に捕まり、罰金刑に処せられていたが、会社のバイク便の業務規定で20キロ以上のスピード違反をした場合は、バイク便の業務から3か月間ははずされることが決まっていた。ユウヤはその規定違反の対象者となり今回店内の業務に配属となった。転属が決まった当初はかなりがっかりしたものの、配属先にナルルがいるという事を知って、この日が来るのを待ち望んでいた。ナルルと一緒に働けると思うと、ユウヤは、新たな人生ドラマが始まるような予感すら覚えた。ユウヤは野菜販売の担当者となった。とりあえずは市場でのバイヤーの仕事からははずされ、店内での野菜の陳列、補充などを中心に働く事になっていた。そのため、レジ係のナルルとは店内で会う機会が多くなると、楽しみにしていた。

 日曜日とあって、今日は朝からお客が大勢押しかけてきていた。ユウヤは朝市の用意と販売に大忙しだった。

 おばあさんと孫娘らしき2人連れが店内の通路で何やら相談していた。

「おはようございます。いらっしゃいませ。何かご不便でもございましたら、お気軽に店員までお声かけください」ナルルは、そのおばあさんに声掛けを行った。そうしたお年寄りにすかさず寄り添う声をかける所が、ナルルの人気の秘密でもあった。親しみやすい接客姿勢によって、隅々まで心配りをする事は、なかなか誰もができるものではなかった。

 店内を見て回っている時に、肉販売コーナーで声が上がった。

「なにこれ。腐ってるんじゃないの。色が悪いし、匂うわね」お客が販売担当者に向かってクレームを入れていた。

 ナルルはすぐに声のする方向に向かった。

「すみません。すぐにお取替えしますので、おまちください」精肉の部門担当者が謝っていた。腐った肉が売り場に出るなどという事は、ほとんどあり得ないことだ。スーパーにとって異常事態が発生したことになる。客が買ったあとで、熱い車の中に長く置いたり、家に帰っても冷蔵庫に入れ忘れたり、買ってから何日も経ったりという事で、腐るというケースはあるが、店頭の販売コーナーに腐った肉が展示されているという事は通常では考えられない。それだけ、通常は鮮度のチェックが各店ともに徹底されていたためだ。ナルルは何かおかしいと思った。

 ナルルは精肉売り場を見渡した。さっき声をかけた老婆と孫娘と見られる二人が、何事もなかったように、肉のパックを手にとって吟味している。他のお客は、店員の様子を心配そうに見つめていた。店員はその場の肉を全て引き揚げ、新しいものと入れ替えようとしていた。ナルルもその交換を手伝った。新しい肉を奥から持ってきててきぱきと並べかえると、次第に客も落ち着きを取り戻していった。

 ところが肉コーナーが平静を取り戻すと今度は、鮮魚コーナーの方でもなにか人だかりができていた。そこでも何かあったようだ。ナルルはそちらに向かった。レジの方も気になったが、社員になったナルルは、店全体の業務を補完したり管理するようにも言われていたためである。鮮魚コーナーに行くと、同じように、魚が一部腐ってるという異常な事態が発生していた。肉コーナーに続いて今度は鮮魚コーナーまでおかしくなっている。どうしたのかと思った。ふと見ると、また、老婆と二人ずれが何事もなかったように平然と品物を吟味している。あとの客は店員の作業を心配そうに眺めていた。ナルルは、鮮魚コーナーに他に腐ったような魚がないかどうかをチェックした。あわてて店長や他の部門からも社員が飛んできて、作業を手伝ったり、その場に居合わせた客にすぐに交換しますからご安心ください、という趣旨の説明を行っていた。

 ナルルはレジの方も心配になり、レジ台のある方向に向かった。すると次にはなんと野菜売り場でも同じようなことが発生していた。いくらなんでも、日曜日の超繁忙の時にこんなことが何度も起こるとは、どうなってるのかと疑った。レジ台の並んだコーナーは幸いなことに、大きなトラブルは発生はしてなかった。ナルルは少しほっと安心した。自分の担当部門がトラブルになっては、担当初日からがっかりだからだ。それにしても、異常な現象が売り場で一斉に発生するのはちょっと考えられないことだった。もしかすると、昨夜、保管していた冷ケースなどの電源が切れてしまったのか、または最悪は、古い廃棄商品が混じってしまったのか、原因はいくつか考えられたが、いずれにせよちょっとありえないようなトラブルだった。

「ナルルーっ、あんたこんなとこにいたのね。会いたかったよ。」いきなり店内に大きな声が響いた。声の方を見ると、汚れたような服装をした少女、なんとミチルが来ていた。

「ミチル。どうしたの、なぜこんなとこに・・・でもうれしいよ。来てくれたのね。会いたかったよ、ミチル」ナルルは涙が出るほどうれしかった。本当は親友のミチルと一緒に人間界を見にきたいと思っていた。それがいま少し遅くはなったが現実になった。

「あんた、一人で。私の事おいてくなんて。悲しかったよ。会いたかった、ナルルーっ。探したんだよ。」ミチルも涙を流し喜んだ。二人は抱き合って、久しぶりの再会を喜び合った。

