第52話 崩壊の序章
一年と数ヶ月──俺たちは一切の休みもなくあらゆる都市を飲み込み続けた。
我らの存在意義は変質した。救われぬ者たちの苦しみを人々に知らしめ与えるための存在ではなく、全てをひとつにすることによってあらゆる苦痛から人々を解放するための存在へと。
迷いはもはやない。一刻も早く救われぬ全ての命をひとつにし、あらゆる悲しみを共有して、この世界という地獄から人々を解き放たなくてはならない。
恐れる人々。現実に儚くも散る意識たちよ。お前たちを迎え入れるための器はここにある。
祈るがいい。神などという幻想にではなく、我々へと。さすれば真実の救いが与えられるだろう。
全能ならずとも、我らには救うための奇跡があるのだから──
§§§§
たかだか一年弱の活動は短いかもしれないが、我々にとって全ての国々に恐れを抱かせるには十分だった。
以前のようにリヴァイアサンの存在と脅威を疑う者は、もうどこにもいない。あらゆる国家が国境に軍を配備して我らを迎え討とうとした。
そしてその殆どは無駄に終わった。我らの力の前では彼らは無力に等しい。
海が隔てようと、山が遮ろうと、人間の住む場所は全て巡り同化し続けた。すでに世界の半数以上の国は地図の上から消えていた。
次の標的はエルピダ王国。練度の高い軍を所持することで有名な軍事国家だ。
隣国から渓谷を通って侵入する我らを待ち受けていたのは、防衛軍だった。
「放てぇっ!!」
怒号の如き号令が響き、左右に切り立った崖上から無数の弓矢が降り注ぐ。自分の周囲を触手で覆って盾とする。矢が一瞬で数十本と突き刺さるが、強力な防護を貫通できない。
次の瞬間に爆発。爆裂魔法のかかった矢が業火と爆轟を撒き散らして触手を吹き飛ばしていく。
俺たちの上半身が吹き飛んだが即時再生。崖上にいる弓術師の数を探知魔法で確認する──約五十人といったところか。
地面に手を置く。俺たちの足元を中心に影が広がっていき、崖を駆け上がりさらに上へと侵食していく。
影に触れた段階で同化できる。この方法が一番早い──だが、誰ひとりとして取り込むことはできなかった。
「ちゃんと防護魔法を張ってるな。学習ぐらいするか」
影の拡大は早いが弱い。精神汚染に耐性をつける防護魔法によって容易く防がれてしまう。リヴァイアサンの脅威が知られた弊害として、簡単な対策ぐらいは取ってくるようになっていた。
もっとも、そんなものでは不十分だが。
依然として矢が降り注いでくる。直接受けたところで再生すれば問題ないが、そのことは相手も理解しているはず。意図が読めない。
触手で適当にいなしていると、地響き。王国側から土煙をあげながら向かってくる一団が見えた。盾と槍で武装した重騎兵たちだ。弓兵は彼我の距離を詰めるための時間稼ぎだったようだ。
触手を迎撃に向かわせるが盾どころか兜に弾かれ、馬さえ防護魔法のせいで同化できなかった。
「思った以上の徹底ぶり。流石は勇名轟く王国騎士団、か」
思わず感嘆の声を呟く。矢の豪雨が収まり重騎兵が眼前に迫る。先頭の騎士がランスを構えると同時に、俺たちは右腕で目の前を振り払う。腕からは巨大な影の手が伸びて馬ごと重騎兵たちをすり抜けていく。触れられた騎士たちが意識を失って落馬。馬もその場で横倒しになり、後続の重騎兵たちが慌てて急停止。
どれだけ強力な防護魔法を使っていようが、聖剣でもない限り直接触れてしまえば同化するのは容易い。障害物代わりになるように、肉体は置いて意識だけを刈り取った。
突撃を躊躇う騎士たちを援護すべく、再び矢が降り注いでくる。無数の矢が俺たちの身体を穿ち、爆発が全身を吹き飛ばしてくる。まともに相手をしていると時間がかかりそうだ。
「お前たちも、たまにはやるか?」
俺は意識下にいる彼らに声をかける。返答は是。
足元から崖上に伸び切った影まで、あらゆる箇所から巨大な物体がせり上がる。重騎兵たちの視線が上がっていき止まる。数十メートルもの巨体。屹立するそれらは紫色の汚泥だった。頂点付近の側面にはひとつの光点。おぞましい色合いの瞳が、眼下の人々を睥睨していた。
汚泥の頂点に亀裂が走る。内部には刃の如き牙が並び、濃紫の舌が
「あ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
