人識果無は不思議を知らない
「―――保健室の幽霊?」
生徒会長
湯気立つ紅茶のおかれたテーブルのむかい、ソファに座った相談相手はポニーテールの剣道少女
さすがに防具は着けていないが道着を着ていて、人差し指には丁寧にばんそうこうが巻かれていた。
「カイチョーさんはナナ不思議に詳しいと聞いたので」
「ええまあ。人が知るていどではありますが」
ナナ不思議。
七倉高校の不思議なうわさ話。数は大抵七つだが、人や学年によってバリエーションが違ったりする。
中でも『保健室の幽霊』とは、誰もいないはずの保健室でベッドを占有する不届きな幽霊のことだ。
なるほど怪談と呼ぶには恐ろしさが足りない、不思議と呼ぶのがちょうどいい温度感の話題である。
「そのナナ不思議を、あなたは体験したということですね?」
「はい。実は―――」
バァンッ!
「みてみてカイチョー! にゃんこれにゃんだー!」
話をさえぎって飛び込んでくるのはミケにゃんこを抱っこした短い茶髪の少女、生徒会会計の
目を真ん丸にして驚く相談者に気がつくと、彼女はにこやかに駆け寄っていく。
「おっはろーおきゃくさん。いにゃっしゃいませにゃー!」
「あ、こんにちぅわっくちゅ!」
「ぬぉおお! あ、にゃんこにゃーん!」
盛大なくしゃみに驚いてどこかへ逃げてしまう猫に、ナニモは「かむばーっく!」と手を伸ばす。
もちろん猫は戻ってこない。
「ずびばぜん……」
ぢーんっ、と鼻をかんだヒトエは、それでもまだ鼻をムズムズさせながらいそいそとマスクを着け……ようとするが、ヒモがくるくるしてなかなかうまくいかない。
見かねたハテナが着けてやると、ヒトエは恥ずかしそうに頭をかく。
「いやー、わたしすっごいぶきっちょで。ありがとうございます」
「そうだったのですか。アレルギーですか? 彼女が失礼しました」
「ああはい。あ、でもあんまひどいのじゃないので」
「ごめんよぅ名もなきお客さん……」
「なもなき……」
「失礼ですよナニモさん」
「はぁい」
ナニモはハテナのとなりに腰掛け、そのまま彼女の膝に顔をうずめる。猫に逃げられたのですねている。
困惑するヒトエだったが、ハテナがなにも気にしていない様子なので話を続けることにした。
「それで、ついさっきのことなんですけど―――」
◆
っていうのも、練習中に爪が割れちゃってバンソコもらいに行ったんですよ。ちょうど部室のがなくなっちゃったので。
それで保健室に行って。
こんにちわーって挨拶しても返事がなくて、まあバンソコくらいなら勝手にもらっちゃってもいいかなって思って。どこにあるのかなーって探してたんですけどね。
そしたら急にがたんって音がして。
びっくりして振り向いたらなんかカーテンが揺れてたんですよ。あ、だれか寝てたのかなって思って、起こしちゃったなーってあやまろうとしたんですけど……
なんか、おかしいんですよ。
保健室のカーテンって、しゃこう? とかのやつじゃないから、人の影って映ると思うんです。
物音的に立ち上がったりしてるはずだったし。
でもそれがなくて。
声かけても返事がなくて。
それで、あっ! ってナナ不思議のこと思い出したんです。保健室の幽霊ってけっこう有名じゃないですか。じっさいに見たことあるって話もよく聞きますし。
見たっていうか、そうぐうした?
