第36話 天使降、臨?
「……ん?」
「あ」
俺たちは初めて、我が目を疑うということをした。
そこにいたのは、純白の翼のある女だった。
天使。そう呼ぶしかない存在が目の前にいた。俺たちがいるのは藤原悠司から見たところの異世界だったが、天使という種族は存在していない。
何より驚きだったのは──。
「おや。見つかってしまいました」
その天使が、いつもいるシスターだったことだ。
彼女は驚くでも慌てるでもなく、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。こっちは馬鹿みたいに口を開けてるっていうのに。
「ふふ。素敵な間抜け面をしていますね。写真に撮って飾りたいぐらいです」
「………………そりゃあ、驚くだろう」
「まあそれも仕方のないことでしょうね。天使なんて聖なる存在、輝かしいまでの信仰心と愛を持つ私ぐらいしかいませんから」
目がくらむほどの傲慢と不遜の間違いじゃないか、と思ったが怒りそうなので言わないでおいた。
驚いてるこっちを尻目にシスターは「んー」と伸びをする。それに合わせて大きな翼が開かれてはらはらと羽根が舞い落ちる。純白の羽根からは微量ながら魔力が感じられた。
羽根にさえ魔力がある、というのは驚くべきことだった。普通、人間の髪の毛や皮膚片が落ちていたとしても魔力などない。シスターはそれだけ膨大な魔力の持ち主だということだ。なら、身体を傷つけてしまうのも少し納得がいく。
「さて。正体がバレてしまっては致し方ありません」
「なんだよ。今更、俺たちに何かしようっていうのか?」
首を傾げてやる。もちろんこいつにそんな気がないのは分かりきっていたが。
すっ、と彼女が取り出したのはやや大きめのヘアーブラシだった。
「これで翼の手入れをしてください」
「……またそういうのか」
がっくりと肩を落とす。また労働かよ。天使の力を使って何か面白いことをしてくるかも、とちょっと期待した気分を返してほしい。
ブラシを手渡された俺たちはシスターの背後に回り、適当に翼にかける。
「違います」
「どうかけるんだ、これ」
「貸してください。こんな感じです」
一旦、ブラシをシスターに戻す。大きく広げられていた翼が折り曲がって、翼の真ん中らへんがシスターの手前に寄せられ、シスターが翼の上部にブラシを入れて外側に向けるようにかけていく。すると、羽毛がぽろぽろと翼から落ちていく。
ブラシを取って軽く振り、挟まった羽毛を落とす。今度は羽根の部分にブラシが入り、上から下へと動く。抜けかけていたのか、何本かの羽根が床に落ちていった。
「根本のあたりをお願いします。手が届かないので」
実演が終わってシスターは後ろにいる俺たちに改めてブラシを渡してきた。とりあえず見たままやってみることにした。
「違います。もうちょっと力を入れて」
「こうか」
「違います。もう少し角度をつけて」
「……こうか?」
「下手くそ」
「翼をどうブラッシングしたらいいかなんて分かるわけないだろ!」
そんな知識も経験もいくら俺たちだって持っていない。下手くそ呼ばわりは理不尽にもほどがある。
理不尽さを棚にあげて天使様はため息をついてあそばされた。
「はぁ。使えない居候ですね」
「居候じゃなくて働いてるだろうが」
「説明がめんどくさいので、あれをしてください」
「なんだ、あれって」
「ほら、あれです。人の頭の中に手を突っ込むあれです。そうすれば感覚が共有できるのでしょう?」
まためちゃくちゃなことを言い出す天使様。確かに半同化すれば説明は不要になるが。
「お前、それは俺たちに文字通り心臓を鷲掴みにされるのと同じ、いや、もっと恐ろしい状態だってちゃんと分かってるのか? 俺たちがその気になればお前の精神をばらばらにすることだって」
「どうせしないことをぐだぐだと言わないでください。根本がむず痒いので早く」
こっちの心配と忠告を完全に無視するどころか催促までしてきた。
こいつの精神はどうなってるんだ。ちょっとは怖がれよ、とか、蒼麻が聞いたら青ざめそうだ、とか呆れた感想しか思いつかない。
しかも半同化する理由が、根本が痒いのを説明するのが面倒だからって……こいつ、マジでなんなんだ。
今まで街を滅ぼすために使っていた力を、まさか痒いところを調べるために使うはめになるなんて。
呆れ返ってる俺たちがいつまでもやらないのに怒ったのか、翼がばさっと一度大きく広げられた。威嚇か?