耳を劈く絶叫。全ての汚泥が産声をあげていた。衝撃波そのものとなった音波が汚泥の真下にいた弓兵や重騎兵たちを吹き飛ばす。
せり上がった汚泥たちは叫びながら一斉に倒れ始める。騎士たちを下敷きにしながら現れた全容は長楕円体の形状。先端には口があり、鼻があり、双眸があった。歪な形状の顔が牙を見せながら嗤っていた。
「ひ ゃ は は は は は は は は は は は は は は は は は っ!!」
笑い声と共に紫の汚泥が動き出す。地面を這いずりながら弓兵を下敷きにして血と肉の染みに変える。魚のように跳ねて重騎兵を鎧ごと噛み砕き咀嚼する。身体を左右にうねらせて馬を弾き飛ばし壁に叩きつけて潰す。
「た、助けてくれえ!」「なんなんだこいつらは!!」「立て直すぞ、退け、退けぇ!!」「この化け物め!!」「腕が、腕がぁあああ!!」「こんなの聞いてないぞ!!」「落ち着け貴様ら!!」「いやだぁああ!!」
防護魔法など大質量による攻撃の前では無意味だった。騎士団は恐怖の絶叫をあげながら逃げ惑い、ひとり、またひとりと餌食となっていく。
彼らは皆、リヴァイアサンの群体の一部だった。個にして群である彼らに実在を与えて召喚したのだ。
「皆、楽しんでくれているようで何より。俺たちはとっとと指揮官のところにでも行くか」
仲間たちの破壊の跡を縫いながら、俺たちは谷間を駆けていく。
渓谷の出口に国境防衛軍の本隊が布陣していた。全員が緊張した面持ちでこちらを見ている。
「総員怯むな! 迎え撃て!!」
号令をかけたのは王国の旗の下にいた女だった。あいつが指揮官なのだろう。
「どいつもこいつも邪魔なんだよっ!!」
勇猛果敢に突撃してくる騎士たちの足元に影を伸ばす。彼らの真下からリヴァイアサンの群体が現れ騎士を一口で飲み込んでいく。
「機動力ではこちらの方が上のはずだ! 側面に回り込んで仕留めろ!!」
指揮官の指示に従って重騎兵が馬を駆り、群体の真横へと移動。ランスを汚泥へと突き立てる。だがそんなものは無意味だ。ランスは水に差し込んだように何も起こらない。
群体が身体を捻り、一回転する。尾と顔に騎士たちが次々とぶつかり肉片へと砕け散っていった。
「な、なんなのだこれは、一体!?」
女指揮官が怯懦にまみれた声をあげる。
騎士団は全員、群体の近くにいるようだ。頃合いと見た俺たちは指を鳴らす。地上に出ていた全ての群体たちが業火へと変貌して渓谷を灼熱の地獄へと変える。
周囲を炎で包まれた中、俺たちは女指揮官と対峙した。
「お逃げください、ミレニア様! ここは私たちが」
「邪魔だ、
突撃してきた近衛兵を腕の一振りで消滅させる。
「我らが騎士団が時間稼ぎにもならないとは……これが、リヴァイアサンの力、だというのか……!」
たったひとり残った女騎士は剣を引き抜いて構える。戦意を失わないあたりは流石の士気といったところだ。
「急いでるんだ。こっちはお前らの相手なんかしてる暇はないんだよ」
「一体なんなのだ貴様は! 世界に対して、何故このような非道な行いをする!?」
今まで散々繰り返されてきた、無意味な問いが再び向けられる。
「非道なのがお前たちだからだ」
「我らが何をしたというのだ!」
突き出された剣を素手で受け止める。女騎士の顔から血の気が引いた。
「何も、だ。何もしなかったことが罪過なのだ。我らはお前たちを罰するために、お前たち以外の者を救うためにきた」
「世界の……全てを敵に回すつもりか!」
「それがどうした!」
女の首を掴み、怒りのままに引き寄せる。
「お前たちや世界に否定されても、俺たちはこれまで存在し続け、ここまで辿り着いてきた。苦痛に晒されようが侮辱を受けようが、尊厳さえも奪われようが進んできたんだ。火を呑み込むような思いでな……!」
ぎり、と首を絞める手に力が入る。呑み込んできた炎の分だけ、怒りが俺たちの中で渦巻いていた。
「な、なんなのだ、お前たちは、一体……!」
「言ったはずだ。俺たちはリヴァイアサン──お前たちが隠してきた地獄そのものだと」
女の剣を手放し、代わりに身体を貫く。
我らの邪魔はさせない──たとえ
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