後追い
あの子を失って一年が経った。
そしてようやく、ワタシは彼女を見つけ出した。
彼女の居場所は小高い丘の上に堂々と佇む古い邸宅だった。
そこに、ずっと追い求めていた彼女がいる。
ワタシはそこに向かっていた。
背の高い針葉樹林が立ち並ぶ道路には星明りしかない。
時速80マイルで過ぎ去る樹々は輪郭が混ざり合って一様の波にさえ見える。まるで海を割るモーセのような気分だった。
なるほど彼女を見つけられたのは、奇跡と言って差し支えないのかもしれない。
長い道のりだった。
長い長い、道のりだった。
ああアシュリー。
ようやくだよ、ワタシの愛しい子。
まるで隠すつもりもないような彼女を見つけるために、ずいぶんと苦労をさせられたものだと思う。
新聞に探し人の広告を打って、あらゆるツテをたどって、日の下に見つからないのならと、じめついて薄暗い石の裏まで、手が汚れることさえいとわず覗き込んだ。
いつも懐に忍ばせているピストルを、抜く機会は一度や二度ではなかった。
幸いにして、引き金を引くことはなかったけれど。
どのみち最低限の弾丸しかなかったから、無駄遣いなどするわけにもいかなかった。
あの子にも、顔向けできなくなってしまう。
……それとももう、同じことなのだろうか。
煤に汚れ、拭っても拭っても泥にまみれたワタシの顔を、あの子はワタシと認めてくれないかもしれない。
『アリシアもどろんこがスキなの?』
からかうように笑って、鼻の頭の泥を拭ってくれるあの子。ワタシが庭いじりをしているとやってきて、終わるまで隣で眺めている。
今のワタシの隣に、あの子はいてくれるだろうか。
『どろんこは好きじゃない、けど、花は好きだから』
だから手が汚れても、爪が割れても、気にならなかった。
彼女はそんなワタシにあきれて、よく爪の手入れや、ハンドマッサージなんかをしてくれた。
どうしてあの時間が続いてくれなかったのだろう。
どうしてあの子は失われてしまったのだろう。
どうして彼女は……
……思えば最初にあの子と出会ったのも、あの花壇がきっかけだった。
かわいいねって笑うあの子が、ワタシには、なによりもかわいらしい花に思えた。
それが失われて、ああ、まだたった一年なのか。
ずいぶんと長い……道のりだった。
思い返せば思い返すほどに強く実感する。
あまりにも長かった。
あまりにも遠かった。
本当に見つけられるのかとなんどもくじけそうだった。
彼女を見つけるという目的のためだけに生きていた。
ほかの方法でどうやって息をするのかももう分からなかった。
四六時中彼女のことを想った。
その面影の隅々をまで忘れたくなかった。
けれどそれももう終わる。
不思議な感覚だった。
あの子を失ったときの、まるで足元がとうとつになくなってしまったような、当たり前にあると疑わなかった世界の基盤がごっそりと失われてしまったような……そしてその大穴に、真っ逆さまに落ちていくような。
前後左右も上も下もなくて、ただただ暗く、風の音がする、そんな喪失感を思い出す。
それと同時に。
心の底から追い求め、追い続けて、それでも見つからなかったものがようやくついに見つかったという達成感、安堵感、悲願を達することへの興奮……そういうものも、またあった。
―――ふと、バックミラーに映る自分に気がつく。
いつもみたいな仏頂面で……いや。いつもよりずっと、ひどい顔をしている。ここ最近ロクに眠れていなかったのに、神経だけは冴えていて、目がぎらぎらと輝いて、まるで狂人のようではないか。
鏡なんて見たのはいつぶりだろう。
あの子を失ってから、自分のことなど気にしたことはなかった。
『アリシアはもっと笑えばいいと思うの』
彼女によく言われたことだった。
頬を強引に引っ張られて、痛い痛いと文句を言うのに、なぜか向こうの方が文句を言いたげで。
『退屈な顔をしていると、なんでも退屈になってしまうのよ』
そう言って見せる彼女は、たしかによく笑っていた。
笑うだけじゃなくて、とても表情豊かだった。
本を読んでいるときの百面相は、マザーグースとさえ仲良くなれなかったワタシに、初めての詩集を買わせたくらいだ。
けっきょくそれも、ワタシよりあの子が気に入ってしまったのだっけ。
思い出して、笑ってみる。
少しは慣れたはずだった笑顔は、一年ですっかり不器用になっていた。
見ていられない。
たまらなくて、笑えてきた。
―――彼女の居場所には、明かりが灯っていた。
ワタシは少し離れたところに車を止めた。
外套を羽織って、少しでも夜に溶け込む。
暴力を懐に忍ばせて、その重みを確かめた。
その邸宅は、ほかの家々と少しだけ離れていた。
忍び寄る必要もなかった。
誰に見つかるでもなく玄関にたどり着いた。
カギはかかっていなかった。
まったく不用心なことだった。
そんな相手を、ワタシはいつまでも見つけられなかったのだ。
『彼女』は……二階の、寝室にいた。
ベッドの上で、膝まで毛布をかぶせたまま、壁に背もたれるようにして、本を読んでいる。
見覚えのあるブックカバーと、見覚えのないメガネをしていた。
その目元は涙で濡れている。
いまだに彼女は、本を読みながら泣けるらしい。
―――虫唾が走る。
「久しぶりだね」
声をかける。
彼女は顔を上げる。
涙で潤った目を見開いて、ぱちぱちと驚きに瞬く、その拍子に涙がまたこぼれた。
あのときには、涙ひとつもなかったくせに。
「驚いた? 逃げられると思った? こんな平穏な場所で、ゆっくり年老いてられると思ったのか……ッ」
「アリシア……」
本を置いた彼女はうっすらとほほ笑む。
場違いな笑みに銃口を突きつけた。
「一年だ……! おまえがあの子を殺してから一年も経ったんだ……ッ! よくも生きていられたな!」
―――あの日彼女はあの子を殺した。
暴れまわった拍子に傷つけた手足から血を流し、涙と鼻水で顔は汚れ、あまつさえ失禁までしていたあの子の死体……そしてその首を握り締めながら、ワタシを振り向いて笑ったあの光景。
忘れたことなどなかった、忘れるわけなどなかった!
