第3話 戦わずに魔界人を追い払う
妖精の世界ではナルルが帰ってこないので、心配する声が強まっていた。
「ムリにでも連れ戻すべきです。このままおいたら、人間界でなにされるかわかりません。」
「ナルルさんをこのまま放って置いたら、妖精の皆から、ナルルさんを見捨てたと後で責められるのではないか」
「部隊を人間界に送って一刻も早く救出しましょう。魔界の連中ももう嗅ぎつけてるに違いないです。襲われでもしたら大辺です」
各族長たちが切り出した。他の族長もうなずいていた。
首族長は判断に迷っていた。勝手に出て行った妖精を連れ戻すことは、妖精界の規律に違反する。あくまでも本人からの要請要望がない限りは、救出なりの実力行動にはうつさない決まりだった。
「もしこのままにしておいて、ナルルさんが魔界人に拉致でもされれば、魔界は人質を口実に妖精界に無理な要求をしてきたり、時空間を開くように要求してくることも考えられます。魔法界のつけ入るすきを作ってしまいます」ある族長が言った。
「それはないと思う。魔法人達は自分たちが劣勢と知っているから、先に攻撃を仕掛けるという事はないだろう。あってもせいぜい、妖精界に不安と混乱を与えて揺さぶるぐらいだろうと思います」別の族長は冷静に判断すべきとの立場を強調した。
「強制的にナルルを連れ戻したとして、ナルルが納得するだろうか。ムリな束縛はナルルをかえって刺激してしまい、妖精界に失望するのではないだろうか。ナルルはおそらく、遅かれ早かれ人間界の限界を知るだろう。人間と魔界と妖精界の3者が共に仲良く平和に暮らすという理想はいい発想だが、なかなか実現はしないだろう。人間の欲望は果てしない。弱い者は常に強いものに利用され、そこに貧富の差ができる。富がおおきくなり財産を築くと失う事をおそれ、追い付こうとするものを蹴落とそうとする。貧乏なものはその貧乏から抜け出るために、他人の財産を奪おうと考える。その繰り返しでいつまでたっても争いや戦いが止むことがない。彼女の理想主義はきっと挫折するだろう。そうしたひとつの結果が出れば、ナルルは妖精界に戻る決意をするはずだ、その時に、救出するのが一番いいのではないだろうか。」首族長はあくまでも実力行使には慎重な意見だった。
ナルル救出の問題は、なかなか解決策が見つからず、もう少し様子を見てから決めるという事になった。ただいつでも出動できるような体制だけはとっておくのが必要だという事で皆の意見はまとまった。その具体策は首族長に一任された。
今回の族長会議の議題は、火災の件と、ナルル救出の2つの議題だった。
もう一つの火災の件については、ナルルが人間界に行ったときに同じタイミングで発生したため、妖精界の時空を破ったためにそのことが原因で火災が発生したのではないかという推測も出た。しかし、詳しく調査した結果は、自然に発火したということだった。ナルルの妖精界脱出とは無関係であるという事が証明されたわけである。
その火災もここにきて、ようやくほぼ鎮火した。火災発生から4日目で火災は自然に鎮火に向かってきた。幸いなことに、予想されたほどの大きな火災にはならなかった。
こうした自然発火は、そう多くはないが、ごくたまに起こっていた。妖精界と人間界の行き来の際に、人間界から埃やチリなどが入ったり、種などが侵入すると、妖精界の植物などとの交配が起こり変異してしまうため、自然とそうした異物が入った場合は自浄作用の一環で、火災を起こして不純物を燃やす働きが起こる。ところがムリにその家事を止めてしまうと、異物が漂いいつかどこかで悪さをしてしまう。そこで、火災が発生しても不純物が燃え尽きるまでは見守る以外にないという事になる。
最近大きな火災として起こったものは、数年前に彗星が落ちてきたために、火災が発生した。その時は宇宙から降り注いだチリや石、鉄などを消化するために、10日間も火災が収まらなかったこともあった。