なんかそういう。
そしたらなんかいてもたってもいられなくて、勇気を出して覗いてみたんです。
もしベッドにだれか寝てたらそのときはあやまろうって思って。
でも、そこには誰もいなかったんですよ。
ベッドの上はもちろん、ベッドの下にだって。
ほかに隠れる場所ってないじゃないですか。
だから最初は気のせいとか、まあ外の音だったのかなぁって思ったんですけど。
……でも、よく見たらたしかに使った形跡があったんです。
枕がへこんでたりとか、布団をめくったら、こう、沈んでる感じっていうか。さっきまでここに誰かいたんだって分かるような。
それなのに、だれもいない。
それこそまるで消えちゃったみたいに。
それで怖くなって逃げちゃったんですけど―――
◆
「―――これってやっぱり保健室の幽霊なんでしょうか。あんまり気になっちゃったので部活抜け出してきちゃいました」
「抜け出してきてしまいましたか」
「はいっ!」
とてもよいお返事である。
ハテナはほほえみ、それから立ち上がった。
ついでにナニモも引っ付いてくる。
「ではあまり時間をかけるのも惜しいですね。行きましょうか」
「行くって……」
「当然、保健室ですよ。あなたのはてなを解消するために」
そうして三人は保健室へと向かった。
保健室はいつも清潔に掃除されていて、消毒液みたいなにおいがする。
ベッドは三つあって、それらは桃色のカーテンによって分けられているが、夕暮れの保健室であってもベッドの輪郭がおぼろげに見えていた。
ハテナたちが保健室にやってくると、養護教諭の
「んにゃー、おやすみぃ……」
起きているのか眠っているのかもわからない様子で迎えた彼女は、自分に用がないと知るや突っ伏してしまう。
「先生ならなにか知ってるんじゃないですか?」
「そのときにはいらっしゃらなかったのでしょう? であれば、あえて起こしてしまう必要もないでしょう」
「それもそうですね!」
業務時間中の居眠りに寛容な面々である。
さておき、ハテナはヒトエが幽霊と遭遇したというベッドを調べはじめた。
カーテンに囲まれた区画にはベッドだけがある。
そこは三つ並ぶうちの一番端で、窓に面した日当たりのよさそうな場所だった。
「見たところおかしなところはありませんね」
「ベッドもキレイになってます」
「そのようですね」
「むむむー」
ナニモはベッドの下や布団の中まで一生懸命探しているが、なにも見つからないようで唸っている。
ハテナはそんな彼女をしりめに窓から周囲を見回し、それからカーテンをくぐるようにしてほかのベッドも確認してみた。
真ん中のベッドも、廊下に面した反対端のベッドも同じく変わったところはない―――いや。
ハテナは一番端のベッドの近くにボールペンが落ちているのを見つけた。なんでもない普通の三色ボールペンだ。
「なるほど」
「なにか分かったんですか?」
「ええ。大体のところは」
ボールペンを胸ポケットに入れた彼女はヒトエへと笑みを向ける。
「あなたのはてなを正しましょう。よろしければ、背筋を正してお聞きになって?」
◆
重要なのは現場がこの一番端のベッドであったこと。
より正確に言えば、ここが窓に面していたことですね。
簡単な話です。
窓から逃げたんですよ、『幽霊』は。
といってもそれは本当の幽霊ではありません。
また、それは人間でもありません。なのでナニモさんは試してみなくていいですよ。
幽霊の正体は―――猫です。
なぁお。
今のはにゃんこの鳴き真似です。
にゃんこはベッドにもぐりこんで眠っていたのでしょう。あなたが来たのに気がついたので、窓を開いて逃げて行ったのです。
にゃんこというのは案外賢いもので、こういった簡単な窓であれば難なく開けてしまえますから。
そう考えると、カーテンが揺れたのは誰かが触れたからではなく、窓が開いたことによって風が入ってきたからでしょうね。
身体も小さく、ひとっ飛びで出て行けば目にもつきません。
さきほどナニモが連れてきたのが、もしかすると幽霊だったのかもしれませんね。
◆
「これが今回の保健室の幽霊の正体です」
「ねこですか……! そんなの考えてもみなかったです!」
「ご納得いただけましたか?」
「はい! すっきりカイショーです! こんどからカイチョーのことカイショーって呼んでいいですか!?」
「それだー!」
「イヤですね」
はてなが解消されてすっきりしたらしいヒトエはハテナに礼をしたが、ハテナは「そんなことよりも」と笑みを深めた。
「そんなことよりも、ヒトエさん。ぜひおたずねしたいことがあるのです。なにを隠そう私は、気になったことは知ってみないと我慢ならない質なので」
「な、なんですか?」
ぐいぐいと身を寄せてくるハテナにたじたじのヒトエは、次の言葉に硬直する。
