ホンモノのあなたのニセモノ
それがニセモノだと、ワタシには一目でわかった。
「おはよう、シノ」
わたしとおんなじグループの友達たちに囲まれて、アヤカのニセモノは、まるでホンモノみたいに目を細めて笑っている。
伸ばしてみようかな、とはにかむように笑っていた暗い茶髪。
大好物のハンバーグをほおばる以外には、笑うときでさえ動きの小くてぷるぷるしていそうなくちびる。
その代わりに感情を示してくれる、特に笑うときに細めるしぐさがかわいい、表情豊かな目元。
毛穴までコラーゲン詰まってるんじゃないかっていうくらいにハリがある、早寝早起きがヒケツらしい、キレイな肌。
それはまるでホンモノみたいな、ニセモノだった。
「お、おはよ」
「どしたんきょお」
「よしのんまたアニメで夜更かしかー?」
「ラインみたー?」
「ねえ、それよりさ……アヤカ、おかしくない?」
「私?」
きょとんとして首をかしげるしぐさも、それに合わせてさらりと肩から落ちる髪の長さも、そのキューティクルに至るまでうりふたつ。
だから友達たちは、みんながみんなワタシのほうをおかしいように見る。
「ほらだって……朝からこんなにかわいいなんておかしいよ。カゲムシャとかなんじゃない?」
耐え切れずに冗談めかすと、ソレも一緒になって笑っていた。
彼女の笑顔をまっすぐに見られることへの喜びはなかった。彼女と同じ顔で彼女みたいに笑うソレを、どうしてみんな許せるんだ。
「ふふ、なぁにそれ。あ、そういうアニメ観たんだ。そうでしょ」
「……かもね」
カマをかけたつもりだったけどボロは出さない。
ソレはホンモノのアヤカとおなじように、大発見でもしたみたいに得意げに笑っている。
みんなの中で、まるで当たり前みたいに。
アヤカ。
これまで何度も見てきた、わたしの恋人。
その―――ニセモノ。
許せなかった。
ワタシの大好きな人を偽る、このニセモノが。
ぜったいに、このニセモノの皮を剥いでやる。
そう決心しても、ソレはなかなかボロを出さなかった。
それはどこまでもホンモノの彼女だった。
ソレがニセモノであること以外にソレのニセモノが見つからない。
いつか数学の先生が『スワンプマン』という話をしてくれた。
ハイキングに出かけた先で落雷に撃たれてしまった男の人と、まったく同じ存在が近くの沼から出てくるらしい。
それは元の男の人と同じように家に帰って、同じように暮らして、同じように生きていく。
まるでこのニセモノはそれだ。
ワタシ以外のだれもが、このニセモノがニセモノだと気がつかない。だってコレはワタシの目から見てもホンモノと完全に同じで、だけど事実としてニセモノなんだ。
これはニセモノだけど、それ以外全部、ホンモノだ。
許せなかった。
ニセモノをするためにはホンモノのことを知らないといけない。ここまでホンモノらしくあるためには、それこそホンモノと同じっていうくらいにまで、知らないといけない。
これは彼女を知っている。
ワタシ以上にホンモノを。
そんなことも許せなかった。
「ねぇ、シノ……」
お手洗いについてきたソレが、個室に入ろうとするワタシの袖を引く。
まるでホンモノみたいに、頭一つ分くらいちいさな赤い頬が、ワタシを見上げていた。
「さいきん、さ。『おうち』してないから……その」
「やめて」
「ぇ」
手を振り払うとソレは傷ついたような表情になる。
まるで彼女を傷つけてしまったときみたいで最低のキブンだった。
「あなたとそういうことするつもり、ないから」
「……どうして、そんなこと言うの?」
「ジブンが一番よく分かってるでしょ」
「わかんないよ! シノさいきんずっとそうだよね? どうして? 私がなにかしたなら教えてよ……言ってくれないとわかんないよ……」
ああイライラする、イライラする、イライラする。
彼女が悲しいときの声で、彼女が言いそうなことを、彼女がしそうな表情で―――イライラする。
「ニセモノのくせに……」
「今はアニメのはなししてないよ! ねえシノ!」
「離してッ! あなたとハナシなんてしたくない!」
「シノ、」
バタン!
