愛には愛を

「来たぞ、魔王」

「ああ! 勇者さま!」


囚われのお姫様を助けるために、今日もまたのこのこと勇者はやってきた。


動きやすさを優先した軽い装甲をまとい、火炎のような赤髪をひとつに結ぶ、凛々しい顔立ちの乙女だ。


わたしは魔王風なツノ玉座からおもむろに立ち上がり、

魔王風な影のマントをばっさとひるがえして、

魔王風な仮面から不気味に煙を吐きながら、

そうして魔王風に威厳のある声で言う。


「待ちわびたぞ勇者よ」

「……姫様を返してもらう」

「ふはは、性懲りもないヤツめ」

「どっちがだ」


どこかの国王から譲り受けたという『聖剣』の、鉄板だって貫く切っ先がわたしに突きつけられている。


勇者が口の中で噛んだ悪態に少しだけ気勢を奪われそうになりながら、それでもわたしは堂々と、魔王らしく勇者と対峙していた。


これからわたしは勇者と戦い、そして負ける。


国王の一人娘である姫をさらい、国家へと刃を向けた魔王は、その代償を受けるのだ。

目には目を、歯には歯を、そして刃には刃を。


いつものことだ。

勇者の持つ光の力はわたしの持つ影の力を跳ね除ける唯一のもの。

勇者はわたしの天敵。

わたしを倒せるのは彼女だけ。


だからこうしてお姫様をさらってくれば……必ず彼女がやってくる。


彼女の大好きなお姫様を救いに、やってくる。


「魔王……頼むからもうこんなことはやめるんだ」

「なにを世迷言を! 我は魔王ぞ、魔なる王ぞ! 王たる我の意思をそなたごときが諌めるなッ!」

「くっ……! 魔王!!!」


問答は無用だ。わたしから襲い掛かってやれば勇者も戦わざるをえない。


それでいい。


お姫様に存分に見せればいい。

魔王を打ち倒すあなたの強さを、勇者たるあなたの格好良さを、わたしにさえ慈悲を向けようとするあなたの優しさを……あなたのステキなところをすべて、お姫様に見てもらえばいい。


恐るべき魔王にさらわれるたび、救いに来てくれる格好いい勇者様。

彼女に抱き上げられるのは幸福だろう、心細く思っているところに向けられる彼女の笑みは格別だろう、長い道のりを旅してきたのにきっといい匂いだってするに違いないのだ。


いやそんなの惚れるって。

はじめて作戦を思いついたときに魔秘書も言ってた。


『はぁ。いけるんじゃないですか?』


大絶賛だ。

それとなくお姫様に聞いてみたら勇者に気があるって言ってたらしいし。


『ほんとにうまくいってしまうかもしれませんねぇ』


……。


……にしても、お姫様もまったく大概だ。

勇者との結婚報告が聞こえてこないものだから、さらってくるのもこれで五回目になってしまった。


彼女はどこかおかしいんじゃないだろうか。

わたしなら絶対コロっといくのに。


「魔王ッ! どうしてこんなことをするんだッ!」


わたしの最大の一撃が太陽の輝きに薙ぎ払われる。

喉元にまで切っ先が迫って、あとほんのひと振りでわたしの首はコロっといくのに―――彼女はそうしない。


彼女は勇者だ。

とてもやさしい勇者だ。

魔王をさえ殺さないほどに……そして自分が飢えるのさえ構わず赤の他人を助けてしまえるほどに。


心根から誰かを愛せる、正真正銘の勇者なのだ。


「ふんっ。我は世界を混乱に陥れたいだけだ」


どうしてこんなことをするのか。


そんなの決まってる。

愛には愛を。

彼女のような人こそ報われなければいけないんだ。

憧れのお姫様と結ばれて……幸せにならないと。


そしてそれは、彼女の慈愛を受けたわたしがすべきことなんだ。


この世界に落とされて、右も左も分からず暗い路地裏に踏み外して、獣の餌か、それとも下水に流れる汚水に混ざるしかなかったわたしを救ってくれた彼女。

あの地獄で生まれたのに、あのときからどこまでも勇者だった彼女。


あのときはまだ名前さえなかった彼女。


愛には愛を。


言葉も分からないわたしに彼女はたくさんよくしてくれた。食べ物や着るもの、それに人のぬくもりを与えてくれた。

彼女がときおりくれた手のひらへの口づけの感触はいつまでも残っている。


だから報いなければならない、報われなければならない。

だってそうじゃないか。

勇者はいつだってハッピーエンドなんだから。

愛ゆえに来たのなら、愛によって報われないと。


「さあどうした勇者。またしても我を見逃そうというのか? まさか改心など期待しているのではあるまいな。なんどでも我は立ち上がり、貴様らの故郷を混乱に陥れてやる。いいか、なんどでもだ」

「……どうしてもやめてくれないのか」

「どこに諦める理由がある? そもそもこの愚鈍な姫「ひどいですわ!」うるさい! 勇者よ、この小娘を野放しにしているのが悪いのだ。この我の力があればおまえが傍にいて四六時中守ってでもいないと防ぐことはできないだろう!?」

「う、うん」


うんじゃないんだよ!

普通はそれを理由に護衛の任とかに就くんだよ!

勇者はそういう小ズルい手思いつかないの!?


