だからこの死に意味がある(3)
次にワタシが目覚めたのは保健室のベッドの上だった。
からんからんと金属音がして、振り向けばそこにはマリーがいた。足元には果物ナイフが落ちていたけれど、バスケットのリンゴには手を付けた様子がなかった。
「おはよマリー」
「お、はよ、う……ろーずぅ……!」
わんわんと泣く彼女のほかに人はいなかったから、ワタシは彼女をためらいなく抱きしめることができた。おかげで医師を呼ぶ前に別の病衣に着替える必要があった。
後で聞いた話だと、ワタシは撃たれてあごの半分を吹き飛ばされたようだった。
顔面の骨が半分ほど人工物に置換され、弾丸の突き抜けた右側の頬には口裂け女のような傷跡が残った。耳はどこかに行ってしまったので偽物が引っ付いていた。右目は奇跡的に傷ついた視神経を繋げたらしく、多少視力が悪くなったくらいだった。
保健室には優秀な整形外科医や眼科医がいて、異様なほどに優れた医療器材があるのだ。
見た目はどうでもよかったが、視力を失わないで済んだのは幸いだった。
「ただいま」
「おかえりなさい。よかったわ、無事で」
二週間やそこらでワタシは退院し、マリーと一緒に住む部屋に戻ってきた。鬼畜鬼畜と思っていた学園にも慈悲はあるらしく数日の休暇までもらってしまった。あるいは単に、これがきっかけで見限られ始めていたのかもしれない。
ワタシが目覚めてからかいがいしく世話を焼いてくれたマリーは、部屋にワタシがいるということに少し困惑している様子だった。けれどなんでもない一日を過ごしていればいつも通りの日常はすぐに戻ってきた。
ただそれは表面上のことで、マリーの心はあのときにまだ置き去りになったままだった。
「……」
「マリー?」
「私のせい、よね」
シャワーを浴びた後、ベッドのふちに座って話していたらふと会話が突然途切れて、彼女はワタシの傷跡をなぞるようにした。まだ完全に修復されていない傷に、触れるのを恐れているようだった。
「こんなのはワタシの失敗だ。マリーのせいじゃない」
「でもワタシがちゃんと……エレナを……」
「マリーはそれでいい。バディのワタシがやればいいだけなんだから。今度は油断しない」
「でも、でも私っ、私はっ、私は……!」
言葉を探そうとする彼女をワタシは抱きしめた。彼女の辛そうな顔を見ているとワタシまで辛くなってくる。
だから少しでも落ち着いてほしくて、ワタシは彼女の背をなでた。
「ワタシは大丈夫。マリーをひとりにしないって」
「ローズ……」
彼女はワタシの腕の中でまた泣いた。
ワタシはそれをただ受け止めた。
「……私、死のうと思ったの。あなたと。もう目覚めないんだと思ったら、居ても立っても居られなくて」
「うん」
「でも、でもね。分からないの。私は、私はあのとき本当に、本当にあなたのために死ねたの? あなたが本当に目覚めなかったとしても、もしかしたら、私は……」
マリーはそれを恐れているようだった。痛いくらいの力がそれを教えてくれる。
だけど、それならそれでいいと思った。
「それならワタシがマリーをひとりにしなければいい。ワタシがマリーより長生きだったらそれで解決。そうだろ」
ワタシたちはバディだ。
片方のできないことはもう片方がやればいい。
ともに暮らし、ともに生き、ともに殺す自らの片割れとなる者―――それがバディなのだから。
欠けて、割れて、足りないのなんて当たり前。ふたつが合わさって、ようやくひとつになる。
そんな思いは彼女に伝わってくれたのだと思う。マリーは「なによ、それ。子供みたい」なんて笑って。
そしてマリーは、ワタシをベッドに引き倒した。
体格が同じころにはどうしても接近戦で勝ち越せなかった彼女は、ワタシが反射的に抵抗する隙さえ与えることなく唇を重ねる。
「……まりぃ?」
「ねえ。約束よ。ぜったいに、私を置いていかないで」
「もちろん」
「言葉じゃ足りない。ちゃんと信じさせて。心の底から、身体の奥から、全身で」
