キミを追う帰り道

 繰り返す戦火によって焼き尽くされた荒野があった。

 魔王の支配圏と人類の支配権のその境目に当たるこの場所は人々から『終末の地』として呼ばれ恐れられている。


 さて、その地にて戦うふたつがいた。


 片や、光輝の剣を振るう金色の騎士。

 剣、盾、冠、首輪、鎧……伝説に語られる装備を携えた彼女は、目の前の敵を滅ぼすためだけにただ見据えている。


 片や、禍々しき血色に染まった魔剣を振るう魔女。

 砲弾をさえ受け止める闇の衣を身にまとい、なお一撃必殺の聖剣を、かいくぐりながら踊っている。


 勇者と魔王―――互いの最大戦力による終末決戦が、まさにふさわしきその場所で繰り広げられていた。


「ずいぶんとつまらない剣を振るうじゃない、勇者」


 意思を込めて振るえば大陸を別つと言われる聖剣の斬撃を魔王は紙一重でかわす。その刀身にかすめてさえいないのに闇の衣が蒸発して消えた。


 聖剣とは人類にあだなす敵を滅ぼす力の具現だ。

 その最たる魔王ともなれば、解き放たれる力は神にさえ届きうる。

 不死の魔王と呼ばれ、史上最強とまで恐れられる彼女でさえ、聖剣をまともに食らえば滅びるほかない。


 それでも魔王は、その表情に歓喜さえ浮かべていた。


 待ち望んでいた戦いだった。

 彼女の生涯のすべてはこの瞬間のためだったのだ。


 この場でついに彼女は、『勇者』を殺す。


「ハァッ!」


 斬撃をかいくぐり、空いた右手に収束させた魔力の力場を振るう。

 流星を受け止めるとされる『星空の盾』が、星を握りつぶす超重力によってひしゃげて砕けた。


 飛び散る破片がきらめく。

 魔王の瞳に、かつての光景がよぎった。


 ◆


「ボクは決着をつけないといけないんだ。自分だけの力で。彼は、きっとボクのもうひとつの未来だった」


 黄金に身を包み、首輪を通し、王冠を戴く少女が言う。

 決意と力にあふれる瞳をした、短い髪の少女だった。


 そこはとある国の闘技場、その選手控室だ。

 優勝者にはその国の女王から伝説の『星空の盾』が与えられる。少女はそれを得るためにこの国に来た。


「あなたはたまにとってもガンコね。……そういうところが好きなんだけど」


 たおやかなローブの魔女が笑う。

 月光を背負うような、長く、白い髪の女だった。


「まあいいわ。どうせあなたが勝つもの」

「どうかな。あの人はとても強いから。……いつか会ったときは、手も足も出なかった」


 決勝の相手は、この国において『勇者』と呼ばれるひとりの青年だ。

 かつて、権力争いの策謀の中で恋人を失ったことで人類に絶望し、ひとときは魔王の配下でさえあった彼は、今はこうして、最後の壁として少女の前に立ちふさがっている。


 だからこそ少女は打ち倒さなければならなかった。

