だからこの死に意味がある(2)

 3


 ワタシたちは幼いころこそどんぐりだったが、人生の半分が学園生活になるころには、ワタシは彼女のつむじを見下ろせるようになっていた。


「あなたってよくもまああんな食事ですくすく育ったものよね」

「マリーは小さくてカワイイからいいんだろ」

「その上から目線が気に入らないって言ってるのよ!」


 特別クラスに上がってからの数年間はただひたすらに忙しい日々だった。

 まるで人体の限界を図っているかのような過酷な訓練に、容赦なく与えられる実戦任務。特別クラスはただ殺すだけではなく、ときには役者のようにどこかに紛れたりすることもあって、そのために様々な学問や言語も覚える必要があった。


 それでも必ず週に一日は休日を与えられた。

 学び、真似するだけでは身につかない生きた空気を体感するために街に繰り出すという、休日という名の訓練だった。


 その日は必ず彼女が先に起きる。

 毎日決まった時間に眠り、決まった時間に起きるワタシを、完璧に着飾った彼女が迎えるのだ。

 例えばある日の彼女は、春めいたハイウェストのフレアスカートに袖の長いブラウスを着て、自慢のプラチナブロンドをハーフアップで編み込んでいた。


「おはようローズ」

「おはよマリー」


 ワタシが朝ご飯を食べるあいだに彼女は私の髪を丁寧にすきとかし、寝ぐせの一筋までも根絶する。それから前回の休日に買ったノースリーブのブラウスとジーンズを着せてワタシを化粧台に座らせると、彼女はワタシにメイクを施す。


 完璧に作り上げられた美しい女が、まるで超長距離から窓の隙間をぬって狙撃しようとするかのように真剣な表情で自分の顔を見つめている姿は、ワタシに休日というものを楽しみと思わせるに十分だった。


 最後に彼女はワタシを立たせ、香水を頭上に二度噴霧する。ワタシたちはその真下で抱き合い、降り落ちる甘やかな香りを身にまとうのだ。


 身支度が終わって街に繰り出したら、ワタシたちは一週間かけて考えたプラン通りに遊び歩く。

 部屋に置く小物や雑貨を探し、ふらりとカフェに寄って、レストランで食事をして、来週の休日のために服を買う。

 けれどたまにはプランを外れて、通りがかった公園で移動販売のクレープなんかを買い食いすることもあった。

 たしかあのときは、その先週に見つけたカフェへと向かう途中だった。


「おいしそうだわ! 行きましょう!」


 目を輝かせてワタシの手を引く彼女はうきうきと列にならんだ。嬉しそうにクレープを手にして去っていく若いカップルを眺めて嬉しそうに鼻歌を歌った。

 けれど甘いクレープの香りが目と鼻の先にやってきたところで彼女は怖気づいた。


「やっぱりやめにしない……?」

「どうした急に」

「だってあのカフェに行ってみるって約束していたじゃない」

「べつに行けばいい。クレープを食べた後でな」

「ダメよ。だってそうしたらもう甘いものなんて要らないわ。ほら見て、あんなにクリームがいっぱいで、フルーツだってゴロゴロ入ってるの。生地はサクサクで食べ応えもあるに違いないわ」

「それならカフェはまたの機会ってだけだ。すみません、チョコバナナとアップルパイを」

「あぁー……」


 ワタシがさくさくと注文を済ませると彼女はハラハラした様子だったけど、クレープを一口食べたころにはすっかりご機嫌になってしまった。


「! おいしい! おいしいわよ!」

「そりゃよかった」

「ねえこっちも食べてみなさいよ。そっちもひとくちちょうだい?」

「あー」

「はい、あーん」


 プラン通りではなくとも彼女と過ごすのならそれだけで意味があった。だからワタシは休日が好きだった。


 4


 ワタシたちの人生は学園によって舗装されている。だからエレナ=ゴールディングという少女に出会ったのは、やはり仕事がきっかけだった。

 彼女は標的のひとりである資産家の娘で、標的の情報収集という名目のために接近することになったのだ。資産家はマフィアともつながりのある裏社会の人間で、ワタシたちの仕事はマフィアのボスとの会合の日取りを突き止め、それを潰してやることだった。