「ミチル、私今日仕事が入ってるの。あと少しで昼休み時間になるから、待っていてもらえる。むこうに、休憩コーナーがあるから、そこでお茶でも飲んで待っていてほしいの、お願い」

「うん、いいよ。突然来た私も悪いんだから、待ってるからね。もう、どんなに心配してたか。仲間のみんなだって、あんたの事、どれ程心配してるか。みんな来るって、大騒ぎだよ、学校中が大混乱してるんだよ。街のみんなだってかなり大ごとになっちゃってるんだよ」ミチルは興奮して一気に話した。それにしてもちょっと変わったミチルのヘアースタイルや服装をみて店員も客も不思議そうな表情を浮かべた。

 ミチルは喫煙コーナーでナルルの昼休みを待った。見ると、お茶が出る機械があった。ご自由にどうぞとあった。『変なの?そんなの飲みたければ、出せばいいじゃん』ミチルは妖力を使おうとした。でも妖力は人間界でやたらに使ってはならないことになっていた。『あっ、そうか、つかっちゃいけないんだった。めんどくさいな』ミチルは機械を操作してお茶を飲んだ。店内を見渡した。ふと、異常な黒い煙の帯を見つけた。「おや、おかしい。おかしな気配がする」ミチルは店内に不審な雰囲気を感知した。「もしかすると、魔界人がいたか、または今も店内にいるのかも。」

 今会うのはまずいと感じとった。ミチルの妖力は人間界にきて何日も経っていたため、かなり能力が低下していた。本当はすぐに来ようとしていたのだが、あっちも見たいこっちもみたいで、つい寄り道してしまった。人間界は初めてだから、興味が先に立ってしまい、見とれてしまったのである。ミチルは隠れるようにしながら、ひそかに店内をさぐった。すると、老婆と少女の二人を見つけた。『あいつら、きっと魔界人だな。なにやってんだろう』すぐには魔界人の見分けはつかない。だが、魔法を使うとその際に黒い煙が辺りに発生する。また、魔界人独特の波動が出ている。人間には見えないが、妖精にはそれが見える。だから魔界人を見つけることは意外と簡単だった。しかも、よくみると、魔法を使ったため魔法の杖から少しだが残りの黒い煙がほのかに出ているのがミチルには見えた。

『人間界では魔法をやたらに使ってはいけない。魔法協定を破ったことになるな。あとは使ってる証拠さえ集めればいいんだね』ミチルは妖精界から、人間界を偵察し状況を伝えるという任務を受けていた。適正年齢に達していないミチルが人間限界に移動することは通常ではできない決まりになっていた。ただこの任務の事はナルルには内緒にすることになっていた。ナルルが見張られと知ったら、怒るし、どこかに隠れられると探すのが面倒になる。探してるその間に、魔界人に襲われでもすれば大変なことになるからだ。でも、ナルルは感覚が鋭いから、ミチルは気持ちを読まれてしまいそうで心配だった。ナルルの読心術はぴか一だ。それは妖力が無くなったいまでも侮れないものにちがいない。

 老婆と少女の2人は、ゆっくり店内を見て回っていた。何も買ってない。買い物カゴは持っていたが、中は空っぽだった。疑ってくださいと言わんばかりだった。人間界で買い物の経験が少ないため、こんなところで、かんたんなミスを犯す少し抜けたところがあるようだった。

『私なら、少しはかごに入れておくのにな』と、ミチルはくすっと笑った。

『でもどうして、こんなただのスーパーで、犯してはならない禁じ手の魔法を使ってるのだろ。』ミチルは疑問を持った。

 老婆とミチルは目があった。

「やばい」ミチルは妖力を使うかどうか迷った。相手はすかさず魔法の杖をかざした。

「やる気ね」ミチルには妖力の残り分は少なかった。それでも魔法を防ぐくらいの力は残っている。ミチルは妖精大学ではナルルにはかなわなかったが、成績は常に2位だった。俊敏さと正確なところがミチルの特徴で、妖力も相当の腕前で、男でも叶う相手はそれほどいなかった。ナルルとミチルの組み合わせは、まさに最強の組み合わと言えた。たとえ上級生でも妖力能力と頭脳分野では勝つことができなかった。とうぜん、ミチルの妖力が衰えていたとは言っても魔界人が二人がかりで戦っても、勝てるかどうかの保証はなかった。ただ、そのミチルが、店内で強力な妖力を出して戦うとなると、とんでもない事態が発生して、多くのけが人などが出ることも予想された。「どうしよう」ミチルは身構えたものの、ためらった。妖力を今の最大限で使うと衝撃の波動が大きく出るため、椅子やガラスが割れてしまいそれでけが人が出たり、近くにいる人は頭が割れるように痛くなったりするだろう。人間界に大きな被害を出すことは避けるなければならない。でもこのままでは自分がやられてしまう。妖力を使うかどうかミチルはギリギリまで待った。魔界人の出方を見ることにした。するとその老婆は魔法の杖をかざしたものの、隣の少女に止められたようで、魔法を使うことをとどまったようだった。もとより人間界でむやみな戦いをすると魔法界と妖精界の取り決めの協定違反となり、魔界からも処罰される。それをおそれ、魔法で破壊するのは得策ではないと判断したのかもしれなかった。ミチルは戦わずに済んだと安堵した。もし戦いになっていたら、場合によっては人の多い店内のため、人間の中に死人が出てもおかしくなかった。ミチルは勝ち気な性格のため引くことができなかった。外見のかわいらしい少女らしさとはまったく似合わない、全力を出し切る性格を隠し持っていた。正当防衛であればなおの事、とことんやる抜くような勝ち気の性格ももっていたのである。