また、かなり古い事件だが、妖精の集団が人間界に移動したとき、結界を長く開いてしまったため、その隙間から魔界人がたくさん侵入してきたことがあった。魔界人達はそれぞれのタネやウイルスや異物を妖精界に送り込み混乱させようとした。その時には魔界人達は人間界にも奇襲をかけた時だった。魔界人達は全力をその戦いに注いでいた。魔界人達は魔界に反対する人間の平和主義者たちを封じる手段として、次々と平和主義のリーダーを殺害するという大事件を起こした。
妖精界では戦いもあって、花や木がかなりの部分で枯れてしまい、妖精界の危機が迫っていた。その時、首族長バルモランのとった方策はまるで巨大なツナミのようなすごい妖力を用いて侵入した異物を回収し元の人間の世界へと戻した。魔界人達はあまりの威力のすごさに手も足も出なくなり、引き返していった。力の差を知った魔界人達は恐れて、それ以降は再び妖精界には入ろうとしなくなったのである。この大功績以降、妖精界のみんなは今の首族長を頼りにし、従うようになった。
ただ、バルモランの功績の裏には、妻アミノの活躍が実は大きかった。
妖精界の大規模の火災の原因には、異物という物質的な要素もあったが、それ以上に魔界人が放った呪が大きく影響していた。
自然界は火災を起こして、呪を解こうとしたがそれだけでは解くことはできなかった。あまりにも強い呪だったのである。その呪いは魔界の闇の女王と言われたライラが掛けた呪だった。呪を解くことが妖力では力不足だった。解くためには闇の女王の持つ魔法を利用する必要があった。魔法の呪を解くカギは、その魔法の力を逆に使うことが必要だった。目には目、歯には歯の原理に似ていた。呪には呪で解くのが一番合理的と見られた。アミノは魔界の血をひいていた。そのため魔法も多少は使う事ができた。このことは妖精界で知るものはなかった。夫のバルモランだけだった。
妖精界は中央に大きな湖があり、その真ん中に妖精の城が築かれていた。周囲を取り巻いた湖にはどんな魔法もはねのけ無力化する波動が強力に張り巡らされており
どんな攻撃にも耐えられるようになっていた。入口を歩いて中に入る以外に方法はない。魔界人が襲ってきた今回の場合には、妖精人は全員がその城に集まり難を逃れた。
魔界人達は村を焼き払い街を破壊しつくそうと進出していた。狙いは妖精人の無力化と従わせることだった。妖精の妖力の力を奪って魔法をより強力にしたいと考えていた。野原も焼き尽くそうとしていた。
その戦いの指揮は暗黒の女王がしていた。女王は妖精界を支配しようと考え本陣を妖精界に向けた。ただ、女王の考えを不服とするものも多かった。彼らは破壊と殺戮以外には支配はできないと考える過激な思想のグループで、ときどき女王とも思想的に衝突していた。女王は殺人は許さないという立場だった。そのため。過激なグループの殺人行為には頭を悩ませていた。
女王たちは妖精界に入り強力な魔法で野原も焼き払い進軍を続けた。勝ち誇ったムードで全軍が進むと、妖精の城にたどりついた。そこは魔法が使えないため全軍は飛ぶこともできずに歩いて城に向かった。途中で妖精の公園に差し掛かった。子供も大人も楽しめるもので、光と闇のコントラストできれいな遊び場となっていた。その光景に戦士たちは息をのみ感動していた。あまりの美しさに行進は止まってしまった。と、美しい調べが流れてきた。バルモランに頼まれて妻アミノはハーブの演奏をした。彼女の演奏を聞いたものは心が洗われ優しさと幸せに包まれた。魔界人の兵士達は景色と音色に酔い、戦いをこれ以上はしたくないと女王に訴えた。女王は自分たちのしていることを後悔して、戦意を失い撤退した。
その公園に武器の魔法の杖を捨てていく魔法人が多くいた。もう戦争は二度としたくないという兵士は破壊武器としての魔法の杖をもう手にしたくないと考えたからだった。