閉じた扉の向こうから泣き声がする。
ホンモノみたいな泣き声だった。
―――返して! 返して! 返してッ!
「うるさいなぁ、消えて、消えてよ、消えてよ……」
どれだけ祈っても、追い払っても、殴りつけても、刺しても、殺しても、消えない。
消えない。
ああ、どうしたら消えるんだ、これは。
「私は……ホンモノだよ……」
そんなわけもないのにそう言い残して、ニセモノが居なくなる。
そのまま消えてしまえとそう思った。
だけどアイツは、そう簡単には消えてくれないのだ。
だから次の日もまた次の日も、ワタシはニセモノを注意深く観察した。
ニセモノの一挙手一投足を、言葉づかいから表情の隅々まで、ゼンブゼンブ。
けれどワタシが見た限りでは、それはどこまでもホンモノだった。
だからこそ思う。
もしかしたらこのニセモノは、自分がニセモノなんていう自覚がないのかもしれない。
ニセモノは普通あえてホンモノとして振る舞っているものだと思っていたけど、このニセモノはなにか、それこそ沼から出てきたおなじモノで、だから普通にホンモノのようにふるまえて、そして自分がニセモノだなんて考えたこともないのかもしれない。
もしそうだとしたら、このニセモノをニセモノとして見破るにはどうすればいいんだろう。
これはニセモノで、だけど限りなくホンモノで、ニセモノである以外にはホンモノと違いがなくて、じゃあつまり
パッパーッ!
「!?」
音に殴りつけられる。
驚いて振り向くとそこには迫る自動車が―――
「危ない!」
「きゃっ!?」
どん! と押し飛ばされる。
急ブレーキの音がする。
だれかに押し倒されるみたいに。
だれか、というか。
「だいじょうぶ? シノ」
「あや、か」
へにゃりと。
安心したような、泣き出す寸前のような、そんな、今まで見たことのない表情で、ソレは笑う。
「よかったぁ……」
ぽろぽろと落ちてくる涙で顔が濡れていく。
周囲の人たちが大丈夫かと声をかけて近づいてくる。
大丈夫と答えて立ち上がると、彼女の膝はアスファルトでえぐれていて、だくだくと血が流れている。
ワタシはせいぜいしりもちをついたくらいだ。
「よくない、でしょ。そんなケガして」
「あ、ほんとだ。あぅ……」
きゅうぅと涙目になる彼女は、そんなことに気がつかないほどに本気でワタシを心配して、わき目もふらず、自分だって危ないのに、あんな、ニセモノだなんて罵倒したのに。
「でも……シノがブジでよかった」
そう言って彼女は明らかにムリをして笑う。
そんなところもホンモノと同じだった。
ひどい感覚だった。
痛烈な劣等感と、絶望的な実感とがあった。
これはニセモノだ。どうしようもないくらいのニセモノだ。だけどこのニセモノは、自分がニセモノとさえ知らない。
そしてホンモノと同じように、わたしを―――
「……ウチ、近くだから」
「うん。……え?」
「それ、ほっとくわけにもいかないし」
ワタシがそう言うと、彼女はパァと表情を輝かせた。
痛くて痛くて、涙だって流してるのに。
救急車を呼ぼうとする人たちを断って。せめてハンカチを当てて応急処置をしてから、彼女を自宅に連れていく。
ひさびさだね、なんて笑う彼女の足をシャワーで洗い流して、あちこちをひっかきまわして見つけたガーゼと包帯を巻いた。
そのまま追い出すわけにもいかずに、ワタシたちの部屋に彼女を招いた。
嬉しそうに足を弾ませて、彼女は二段ベッドに腰掛ける。そこはワタシの場所だったから、彼女はいつもそこを使った。
ワタシたちが『たち』じゃなくなったのは、わたしが小学生に上がる前のことだった。そのころまで布団で眠っていたけど、小学生に上がるからと、二段ベッドを新調した。そうして増えた勉強机のせいで、元あったヤツはほとんど本棚みたいになっている。