「分かった分かった。やればいいんだろ」
シスターの頭に手を突っ込んで感覚を共有させ、それから翼の上部にブラシを入れていく。どう入れれば気持ちいいのかがすぐに分かるようになり、そのとおりに動かしていった。
「そうそう、そうです。上手ですよ」
「そりゃどうも」
同じ要領で羽根にもブラシを入れる。といってもこっちは羽毛部分とは違い、抜けかけの羽根を落としたり、ちょっと痒いところをかく程度の感じでいいみたいだ。
しかし翼があるってこんな感覚なのか。リヴァイアサンとしての力をこんな風に使う予定も発想もなかったので、ちょっとばかし面白い経験だ。
結局、本人が満足いくまでブラッシングをしてやった。
ブラシを振って羽毛を床に落としていると、シスターが箒とちり取りを持ってくる。
「羽毛と羽根を集めてください。どちらも捨てないように」
まさか、と俺たちは思った。
「……なんかに使うのか?」
「ええ、もちろん。大切な資源ですから」
予感は的中。もう呆れるのにも飽きてきた。まあでも、元の世界でだって床屋は客の髪を集めてカツラの材料にしてたらしいし、普通、か……ほんとか?
「で、何に使うんだ」
「羽毛は布団に詰めます。羽根は本物の天使のものだと言って信者に売りつけます」
「マジかよ」
薄々そんな予感はしてたが、やっぱり信者に売っていたらしい。
「いくらなんだ。お前のことだからぼったくりはしないだろうが」
「銀貨10枚です。それで聖なる祝福を受けた羽根が手に入ります」
銀貨10枚。価格差やら物価の違い、安定性の違いがあって元の世界の額に変換するのが難しいが、ちょっと豪華な夕食や、酒やつまみを少々豪勢に頼もうとするとそれぐらいだろうか。王都だともう少し価値が下がり、辺境なら逆に上がるが、平均化するとそれぐらいのイメージだ。
つまり絶妙な価格設定だった。
思わず俺たちは唸り声をあげていた。詐欺か、と言われれば本当に天使の羽根ではある。しかも魔力付きなので物としての価値もちゃんとある。ただ信者たちが思う天使ではない。
ぼったくりか、と言われれば安くはないが高くもない。観光地の土産が高い、みたいな感じが近い。
詐欺ではないが本物ではない。価格設定が妥当かと言われればどちらとも言えない。
本当に絶妙な売りつけ方だった。
「こう、なんだ。文句を言いたいような、言えないような」
「あら。私のこの姿が天使に見えないのかしら。肖像画にしてもらってもいいぐらい、この上なく天使の姿だと思うのですが」
それは否定できなかった。人間の身体に純白の大きな翼。天使度合いで言えば100%だ。
でもなんか、微妙に納得いかないんだよな……。
「そのうち家族か誰かが、天使の羽根が買えるなんておかしいとかなんとか思って、文句言いにこないのか?」
「そのあたりに抜かりはありません。他人に話してしまうと祝福が薄れる、と言い含めてありますし、飾り物として置いていてもおかしくないよう多少の加工を施しますから、家にあっても疑問は持たれないでしょう」
「本当に土産の置き物じゃないか……」
シスターの商売は万全すぎて文句のつけようがなかった。納得は全くいかなかったが、突ける穴がない。
俺たちが反論するのを諦めたのを察したのか、商売上手の天使様はどや顔をしていた。
「どうです。信者も祝福を受けられ私も捨てるだけの資源を利用して潤う。皆が皆、幸福になれる素晴らしい仕組みだとは思いませんか?」
「……まぁ……そう、だな……」
「そういうわけなので、とっとと集めてください。羽毛はともかく、羽根は汚れると商品価値が下がります」
もう何も隠すことなくシスターは商品価値と言い切った。微妙に納得しきれないまま、俺たちは渋々、箒で羽毛と羽根を集めるのだった。
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