アミノはその魔法の杖を使い妖精の世界に残った魔法の呪をすべて解いて、花や草をすべて甦らせたのだった。とうぜん、自然界の火災は止まり、また平和な世界がやってきたのである。
こうして妖精界は魔界人を撃退できた。しかし人間界は大混乱が続いた。
平和主義者が暗殺されいなくなった人間社会は秩序を完全に失い、狂気が支配する残虐な殺し合いに発展した。
世界的な大戦争が次々に発生し人類は破滅の危機に直面していた。その混乱の中で、妖精界から派遣された一人の男が大きな働きをした。彼は妖力もすごかったが、的確な方策を考えて、混乱を収束させる手段を考えた。その時彼がとった行動は、手薄となった魔界の城に一人で乗り込み、首謀者だった魔界人5人組みを一気に倒して収拾を図るというもの。
なんとひとりで、魔界人の本陣に奇襲をかけ首謀者をうちとった。まさか一人で本陣に乗り込んでくるとは思ってもいなかったために魔界人達は酒を飲んだり羽目を外していた。責める事ばかりに気を取られ、本陣が手薄になっていたことに気が付くものはいなかった。その勇敢な男は、油断していた魔界人の族長たちを一人で5人組をやっつけてしまったのである。
ところが男は城を出る時に魔界人の放った矢に打たれてしまった。その矢に塗られた毒で彼はひん死の重傷を負ってしまった。
だが、迷いの森からの特別の薬で彼は命が助かった。
その勇敢な男とは首族長の娘と結婚した男だった。
しかし、妖精界の掟として、殺人はいかなる理由であっても行ってはならないという規律があった。彼は違反したため裁かれることになった。まさかそんな大戦争が妖精界と魔界、そして人間界に発生するなどという大惨事は想定されてもいなかった。非常時は別だとする意見もあったが、あくまでも規律を重んじるべきだという意見が多かったために、彼は規律に従って妖精界から永久追放処分となってしまった。記憶をすべて消され普通の人間として、人間界に永久追放となったのである。
首族長の娘は悲しみ、耐えきれずに妖精界を脱出し、彼の元へと人間界に向かった。しかし、妖精界の決まりで、犯罪者との婚姻は認められないため、結局は妖精界に無理やり連れ戻され、悲惨な恋の結末となってしまった。
その大戦争があってからは、魔界人も一線を画して、妖精界に侵入はしない、破壊工作の活動もしないという話しあいでまとまった。魔界人が人間をそそのかせて始まった大戦も、魔界人が手を引いたことから、収束に向かった。だがこの収束には、結果的には人間界に追放になったがその男の功績が大きかった。過激な魔界人のリーダーたちを消し去ったことで、魔界人の考え方が大きく変化を見せ、魔界ー人間界ー妖精界の平和と安定に大きく貢献したのであった。ただ、魔界では戦争で多くの人が泣くなたっという事に責任を感じて、暗黒の女王は女王の座を廃止して、族長の議会を主体とする体制に変えた。女王は闇に消えてしまい、女王のその後の行方は誰も知らなかった。
平和が戻ってしばらくたったいま。再び魔界人の中には、武力を用いて世界を支配しようとするグループが登場していた。特に、5人組の息子や孫だった。殺された親の無念の意思を晴らそうと、人間社会のすきをつき、破壊工作を画策していた。
そうしたこともあり、主族長バルモは偵察隊を人間界に送ることも考えていた。
その第一弾としてナルルの親友であるミチルを人間界に送ることを決意した。