その寂しさを埋めたのが、ホンモノの彼女だったのだ。
だからこそニセモノが許せなかった。
まるでホンモノみたいな表情でそこに座る彼女に、今だってかなり、思うところはある。
だけど……
……べつに、命を救われたからとか、自分の身を犠牲にするような献身にほだされたとか、そういうわけじゃなかった。
ただこのニセモノが、どうしようもないくらいにニセモノであったとしても、それでも、今目の前にいる彼女は、ホンモノの彼女のニセモノとしては、ホンモノであるのだと―――沼から歩き出したそのあとの未来は、今は、彼女の歩む場所なのだと。
そういう事実が悲しいほどに事実なのだと、あきらめのような感情を抱いてしまっただけなのだ。
これはニセモノだ。
だけどホンモノがいないこの今、彼女がニセモノであることで、どうして彼女を責めていいんだろう。
ああそうとも。
これはニセモノだ。
だってホンモノはもういないのだから。
まるでそれをごまかすみたいにどこからともなく歩いてきたスワンプマン。偶然なのか、それともそこが空いていたから収まっただけなのかは分からない。
だけど彼女は『アヤカのニセモノ』というホンモノとして、きっとこれからを生きるのだろう。
まるでアヤカのように笑い、アヤカのように泣いて、アヤカのように生きるというのが、彼女の人生なのだ。
「あんまりはしゃぐと痛いよ」
「ふふ。だいじょ、あぅ」
「だから言ったのに」
彼女ははにかむように目を細める。
その面影を不思議と今まで見たことがないように感じられたのは、単なる気のせいなんだろう。
それとも、単に、こうしてまっすぐ見つめあうことなんてこれまでなかったからかもしれない。
そして―――だから。
その夜、ワタシはひとりで森の中を歩いていた。
見た目が分かりにくいように着込んで、まぶしい懐中電灯で道を照らして、ざくざくざくと、二度目の道を、歩いている。
忘れようもない道だった。
隅々の隅々まで、誰も、何もいないことを確認しながら歩いた道だったから。
重たい荷物がない分、むしろ楽だった。
やがてたどり着いたのは、ささやかな墓標だった。
墓標などと呼ぶのもおこがましい、ただ近くにあった大きめの石を目印に置いただけの墓標だった。
―――ここにホンモノの彼女が居る。
だからあれはどうしようもなくニセモノなのだ。
ワタシには一目でわかった。
だって、ホンモノをここに埋めたのはワタシだ。
殺して、粉々に砕いて、土に混ぜて、どうやったって見つからないくらいに、間違っても立ち上がって歩き出せないくらいに、徹底的に、破壊して。
そうするしかなかった。
大好きだった。
だからどうしようもなかった。
どうしようもなかったんだ。
「ごめんね」
どうしようもなかった、けれど。
そのけっか、今、ワタシは彼女といられる。
ニセモノだけど。
それでも。
ニセモノのくせに、一緒に居られる。
「……?」
ふと、気がつく。
おかしい気がする。
たとえば上がった後のお風呂みたいに、ちょうどワタシが掘り返した四角形に、へこんでいるような気がする。
土に死体を混ぜたのだから、ここは少しだけ、こんもりと膨らんでいたはずなんだ。
……上がった後の、お風呂、みたいに。
沈んでいた身体の分、中身が、減ったみたいに。
まるで。
まるでここから、ちょうど死体の分、なくなってしまった、みたいに……?
「言ったでしょ? 私は、ホンモノだって」
背後からの声に、ワタシは心臓が止まった。
耳元に吐息が触れる。
甘くて、かぐわしい、彼女の吐息が。
ホンモノ。
彼女は、ホンモノ。
だとしたら。
だとしたら、ワタシ、は。
「ど、して、」
「どうして? どうしてって、どうして?」
「どうして、なんで、おぼえ……?」
「覚えてるよ。全部。それが?」
それが?