 魔界人達の考えかたとして、人間界をもし破壊すると魔界人の評判が落ちてしまい自爆になってしまうと考えていた。もし人間界を敵に回したらならば、今までの苦労が水の泡ともなる。何としても人間界を手なずけながら、平和裏に魔界の力が十分に発揮できる世界を構築しなくてはならないと考えていた。ただの暴力によって支配しようとすれば、これまでの繰り返しであり、何度やっても失敗するばかり。武力による支配には限界がある。老婆と少女のふたりも、こうしたことは理解しており、この場の戦いは断念したようだった。二人はミチルを睨みながら気を抜かないそぶりでゆっくり店の外に出て行った。

 魔界人との戦いは避けられたが、安心してもいられなかった。どういうわけか、そのスーパーを中心にして、半径2キロメートルぐらいにある花や木、草が枯れ始めた。大きな魔界の波動が生じたことから、草花がウイルスに侵されたかのように枯れ始めたようだ。しかもその枯れる範囲は、徐々に外に向かって広がっているようにも見えた。枯れ現象を食い止めるひつようがあった。

 ナルルはミチルのいる休憩コーナーにやってきた。ミチルは店内にいた老婆が魔界人で、もうちょっとで危機一髪の状況になるところだったことを詳しく説明した。ミチルは自分が来たことで事態が悪化したことを、ナルルにあやまった。

「仕方ないよ、ミチル。説明してくれてありがとう。私も魔界人の仕業かと疑っていたの。私の邪魔がしたいようね。このまま私が人間界でうまくいって、人間界を取りまとめるようなことがあると、魔界人達の進出がさらに厳しくなると警戒したのかもしれないわね。人間界と私が仲良くなる事を邪魔する気だと思う。だとすれば遅かれ早かれ、軋轢が表面化するのは避けられなくなるわ。」ナルルは、冷静に魔界の動向を読んでいた。

「それより、外の状況が変だとお客さんが教えてくれたわ。草花がどんどん枯れはじめたって。それって、魔界人の仕業かしら」ナルルは判断に迷った。

「さっきの魔界人もわざとではないかもしれないわね。そこまで悪党ではないようにも見えたけど。たぶん、魔法の波動衝撃で草花の生態が狂ってしまったのかもしれないね」

「そうかもしれないね。でもそんな広範囲な枯れる現象だと修復するのも大変そうね。私も妖力が使えれば、一日で修復できるかもしれないけど。ミチルはできそう?」ナルルはミチルに修復作業を頼んだ。

「私もムリだよ。もう妖力が少なくなってきてるの。魔法の杖でもあれば何とかなるかもしれないけど」二人とも対策に苦慮していた。

 話している間に、とつぜん、店内の電気が全て止まってしまった。停電が発生したのである。店内は昼間だが暗くなり、店内の有線放送の音楽が止まり、静まり返った。ナルルと、ミチルは一瞬どうなったか状況がつかめななった。少しすると、再び電気が回復し、照明も灯った。

「青空さん、たいへんです。停電でレジが全部落ちちゃってます。どうしましょうか」レジの女子従業員が血相を変えてやってきた。

「あっそれは大変ね。でも復旧したから、もう一度最初からポスシステムを立ち上げれば使えるはずよ。じゃあすぐ行きます」ナルルはミチルに退勤時間にもう一度そこの場所で落ち合うことを約束してレジ業務に戻った。

「青空さん、自家発電で電気は復旧している。だけど、電力会社の復旧の見通しが立ってないとのことです。自家発電にも限界があるので、もし電気がなくなったら最悪は手入力でレジ対応をお願いします。倉庫にある手入力のレジ台と机を、社員のみんなで持ってきてもらえますか。早めに仮設のレジ台の設置をお願いします。」店長から指示があった。

 予想を超える、かなり深刻な停電が発生しているようだった。電力会社からいち早く大企業には停電の説明がファックスで届いていた。原因不明の電気のショートがあちこちで大発生しているといい、その異常事態がウイルスの発生の法則のように感染拡大を見せ、どんどん範囲をひろげているという。予測のできない大停電が、日本を大きな津波のように飲みこもうとしているのである。今の電気技術では停電の拡大を止めることができない。池袋の一部で始まった小さな停電は東京都全体を停電にさせ、ついには1か月もしないうちに、日本全体をブラックアウトにまで発展する可能性が指摘されていた。

 まさに日本の電力危機がはじまったわけであり、日本中が暗闇の世界に突き落とされる恐れすら出てきた。この停電と、街路の草木の枯れる現象とが関連しているのかどうか、手がかりすらもなくなす術はなかった。











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