ミチルであれば、なんとでも理由はつく。ナルルも監視、束縛されているとは思わないし。魔界人もまさか若い少女が偵察の任務を持って人間界に潜入するとは考えないだろう。油断しているだろうという読みがあった。魔界人の多くは精鋭部隊が人間界に送りこまれるだろうと考えているだろうから、ミチルの存在は見逃されるのではないか。バルモはミチルを呼び、事情を説明した。ミチルは快く承諾した。というよりも、ナルルが心配で仕方なかったので、待ってましたという感じで快諾したのである。さらに、妖精界と人間界を通信で行き来するための小鳥ピーノが選ばれた。ピーノは妖精界一の情報通で、敵をそらすことには長けていた。妖精同士の交信は魔界人に検知されることも考えられるが、伝書鳩方式だと魔界人は察知できないからだ。出入りは森の洞窟を用いることになっていた。ミチルはまだ時空感の扉を開ける妖力が不足していたため、洞窟を出入りする以外になかった。ただ、そのことはナルルには内緒にするように言われていた。ミチルはあくまでもナルルをしたって、人間界に入ったことにするように言われていた。
ミチルはさっそく、身支度を整えて、人間界に潜り込むことになった。
主族長バルモはミチルの偵察情報を待って、魔界人の動きを読んで特殊部隊を人間界に送りこみ、人間界に悪巧みを考えている魔界人の首謀者をあぶりだすという2段階方式の作戦を考えていた。既にこの作戦は、アルラをリーダーとして5名が選任されて密かに訓練が始められていた。アルラは妖力にも卓越した才能を持ち、ほとんどの妖術を身に着けており、首族長からもいちばん信頼されていた。アルラは妖精界では、ナルルといずれは結婚するのではないかともささやかれていた。彼自身もまたナルルの事が心配でたまらなかった。
人間界に入ったミチルは、妖精羅針盤でナルルのいる場所を簡単に正確に割り出すことができた。ただそれを話してはまずいと考え、TVの情報内容で居場所を知ったという事にした。ナルルを監視してることがわかったら、ナルルは怒る。そうなったら友情も壊れてしまうのではないかと、ミチルは心配していた。しかも、ミチルは人間界に入り妖力を失ってしまっていた。人間と同じようになる事は、魔界人に遭遇すると場合によっては、命を狙われかねない。そうなったらとひとたまりもない。油断はできない。恐る恐るの単独行動だった。どうしてもナルルとはうまくやっていかなければならなかった。ミチルもひとりでは心細かったからだ。
青空綾夫は、ナルルが家に来たこともあり、近所の目も気にすることもなくなったため、生花店の夢花店を再開することを決めた。これまでは、いることにしていた娘がいつまでも顔を見せないことから、近所の人達はあれこれと変な詮索をしていた。
「娘は本当は家にいないんじゃないか」と疑っていたようだ。そうした引け目はますます青空の人目を避ける行動に拍車をかけてきた。最近は家からもあまり出かけないようにもなっていた。たまに、決まったコースをわずかな時間だけ散歩するのが習慣となっていた。ナルルと出会ったのも、奇跡に近いくらいの確率だった。でも今は家に引きこもる必要もなくなった。娘が帰ってきたと同じ。堂々とお店も再開できると考えたのである。ひさしぶりに店のドアを開け放った時の開放感は、格別だった。青空は幸せな家庭が戻る予感すら覚えた。
ナルルは当初は夢花店の再開に合わせて、花店を手伝う事も考えたが、ナルルがどうしても人間社会を見てみたいという希望もあり、どこかの会社に勤めることになった。青空も、あまり世間知らずであっても仕方ないので、少し世間の勤務がどれほど厳しいか、現実を知るのもいいと考えた。
「そうだね、ナルルは社会常識がどんなものかを知っておくことも重要だね。最初は戸惑う事も多いと思うが、すぐに慣れてくるだろうと思う。厳しいのはどこの会社も同じだし、そうした厳しい社会にもまれて、自分の実力がはっきりしてそこから人間は成長するものなんだよ。