「だというのにおまえはいつもいつもこの小娘をひとりにしおって……今回などナイトハイクなどと抜かしておったぞ!? 夜とか我の時間だが!? ふざけるな四回さらわれて少しも学習しておらんのか!? 貴様がそばにいて照らしていなければなるまいにこの王国の未来をなぁああッ!!!!」

「お、おちついて」

「落ち着いておれるかバカ勇者めがッ!」

「バカ……!?」


うっかり罵倒してしまった。

ショックを受けた様子の彼女に少し落ち着く。


なんだか勢い余って余計なことを言ってしまった気がするけれど……


「ともかく。もしももう二度とそこの姫と離れたくないと願うのならば今すぐこの我を殺すのだ。真に王国に光を取り戻さなければなるまい……いいか勇者よ、そういう優しさまがいの優柔不断が我のような影を生むのだ。おまえがいつまでもその武器を握らねばならぬのはそのためだ。ひとおもいにやるがいい」


そもそも、きっとお姫様との仲がなかなか進展しないのはわたしがいるからだ。

魔王をやっつけきってないのにエンディングは迎えられない。つまりきっとそういうことなんだ。


「……できるわけないだろ」


だというのに勇者は言った。

わたしは魔王らしく嘲笑する。


「それは優しさなどではないぞ勇者よ」

「そんなのどうだっていい! キミを殺したりなんてできるわけないんだ……」

「キミだと? この魔なる王に向けてそのような、」

「呼び方なんてどうだっていいッ! キミはキミだろ……自己紹介だってできてないんだから……」

「……勇者貴様、」


まさかわたしが分かるのか、と。

そんな問いかけが口から出る前に、剣が勇者の手を落ちた。


「分からないわけないだろ……そんな力キミ以外のだれが持ってるっていうんだよ……」

「あー……」


それは……たしかに。

いやでもほら、剣と魔法の世界なんだしそういう力の一つや二つあっても……え、ないの?


魔秘書さんや?

あめっちゃ首振ってる。

まじかぁ……


「ずっと探してたキミが……死んでしまったんじゃないかって……キミを見つけるために世界を旅したんだ、キミがどこにいても幸せにいられるようにって戦ってきたんだ。それが魔王だなんてよく分からない肩書を名乗ってお姫様をさらうんだ……わけわからないよ……キミはすぐ襲い掛かってきて話もできないし……」

「わたしの、ため、?」

「それ以外のなにがあるんだよ。約束したじゃないか。ボクの誓いを受け取ってくれただろう、キミは」


すがるように手を取られる。

頬ずりをして、その柔らかな唇が手のひらに触れる。


それはあのとき、彼女がなんどもくれた温もり。

泣きじゃくるわたしを落ち着けるための儀式……じゃなくて?


誓い。


それ……なに?


待って。

ちょっと待って。

すごい眼で見てくる。

なにその『もうどうにでもなれ』みたいな、それとも『もう許さない』みたいな、うんと、えっと。


「ねえ。忘れてしまったのかい。ボクは一度も忘れたことなんてなかったのに。ねえ。ねえ。ねえ」


手のひらへの口づけ。

耳を噛む。

首の左右に吸い付いて。

胸の真ん中に爪を立てられる。


……もしかしてこれなんかそういう異世界特有のヤツ? いやたしかに思い返したらこういうこと日常茶飯事にやられてたけど……え、こんなあるの? 待って、勇者のスキンシップがとどまることを知らない。


っていうか、っていうか待って。


「え、ま、なはっ、へぁ? お、お姫様は?」

「子供のころはお金持ちにあこがれていたから。……そうしたらキミとも心置きなく暮らせるし。っていうかまさかキミ、ボクと姫様をくっつけようとなんてしていたのかい?」

「ひゃえと」

「……ふうん。へぇ。謎が解けたよ」

「あの、あのえと、」


え、力つよっ。

ヤバ、にげ、とりあえず体勢を―――あだめだ影が消される! まずいまずいまずいまずい! 魔王に『にげる』コマンドは許されてない!


「まったくさ。これだけ心配をかけて、迷惑だってかけて、しかもボクとの誓いを汚したんだ……報いは受けてもらうよ……魔王?」

「ぴぎぃ」



盛大に空回りな愛の報いを受ける魔王と、おそらくこの世界のすべての影を集めてきてもなお足りないくらい色濃い愛が報われる勇者を眺めつつ、姫は鳥かごの中で優雅に頬杖ついていた。


「よーやく結ばれましたわね、あのおバカさんたち」

「おかげさまで。お茶の用意ができました」

「あらありがとう魔秘書さん。魔王とやらも廃業のようですし再雇用はぜひうちにいらっしゃいな」

「いえ。わたくしはあの方のしもべですから」

「フられてしまいましたわ。くすんくすん」

「奇遇ですね。私も、たった今」

「……あなたも献身的ですわね」

「そちらこそ。魔王と勇者の恋模様を国を挙げて応援するなど、誘拐からいったいどう転がせばそんな情勢を作ることができたのですか? おかげで勇者を止める者は誰もおりません。裏のルートで魔王グッズまで出ていましたよ。ぬいぐるみにうちわに木彫りの魔王様フィギュア……」

「民衆は劇的な物語に飢えていますのよ。どこかの『正義の味方』さんが『我以外の悪はいらん!』だなんて言って世界を平和にしてくれたから、刺激的なことも減りましたし」

「その礼に自分の想い人をくれてやったと」

「舌がもつれていましてよ? ……べつに、ただの憧れですわ、こんなもの」

「そうですか。ああ、クッキーもどうぞ。魔王様に教えてもらった、塩の粒を混ぜ込むレシピです」

「……すこししょっぱすぎるわね」

「そうでございますか」

「ええ。お茶のお代わりをくださるかしら」

「もちろん、いくらでも」

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