 彼女が、真なる勇者となるために。


 緊張をにじませる彼女に、魔女は微笑む。


「勝つわよ、あなたは」

「あはは、キミにそう言われるとそんな気がしてくる」

「あら、あたりまえじゃない。自慢じゃないけれどわたしの恋人は最強なのよ」

「そこは自慢に思ってよ」


 からからと笑った少女は、ふと、自分に安らぎを与えてくれた目の前の人を心の底からいとおしく思って、ほんの半歩だけ身を寄せる。

 魔女はそれに応えた。


「―――……これが終わったら、もう、魔王と戦うんだよ、ね」

「その前に一度戻って聖剣とやらを引っこ抜きに行くらしいけれどね」

「ええ、そんな雑草みたいな」

「似たようなものじゃない」


 肩をすくめる魔女に、少女はまた笑う。


 そして少女は、人々に認められる真の勇者となった。


 ◆


 ひしゃげた盾を、勇者は迷いなく振り捨てる。

 両手に持ち替えた聖剣はその勢いをますます増し、魔王の身体にはえぐりぬかれたような跡がいくつも刻まれていく。

 傷つく端からそれがなくなってしまうほどの再生力を有するはずの魔王だったが、聖剣の傷ではそうもいかなかった。


 勇者が手を開き、強烈な光が爆ぜる。

 魔王は即座にそれを振り払った。


「なっ!」


 爆裂を超えて、自らが傷つくことさえ意に介さず突撃した勇者が聖剣を振るう。


「ぐぅッ……!」


 かわし切れない斬撃が、魔王の右目を、頭蓋骨の一部分ごとえぐり飛ばす。

 しかし同時に振るわれた魔剣の閃きが、所有者に魔法の究極を与えるとされる『叡智の王冠』を割り落とした。


 ◆


「ど、どどどどうしよ!? ボク勇者なのに!」


 黄金に身を包み、首輪を通した少女が慌てふためく。

 ただでさえ幼げな容姿のうえに、ふるまいのせいでまるで女児のようでもある、髪の長い少女だった。


「うるわいわね。すこし落ち着きなさいな」


 のんびりと本を読みながら、魔女はモノクルをくぃと調整する。少女とは対照的な落ち着きぶりである。


 少女と魔女は監獄にいた。

 神の魔法によって生み出されたと言われるエルフたちが誇る、脱獄不可能の魔法監獄である。

 この国の至宝とされる『叡智の王冠』を譲り受けるはずが、どういう間違いかこうして拘束されていた。


「こ、このまましょっ、処刑とか! さ、されちゃったらっ、ああああどうしよどうしよどうしよぉおお!」

「……あの皇女様に期待しましょう。なんにせよ、この中からできることはないもの」

「そんなぁ……」


 がっくりと肩を落とす少女に、魔女はやれやれとため息を吐く。

 ふたりはこの国の皇女であるという幼女に連れられて女帝と謁見し、そのまま『誘拐犯』とされて拘束されてしまった。今頃はきっと幼女が頑張って誤解を解いてくれているだろうと、魔女は言う。