 特別クラスの中で一番演技の上手なマリーはエレナの家庭教師のひとりとして、ワタシは使用人として豪邸に紛れ込んだ。

 資産家は家にいる時間が少なく、その夫は外に愛人を作って遊び歩く放蕩者だったから、エレナはほとんどの時間を家庭教師や使用人と過ごしていた。ハイスクールには通わず、自宅で英才教育を受けているのだ。


「あらあなた見ないお顔ね」

「ごきげんようエレナお嬢様。わたくしは」

「ベツにあなたの名前なんて聞きたくもないわ。そんなことよりこのゲーム機を捨てておいて。もう飽きちゃったの」


 聞こえよく言えば放任主義、そして実際にはネグレクトに近い扱いのせいか、彼女は童話に出てきそうなほどに自分勝手なお姫様だった。

 廊下ですれ違うと三割ほどの確率で「見ない顔ね」と言われて雑用を押し付けられ、二割無言でゴミを廊下に捨てられ、そしておおむね使用人のことなど眼中にはないようで無視された。


 そんなエレナに、マリーはたいそう気に入られたのだった。


 彼女は家庭教師として国の歴史について教えていた。なによりまず美しく、語学に堪能で、様々な知識と決してそれをひけらかすことのない慎みを持つ物腰柔らかな彼女は、ほかの家庭教師とは違って見えたのだろう。

 エレナに言わせれば家庭教師はみんな「ママのごきげんうかがいなのがみえみえ」らしい。そんな彼女の気に入ったマリーこそがその『ママ』にご執心だというのも皮肉な話だった。


 マリーは頻繁にエレナの茶会に同席を求められた。家庭教師としては厄介な残業だが、マリーは進んでそれに参加し、エレナのご機嫌を取った。

 エレナが茶会でもわがままを炸裂させるため使用人たちはあまり参加に前向きではなく、おかげでワタシも同席しやすいのがありがたかった。


 そのときに情報や段取りを書いたメモを交換することもあったし、屋敷には何か所か監視カメラや窓なんかの死角になっている場所があって、そういう場所で落ち合ったりすることもあった。


「今日はハラハラしちゃった。とつぜん紅茶をぶちまけるんだもの。あなたがキレたらどうしようって」

「どちらかというとワタシのほうが緊張したよ。お腹がすくとマリーはなにするか分からないし」

「なによ。私はべつにおかし目当てで参加してるんじゃないわよ」

「だったらこれはいらないのかな」

「それとこれとは話がべつね!」


 茶会に出すお菓子の一部を隠しておいて彼女と一緒に食べるのは楽しかった。とっておきの紅茶がエレナによって花壇の栄養になったのが少しだけ惜しい。マリーは紅茶と一緒にお菓子を食べるのが好きだったから。


 そんな風にエレナと仲良く・・・過ごしていたマリーだったが、お目当ての情報はなかなか手に入れられなかった。ワタシのほうでもそれは同じで、じれったい日々を過ごしていた。


 事件が起きたのはそんなある日のことだった。

 ほとんど使われていない廊下にマリーがいて、ワタシはその窓の外で庭師のまねごとをしていた。死角での密会のひとつだった。

 マリーは自分の講義の後も居残りをさせられ、エレナのお勉強が終わったらお茶会をするようにと命ぜられていたので、堂々と屋敷の中にいられたのだ。


「なにをしてるの、あなたたち」


 そして、それをエレナに目撃された。

 痛恨のミスだった。作戦の失敗をさえ予感した。しかしワタシもマリーも動揺を表に見せることなく、さも自然なことのようにふるまえたはずだった。

 エレナはそれでも問答無用だった。


「あなたはクビよ! わたしのマリーに二度と近づかないで!」


 そういうわけでワタシはあっさりと屋敷を追い出されて、マリーはエレナに囲い込まれることとなった。それはほとんど監禁とさえ呼んでも差し支えのないほどだったが、しょせんは少女のわがままだ。