「マリーがそれを望むのなら」
ワタシは、マリーがエレナから情報を聞き出した方法を悟った。
そしてマリーはそれ以降、突如として不安に耐えきれなくなることがあって、そういうときには必ずワタシを求めるようになった。
6
うっすらと、学園からの期待が薄まっているのは感じていた。期待というよりは、単純に評価が落ちているのだ。
それはより程度の低く、危険な仕事が増えていることからなんとなく感じられた。
なまじそういう仕事でも完璧にこなしてしまうせいで、爆弾処理要員とでも扱われている可能性もあったが。
どちらにせよ、ワタシたちはスーパールーキーと呼ばれるには長生きしすぎていた。同期生はほとんどが死んでいたし、生き残っていたものはいつの間にか教官側に回っていたりして、なにかと上手くやっていた。
ワタシたちは二十歳を超え、それからもうひとつふたつと年を取っていたが、実践の場を退くことは考えたことがなかった。もしかするとマリーはあったのかもしれないけれど、ワタシにはこうする以外の生き方は思いつかなかった。
ある日のことだ。
学園からの離反者、それも元教官だというエリートを殺す仕事があった。見覚えがあるようなないようなおぼろげな老兵の死体を見下ろして、マリーは呟いた。
「私たちは、いつまでこんなことをしているのかしら」
「死ぬまでだろ。たぶん」
「きっとこの人はそれが嫌で逃げだしたのよ」
「だから死んだな」
「ええそうね。そのとおりね」
マリーはワタシを見つめていた。
「きっとこの人は、それが分かっていても逃げ出したかったのね」
その日からマリーの不安発作はなくなった。
とはいえそれは驚くべきことではなかった。彼女のそれは少しずつ頻度が減っていたから。それでも、彼女がワタシを求めることに変わりはなかった。
そして彼女はより熱心に仕事に励んだ。
ワタシも彼女と一緒により熱心に殺した。
やがてワタシたちがもうひとつ年を取るころ、彼女は私に告げた。
「逃げ出しましょう、ふたりで。こんな危険な仕事はやめて、毎日を休日にするの」
「いいよ」
「いいの……?」
即答するワタシを彼女は意外と思っているようだった。あるいは即座に制圧されるとでも思っていたのかもしれない。
けれど、ワタシは迷いなくうなずいた。
「マリーが決めたことなら、ワタシは従おう」
「……ありがとう」
彼女はワタシを一度抱きしめて、脱走計画を教えてくれた。
それは任務の最中に逃げ出すというまったくシンプルなものだった。どうやら彼女は仕事の際、潜入の裏でいくつかの組織に話を回していたらしい。そのなかでももっとも規模の大きな組織が今回の標的になったから、ワタシたちにとってはチャンスだった。
学園は裏社会では名のある組織だ。
ワタシたちの身柄の安全と、学園の情報は天秤にかける意味もないほどだったという。
その
「後輩たちを売るような真似はしたくなかったけれど……仕方がないわ」
ワタシの知らないところで彼女はずいぶんと頑張ってくれていたらしい。きっと、あの老兵のように死んでしまわないように。
果たして作戦決行の日はやってきた。
不安はなかった。マリーが考えて、計画し、準備をしたのだからそれを疑う理由はなかった。
作戦はうまくいって、合流場所にあともう少しでたどり着くはずだった。
そこを学園に襲撃された。
ワタシたちを保護するはずだった彼らはもちろん応戦し、激しい銃撃戦になった。間に挟まれたワタシたちは最も危険だ。迷わず一時退避を選んだ。
「ぁぐっ……!」
「マリーッ!」
だけどそのときマリーが被弾した。
腹部。貫通はせず弾丸は体内に残っている。出血がとめどない。
それはまごうことなく致命傷だった。
それなのに彼女は笑った。
「ああ、うふふ。やっぱり天罰ってあるのね。もう少しだったのに……」
「マリーしっかりして! すぐ助けてやる、追っ手を全員殺して、それで、それで!」