「あぁ……最近は平和だと思ってたのに……朝起きて、ご飯を食べて、のんびりお散歩して、ご飯を食べて、お昼寝して……そんな日常に帰りたいよぅ」

「あら。久々に聞いたわ、あなたのそれ。相変わらず勇者のくせに軟弱ね」

「だれだってそうでしょ? 戦いたくて戦ってる人なんてきっと少ないよ。みんな平和のほうが好きなんだ」

「まあ、たしかにこんなに落ち着いて読書ができる時間は貴重かもしれないわね」

「落ち着いてられる状況ではないけど!?」


 とそんなとき、にわかにとてつもない振動がふたりのもとに届いた。なにか騒がしくなっているような気配も伝わってくる。


 そのとたん少女は立ち上がり、たちまちおとぎ話の英雄のように凛々しい表情となった。


「いかないと。なにか大変なことが起きてる……気がする」

「あら。無実の罪でこんなところに閉じ込めてきたやつらよ? 助けを求めて頭を下げにきてからでもいいんじゃないかしら」

「ダメだよ。ボクは勇者なんだから」


 断固として告げる彼女に、魔女は目を見開いて、それから声にならないほど小さく唇を震わす。


「……ふふ。冗談よ。まったく、あなたって本当に面白いわね」


 ぽんっ、と小気味いい音で本をどこかへ消してしまうと、魔女はおもむろに扉へと歩み寄る。

 そしてちょん、と指で触れると、それだけで牢の扉は開いてしまった。


「しょせん骨董品ね。さ、行きましょう。この程度なら頭の体操にもならないわ」

「…………どうりで落ち着いてるわけだよ、もう」


 ぶぅ、と口をとがらせる少女に魔女は笑った。


 そしてエルフたちの伝説に、新たな一幕が加わった。


 ◆


「あらごめんなさい、でもやっぱりあなたには似合ってなかったわよ」


 落ちる王冠に一瞥さえなく、冷ややかな聖剣が魔王の肩をそぎ落とす。

 反撃で振るう魔剣は黄金の鎧にあっさりとはじかれ、ひるんだ瞬間に腕をつかまれる。


 聖剣が閃く。


 魔王の首が飛ぶ―――


「食らいなさい!」


 大きく口を開いた魔王の首。

 放たれた黒色の光線が勇者を吹き飛ばす。

 落ちてきた首を受け止め、それをまた繋ぎなおした魔王は、それから盛大に血を吐いた。


 聖剣を回避するために魔力で自分の首をちぎり飛ばしたが、わずかにかすめてダメージを負っていた。

 一方の勇者は聖剣を地面に突き立てて着地し、そしてあらゆる痛みを受け止める『護りの首輪』が音を立てて砕け散る。


 ◆


「……」


 黄金に身を包んだ少女が、鏡の前で『護りの首輪』をもてあそんでいた。

 光のない瞳と、色濃いクマが消えない、今にも死んでしまいそうなほど消耗した様子の少女だった。


「……あなた、髪伸びてきたわね」


 その後ろに立った魔女が、少女の、首より少し先まで伸びた、手入れされていない髪をそっと触ろうとする。

 しかし少女はその手をはねのけ、鏡越しに魔女を睨んだ。


「触らないで」

「あら、乱暴ね」


 まるで近づくすべてを敵と思うかのような少女の様子に、魔女はひょうひょうと肩をすくめる。

 そんな彼女が頭にくるのか、少女は歯をかみ鳴らした。


 『護りの首輪』は、とある大迷宮の奥に封印されていたものだ。勇者であるのならば迷宮の攻略など当然できなければならない、という国からの指示で挑戦し、攻略したのがつい昨日のことだった。


 実績もない少女への冒険者たちからの風当たり、これまで旅もしたことのなかった少女がさらされる過酷な外の世界、命を削る魔物との死闘……それらすべてが彼女の心を摩耗させていた。


 そうして得たのが、このちっぽけな首輪ひとつだ。

 彼女はもう限界だった。


「ボクはっ、ボクがどうしてこんなことをしなきゃいけないんだ……! なんなんだよ勇者って! どうしてボクなんかが選ばれたんだよ! ボクはただ平和にくらしていたいのに……! 帰りたいよ……帰りたい……帰してよ……おねがいだから……」


 さめざめと泣く少女。

 魔女はしばらく無言で見下ろし、それからそっと微笑む。


「そんなに言うのなら、帰ってしまえばいいじゃない」

「え」

「そうしたらわたしもお目付け役なんていう厄介なお役目から解放されるわ。あら、案外いいじゃない」


 くすくすと楽しそうに笑う魔女に、思いがけず肯定されてしまった少女は目を泳がせる。


「で、でも、そんなことした、ら、世界が、ま、魔王が、みんなを、」

「いいのよ。魔王なんて、世界なんて。……あなたみたいな小さな子供をこんなにも追い詰める世界なんて、終わってしまえばいいじゃない」

「そんな……」


 首輪を握りしめてうつむく少女。

 魔女は真剣な表情で、彼女を後ろから抱きしめた。


「あなたは優しいのね」

「そんなこと、ないよ……」

「そうかしら。でもわたしはそう思うわ。自分がこんなに傷ついて、もうイヤだーって泣きわめくのに、次の瞬間にはみんなのことを心配できるんだもの。この世界には、あなたに関係ない人のほうが多いのに」

「それは、だって、」

「いいのよ。あなたが本当に逃げ出したいのなら。わたしがそれを助けてあげる。魔王なんて案外帝国あたりがあっさりやっつけちゃうかもしれないじゃない。砂漠の国には勇者なんて呼ばれてる人がほかにいるらしいわよ? あなたひとりが逃げたって、いいじゃない」