それがなにかって、そんなの、だって、ホンモノなら、それってつまり、ワタシに殺されたことを知ってて、それなのに、まるでなにごともなかったみたいに、そんなの、どうか、どうかしてるなんて言葉じゃ―――
「私ね、とっても悲しかったんだ。悲しくて悲しくて、だけどね、考えたんだ。それでね、思ったんだけど、大切なのは今でしょう?」
今。
彼女がいて。
そして、ワタシがいる、今。
「あなたが私を殺したこととか、私が生き返ったこととか、あなたがニセモノだとか、そんなことどうでもいいんだよ」
「どうでも……?」
だったらどうしてワタシはあなたを殺したんだ。
あなたが泣いて、泣きわめいて、返して、返してって言うから、だからどうしようもなくて、ワタシだって好きだったのに、ワタシだって好きだったのに、ワタシだって好きだったのに、
「じゃ、じゃあワタシ、は、ずっと、わたしのままでいろって、言うの?」
「おかしなシノ。シノはシノだよ。ニセモノもホンモノもない、シノなんだよ」
振り返る。
彼女は笑っている。
目を細めて、見慣れた笑みで、だけどまるで精巧なニセモノのように、異様な雰囲気で。
彼女は踊るように、彼女の埋まっていた場所に立つ。
しゃがみこんで、墓標をなでて面白がって、それから、それから。
「それとも、ねぇ。あなたはシノじゃないの?」
どこまでも無機物な眼差しだった。
彼女の両手は、墓標代わりの石に、添えられている。
―――わたしのことがずっとうらやましかった。
ピカピカで新品の机も、二段ベッドの上の段も、彼女の笑顔をまっすぐに向けられることも、彼女と愛し合っていることも。
ワタシはそれをただ見ていた。
あたりまえだ、ワタシは確かに死んだのだから。
『わたし』が小学生に上がるとき。
『ワタシ』がジャンケンに負けて上の段を取られてしまったことに、まだ拗ねていたようなころ。
なぜ死んだか、なんていうのは、なぜ死んだ後もわたしと一緒に居たのか、と比べればささいなことだった。
死んだのに、ワタシはわたしとともにいた。
だけどただ見ているだけだった。
あの日までは。
いったいなにがきっかけだったのかは分からない。
だけどその日、ワタシはこの身体を得たのだ。
その代わりに消えてしまったわたしのことなんてどうでもよかった。ずっとそっちがいい思いをしてたんだからって、そう思ったくらいだ。
そんなことよりも、嬉しかった。
感動した。
興奮した。
机はとっくに新品なんかじゃないし、二段ベッドの上にも興味はなかったけど、ワタシはようやく、彼女と言葉を交わせたんだ。
それなのに彼女は私を受け入れてくれなかった。
だから殺すしかなかった。
そしてニセモノが現れて。
はじめは許せなくて。
だけどそんなことを言えばワタシだってニセモノで。
だけど彼女は、彼女は……ホンモノ、で?
ワタシたちが愛し、ワタシを罵倒し、ワタシが殺した。
それなのに彼女は今、ワタシにニセモノを求めている。
ワタシではなく、わたしとして、ホンモノの彼女と、これまで通りの生活を送ることを。
彼女の墓標だったものは今、ただの石だった。
人の頭くらい簡単につぶせそうな、そんな石だった。
「し、シノ、だよ。わたしは、わたしは、シノ」
「それならなんのもんだいもないんだよ。あなたがシノでいてさえくれるなら、ほかのことなんてどうでもいいんだよ」
ワタシがシノでいるのなら。
じゃあ、つまり、ワタシがシノじゃなくなったら?
考えたくもなかった。
「さて、じゃあ帰ろう? こんなところに居たら危ないよ。もう遅いし……『おうち』、していい?」
「う、ん」
「ありがとう、シノ」
彼女は笑う。
笑う。
はにかみながら、でもあふれる喜びを隠さずに。
ただただ、ホンモノの笑みだった。
それがニセモノだといまさら分かった。
もうすべてがどうしようもなかった。
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