だが、少しぐらい仕事が厳しくても、すぐにあきらめたり、放り出したら行けないと思う。最初は誰だって一からだから何もわからない物だよ。失敗を繰り返して、徐々に会社に慣れて、すこしづつ仕事を覚えるんだ。習うよりも慣れろと言って。どんなに仕事がつらくてしんどくても、一から覚えて失敗してもくじけずに、長く続ける努力をする事も大切だよ。人は皆、そうして大きくなっていくものなんだよ。厳しいようだけど、社会にもまれて、失望のどん底に落ちてしまうかもしれないが、今日のこの言葉を思い出して頑張ってみてくれ。ナルルであれば、必ずいつかうまくいく。きっときれいな花が咲くと私は信じてる。くれぐれも、社会は人生の勉強の場だから、悲しみにも耐えて勉強するつもりで辛抱しながら、大きく成長を遂げてほしい」
めずらしく、青空は人に説教じみた教えをながなが説いた。青空はナルルが、全くの世間知らずで知識に乏しく会社に入ったら最初は慣れるまで苦労の連続で、まい夜、泣いて過ごすのではないかと心配だった。世間は厳しい。イジメにも会うだろう。夢と希望の楽しい未来を創造するよりも、厳しいのが当たり前で、それを承知でどんなことがあっても耐え抜いてほしいという親心でもあった。短い関係かも知れないが、青空としては親と同じように接してナルルを立派な人間にそだて上げようという気持ちだった。おそらく、ナルルは親の愛情も知らずに育ったのではないか。帰る場所すらもない荒れ果てた家庭環境だったに違いないとも思ったのである。なぜかといえば、おカネも1円も持たず、家もないといい、住所も不定とレストランの店主に凄まれて問い詰められている時に説明していたのを聞いていたからだ。たぶん、どこかの施設にいてイヤになって飛び出したに違いないと青空は思った。今どき、住所不定、家族もいない、おカネもない、学校もどこに行ったかすらも言えないというのは、想像を絶するような暮らしぶりだったに違いないとおもった。
ところが、ナルルを見ていると、気品が漂い表面上は全く問題なしのいいところのお嬢様のような雰囲気もあった。そのギャップがふしぎでもあった。偶然にそういったことがあるのかもしれないと青空は考えた。少なくとも学校は中卒だと思えた。「学校はどこも行ってない」と、レストランでの説明していたためだ。中学校卒業ではかわいそうなので、通信高校でも最低でも通わせようかとも考えていた。
「さて、ナルルはいったいどんな仕事が希望かな。何かあるのかな」単刀直入に聞いてみた。
「そうですね。法律事務所が近くにあれば行きたいです」ナルルは平然と答えた。
「・・・う、うん、いい考えだね。でも、まずは順番としては清掃の業務とか・・・・あっ、スーパーなんてどうだろうね。社会経験を積みたいと言っていたよね」
「はいっ」
「なら、スーパーはどうかな。たくさん人も来るし、社会の動きを見るのにはピッタリの仕事ではないかと思えるよ」青空は焦った。とてもナルルが法律事務所を希望しても受かるはずない。履歴書を出しただけっで相手にもされずに、断られて、傷つく姿を見たくないと思った。何とか受かりそうな仕事はないかと考え、苦肉の策で、スーパーを考えたのである。でも、スーパーでも果たしてナルルは採用されるだろうか。また採用されてもすぐにやめさせられはしないかと心配だった。もっともその時は、花店を手伝ってもらえばいいと考えた。かえって、どこかで勤務して泣き濡れて、どこにもいく当てもないという状況で花店を手伝ってもらった方が、全てがうまくいくような気がした。もし最初から花店で仕事して、どこも社会が見られない閉じ込められてしまったと、被害妄想になられるよりもずっといい考えだと思えた。
「おじさんが言うなら、私、スーパーに行くわ。いろんな人と出会えるってステキ。なんか楽しそうですね。私にも勤まるかしら。」
「ああ、大丈夫だよ、でもあまり期待しないという事は忘れないでね。大きな期待は良くないからね。」
「どうして、期待しちゃいけないの・・・ですか?」
「えっ、それは、あのだね、やってみないとなんでもわからないという事なので、慎重に考えていれば間違いないという事で。何事も謙虚にね」
「はい?謙虚にですか・・・」