「……」


 魔女の甘い言葉が少女の脳にしみこむ。

 少女は、それに甘えて、おぼれてしまいそうで。

 手の中の首輪が、力なく、落ちそうで―――


 けれど、それでも彼女は、拳を握った。


「それは……ダメ、なんだ。ボクは、ボクは、勇者なんだから」

「やめてしまえばいいじゃない」

「そうしたらボクの心は死んでしまう。あなたが優しいと言ってくれるボクは、きっとその瞬間に死んでしまうんだ。……それはイヤだ」


 少女は決然たる意志で首輪をあてる。

 吸いつくように巻き付いたそれは、まるで元からそうあるべきだったかのように、彼女の首に収まった。


「苦しくて、辛いことばかりだけれど。どうしてボクがって、思うけど。でも、きっと選ばれたからには理由があるんだ。その理由がもしも、あなたの言う優しさなんだとしたら……それはたぶん、ボクが失っちゃいけない唯一のものなんだ。だったらボクは、勇者になる」

「……あなたって、びっくりするほどガンコ者なのね。苦労するわよ、これから」


 あきれて見せる魔女に、少女は笑って振り向いた。


「そのときはまた甘えさせてよ。なんだかね、あなたにこう、優しい言葉をささやかれると……あ、ここで踏ん張らないとなって思うんだよ」

「……それ、人を甘い言葉で陥れる魔女かなにかだと言っているようじゃないかしら」

「えぇ!? いやそうじゃなくて……あれえ?」


 首をかしげる少女に、魔女は笑う。


 そして少女は、勇者としての道を歩みだした。


 ◆


 大地を爆ぜさせて勇者が迫る。

 聖剣と魔剣が交差する。

 聖剣は魔王の脇腹をえぐり飛ばし、魔剣は勇者の黄金の鎧をわずかに欠けさせる。

 続けざまに振るう魔力の力場でも鎧はゆがむことさえなく、容赦のない一撃が魔王の耳を吹き飛ばした。


 それでも魔王は繰り返し、繰り返し勇者の黄金を打つ。

 ただ一点を、ひたすらに、ひたすらに狙いすまして。


 そして―――ついに、黄金が、砕ける。


 遥かかつてに邪神を打ち倒した英雄が着たとされる『神鉄の鎧』は、その胸の中央から全身にめぐったヒビによって打ち砕かれた。


 次の瞬間、聖剣が魔剣を弾き飛ばす。

 そして勇者は、がら空きになった心臓を刺し貫いた。


「あ、ぅ、」


 落ちてきた魔剣が、ふたりの間に突き立った。

 

