第26話 桜の提案
「なあ悠司。もしも私がお前のものになれば、こういった破壊活動を止めてくれるのか?」
唖然とするあまり悠司は言葉が出なかった。一体、どういうつもりでこんなことを言い出しているのか全く理解ができなかった。
「世界のために自分の身を犠牲にするようなタイプだったのか、お前?」
「いや、自分でもそうではないと思う。世界を救うなどという大義名分はむしろ嫌いだ」
「だったら何で……」
「……分からない。分からないが、ただ」
桜はしばし言い淀んでから続けた。
「ただ、私とお前は似ていると、そう感じたんだ」
似ている。その言葉の意味を悠司は理解できなかった。一体自分と彼女と何が似ているのだろうか。自分と違って彼女には友や仲間が──。
悠司が考えようとしたところで、群体であるリヴァイアサンの統合意識が語りかけてきた。今すぐにこの女を捉えあらゆる陵辱を実行すべきだ、と。我らの一部たる藤原悠司の絶望の要因となったこの女に、藤原悠司が感じた以上の絶望を与えた上で地獄に突き落とすべきだ、と。
上位意識たる悠司は、桜を破滅させるべきだという提案を受け取り──微かに意識が優越しているという権限でもってリヴァイアサンの結論を棄却した。リヴァイアサンからの返答は疑問。しかし当の悠司がそれを不要と判断したことを理由に統合意識は棄却された結論を押し通すことはしなかった。
表層に浮かび上がっている意識に過ぎない藤原悠司という人格は、統合意識であるリヴァイアサンが群体として導き出した結論を認識して、それに対して賛成であるか反対であるかという意見を表明する権限を持つ。
だが、あるのは意見を表明する権限であって、リヴァイアサンの意識に抗うほどの力は持っていない。あくまで藤原悠司の意識もリヴァイアサンの一部に過ぎないからだ。だからリヴァイアサンの統合意識は藤原悠司の賛否に関わらず、統合意識として決定した行動を藤原悠司の意識を無視して行うことも当然できる。
しかし今回、彼らはそれをしなかった。できないのではなくしなかった。リヴァイアサンは藤原悠司の願いを優先することに決めたのだ。
(悪いな、感謝する)
リヴァイアサンの統合意識に悠司は礼を伝えた。
何故、桜に何もしないという結論に至ったのかは悠司にも分かっていなかった。ただ単にそう望んだのだ。
意識下での処理を終えてから悠司は返答に移った。
「無駄なことだ。言ったはずだ、俺たちはもう藤原悠司ではないと。無数の意識を統合したリヴァイアサンという名の群体だ。お前ひとりを生贄にしたところで我らは止まらない」
「そうか、残念だ」
悠司の返事に桜は俯いた。残念だというのは彼女の本心だった。自分の行動が生み出してしまったリヴァイアサンという大災害を止められない、というのも残念だったがそれ以外にも何かが理由で心が落胆していた。
それは何か、と桜は思案する。自分の心に引っ掛かっているものはなんなのか。
(ああ、そうか。私はこいつを救えないことを残念に思っているのか)
答えは単純だった。桜はリヴァイアサンを止めるということ以上に、自分とよく似た悠司という人間を助けられないことを悲しんでいた。彼をここまで追い詰めたのは自分なのに。
桜の胸中を悠司は知る由もない。一方の彼はある疑問を抱いていた。
「それにそもそも、破壊活動を止めること自体にお前は意義を見出しているのか?」
悠司は疑問を口にする。彼が見てきた桜という人間は、正義感や義憤に溢れたような人物ではなかった。むしろ傭兵のイメージがぴったりと合うような、ドライな人間に見えていた。
そんな人間が命懸けで自分たちを止めにくる、というのは意外だった。
「一応な。何であれこの状況は私たちが──いや、私が招いたことだ。多少の責任感はあるさ」
「お前ひとりの責任だと思うのは自惚れが過ぎないか?」
桜の返答を悠司が鼻で笑う。桜は微かに首を傾げながら「そうか?」と言って考える素振りをみせた。
「まあ、怜司のせいもあるか。どっちにしろ、責任があるのは事実だ」
淡々と事実のみを述べる口調で桜が言い終わる。悠司にとっては意外な答えだったが、単に自分自身が彼女を理解できていないだけだった、と悠司はすんなり納得した。
「それぐらいの常識はあったわけか」
「ああ。それぐらいの常識はな」
悠司の皮肉に桜が笑って返す。こんな状況でよく笑えるものだと、逆に悠司が呆れる始末だった。
悠司の胸中には妙な感覚が生じていた。思えば桜とこれほど長く会話をするのは初めてのことだった。
(こいつと喋ると、どうも調子が狂うな)
このままでは何か良くない考えに至りそうだった。リヴァイアサンの一部としてあってはならない考えに。悠司は桜との会話を切り上げて再び触手で彼女の口を塞ぎ、今度は蒼麻の元へと歩み寄った。
口に突っ込まれていた触手が引き抜かれ、何度も咳き込みながら蒼麻の口から白濁色の粘液が溢れ出した。
「お楽しみのところ悪いが、そろそろ第2ステージだ」
「……も、う……ゆるし、て……」
涙と粘液とでぐしゃぐしゃになった顔で蒼麻は消え入るような声で懇願する。それを聞いて悠司は一考する。
「じゃあ怜司を殺せ。そうしたらお前は助けてやろう」
「それ、は……」
逡巡する蒼麻を見るなり悠司は側腹部を拳で殴りつけた。「がはぁっ!」と苦痛の声を蒼麻が漏らして口からさらに粘液を吐き出した。
「懇願したくせにこちらの要求に悩むな。馬鹿かお前は」
苛立ちのままにもう1発殴ろうかと悠司は思ったが、これ以上肉体に負担をかけると本当に蒼麻は死にそうだったのでやめにした。
悠司が怜司を見やる。憎悪と憤怒に塗れた瞳が悠司を睨みつけていた。悠司が笑みを返す。かつての自分も同じ瞳を怜司に向けていた。同じ状況に怜司を追い込んだと思うと心の底から気分が晴れた。
(まぁ、本当に同じというわけではないが)
晴れ晴れとした悠司の気分に少しばかり陰が差す。怜司に与えた苦痛は持っているものを失う苦痛。対して自分たちが持っているのはそもそも何もなかったという苦痛。全く種類の違う苦痛だ。同じ苦痛を与えるには同化する他ないが、それはまだ早すぎる。
先にそれを与えてやるのにちょうどいい相手がすぐ傍にいた。
「さて、さっきも言ったが第2ステージだ。触手で陵辱なんてのは序の口というか、前座みたいなものだ」
怯える蒼麻を無視して悠司が続ける。
「蒼麻。これからお前に俺たちが──我らリヴァイアサンが何ができるかを教えてやるよ」
悠司の手が蒼麻の頭に触れる。そしてそのまま透過するように蒼麻の頭の中へと入っていく。
その瞬間。
「ひっ、ぁ、ぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
蒼麻の絶叫がこだました。
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