「うぅ、ん、まぁ」しどろもどろの中途半端な返事を青空は返していた。世間知らずのナルルを、後悔させないように今からクギを刺しておくのはつらかったが、いいづらいことを言うのも、親の務めと心を鬼にして言ったわけである。それが果たして、世間を知らない、また学歴も全くないナルルにうまく伝わったのか心配だった。ところがその心配とは裏腹に、ナルルは全く暗い表情も見せずに、晴れ晴れとして、希望に満ちた表情をしていた。これから社会に出て、大きな試練がいくつも待っているとは想像もできないような晴れやかな笑顔だった。『この子はもしかしたら、相当の大物なのか』とさえ青空には思えた。
さっそくアルバイトニュースの雑誌を見て、なるべく近所のスーパーの求人を調べてみた。オーケーストアでレジ係、品出し、清掃業務求む、と出ていた。『これだ』と青空は感が働いた。ナルルに勧めると二つ返事でいいと言いう事になった。まず手始めに青空がオーケーストアに面接に行くと電話で伝えた。きっとナルルは電話の仕方も知らないので、電話の下だけで面接すら受けられずに、落ちてしまうのではないかと恐れたからだった。いつでも来てくださいという事だった。面接なのに、いつでも来てくださいというのは相当人材を欲しがっているようだった。青空はナルルが清掃係でも、コピー係でも、カート集め係でも何でもいいからとにかく採用されますようにと、神棚に手を合わせて祈った。
「何してるんですか」ナルルはいぶかしげに質問した。
「あっ、これね。知らないのかな。神様に、神棚にナルルがスーパーに採用されますようにと祈ったんだよ」
「そうなんですね。そうすると必ず採用されるんですね」
「いや違うんだけど、というか、採用されるかどうかは時の運だよ。でも採用されますようにお願いすると気持ちがほぐれるんだ。今回はダメでも次の夢が広がってくるという、一つの儀式みたいなものなんだ」
「そうなんですね、ありがとうございます」ナルルは感謝した。
どうやらナルルは神頼みという事も知らないのだろうか。なんて、世間
の事から遠く隔てられた人生を送ってたんだろうか。ナルルが不憫に思えた。
さっそく、ナルルは意気揚々とこれからすぐにオーケーストアの採用試験に向かうと言い出した。しかも自信満々のそぶりだった。若いうちはそれぐらい元気があっていいだろうと、青空は感動すら覚えた。
スーパー入り口を入り店員に採用試験できたと伝えると、奥の事務所に通された。最初はペーパーテスト、さらに、心理テストがあり、面談へと進んだ。
店長が面談した。履歴書を見ながら、
「君は、あっ、青空さんは中学卒という事ですが、うちは学歴は関係ありませんから」と言いながら、成績表に目を向けた。
「満点ですね。えっ、満点?今まで満点なんて見たことないんだけど・・・。おうぃ、佐藤君。ちょっとこれ誰かのテストきてるぞ・・・?」
「なんだって。そうかわかった」店長はしばらく事務員と話をしていたが。
「すごいね、君は、このテストで満点とは。まさに豪快だね。このテストは満点は取れないよ、普通は。それが満点とは、こりゃ驚いたね。」採用がその場で決まった。明日から仕事に来てほしいとナルルは言われた。
帰って採用されたことを伝えると、青空は用意していたケーキを手から落としてしまった。まず最初は落とされるものと考え、ケーキで慰めようという考えだった。ところが、まさか地元の大手スーパーに採用されるとは、びっくりするほど意外だった。
「いやぁ、よかったね、良かった、よかった」青空は次の言葉が出てこなかった。
次の日の朝からさっそくナルルは勤務に就いた。朝10時から夕方5時までの6時間勤務、週休2日制、レジ係兼品出し業務という契約内容だった。時給計算で月に11万円程度の手取り収入となる計算だった。これだけあれば、青空に借りたお金も返せるし、食事代と部屋代も払えるなとナルルは思った。