 ◆


「ふぎゅう……」


 少女が『神鉄の鎧』につぶされている。

 前人未到の重責を背負うにはあまりにも小さな、髪の短い少女だ。


 ある日突然勇者に選ばれた彼女へと故郷の国から与えられた『神鉄の鎧』は、足の上に落としたら指がなくなるくらい重かった。

 兵士たちの手助けを借りて着てはみたものの、そうしているだけで圧死しそうなくらい重い。


「ずいぶんと情けない勇者様がいたものね」


 と、そこにかかる、どこか高慢な女の声。

 同時に少女は、鎧がとても軽くなっていることに気が付く。それでもふらつきながら立ち上がると、そこにはローブを着た女がいた。


「あなたは……不死の、魔女……」

「わたしをそんな風に呼ぶのは揶揄するときだけよ。ハーフエルフだからちょっと老けにくいだけ」

「あ、ご、ごめんなさい……えと、ボ、わたしはティア。あなたは?」

「エレニエーラ・エルド・ラスタロイエ・リ・アディス」

「え、あ、なんです?」

「べつになんでもいいわ。なんなら自己紹介もいらないくらいよ『勇者様』。あなたとよろしくやるつもりなんてないのだから」

「ご、ごめんなさい……」


 しょんぼりとした少女は、しかしすぐに気を取り直して。


「もしかしてこれって、あなたが?」


 がしゃがしゃと鎧を揺らす少女に魔女は冷めた視線を返す。


「わたしは身体を動かすのも重いものを持つもの嫌いなの。お荷物でも、せめて自分の足で動くくらいしてほしいものね」

「お、おにもつ……あっ。もしかしてえと……あなたがボ、わたしのおめつけやく、の、かた、なんでしょう、か?」

「べつに自分のことくらい好きに呼べばいいじゃない。どうでもいいわ」

「ご、ごめんなさい……」


 しょんぼり。

 魔女はどこからともなく椅子を取り出すと、足を組んで少女を見据えた。


「さあ、なにやってるのかしら。いつまでわたしに魔法を使わせるつもり? 自分で立って歩けるくらいには鍛えてもらうわよ」

「え、え、いやでも」


 ぱちんっ。

 魔女が指を鳴らすとたちまち少女は「ふぎゅ!」その場に倒れてしまった。

 あまりにも無様だったので魔女は失笑して、そんな彼女に少女は少し驚き、それからにへらと笑う。


「なににやにやしているのよ。……あなたそういう趣味なの?」

「違うよ!?」

「気持ち悪いわ……やっぱり断ったほうがよかったかしら……」

「だから違うってー!」


 少女の絶叫が響く。


 少女と魔女は、そうやってであったのだった。


 ◆


「―――……ぁ。ふふ。よう、やく、つかまえた、わ」


 ほんの一瞬の暗闇。

 けれど魔王はすぐに目を覚まし、両手で聖剣を包んだ。

 勇者が引き抜くよりも早く、その手に、魔力の力場が生じる。


 それはこれまでのどんな攻撃よりも強い魔力が、魔王の身体に残るすべてが注がれた、一撃だった。


「……帰ってきなさい、わたしのティア」


 聖剣が砕ける。

 そのとたん少女は瞬き、そしてぼうぜんと呟いた。


「えれ、な……?」


 ◆


「この先に聖剣があるんだ……」


 盾、冠、首輪、鎧……伝説に語られる装備を携えた少女が通路の奥をにらむ。

 最終決戦へと挑む決意を固めた、勇者としての風格をまとう少女だった。


「ずいぶん辛気臭い場所にあるのね。魔力も薄くて魔法もうまく使えないわ」


 そんな彼女の後ろで、言葉とは裏腹に周囲を見回す魔女。光源もないのに視界に困らない不思議な空間に興味があるらしい。


 そして彼女らの前後には国の兵士たちが並んでいて、勇者の傍らにはドレス姿の王女がいる。


「ここは代々王家によって管理されてきた神聖な神殿なのです。光の象徴たる聖剣があるため、外から光は持ち込んではいけないとされています」

「聖剣のくせに狭量なのね」

「国の至宝を侮辱するのはおやめください」


 王女に冷ややかな視線を向けられて魔女は肩をすくめる。


 各地にある伝説の装備を集めた少女と魔女は故郷に戻り、『聖剣』の封印されたこの神殿へと案内されていた。

 これから選ばれしものにのみ抜けるというその聖剣を得て、ついに魔王へ挑もうというのである。


 やがて一行は祭壇のある小さな部屋にたどりつく。

 祭壇には光をまとう抜き身の剣が突き刺さっていた。


 それが聖剣と、一目で分かるような迫力がある。

 だれもが目を奪われ、感嘆の息を吐く中で、ただひとり魔女だけが視線を鋭く聖剣をにらんでいた。


「これが……聖剣」

「はい。さあ、抜いてください、われらが勇者様。その剣を手にしたとき、あなたは真の勇者として生まれ変わるのです」


 にこやかに笑う王女。

 勇者はうなずき、祭壇にちかづく。


「……ちょっと待ちなさい」


 そして聖剣に触れようとしたとき、魔女が声を上げた。

 王女の、これ以上ないほど美しい笑みが彼女を見る。


「ねえ。生まれ変わるって、なにかしら」

「なに、とは? 聖剣の力を身に受け入れ、今よりもっと強い力を得るということですよ」

「ふぅん。それと今更なんだけれど、どうしてはじめからくれなかったの? あの子は初めから選ばれし者だったんでしょう。それなら最初からくれたっていいじゃない。そうしたほうが聖剣の扱い方にも慣れるわ。不思議な力があるんでしょう、聖剣には」

「はじめから強すぎる力を手にするのは勇者様のためになりませんもの。それに、聖剣の力は手にとればおのずと理解できて、まるで古くからともにあったかのように振るえるそうですよ」