「違うの。違うのよローズ。ワタシたちは任務を果たしたの。もう殺す必要はないのよ」
「どういうことだ……?」
そしてローズは語った。
脱走劇という茶番のことを。
「取引を、したのよ」
彼女は初めから学園にあだなす組織を学園に売り渡すことこそが目的だったのだ。
その手土産によってワタシたちは一線を引いて裏方に回ることができる。そういう取引をしたのだ、彼女は。
「ここにはね、あいつらの幹部がいるの。ひとりだけだけれど、学園が喉から手が出るほどほしかった獲物がね」
マリーが自分たちの身柄の安全を保障するためという名目で呼びつけたのだ。すぐそこに、しょせんひとつとはいえ頭があれば、自分たちは信用されていると信用できる。そういう詭弁だった。
さらに脱走計画を企てているという体で得たほかの組織の情報ももちろん学園に伝えられている。今頃は一斉に粛清されているだろう。
「だからもう終わりなの。これでいいの……ああけれど、けれど、最後の最後に、私は本当にダメね。あなたの足を引っ張ってばかり」
「そんなことない、ワタシはマリーがいたから戦ってこれたんだ。マリーのために今生きてる。マリー、マリー、大丈夫だ、それなら学園の保健室に行こう。大丈夫、腕の良さはワタシもよく知ってる」
安心させようと必死になるワタシに彼女は柔らかく微笑んで、すっかり肌になじんだ傷をそっと撫でた。
「ねえローズ。約束なんて、忘れてしまっていいの。私が死んでも、あなたは生きるの。私の分まで生きて? そのほうがきっと幸せだから」
「マリー、マリー、ああ、マリー……死んでしまうのか、ほんとうに、どうしようもないのか……」
「ええ。そうよ。わかるでしょう? あなたにも」
「……そうだな」
マリーは死ぬだろう。
手遅れだ。もはや焦点さえワタシにあっていなかった。このどうしようもなく美しい女は、ワタシの腕の中で死ぬ。
ワタシはだから迷いなくナイフを引き抜いた。
マリーの顔色が変わる。
「待って、待って、お願いよ! ローズ!」
「安心して、マリー」
力のない腕がすがりつく。
ワタシを止める力はない。
1
「どうか死なないで、生きて、生きて!」
そう懇願する彼女の目の前でワタシは迷うことなく喉を切り開いた。鮮血色の幕が下りてワタシの命はそこで終わる。
最期に感じたものは彼女の熱と涙の震え。
間違いなく、ワタシは笑って死んでいた。
とても長い走馬灯を見ていたような気がする。
彼女との思い出が、まぶたの裏で、閉じるその隙間から飛び込んできた彼女の涙のきらめきによって像を成したような、儚く、まぶしく、そしてどこまでも美しい夢だった。
ああワタシは死ねるのだ。
意味を持って死ねるのだ。
死にも殺しにも意味はないと悟った瞬間に一度死に、そして彼女と出会いよみがえったワタシは、ついに、ついに意味のある死を迎えた。
彼女はやっぱり土壇場で意気地なしだったけれど、ワタシはバディとしてやりとげた。
これでワタシは死後の世界で、それとも生まれ変わった来世で、あるいはなにもない無の場所で、彼女をまた抱きしめてあげられる。
恐れ、怯え、震えて泣きじゃくる彼女を抱きしめ、ひとりじゃないのだとそうささやいてやれる。
それこそがワタシの求めていた意味だ。
犬の餌になった名もなき少女とも、ぼろくずになったテディベアとも、マリーを想い煩っていたエレナとも、逃げおおせられなかった教官とも違う。
ワタシは死ぬことによって得るのだ。
ワタシの死には意味がある。
はじめてこの死を思い描いたその瞬間からワタシは焦がれていた。
あなたのために死にたかった。
死ぬことがあなたのためでありたかった。
それ以上の幸福など、ああマリー、そんなものがあるはずもないんだよ。
そうしてワタシは彼女と死んだ。
だからこの死に意味がある。
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