生活さえできればいいとナルルは考えていた。生活しながら人間社会を見て、理解して、分析していこうという考えだった。
一日目はオリエンテーションで店内や倉庫、配送の流れを見て回った。残りの時間は習うより慣れろという方針で、いきなりレジ打ちをさせられた。通常はこのいきなりのレジ打ちで多くの新入店員はふさぎ込むというのが慣わしだった。甘いことばかりでは社員教育が遊びになってしまう。一日の最後は、レジ打ちで業務の厳しさを感じ取らせるという手順だった。レジを好きなように各自打ってみてください。今回の採用人数は12人だった。多店舗の採用者も来ていたため合同の研修だった。その日は順調にこなした。
翌日は、朝からレジ打ちの本格的な研修に入った。
「今回は中堅クラスで入社してもらった人がこの研修の対象者です。ですので、皆さんは会社からも、従業員からも期待されていますので、頑張ってください。今日はレジ打ちに加えてサービスカウンター業務も覚えてもらいます」中堅クラスの採用の倍率は5倍だったと知らされた。ナルルには全く興味がなかった。
レジ打ち研修では、接客態度、かご詰の仕方、挨拶の仕方など細々説明があった。昨日ならった研修内容がさらに詳しいものとなった。まずはいらっしませ、ポイントカードはお持ちですか。合計何円でございます。支払方法は現金の場合と、クレジットカード決済、商品券、携帯電話からの支払いと多岐にわたる。レジ打ち業務はかなり煩雑となっていて商品券は例えばお米券やビール券、さらにビール瓶の価格まであった。たくさんあり現金と同じように使えるものとつかえないものがあった。ポイント付与など時間がかかる内容も多かった。さらに不満だったり、サイズが違ったり、不良品だったりした時の返品と返金の仕方はそれぞれ違っていた。交換の業務、客へのお詫びの仕方、商品の包装は盆や暮れのお歳暮またご仏前商品、お祝い、お彼岸での熨斗のかけ方も違った。印刷プリントアウト、返金処理、カード返金、商品の扱い方などなどその都度全てが厳しく採点され、修正され、姿勢や目の置き場まで厳しく注意された。そして、花の包装の仕方など、中堅従業員はほとんどの業務をこなすことが要求された。優秀な従業員でさえもネを上げる部門だった。簡単な業務ではない。覚えるのがやっとで、接客態度などまで意識はなくなってしまう。あまりにも覚えることが多く、人によってはここで辞めていく従業員もかなりいるほどの厳しい特訓だった。レジ打ちには、そうした中堅クラスのレジ係と、単に簡単にレジを打つだけの人もいる。単にレジだけをこなし、難しい場面は、リーダーや主任を呼んで対処してもらう役に徹するというものである。ただ中堅従業員の方が、ヒラのレジ打ちさんよりも責任が重いためと、専門的になるため給料は少し高くなっていた。その中堅のレジ係にナルルは入っていた。スタートからナルルは成績が良いため、特別の扱いとなっていた。主任クラスの抜擢となったわけである。
どうしてもおカネの処理は一番神経を使う仕事なので、研修もそれなりに厳しくなるのが当然だった。ナルルは最初こそいくつか間違えたが、次からは完璧にレジ打ちをこなした。しかも早くて正確で、かごへの移動も申し分ない動きだった。しかもそれ以外の一般業務内容までも完ぺきな動作で処理ができた。
「青空さんは、どこかの店で、レジ経験者だったの。全員初めてだって聞いていたけど。」研修教員は不思議がった。
「はい、わたしはレジ打ち業務は全く初めてです」ナルルは冷静に答えた。