「エレナ、いったいどうしたの?」


 異様な雰囲気のふたりに少女が声を上げる。

 魔女は険しい表情で振り向いた。


「あなたは気づかないの? この異様な魔力に、張り巡らされた魔法に。これが聖剣? こんなにも厳重な呪いと封印にさらされたものが?」

「とんでもありません。それは神の力による守護なのですよ。勇者様であれば認められ、簡単に手に取ることができるでしょう。さあ、はやく、勇者様」

「……」


 王女の言葉に、しかし少女は動かない。

 信頼を置く魔女の言葉よりも優先する理由がなかった。


 王女は深く、深くため息をはいて。

 そのとたん、周囲の兵士たちが一斉に魔女へと武器を向けた。


「なにしてるんだッ!」

「……なんのつもりかしら」


 睨みつける魔女には応えず、王女はにこやかに勇者を見上げる。


「聞こえませんでしたか? 勇者様。どうぞ、剣を」

「だめよ。ぜったいに、ッ!」

「エレナッ!」


 兵士の突き出した槍が魔女のわき腹をえぐる。

 血相を変えて飛び込もうとした少女だったが、魔女の首に添えられた刃に足を止めた。


「ご安心ください。我々は嘘をついてなどいません。あなたは勇者になるのです。我々の勇者に。さあ、さあ、さあ!」

「ふざけないで。あの子はあなたたちなんかのために勇者になるんじゃないわ。あの子自身がそう決めた、だから勇者になるのよ。こんなくだらない脅しに屈してあんな禍々しいものを取ったりしないわ。わたしのティアはそんな―――」


「ごめんね、エレナ」


「え」


 ぼうぜんと魔女が振り返る。

 困ったように笑う少女の手が、聖剣を握っている。


「ごめん。今のボクはもう、キミを失うなんて耐えられないんだ。もしこれを抜いたら世界が終ってしまうと言われたって……ボクは、たぶん迷わない」

「ティア、ティアッ!」


 少女が聖剣を抜く。

 

 そして少女は勇者になった。


 次の瞬間、兵士たちの突き出した槍が魔女を刺し貫く。

 串刺しにされながら伸ばした手は届かない。

 勇者はなにも言わず、ただそれを見下ろしていた。


「ご、め、なさ、……てぃ、あ、……―――」


 ◆


「エレナッ! エレナッ!」

「ふふ……お帰りなさい、ティア」


 すべてを失った少女の腕の中で、魔王はまさに死のうとしていた。


「ああ……長かったわ。ようやくあなたにまた会えた。ごめんなさい、辛い思いをさせて、こんなにも時間をかけてしまって……だけどもう終わりなの、終わったの」

「待ってよ、なんで、こんな、ボクはっ、」

「大丈夫よ。あなたは大丈夫。わたしも、世界も変わってしまったけれど、あなたは変わっていない。そういうものだから、あの聖剣というものは」

「意味が分からないよ、ボクはだって、こんなっ、エレナ、ああどうして、」


 聖剣は選ばれしものを勇者とする。

 手に取った瞬間から老いることなく、育つことなく、ただ人類の敵を撃滅するためだけの装置―――『勇者』へと。


 だから冒険だったのだ。

 伝説の装備を集めるという名目で、『勇者』としてふさわしい実力を得る必要があったから。

 彼女の力はすさまじく、当時の魔王は簡単にほろんだ。

 その後も彼女は『勇者』として戦った。


 いつか朽ち果てるそのときまで、終わることのないはずの戦いだった。


 しかしそれももう終わりだ。

 今代の魔王の手によって『勇者』は死んだ。

 この瞬間のために魔王となったのだ。


 勇者と魔王になってから、とても、とても長い時が経った。


「ねえティア。世界はとても変わったわ。争いが減ってね、帝国と王国だって、今はもうひとつの国なのよ。あなたの見たこともないようなものがたくさんあるの。きっとわたしは最後の魔王になる。勇者の物語はもうおしまい」

「わからないよ。わからないよ」

「帰れるのよ。ティア。あなたの望んだ平和に。もう戦わなくていいの。帰れるの、帰れるの」

「どこに? キミがそばにいないならそんなのいらない。ねえ、ねえ、ねえ! いるんだろう? キミは、キミはボクのそばに、約束したじゃないか、約束なんだろう!?」

「ふふ……もう。あなたは本当に情けなくて、ガンコで、とても優しいわね。そんなあなたが大好きよ。大好き、ティア。大好き。……だいすき、てぃあ、てぃ、あ……わ、たし、は…………ずっと、あなた、と……―――」