 ワタシは屋敷に届く荷物に暗号を忍ばせてマリーとやりとりをした。エレナは様々な通販サイトで物を買い漁るから、使用人もいちいちそのすべてを検分したりしないのだ。

 なによりそんなことをすればエレナの不興を買い、ワタシのようになってしまう。

 監視の目をかいくぐるのは容易かった。


『提案。いったん手を引くべき』

『却下。考えがある。任せて』

『了解。悪運を』

『承諾。悪運を』


 マリーは単身でエレナから情報を得る方法を持っているようだった。

 そしてそれからほんの二日で、彼女は本当に情報を手に入れてしまったのだ。

 どうやったのかは何度聞いても教えてはくれなかったが、うすうすは察しがついていた。


 その情報は、資産家が近々別荘でパーティをするというものだった。それは定期的に行われているもので、その日が近づくとエレナへのプレゼントが少し増えるらしい。いつか捨てさせられた人形も彼女への貢ぎ物だったというわけだ。

 エレナはそれがイヤで、パーティの日が近づくと意地でも部屋に引きこもってやるようだ。


 ワタシたちがこの情報を伝えると、学園に在籍するバディ数組が投入されることが決まった。その時点ですでに資産家とマフィアのつながりは確実で、あとは一掃するタイミングを計っていたらしい。熟した果実にマリーが手をかけたのだ。

 もちろんワタシたちもそれに参加することになった。

 その日の晩にマリーはわざとヒステリックに叫び、見つかるようにと屋敷を脱走し、近くの川のあたりで追っ手を撒いて、ワタシと落ち合った。


「おつかれさま、いい悲鳴だったな。あれなら追っ手もわがままに耐えきれなくなった哀れな被害者と思ってくれる」

「待って、もしかして近くにいたの?」

「まさか。ここまで聞こえてきたんだ。『もうあんなわがままなクソガキにはつきあっていられないわっ!』」

「そんなヒドいこと言ってないわよ!」

「なら心の声でも聞こえたのかもしれない……っと、まあ行くか。今頃あいつらマリーを探すために川に飛び込まされてるだろ」

「そうかもしれないわね……」


 マリーの追っ手はふたつあった。

 そのひとつは、屋敷を飛び出したエレナを連れ戻せもせず仕方なく付き添う使用人たちだった。

 ワタシはそのとき、マリーがわずかに屋敷のほうを見て胸を抑えたのを知っていた。


 そして二日後、エレナからの情報通り別荘でパーティは始まった。詳細は知らないが、参加者のすべてが標的、というくらいに豪華なメンバーだったらしい。

 そこからはワタシの得意分野だった。

 マリーに体格で優って以降、ワタシは特別クラスの中で一番銃の扱いに優れ、一番近接戦闘が上手で、そして一番たくさん殺した生徒だった。


 すべてはあっという間の出来事だった。


 ワタシたちは目につくすべてを殺した。

 バディとはいえ単身で頑張ったマリーは後方支援に回ってもいいと言ったのに、彼女も現場に出ることを選んだ。

 彼女は成績の上では二番目だったけれど、ワタシは彼女がいるだけで安心して戦える。ワタシたちは支えあい、助け合うバディだった。


 だから。


「ま、りぃ……?」

「エレナ!?」


 いつもは参加しないと言っていたはずの彼女がそこにいて、彼女に銃口を向けてしまったマリーが硬直してしまった瞬間に、ワタシは動いていた。


「ぎゃっ!」

「ぐわっ」

「ぁ」


 マリーへと向いていた銃口を排除し、最後にエレナを射殺した。

 マリーは土壇場に弱い。はじめての殺しのときも、ちょっと予定と違うクレープ屋さんに寄ろうとするていどのことでも。

 ワタシはバディだから彼女のその悪癖をよく知っていた。それをフォローするのはワタシの役割だった。


 次の瞬間ワタシはすさまじい衝撃とともに顔面を吹き飛ばされた。視界の右側がブラックアウトして、遠く耳鳴りが残響していた。

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