「初めてですって。そんなことあるのね。あぁ、あなたなのね、あの採用試験で満点出したというのは。聞いてましたけど、予想以上の優秀さね。この会社初めての満点者だって、本社の社員も驚いていたわよ。正社員の人だって、大学卒でも満点を取れない問題なのよ。難しすぎて。それどころかこれまでの最高得点は78点だったと聞いてる。これまでの新記録ね、それもダントツの。しかも、それが中学卒業のあなたがいきなり100点満点だなんて、すごすぎる。・・・ごめんなさいね。つい余計なことまで言ってしまって。驚きすぎて、理性まで失いそうよ。レジ打ちも一回でクリヤーなんて。あなたは天才なの。こんな優秀な人も世の中にはいたんですね。すごすぎるわね」研修教員もさすがに驚きを通り越して、ナルルに尊敬の念すらも払った。
「私らだって、みんなレジ研修で苦しんだのに、あなたは、平然とこなしてしまう。人間業とは思えないわね。恐れ入りましたと言っておくわ」研修教員は本心で話していた。
そこに居合わせた新入の従業員はただただ何事をはなしているのか詳しくは分からなかった。でもその会話には全員唖然としてしまった。
「もしあなたが、明日満点なら研修はもう終了でいいわよ。次の日からはさっそく店頭に立ってもらいましょう。研修の意味がないようなので特別に、現場に出ることを許可します。でも、あとの人は研修を続けますからね。青空さんだけは特別です。ただし、明日の試験で満点だったらの話しですからね。でも、満点は取れる人なんていないから楽しみにしてるわ。がんばって勉強しておいてください。皆さんもナルルさんい、早く追いつけるように、がんばってね」研修教員はそう言って、ニコニコしながら部屋を出っていった。
研修生から室内にどよめきが起こった。
「青空さん、あの試験で満点だったの。私なんてダメ。50点も取れてないよ。でも店長からは君はいい点数だったよと褒められたのに。店長は言ってたけど、どんな人もとれて50点がいいとこだって」
「そうだったの良かった。難しすぎだよね。100問を2時間で解くなんて。ムリだよ。わたしなんてたぶん20点くらいだわね、きっと。でも青空さんはあれで100点満点なの信じられない。特に数学の微積分の問題はあれ解くだけで1時間かけてもムリだよ」
「私なんて、ぜんぜんチンプンカンプンだった。アルコールの可変次数分数微分方程式だとかメチルアルコールとの違いを化学式と構造式でなんとか何言ってんのか意味不明、あんな問題わかるはずないよ」
「大根の損益分岐点はいくらで販売数量を計算しなさいって問題、あれなんなの」
「店舗の証明は何ルックスが最適で。ダクトの通気口の大きさは何センチが妥当か・・・あれどんなテストなのよ。できる人いるなんて信じられないよ」
めいめいにテストの内容を貶していた。それだけ意表を突く問題だった。会社としてはテストはあくまでも、正解の答えを出すことよりも内容に関心を持ってもらおうという意図が大きかった。もちろん簡単な問題もあり、うまくいけば40~50点近く取れる問題内容だった。会社の狙いはテストよりも、次の性格判断テストでその人の人格をみたり、やる気度、真面目さなどを見る考えで、むしろこちらに重点を置いていたのである。
それがとんでもないことが次の日に起こった。
入社3日目のテストでナルルが満点ととってしまったのである。約束通り、満点である以上は、研修は必要ないという事になった。
次の日からは現場の接客でレジ打ちをすることが決まった。
これまでの最短での研修修了者となった。それも群を抜く程の優秀さだった。ナルルを除く、他の新人11人はあと2週間の研修が決まった。本格的にレジをミスなく使いこなすまでにはどうしても半月ぐらいはかかるのが普通だった。またスーパーの業務はレジが基本となり、レジで客をしっかりつなぎとめておけば、あとは意外と経営がうまくいくいうジンクスがあった。それからすると。3日で卒業してしまったナルルがいかに卓越した才能の持ち主かということがはっきりする。
ナルルの優秀さはこれだけにとどまらなかった。
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