「エレナ、エレナ……えれ、な。……ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッッ!!!!!!!!」


 勇者の絶叫が響く。

 まき散らされた聖剣の破片の中に突き立った魔剣が、沈みゆく日差しを反射してきらりと光る。

 刀身をなぞる光のしずくは、まるで涙のようだった。


 ◆


「……なんか、すっごいやる気が起きないよ」


 旅装束に身を包んだ少女がぼやく。

 言葉通りなんともやる気のなさそうな表情をした、短い髪の少女だ。


「あら。それはいいことじゃない。あなたってばずっと働きづめだったんだし」


 同じく旅装束に身を包んだ魔女が笑う。

 艶やかな長い白髪を揺らす魔女だ。


 ふたりは街道をのんびりと自動車(魔力によって馬がいなくても走れる馬車)に揺れていた。


「なんか、なんだかさぁ……なんなんだろなぁ……めちゃくちゃ嬉しいんだけど、ちょっと釈然としない部分はあるよね」

「どうして? わたしと一緒にいられるんだからそれ以上のことはないでしょう?」

「いや、だって思い返せば結構時間あったでしょ? 絶対やろうと思えば説明できたし、っていうかわざわざあんな風に一回……いっかい……」


 思い出してしまったのかうるうると涙ぐむ少女。

 魔女はけらけらと笑った。


「やあねえ。このわたしが死ぬとわかっていて対処しないわけないじゃない」


 そう言って彼女はポンと腰の魔剣をたたく。


「分霊、だっけ。そんなことしてるなら先に言ってよ。本気でボク後を追おうと思ったよ?」

「ねー。びっくりしたわ。だってあのクソ剣の破片握りしめて泣きじゃくってるんだもの」

「ねーじゃなくない?」

「だってわたしもずいぶん頑張ったのよ? ちょっとくらいイタズラしたっていいじゃない」


 魔女の魔剣には魔女の魂の一部が込められていた。他にも保険として各地にそういった物品を残してある。

 死んだはずの彼女はそれによってよみがえったのだ。

 その代償として力をほとんど失ったが……それでもそのほとんどは魔王として人間を逸脱するための力だったので、今は少女と旅をしていたころの魔女とそう変わりない。


「でもまあもういらないでしょうし、故郷に帰るまでの道すがらにでも回収していきましょうか」

「……」

「あら、心配?」


 眉を寄せて難しそうな表情をする少女。

 なにせ彼女が『勇者』になどなったのはまさにその故郷の王族のせいなのだから。


「大丈夫よ。故郷って言ったって、今は王国じゃなくて共和国になっているくらいなんだし。なんならあの愚かな王女様は歴史書から名前をなくされてるわ。ご愁傷様ね」

「うん……なんだかまだ実感がわかないんだ。馬車は快適になったけどね」

「それもしかたないわ。いいじゃない、ついでに世界を観光すれば、ちょっとずつ慣れるわよ。なにせあなたが帰りたいって泣きわめいてた平和が、今はどこにでもあるんだから」

「そっか……そっかぁ」


 少女はぼんやりとつぶやいて、それから魔女を見つめる。


「ただいま、エレナ」

「ええ、おかえりなさい」


 ちゅっとほっぺに口づけてられた少女は真っ赤になって目を白黒させる。

 くすくす笑う魔女にあっけにとられて、それから頭を抱えた。


「むぐぅ……なんかすごい余裕……なんか悔しい」

「あなたの十倍以上生きてるもの。ま、でも時間は十分にあるわ」

「そう、だね。うん。せっかくだしのんびりしたいなぁ」


 少女はつぶやき、座席に体を預けて目を閉じた

 魔女はそれを横目に見て笑う。


 そうして少女と魔女の旅はまた始まった。





 その後少女は、なぜか自我を持ってしまった分霊たちと魔女に囲まれて四苦八苦することになるのだが……それはまた別の話である。

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