「あなたはなぜ―――まるで自分がひとりでここに来たかのような嘘をついたのですか?」
そうしてハテナは楽しげに笑う。
そもそも彼女にとって保健室の幽霊などどうでもよく、はじめからそれを聞くためだったのだ。
「いえね。気になっていたんですよ。そのばんそうこう……とてもきれいに巻いてありますから」
「ぁ」
ヒトエはマスクをつけるのに困ったほどの不器用だ。
それがどうしてこんなにもきれいに、片手でばんそうこうを巻けるだろう。
そもそも彼女はばんそうこうを探している最中に幽霊に遭遇し、その後は怖くなって逃げてしまった。
もしそうなら彼女はばんそうこうを見つけられていないことになるはずだ。
とはいえばんそうこうくらいなら誰かが持っていてもおかしくはない。保健室には市販のばんそうこうも置いてあるから、同じものでも違和感はない。
気になった場所はほかにもあった。
「それに、『幽霊』がいるかもしれないと思いながら、カーテンを覗くどころかベッドの下や布団の中まで念入りに調べ、そしておびえた様子もなくここに戻ってこれるような方が『逃げる』という言葉を使うのも不思議な話です。帰るでも戻るでもなくね」
だからハテナは考えた。
もしかしたら彼女は保健室に誰かと来て、その人物にばんそうこうを巻いてもらったのではないかと。
そして幽霊を恐れて逃げ出したのは、その人物だったのではないか―――
「……すごいですね、カイチョーさんって」
「恐縮です」
困ったように笑うヒトエの肩にハテナはそっと手を置いた。
「無作法なことをしてすみません。ですが私はただ知りたいだけなのです。どうしてあえて嘘をついてまで、あなたが過剰にその誰かを隠そうとしたのか。秘密はお約束いたしますので、どうか教えてはいただけませんか?」
ハテナのとなりでナニモもお口にチャックしている。ネコはまだ突っ伏したままだった。
ヒトエはしばらく悩んでいたが、やがて話しだした。
「実は、わたしセンセーと一緒だったんです」
「顧問のミツルギ先生ですか」
「はい。それでその……バンソコ貼ってから、ちょっぴり、あの、えっと……お、おはなし? してて。そしたら物音がしたんです。センセーすごいびっくりしてかわいかっ」
川イカ。
「…………こほん。あーえと、それで安心させるつもりで調べたんですよ。そしたら逆におびえさせちゃって。それで、そんな風に怖がりなのは絶対に秘密にしてほしいって言われたので……」
「そういうことでしたか」
「はい。……わたしだけの秘密なら、ばらしたくないなぁって」
ほの暗く笑うヒトエ。
どうやらひとえに先生の名誉のためというものでもないらしい。
「つまりあなたは、その秘密を守ったまま先生を安心させるため、ああやって嘘をついたのですね」
「そういうことになります……すみませんでした」
「なにを謝ることがありますか。とても素敵なことですよ。約束の通り、このことは胸に秘めておきましょう」
「ありがとうございますカイチョーさん……!」
「ええ。ぜひ先生を安心させてさしあげてください。ふふ、上手くいくことを願っていますね」
「ぴゃあー! う、上手くいくなんてそんな……ぅうううハズーいっ!」
ぴゅーんっ。
顔を真っ赤にして走り去ってしまう彼女を、ハテナとナニモは見送った。
かくしてナナ不思議『保健室の幽霊』にまつわる事件は解決した―――
「……ねーねーかいちょ?」
ぽつりとナニモが疑問符を向ける。
ハテナは今までにないほど楽しそうな笑みを向けた。
「ねこちゃんいたならさ、ヒトエちゃんきがつくんじゃにゃい? アレルギーなんでしょ? それに保健室のユーレーってほかの人も知ってるんだよね? ぜんぶねこちゃんなの? あとあと―――」
ハテナはその口に人差し指を押し当て、それからボールペンを机のペン立てにそっとさした。
「落とし物ですよ、化け猫さん」
「……」
ゆっくりと身体を起こしたネコは、なんともバツが悪い表情で振り向いた。
「あー、わるいねぇハテナ君」
「いえ。かまいませんよ。私がやりたくてやっていることですから」
「えー! なになになんなのー!?」
きらきらと目を輝かせるナニモにハテナは告げる。
「保健室の幽霊というのはね、にゃんこセンセーのことなのですよ」
◆
今回の件もそうでしょう。
ベッドで寝ているところにヒトエさん……どちらかというと一緒にいたというミツルギ先生ですね。彼女らが来たことで、にゃんこセンセーはとても驚いたはずです。あまり褒められた行為ではありませんから。
おそらく本来は痕跡を消してひっそりと隠れてしまうつもりだったのでしょうね。あるいは目覚めなければ気がつかれなかったかもしれません。
けれどベッドに引っかかるかなにかして音を立ててしまった先生は、とっさにカーテンに隠れたのです。
となりあったふたつのカーテンの隙間か、隣のベッド区画ですね。カーテンの揺れはこのせいでしょう。