「ああ……アリシア。あなたはワタシを殺すのね? そのためにきたの、そうでしょう?」
「いつから目が悪くなったのか知らないけど、まさかこれまで見えないのか?」
銃口を額に押し付ける。
壁と銃口に挟まれながら、どうしてコイツは笑っている……!
「悪いけどもうたまらないんだ、我慢ならない、あんなことをしておいて笑っていられるオマエをぶっ殺したくて仕方がない! なんであんなことをしたんだ! なんであんなことをしたんだ!」
彼女は応えない。
応えない。
ただただうっすらと笑うだけ。
不気味なほど静かにただ、
笑っている。
もうどうしようもなかった。
これ以上に続ける言葉はなかった。
引き金を引かない理由がどこにもなかった。
だから。
ワタシは。
そして。
ああ……
「ちくしょう……」
終わった。
終わった。
終わってしまった。
すべてが。
「なんなんだよ……なんなんだよ……」
ワケが分からなかった。
すべてが終わった。
あんな最悪なことをした彼女はこの期に及んで笑っていられるような最悪なヤツだった、それが本性で、だからこうできてすっきりしてもおかしくなかった。
ワタシは復讐を果たした。
そのはずだ。
それなのに、それなのに、どうしてこんなにも収まらない、終わらない、終わらない……!
「なんであんなことをしたんだよ……なんで笑っていられたんだよ……おしえてよ……おしえてよ……」
彼女はもう応えない。
もうすべては失われてしまった。
せめて悲嘆にくれていてくれれば、せめて命乞いでもしてくれれば、せめて、せめて、せめて―――
と。
そのときインターホンが鳴った。
『ベイカーさん、どうもこんばんは。ちょうど近くに来る予定があったので寄らせていただきました』
女性の声だった。
なにも考えずに玄関に向かうと、白衣を着た恰幅のいい女性がワタシをみてぎょっとした。
そこでワタシは返り血とピストルに気がついた。
どうでもよかった。
「消えろ」
「ひっ」
銃口を向けて一言いえばその医者らしき女性は這うようにして逃げて行った。
仕事カバンまでほっぽり出して。
……医者?
「なんで……」
どうして医者がわざわざこんなところに来るのだろう。
彼女のもとに、わざわざカバンをもって。
ワタシは寝室に戻ってサイドテーブルやヘッドボードを漁った。
そして見つけた。
手帳だ。
めくる。
『2018/7/2
きっとこれは運命の出会いに違いないわ!
―――……
「ぁ」
三年前の日付。
ワタシとあの子と彼女が出会った、あの日の日付。
彼女の筆跡だった。
日記だ。
これは、彼女の日記だ。
読む。
彼女はあの子を通してワタシに出会った。
あの子は彼女の連れ子だった。消えてしまった元恋人のことを憎んでさえいた彼女はあの子との間に複雑なものを抱えていたようだったけれど、そこでは大げさなくらいにほめたたえられていた。
彼女は日記の中でも感情豊かだった。
彼女はワタシと、そしてあの子と一緒に過ごす日々を心の底から楽しんでいるようだった。
ワタシがあの子ばかりをひいきすることへの文句もたまに書いてあった。だけどたまに、ワタシに内緒で一緒に高いランチに出かけたなんていうことが書いてあったりもした。
日記の中の彼女は幸せそうだった。
「だったら……」
なぜ彼女はあんなことをしたのだ。
めくる、めくる、めくる―――
「!」
見つけた。
それはあの日の数日前のことだった。
そこにはこう書いてあった。
『あと一年』
なんども消して書き直したようで、そのページだけくしゃくしゃになっていた。
サイドテーブルを漁ると大量の薬が出てきた。なんの薬かなんて分からない。だけどおびただしい量の薬剤が、彼女の文字の意味を伝えてくる。
あと、一年。
ページをめくる。
彼女の悲しみと絶望が伝わってくる。
ところどころ涙で滲んでいる。
ぐしゃぐしゃに塗りつぶされたインクの黒は、そのまま彼女の脳内を書き記しているようだった。
彼女は―――
死にたくないと、願っていた。
「なん、で……」
だけどなんでそのためにあの子を殺す必要があったんだ。
そうすれば納得できたのか?
ワタシが復讐のためにオマエを殺せばそれで満足か。
どうしておまえは、ひとりで死んでくれなかったんだ。
オマエの手折ったその花は、オマエとは違って天国に咲いているのに。
「おまえは最悪だよ……最悪だ。ワタシからアシュリーを奪ったんだ……」
ワタシにはもうなにかをする労力はなかった。
けれどどのみちすべては終わっていた。
弾丸は、あと一発だけ用意されている。
「地獄でも殺してやる」
ああ。
復讐というのは、なんて長い道のりだろう―――
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