そのまま先生は捜索の手を逃れるために反対端のベッドに向かい、身を潜めた。
幸いにして彼女たちがすぐに出て行ってくれたので、先生は難を逃れたというわけです。
ボールペンはそのときにカーテンにひっかけでもしたのでしょう。
◆
「それがおおむね真相といったところでしょうね」
「いやあカンペキな推理だねぇ。はらひれはらほれほれなおしさ」
「恐縮です」
訳を知った様子で話すふたりをナニモがきょとんと見上げていた。
「センセーがユーレーって知ってたの?」
「それはもちろん、調べたからですよ」
ハテナは気になったものを調べずにはいられない。
だからナナ不思議など、一年生の時点ですでに調べつくしている。
だからはじめからにゃんこセンセーが犯人であると知っていて、はなからそれをごまかすためのそれらしい真実を用意するつもりだったのだ。
こともなげに告げるハテナに、ナニモは目を真ん丸にした。
「どーして?」
「今回のことが理由ですよ」
「?」
ハテナは笑う。
「ナナ不思議というのは、調べてみれば不思議でもなんでもない、理由のあるできごとにすぎません。けれどそれがあることによって、人々はそこに不思議を見る。もしも『保健室の幽霊』が存在しなければヒトエさんは私のもとを訪れず、彼女の嘘は生まれなかったでしょう? 不思議には不思議が集まる―――つまり不思議を不思議のままにしておくことで、そこには未知なる不思議が生まれるのです」
人識果無ははてなを愛する。
入学して一年で(ナナ不思議に関しては一学期中に)学校の不思議を解き明かし終わってしまって、それでも彼女は終わらない。
果てし無きハテナの探求は、養殖さえも辞さないのだ。
「それに、にゃんこセンセーにはいろいろと協力していただいていますからね」
「きょーりょく?」
「ウワサを流してるのさ。ナナ不思議に詳しい生徒会長、人識果無のウワサをね」
「そうでなければわざわざ不思議なことがあったからと私のもとを訪れたりはしませんからね。なにもしなくとも不思議が向こうから寄ってくるというわけです」
養殖→自動収穫。
そのために、ハテナはいろいろなツテを使ってそれとなく自分のところに相談が集まりやすいようにしていた。
そういう意味では生徒会長という肩書も似たようなものである。
「どうでしょうナニモさん、あなたのはてなは解消されましたか?」
「うん! カンゼンカイショー! これからカイチョーのことカイショーって呼ぶね!?」
「それはやめていただけると……」
苦笑しながら、ハテナはナニモと視線を合わせる。
きょとんとしたナニモに、そして言った。
「ところで、ひとつおたずねしたいのですが」
「う、うん?」
ぐ、と強く肩を掴まれて戸惑うナニモ。
なにせハテナはすこぶる顔がいいので少し恥ずかしい。しかも彼女はなにやらとても綺麗な笑顔を浮かべているのだ。
「あなたはあのにゃんこをいったいどこで見つけたのですか? あれは三毛猫のオスでしたよね? どれほどの希少価値かご存じですか? それを? あのタイミングで? 猫アレルギー持ちの方の前に? あまりの驚きでつい推理ににゃんこを組み込んでしまいましたよ? ほんとうにあなたはいつもとても面白い不思議を連れ込んでくれますね? 今すぐにあの子をまた見つけましょう? きっとなにか不思議がある気がしませんか? さあさあさあ!?」
「わぁあああー!」
話している間にヒートアップしたらしいハテナはナニモを引っ張って嵐のように去っていく。
見送ったネコはくぁとあくびをする。
そのときカーテンが揺れて、机の上に、一匹の三毛猫が降り立った。
『まったく気軽に日向ぼっこも出来んとは』
猫の喉からとても渋い声が嘆いて、ネコはそれを当たり前に受け入れた。
「やぁ爺さん。人間に見つかるだなんてずいぶん耄碌したんじゃないかい、ええ?」
『さて……あれがただの人間であれば、な』
「?」
ネコは首を傾げ、猫は笑う。
『不思議は不思議に集まる、か。あるいは真理やもしれん。あの少女らであれば、いずれ我らを知りそうだ』
「ハテナ君はよろこびそ」
バァンッ!
「センセー転んだ! ばんそこ貼って!」
「先ほどの今で申し訳ありません……」
勢いよく扉を開いてやってきたハテナたち。
なぜか膝の擦り傷を自慢げに見せてくるナニモにネコはからからと笑った。
なるほど彼女たちなら、いつかさらなる不思議に出会うことになりそうだ―――
「―――失礼ですが先生。もしや先ほどまでここににゃんこがいらっしゃったのでは? 毛が落ちています」
「にゃんとお!」
「……ああうん。窓から出ていったかなぁ?」
―――下手したら今日かもしれない。
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